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短編集(恋愛・異世界等)

その猟犬は二度笑う

作者: A

 ストレスの発散のために街へ遊びに行った帰り道、いまだ不満の残る私は、馬車の窓に雨が当たるのを見ながら不貞腐れていた。


 というのも、やりたかったことができなかったからだ。



 最近、私はどうしても犬が飼いたかった。


 死んだお母様によく似ているらしい私のお願いをお父様はいつも聞いてくれるのに、今回だけはダメだと言われた。記憶には全く無いが、どうやら私は幼い頃、犬が近くにいた時に体調を崩したことがあるらしい。



「つまんないの」



 大型犬を飼って一緒に遊ぶつもりだったのに。それこそ、狩りに連れて行けるくらいかっこいい奴がよかった。



「ん?」



 街の外れに差し掛かった時、ふと私は窓の外に気になるものを見つけた。



「とまって!!」



 御者にそう大声でいうと彼は驚いたように急ブレーキをかけた。そして、馬車が停まるとすぐに飛び出した私に護衛達が慌てて声をかけてきた。



「お嬢様、お待ちください!」


「いやよ!貴方達がついてきなさい」 

 


 私は身体能力の高さには自信がある。あっという間に目的のものに近づくと、私はそれに声をかけた。



「貴方、犬みたいね。気に入ったわ」



 そこには雨の降る中、薄汚れた外蓑に身を包みながらギラついた目でこちらをジッと見つめる少年がいる。体はガリガリで、髪はボサボサ。その目が開いていなければ死んでいると勘違いしていたかもしれない。


 だけど、正直そんなことはどうでもいい。


 黒と銀の混じり合った珍しい髪色と飢えた獣のような鋭い瞳が特徴的な彼を見た時に思った。


 まるで猟犬のようだと。



「私はセリーナ、貴方は?」


「わからない」


  

 彼は無感情にそう言った。でもそれなら、なおさら都合がいい。元々犬につけるつもりだった名前をあげよう。



「じゃあ、ラルフ。貴方はラルフよ」


「ラルフ?」


「そうよ、貴方はラルフ。そして、今日から私の犬になるの」


「犬?わからない…………」


「犬はね、私が命令したことは何でもするの」


「わかった」


 

 ニコリともせず、ただ淡々と彼は言う。だから私は、最初の命令を決めた。



「最初の命令よ。笑いなさい」


「笑う?」


「なによ。それも知らないの。ほら、これよこれ」



 私が試しに笑って見せると、彼の瞳が大きく見開かれた。

 なんだろう。そんなに珍しかったのだろうか。


「わかった?」


「こうか?」


 彼が表情を動かすが、それは笑顔とは程遠い物だった。


「ぜんぜんダメ。それじゃ引き攣ってるだけじゃない!まぁ、今はそれでいいわ。ほら、早くついてきて」


「わかった」


 立ち上がった彼は予想以上に大きかった。それに、明らかに不健康な見た目なのに、立ち振る舞きは一分の隙も無くて、まるで山が目の前に佇んでいるように感じてしまった。






◆◆◆◆◆






 屋敷に帰って一月が経った頃、彼は栄養を取り、動けるようになると、あっという間に色々なことを吸収していった。


 家庭教師達も手放しで褒め称えるほどの才で、言葉遣いや所作から始まり魔術に、剣術、あげくの果てには算術や法術、それらを瞬く間に吸収していった。何が彼を駆り立てるのか、寝る間を極限まで惜しむようにして。


 だが、最初はつきっきりで彼の面倒を見ていた私も徐々に手持無沙汰になってきた頃、領内の視察に赴いていたお父様が帰ってきた。


 

 そして、私が街で孤児の男の子を連れ帰ってきたことを知るとひどく難色を示し、再三私に戻してくるように言ってきた。


「セリーナ、ダメだ。戻してきなさい」


「いやよ。ラルフはもう私のものよ」


「そうは言ってもね。こんなどこの馬の骨とも分からぬ輩を君の近くにおいては置けない。従者なら他に準備するからそれで我慢してくれ」


「ラルフじゃなきゃいや」



 だが、私も引く気は無いのでお互い平行線のまま、時は過ぎ。最終的に古くからの慣習に従って決めることとなった。


 我がアインセルン辺境伯領は代々護国の剣として隣国との争いの最前線を務めてきた。それに、領内に危険な魔物の生息する土地を含むことからも力を尊ぶ風習が根強く、その領主である私達の家も決闘で物事を決めることがよくあったそうだ。

