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夢を抱いた男 〜猫たちの時間10〜  作者: segakiyui


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5.空を飛べたら(2)

「それより…」

「うん?」

「麻薬の方はどうなってるんですか?」

「あんまりおおっぴらにできんのだが…」

 ことばを切り、俺がその意味を『きちんと』理解しているのかどうかを疑うように、ちらりとこちらを横目で見た。

「しゃべりませんよ」

「そう願いたい。実のところ、あまり進展していなくてね」

 それじゃあ、しゃべろうとしゃべるまいと、大した違いはないじゃないか。そうは思ったものの、大人しく黙って続きを待つ。

「例の河本浩樹の方だが…」

 言いかけて、警部は降りて来た看護師に口を噤む。また年若い看護師で、銀縁眼鏡を掛け、どこへ行くところなのか、少し慌てた様子で階段を駆け下りる。すれ違いざまに、俺達を見舞い客と思ったのだろう、唇の両端を上げて眩そうな目をして会釈した。

「あ、どうも」

「え…?」

 つい、ことばを返して頭を下げた俺に、相手はきょとんとした顔で立ち止まる。

「…それでだが…滝君……滝君!」

「あっはいはい!」

「…なんだ?」

 上の空の俺に、厚木警部が俺の視線を追って振り返る。

「知り合いか?」

「いや、そういうわけじゃないですけど…」

 熱くなる顔で弁解し、話を切り替えた。

「で、河本浩樹がどうしたんです?」

「…ああ。河本がよく利用している銀行を調べたんだが、麻薬がらみの収入と思われるのもの以外にも、どこから入っているのかルートが不明な入金があってね。大した額じゃないが、1日置に11月25日から12月5日まで、都合6回ほど入金されている。アルバイトをしていたわけでもなさそうだし、一体どこからのどういう入金なのか探っていると、おかしなことが出て来た」

「おかしなこと?」

「銀行に、たまたま、入金に来ていた人間を知っている者が勤めていたんだ。中学の頃の同級生だったということでね。1日置、しかも6回も、20万、30万と入金しに来る。変だなと思って覚えていたらしい。誰だと思うね?」

「ひょっとして…」

 同級生、と言うのに、思いついた名前を口にした。

「高多鏡一…」

「…いい勘をしてる」

 厚木警部はにやりと笑った。

「どうやら、高多は河本に脅されていたようだな」

「どうしてです?」

 答えはしたものの、理由がわからず問い直した。

「高多が河本に脅される、どんな理由があったんです?」

「それをこれから探るところだ。ここまで高多が関わってきた以上、『本人の口から』というのは、最後の手段にしたいものだがね」

 厚木警部のことばは、自白と言う意味合いにも取れた。

「ひょっとしたら、それがるりに河本を殺させた要因かも知れない」

「でも…」

 俺は口ごもった。

「何も殺さなくても……脅されてんなら、警察っていう手もあるでしょう?」

「滝君」

 これだから素人は困る、と言いたげに、厚木警部は溜め息をついた。

「大抵の場合、脅されるっていうのは、警察に訴えられない弱みがあるということなんだがね」

「じゃ、高多が何かやってたってんですか? 麻薬中毒じゃあないみたいだけど」

「麻薬でつながっているとは限らんだろう」

 警部はきょろきょろと左右の部屋の名札を確かめながら答えた。

「何か他の……高多にとって、人に知られたくないこと……お、ここだな」

 クリーム色の壁に、白い横書きの名札が留められている。病棟の端にある2人部屋だったが、もう1つのベッドには患者がいない様子で、名札の白さが目についた。

「…どうぞ」

 厚木警部の重いノックに、細い、どこか甘みを帯びた声が応じる。

 俺は唾を飲んで身構えた。高多からるりの話は聞いていたが、対面するのはあの雨の日以来だ。もっとも、相手が俺のことを覚えているとは思わなかったが。

「失礼しますよ」

 警部がドアを開ける。

 暮れかけた日差しの射し込む病室、手前のベッドは空、その向こうのベッドで半身を起こしていた女性は、じっとこちらを凝視していたが、俺が警部の後から入って行くと、あら、と小さく唇を動かした。

