4.卒業写真のその先で(2)
「いや、今の子、これを忘れてったぞ」
「会った時に返しとくよ。何だ、高校の時の卒業写真じゃないか」
懐かしそうに呟いて、今まで典代が座っていた所に腰を下ろす。
「ずっと前のような気がする……あ、俺、ホット」
オーダーを付け加えのように頼んで、高多は再び写真に見入った。
「お前が『ずっと前』なら、俺なんか『石器時代』だぞ」
「え…?」
俺のことばに、高多はくすりと笑った。
「威張れることかよ。おかしな人だな、あんたは」
「そうか? 言われる割には自覚がなくてな」
「だろうな」
だろうな、ってのはどーいう意味だと聞こうとした俺は、高多があまりにも疲れた様子なのに口を噤んだ。
ホットが運ばれてくる。一口啜って。高多は俺の飲み物に気づいた。
「滝さん、アイスティか?」
「うん」
「真冬に」
「つい、付き合いで…」
「付き合いでって…」
苦笑いしかけて、何を思い出したのか、高多はことばを切った。
「ん?」
「いや……俺、今までるりの何を見てきたんだろうと思ってさ…」
「…」
「10年以上も付き合ってたのに、あいつのこと、何もわかっちゃいなかったんじゃないのかな……病院通いし始めたのだって知らなかったし…」
「病院通い?」
「ああ。この間からちょこちょこ行ってたらしいんだ」
高多はホットをいかにも不味そうに飲んだ。じっとカップの中の黒い液体に目を凝らす。そうすれば、るりのした事が全てわかると言いたげに。
やがて、高多は低い声で呟いた。
「今日、あいつに会ってきたんだ……」
るりは警察病院の白いベッドの上で、高多を迎えた。
「どうしたんだ?」
「ううん……何でも…」
立ったまま尋ねた高多を眩そうに見つめ、るりは柔らかく首を振った。
「何でもってことはないだろう!」
高多は、いつもるりに相対する時に感じる苛立たしさともじれったさとも言える複雑な気持ちを持て余した。
「入院するぐらいだっていうのに…」
「…」
「病院へいつから通っていた?」
「…この冬……11月ぐらいから」
るりはそっと瞳を伏せ、低く囁くように答えた。俯いたるりの髪がうなじで分かれて両肩へと流れる。その白く細いうなじに無意識に見入りながら、高多はなおも問いかけた。
「どうして……あんな事をした?」
「…」
微かにるりの肩が震えたが、何も言わない。溜め息をついて、高多はベッドのそばに置いてあった。小豆色のパイプ椅子にどさりと腰を落とした。
「答えないんだな」
「……」
るりは無言のまま顔を上げた。そのまま濡れたような瞳で、じっと高多を凝視する。
白い肌、紅い唇、けぶる睫毛の黒さ、瞳の澄んだ美しさ、華奢な体は今灰色がかった淡いピンクのパジャマに包まれている。男物のような飾り気のないデザインが、るりを中性的に見せている。この世ならぬ存在、あるいは間違って生まれてきてしまった天使。
「……」
高多は胸苦しい想いに、るりの姿から目を逸らせた。
「いつも…」
穏やかな声が呟く。
「ん?」
そちらを見ようともせず、高多は生返事を返した。
「そうやって、私を見てくれない…」
「………」
「好かれなくてもいい……嫌われても、憎まれてもいい」
振り返った高多を、るりは今まで見せたことのないようなきつい目で見つめた。と、見る間に瞳から大粒の涙が零れ落ちる。それは、病室に射し込む陽光にきらきらと光を発して、るりの顔の輪郭をなぞり、首筋へと流れて行った。
「あなたに見つめていて欲しいのに…」
「…脆そうで…」
高多は遠くを見るような目つきになった。
「今にも崩折れてしまいそうで……だけど、手を出せなかった」
カップを取り上げ、中身をゆっくりと揺らせながら、相手はなおも続けた。
「そのまま、黙って病室を出てきた」
「…」
俺は黙ってアイスティをストローで掻き回した。カラカラと言う氷の音が妙に能天気に明るく聞こえて手を止める。
「…滝さん、やっぱり寒い音だぜ、それ」
高多が頼りなさそうに言い、俺はもじもじした。ウェイトレスが注文だと思ったらしく側に寄って来る。仕方なしに、俺はホットをオーダーした。やらなくてはならないレポートがあったが、これだけ落ち込んでいる相手に「じゃ、レポートがあるから」とは言いにくかった。
(これがまずいんだろうなあ)
そう思いながら、外の街路を行き交う人々に目を向けた俺の耳に、高多の声が届く。
「一度だけ、るりを抱いたことがある」
え…おい。それは……そーゆー話はちょっと…。
「あいつが暴走族に絡まれたときだから、高3の始め、かな」
うろたえる俺に構わず、高多は話を進めた。
「たまたま行きあわせて、こっちも夢中だった。幸い人数が少なかったんで何とかなかったが、その時、るりがこの腕の中に飛び込んできた。細い肩震わせて泣きじゃくってさ」
ふ、と優しい笑みが高多の頬に浮かんだ。
「柔らかくて温かくて………ガキだと思ってたら、いつの間に女になってて……思わず抱き締めたら、腕の中で体がしなって…」
これ以上話が進むようなら、ホットを飲み干して、この場所からダッシュしてやろうと構えていた俺は、高多がいつまで待っても先を話さないのにきょとんとした。
「?」
恐る恐る相手を覗き込む。うつろな視線はテーブルの上、何を見ている風でもない。
「高多…?」
「へ?」
「次の瞬間、怖くなったんだよ、俺は」
嘲るように、高多は声の調子を上げた。挑戦的に俺を見つめる。
「あんただって、きっとそう思うぜ。ずっと長いこと、呆れるほど長い間、叶えよう満たそうと思っていた夢が、突然手の中に飛び込んできてみろよ。握り潰すのも解き放つのも俺次第、そんな時、握り締めかけた指の間で、その夢って奴が震えてやがる!」
ちっ、と高多は忌々しげに舌を鳴らした。わかりの悪い俺に対してのようでもあったし、その時怖がった自分に対してでもあるようだった。
「…るりを抱くのが怖かった。抱いてしまえる自分が怖かった。この手であいつを無茶苦茶にしてしまいそうな自分が、な」
ん? 待てよ? ってことは、ひょっとして高多がるりによそよそしかったってのは……惚れ込み過ぎている自分への歯止めってことか?
「高多様? 高多様、いらっしゃいますか?」
カウンターからアルバイトらしい少女がたどたどしく叫んだ。弾かれたように高多が立ち上がる。外していたマフラーも一緒に持って行ったのは、高多にも何かの予感があったのかも知れない。店に連絡があったらしい。少女から話を聞いた高多の顔色が変わる。
「え…あ…はい! わかりました、すぐ行きます!」
大声に少女が顔を顰めるのも気にせず、高多は店を飛び出した。
「高多?!」
「るりが倒れた!!」
飛び出した高多の後ろでドアベルが派手に鳴った。