  

 

「セリーナ、君は天賦の才に恵まれている。だけど、その才は僕から受け継いだものだ。まだ勝てないのは分かるだろう?」


「お父様。私は、頑固で我が強いところもちゃんと受け継いでるのよ?だから諦めて」


「しょうがない子だ。じゃあ、一手お相手しようか」



 私は剣を構える。それに対してお父様はただ立っているだけだ。剣を交えずともその強さが伝わってきて隙が全く無い。


 自分も成長したと思っていたけれど、まだまだ全然届きそうもない


 極度の緊張からか玉のような汗が流れ出し、しかし、先手を取られたら負けると思い踏み込もうとしたその時、ラルフが目の前に立った。



「ラルフ、どうしたの?」



 この一ヶ月栄養をしっかり取り、肉の付いた彼がこちらに手を出してくる。



「セリーナ様、剣を」


 

 少年らしくない低く掠れた声とともに、彼はじっと私の目を見つめた。



「…………負けたら許さないから」


「はい」


「なら、任せるわ」


「はい」



 彼が剣を構えると、黙ってこちらを見ていたお父様は急に真剣な顔つきになり、剣を正眼に据えた。

 

 どれだけそうしていただろうか。そうやって睨み合った後、何故か、お父様が構えを解いた。



「君、名は?」


「ラルフです」


「…………いいだろう。ラルフ、君はセリーナを守るんだね?」


「守ります」


「誓えるかい?」


「私の全てをかけて、必ず」


「そうか。なら、しばらくは見届けようか」



 何もしないまま、そう二人で結論を出すと、お父様は私を抱き上げ頬にキスをした後、執務室へと向かっていった。

 

 ほんとになんだったのだろう。だけど、どうやら許可は出たようだ。


「やったわね!」


「はい」


 そして、私達主従の生活が本格的に始まった。

 

 






◆◆◆◆◆







 あの日から、ラルフはどこに行くにもちゃんと私についてきた。

 

 それこそ、どんなところでも。


 




≪探検≫

 

「ラルフ、来週はみんなに内緒で森に行きましょう。護衛なんて連れてちゃ思う存分楽しめないわ」


「わかりました」



 領地のさらに端に位置する原初の森は強い魔物が出ることで有名だ。だから私は、一度そこに行って思う存分腕試ししたいと思っていたのだ。

 


「じゃあ、ラルフが全部準備しといて」


「はい。セリーナ様」



 そして、当日、私はまだ太陽が出ていない時間に彼に起こされた後、二人で屋敷を飛び出した。



「皆、居眠りかしら。好都合ね」


「そうですね」



 いつも見張りをしているはずの衛兵たちは何故か皆居眠りをしているようで壁にもたれて目を瞑っていた。


 お父様に言いつけてやりたいけど、そのおかげで抜け出せたし今回は黙っておいてあげよう。







「これが、原初の森か、腕が鳴るわね」



 目の前にはとても深い森がある。私は腰に差した剣を抜くと、意気揚々と歩き出した。


 魔物と出会う度に戦う。家庭教師との模擬戦とは違う本当の戦闘がとても楽しく、時間を忘れて遊んでしまった。



「いいわねこれ!すごい楽しいわ」


「それは、よかったです」


「でも、思ったより強くないのね。もっと強いと思ってた」


「セリーナ様が強すぎるのかもしれませんね」


「それだわ!さすがラルフね」


「ありがとうございます」



 ここら辺の魔物は相当強いと聞いていたが、思ったよりも苦戦することなく戦えたので意外だった。

 でも、楽しいのでまぁいいかと遊び倒し、お腹が空いた頃に屋敷に帰った。








 屋敷に帰ると、お父様の不在を任せられている家令のトーマスがひどく心配した様子で走ってきた。


「お嬢様!お無事だったのですか!?衛兵が気絶されられており、てっきり誘拐されたのかと。それに、追跡に出した領兵が森に大量の魔物の死骸があるというからとても心配していたのですが」