「あなたは!」

 ベッドの側、小豆色のパイプ椅子に足を組んで腰掛けていた高多が、椅子を鳴らして立ち上がる。食ってかかるように、

「るりは倒れたんだ! 今日ぐらい、事情聴取は止めてください!」

「残念だが」

 慣れた物腰で厚木警部は穏やかに口を開く。

「今日は、るりさんではない」

「え?」

 高多は警戒するような目になって、俺と厚木警部を見比べた。

「君がここへ来ていると聞いたものでね」

「俺?」

「そうだ。ちょっと話を聞きたい」

 高多はるりを振り返った。ためらうように、

「今、ですか?」

「早い方が良い。河本のことで、なんだが」

「っ」

 高多はどきりとしたように、顎の線を引き締めた。ちらっと肩越しにるりを見やり、早口になる。

「わかりました。早く済ませましょう。ここでは駄目ですが」

「わかった。じゃ、滝君、またな。るりさん、しばらく高多君を借りますよ」

「はい」

 るりはこっくりと首を頷かせ、ドアから出ていく2人を見送った。

(あの表情…)

 軽い音を立てて閉まるドア、それをなおも見つめているるりの、淡く笑んだような顔に、俺は目を吸いつけられていた。

 それは、あの雨の日の表情にひどく似ていた。穏やかな、静かな、それでいて、何か、腑に落ちないものを秘めた笑み。

(何だ?)

 不安? いや、違う。心配…でもない。孤独……少しは近いがもう一つぴったり来ない。諦めじゃない。悟りきっているのでもなさそうだ。一体……。

「あなた…だったんですね」

「えっ? あ…」

 唐突に声を掛けられ、どぎまぎした。

「どこかで見たことがあるな、とは思っていたけど…そう、あの日の人だったんですか」

「お、俺はそのっ…」

 恥ずかしながらあがってしまい、ベッドの側で直立不動の姿勢をとったまま、るりに弁解する。

「いやその、覗こうと思ってたわけじゃ……全くそんなつもりはなくて、ただ、あの日、雨が降ってたから、それで、雨宿りに飛び込んで、ホテル街だとは知ってて……いやっ、その、知ってたけど、あの辺りにあるとは知ってなくて、別にまじまじ見るつもりなんかなくて…」

 しどろもどろに言い繋ぎながら、なんだか悲しくなって来た。何が楽しくて弁解なぞをくどくどしなくてはならんのだ。だが、習性というのは恐ろしいもので、俺の頭の中には『美人=喋りにくい=日本語にならない』と言う方程式が成り立ってしまっている。

「だっ、だからっ、俺としては、別にあの辺りにホテル街があるのがいけないと言うわけではなくて、ただ、あの時、どうして雨が降ったのかと言うことで、その、雨が降るのはあんまり好きでも嫌いでもなくて、だけど雨が降ると、洗濯物が乾かなくて、1本しかないジーンズが濡れると困って、昔はよくコインランドリーに行くしかなくて…」

「ふっ…」

「あ…の……?」

 くすくす、くすくす、とるりはたまりかねたように笑い出した。そこばかりは年相応の18歳の少女のように、体を二つに折り曲げるように笑っている。

 俺はどうしようもなく、間が保てずにもじもじと体を動かした。

「は…ははっ…」

 一応、おつきあいで笑って見る。

「…?」

 きょとんとした顔でるりが笑い止み、俺を見つめる。ますます居心地悪くなって、俺はなおも照れ笑いを重ねた。

「あ…ははっ……はははっ…」

「う…ふっ」

「は? …はははっ…」

「ふふ、ふふふっ…」

 結局、2人で笑いの二重奏を5分ほどもやっただろうか。

「うふふっ……こんなに笑ったの、久しぶり…」

 しばらくして、るりが目の当たりに滲んだ涙を、白い指先で拭き取りながら呟いた。

「不思議な人ですね、滝さんって」

「はあ…」

 はあ、以外に何を言えと。

 高多から聞いているのだろう、さらりと俺の名前を口にして、るりはにっこり笑った。


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