「森にお散歩にいってただけよ」


「散歩!?護衛もつけずに森に行かれたのですか?危険ですのでどうかおやめください」


「満足したし、しばらく行くつもりは無いわよ」


「それは、どうも、ありがとうございます」



 疲れたような顔のトーマスは、諦めたようにそう言ってくる。



「はぁ…………しかし、領兵がいうには、森の近くにあのドラグスネイクの死骸があったというではないですか。それも風魔術で真っ二つにされて。これもどうせお嬢様の仕業ですよね」


「どらぐすねいく?」


「はい、とても大きい蛇の魔物でございます。その鱗は鉄より硬く、その牙は鋼をも貫くと言われており、大変危険な魔物です」


「んー。あんまり覚えていないわ」


「そんな!?他の魔物とは明らかに違います!!」



 そう言われても全く記憶になかった。なので私は、念のため確認する。



「戦ったの?」


「はい、戦いました」


「…………やはりそうですか。旦那様に何とご説明すれば」


「たぶんお父様は笑うだけよ。貴方もなんとなくそう思うでしょ?」


「…………確かに」


「だから大丈夫よ。逆にさすがアインセルンの娘だ!とか言い出すに決まってるもの」


「はぁ、奥方様もそうでしたが、本当に、豪傑ぞろいの親子で羨ましい限りです」


 

 すっかり頭の毛が薄くなった彼がとぼとぼと歩いていく。悪いとは思うが、昔からのことなんだからもう少し気軽に構えればいいのにと思う。



 しかし、本当に戦ったのだろうか。正直、私はラルフと違って風魔術はあまり得意じゃないのだが。

 


「まぁいっか。たぶん遊んでいる時に戦ってたのよね。うん、そう言われるとそんな気がしてきた」


 

 ラルフはとても記憶がいいし、細かいことに気が付く。そんな彼が言うならそうなのだろうと思った。

  





≪買い物≫


「ラルフ、来週はお買い物に行きましょう。お菓子をたくさん買うの」


「わかりました」



 最近領内ではたくさんの甘いお菓子が続々と出始めていた。私は、それに目が無かったので前から行こうと思ってたお店を一度に回ることに決めた。

 


「じゃあ、ラルフが全部準備しといて」


「はい。セリーナ様」



 そして、当日、私は馬車を走らせながら街へ向かった。



「何かあったのかしら?人だかりができてるわ」



 視界の先ではかなりの人が広場に集まっているようだった。

 ただ、私はお菓子以外に興味は無いのでそのまま通り過ぎる。







「やったわ!全部買えたわね」



 馬車にはたくさんの色とりどりのお菓子がぎゅうぎゅう詰めに入れられている。


 試食しながら食べ歩いたが、とても楽しかった。



 だが、屋敷に帰ると、最早恒例となりつつあるトーマスの慌ただしい足音が聞こえてきた。



「お嬢様!ご無事ですか!?何やらここ周辺のゴロツキどもが粛清されていたとか。どうやら、あの悪名高い『ヒドゥンハンド』も壊滅したそうです」


「ひどぅんはんど?」


「……お嬢様は歴史の教師から教えられているはずですが」


「覚えてない」


「はぁ。『ヒドゥンハンド』は、隣国の敗残兵の集まりで出来た組織といわれています。そして、近隣の傭兵崩れや盗賊を吸収しながら拡大し、人身売買、違法薬物、果ては身代金目当ての貴族の誘拐まで最近は手を出すほどの勢力を誇っていたようです」


「ふーん。それでその組織が無くなったの?」


「はい。隣国との境界線に本拠があるとのことでなかなか捜索すらままならなかったのですが、ここ数日で何者かによって根こそぎ粛清されたようです」


「ならよかったじゃない」


「それだけですか!?街でもかなり話題になっていたはずですが。お耳に全く入らなかったのですか?」



 少し思い返したが、記憶になかった。なので私は、念のため確認する。



「今日、そんなの聞いたっけ?」


「いえ、今日は聞いていません」


「そんなはずは……」


「まぁ、そんなことはいいわ。それより、お菓子を食べましょう」


「しかしですな、これは領内に関わる大事なことで」


「もう粛清されたんでしょ?なら大丈夫よ」


「…………はぁ、わかりました。一応旦那様には伝えておきます。どうせ、またお笑いになられるだけと思いますが」


 

 最早不毛の大地とかしつつある頭を光らせながら彼がとぼとぼと歩いていく。気の毒には思うが、終わったことを気にしても仕方ないと思う。


 しかし、最近私が行く先でそんな話をよくされる気がする。


 悪い噂のある盗賊団やら傭兵団やらの壊滅。特に貴族にも手を出してくるような大きな組織は徹底的にやられているようだ。

 


「まぁ私には関係ないしね。それより、お菓子食べよ」


 

 たぶんたまたま私が行く場所に起きてしまっただけだろう。


 それに、ラルフはもはや誰が勝てるのかというほどに強い。常に一緒の私が危ない思いをすることなんて今までずっと無かったのだし、これからもそうだろう。





◆◆◆◆◆





 

 たくさんの時が流れ、ラルフは男性となり、私も女性と呼ばれる様な年齢に近づいてきた頃。


 昔のように送られてきた肖像画と釣書を破り捨てることは無くなったけれど、まだ私は結婚相手を決めかねていた。





 

「あーもうムカつく!!」



 気の進まない社交界に出るためわざわざ王都に出てきたというのに、性悪女ばかりでムカついてしまい帰りたくなった。


 近づいてきた男性達も全く中身の無い回りくどい台詞ばかりでイライラしたし。




 エントランスを出ると、まつ毛も凍り付くような冬の空気が漂っていた。もうあそこに戻る気は無いので馬車まで歩いていこうかと思っていた時。

 

 雪の降る中、馬車の前で立っていたラルフがこちらに気づいて一瞬で近づいてくる。だが、積もった雪に足跡すら残らないのはどういった技術なのだろうか。


 彼は、すぐに私の肩にコートをかけ、すぐさま卓越した火魔術で私の周囲を取り囲んだ。



「ラルフは本当に器用よね。魔術をこんなに繊細に扱える人なんて見たことないわ。まるで、御伽噺で出てくる魔法のよう」



 程よい暖かさの白い球に包まれとても心地が良い。彼の扱う魔術は本当に繊細だ。最初は通常の魔術と変わらず、戦闘用のものしかなかった。


 だが、それは私がして欲しいと思ったことに合わせて徐々に形を変え、今では魔法とでもいうような便利なものに変化していた。




「まだ、社交界の終わりには早いはずですが。どうかされましたか?」


「ダレムンド侯爵家の令嬢とその取り巻きに散々バカにされたのよ。ムカついて途中で出てきちゃった」


 田舎者だの、山猿だの、本当にねちっこくて腹が立つ。それに、真正面から言えばいいのにそれとなく聞こえるように囁き合うのが尚更ムカついた。



「…………そうですか。それは、いけませんね」



 彼は、低く唸るような声でそう言うと、目を細めた。



「まぁ、もういいわ。あいつらのドレスをビリビリにしてやったから。あははっ。思い出したら笑えてきた」



 次に言ったら容赦しないと伝えたのに、また言ってくるから望み通りにしてあげたら、相手は泣き叫びながら走っていったので思わず笑ってしまった。


 我が家はその役柄故に、王家も蔑ろにできないし、相手との家格も大きな開きは無いからそれほど大きな問題にはならないだろう。



「ほら、ラルフ帰るわよ」


「はい、セリーナ様」



 以前、お父様は私が後を継いでもいいが、婿は取れと言っていた。血を繋ぐ、それが民の税で生きる我らの務めだと。


 当然、それは理解できる。だけど正直、結婚なんて全く興味はなかった。


 私は、ずっと自らの信念に従って生きてきた。相応しくない相手に自分を捧げるなんて冗談じゃない。



「でも、私ももうすぐ成人だものね」


 

 まだ少しだけ時間はあるが、いつか、私も成人になる。


 だから何だというつもりは無いが、家のためにも子供は生まなければいけないかなと漠然と思う。それこそ、お父様とラルフ、それに屋敷や領民のみんなも私は大好きだから。



「ねぇ、ラルフ。私も誰かと結婚しなきゃいけないわよね」

 

「それは…………」



 いつも、私のわがままに振り回されながらも、涼しい顔で、ニコリともせず、私のために動いてくれる彼。


 結局、彼は最初の日以来一度も笑ったことはないけれど、その優しさはその態度だけでこれ以上無いほどに伝わってくる。


 だから、そんな彼を路頭に迷わせないためにも、私は家を存続させねばならないのかもしれない。



「だったら、まだマシな相手を見つけられる若いうちのがいいか」



 まだ、異性を愛すということはよくわからないけれど。それが必要だというならば、私はそれをしなくてはいけない。たとえ、自分を曲げたとしても。



「…………」



 私らしくない、囁くような弱気な声は彼には聞こえなかったようだ。常日頃返される端的で明瞭な言葉は返ってこなかった。






◆◆◆◆◆


 




 王都を引き払い、辺境伯領にある屋敷に戻ってしばらくした頃、何故か社交界で私をバカにしてきたダレムンド侯爵家から丁寧な謝罪文が届いたようだ。抗議文かと思っていたので少し拍子抜けだ。

 

 お父様が呆れたように山になった謝罪の品を見せながらこちらに苦笑いしていた。



「セリーナ。また何かやったのかい?」


「相手がバカにしてきたから、仕返ししただけよ?」


「いつまで経っても本当にお転婆な子だ。でも、済んだことだし、もういいよ」


「なんで謝ってきたのかしら?どっちもどっちな気がするけど」

 

「…………怖い思いをしたのかもしれないね」


「え?」


「いや、何でもないさ。けど、これで社交界に呼ばれることはもう無さそうだなぁ」



 お父様は諦めたようにそう言うのが聞こえる。そして、その後なぜかラルフの方を見た。



「これも君の仕業かい?」


「必要なことを、必要な分しただけです」


「あははっ。君らしいね」


「それと、以前お話をしていた件ですが」


「それは、いいよ。僕が求めるのは、セリーナを守ること、ただそれだけだ。そして、君はずっとそうしてきたし、これからもそうする。そうだろう?」


「はい。私の生涯をかけて、必ず」


「ならいい。それに始めから血にこだわるつもりもなかったんだ。妻も元は傭兵だったし」


「……深く感謝申し上げます」


「まっがんばれ。後は君次第だ」



 二人は私を置いてけぼりにそう話すと、納得し合ったような様子で頷いた。



「お父様、それは何の話?」


「うーん。そうだね、いずれわかるよ」


「えー。教えてくれたっていいじゃない」


「僕からは何も。ラルフに聞いてごらん」


 

 そう言った後、笑いながらお父様は去っていった。



「ラルフ、何の話だったの?」


「いずれ話します」


「いずれって、いつ?」


「貴方の成人の誕生日に」


 

 強い意志の宿った彼の瞳をじっと見つめる。どうやら、この目では待つしかなさそうだ。



「はぁ、分かったわ。貴方も、たいがい頑固よね」


「セリーナ様に似たのでしょう」


「私のせいにしないでよね。ラルフはずっとそうだったはずよ」


「いいえ、貴方と会ってからです。私にこだわる程の物ができたのは」


 

 彼は、遠く過去を懐かしむかのような顔を一瞬した後、すぐに普段の冷たい表情に戻った。



「申し訳ありません。お茶の準備でも致しましょうか」


「そうね。じゃあ、お願いできる?」


「はい、セリーナ様」



 彼は本当に器用だ。何でも卒なくこなしてしまう。それに、そこまではいいと言っても、彼は学ぶのを止めず、今では私の身のまわりのことは着替えなどを除けば全てやってくれる。


 彼を拾って十年ほど、本当に長い時が過ぎたんだなと手慣れた様子でお茶を煎れる姿を見て私は思った。

 






◆◆◆◆◆






 

 そして、時が流れ私が成人となる誕生日。

 

 

 毎年恒例ではあるが、屋敷総出でお祝いをしてくれた日の夜。


 バルコニーで風に当たりながらこれからのことをふと考える。



 あれから、社交界には一切呼ばれていない。それに、悪い噂が立ったのか縁談の話も全く来なくなった。危機感は別に無いが、適当に家格の低い家からでも見繕わなきゃなとも思う。


 

 そうして、ぼーっと考え事をしていた時、ノックの音が聞こえ返事をする。



「どうぞ」


「失礼します」



 そこには、ラルフがいた。あまり、こんな時間に尋ねてくることは無いので少し驚く。



「どうしたの?」


「以前話すと言っていたことを話に来ました」


「ああ、そう言えばそんなこと言ってたわね。で、何の話だったの?」


 

 私が問いかけると、彼は少し息を吐き、そしてゆっくりと口を開いた。

 

 

「初めて会った日、私は貴方の犬となりました」


「ああ、そう言えばそんなことも言ったわね。それで?」



 昔は、今以上に我がままで、世界は自分のものだと思っていた節があった。少し恥ずかしい。



「はい。私をその身分から開放して欲しいのです。私は、このまま犬ではいたくない、いるわけにはいかない」



 その言葉を聞いて少なからず衝撃を受ける。それと同時に寂しさも。


 だが、それは仕方がないことだ。


 恐らく、今まで未成年だったということで彼は大目に見てくれていたのだろう。



「そう、だよね。うん。ごめんね、ラルフ」


「いえ」



 彼が端的にそう言ったのを聞き、許可の返事をしようとした時、何故か視界が滲んだ。



「あれ?なんで?」



 とめどなく涙が溢れ、止められなくなる。



「ひっ、ひっく。少し、少しだけ、待って」 

 


 嗚咽が漏れ出て言葉が発せなくなる。

 

 そして、部屋の中でただ、私が泣くだけの音がしばらく響いた後。震える体を押さえつけて、言葉を発した。

 


「ラルフ、貴方は、今から、私の犬ではないわ…………今まで、ありがとう」


 

 それが言葉となって響き、やがて音を消したとき、胸にぽっかりと穴が空いたような気持ちになる。

 

 それと同時に私は理解した。


 

 

 ああ、私は既に知っていたのだと。人を愛するという気持ちを。




「ありがとうございます」


「……………………餞別くらいは出すから。何か欲しいものはある?」



 どこにも行って欲しくない。だが、彼を縛り付けるのはあまりにも可哀想だ。


 私は、好きにやってきた。彼に迷惑をかけながら。


 だったら、私も、彼の好きにさせてあげたい。それが自分のしたいこととは違ったとしても。



「私には、昔からずっと胸に抱いてきた夢があります」 



 彼は、それこそ十年近く私に仕えてくれたが、ほとんどしたいことや、欲しいものを言うことは無かった。



「そう、なんだ」


 

 そんなことは全然知らなかった。主として、失格だと自嘲の笑みが漏れる。

 


「私にできることなら手伝うわよ?何でも言って」



 これは、私ができる最後の贈り物。だから、全身全霊でそれをしてあげたかった。




 私のその言葉を聞き、彼がこちらをじっと見つめてくる。


 その中に宿る色は、とても複雑で、胸中を推し量ることはできない。





 そして、長い時間をかけた後、ラルフは初めて見る緊張した面持ちになって口を開いた。




「なら、どうか、私のものになって下さい」


「へ?」




 予想外のその台詞に頭が追いつかず混乱してしまう。だが、彼はそれを勘違いしたのだろうか。


 彼らしくない、たどたどしく焦ったような声色で言葉を重ねた。



「わ、私は!貴方を、セリーナ様を愛しています」




「私の全てをかけて、生涯をかけて、守ります。何があっても、いつになっても」




「だから、どうか、私と添い遂げて頂きたい。主従ではなく、飼い主でもなく、対等な人として」




 いつも冷静で、口数が少なく、無表情な彼。


 だが今は、熱っぽく、畳み掛けるように、余裕の無さそうな顔で私に語りかける彼。



 私にはそれがとても嬉しかった。止まりかけた涙が再び流れ出すほどには。




「あの、だからですね、私は」


「ラルフ」


「貴方のことを、好きで」


「ラルフ!」


「………はい」




 思うように言葉が出ないのかしょげたように項垂れる彼が少し可笑しかった。




「ふふっ、ラルフ。私も貴方のことが大好きよ。だから、ちゃんと幸せにしてね?」


「っ!はいっ!必ずや」


 

 二度目となるその彼の笑顔は、私を虜にするような、とびっきりの笑顔だった。

ちょい長めの文章ではありましたが、お読み頂いた方はありがとうございました。



※下記は作品とは関係ありませんので、該当の方のみお読みください。


【お誘い】絵を描かれる方へ

絵に合わせた作品を執筆してみたいと思っております。興味を惹かれた方は一度活動報告をご覧頂けると幸いです。

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