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薔薇に棘はあれど、茨邸の魔女に棘はあらず  作者: 卯野瑛理佳
EP1.茨邸の魔女と失踪の王女
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06.推し事と小事件

花魁のような姿の女性が御簾から顔を覗かせ、涙を流している。華やかな着物を身に纏った金髪の男性=ジュリアン様は、名残惜しそうにその場を去っていく。


スポットライトが交錯する舞台上では、そんな美しい風景が繰り広げられている。わたし=アリソン・ヒューズはその風景を前に、感極まっていた。ぽとり、と一筋の涙がこぼれる。愛し合っているのに別れないといけないなんて、切なすぎる。

わたしがあのお姫様でジュリアン様と恋仲になったのなら、絶対に離さないのに。


でも、ジュリアン様演じる光の王子は恋多き男性だから、執念深く追いかけても煙のように消えてしまうんだろうな。色男に翻弄される自分を想像して、胸がヒリヒリと痛んだ。

正直、この物語には突っ込みどころが満載だ。王子が亡き乳母の面影を追いかけて多くの女性と恋を繰り広げる! って展開は、日本の古典文学にもある。確かに花魁の衣装は華やかで艶やかで舞台映えするけれど、お姫様や貴族のお嬢さん達に着せるものではない。男性の髪型は乙女ゲームの男性キャラのようで、史実とかけ離れているし。


だから何度となく突っ込みそうになるけれど、この世界の人達にとっては「異世界もの」であって、史実がどうとか関係ないんだよなーって結論に至る。……異世界ものであるわりには、話の内容や着物のデザインの既視感が半端ないけれど。


もしかして、地球での記憶があるのは茨邸の魔女たるわたしだけじゃなかったりして。


んーまあ、でも、そんなことは考えても答えは見えないんだし。今は光の王子になりきっているジュリアン様の歌声に耳を傾けましょう。


ああ。甘美な歌声。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



5000人もの観客を収容できる大劇場の正面入り口上部には、大きなタペストリーが掛かっている。そのタペストリーには、光の王子の衣装姿のジュリアン様と光の王子の乳母役の女優が描かれている。


「1000分の1サイズのポスター発売されないかしら。持って帰りたい!」


わたしがそう呟くと、共に観劇をしていた友人のロッテことシャルロッテ・パーカーは首を傾げる。


「ぽ、すったー? って何?」


この世界には実写化の技術はないらしく、写真や動画は存在していない。だからこの世界でのみ生まれ育ったロッテにはポスターの知識などあるはずがない。


「あ、ああ。えーとね。昔、異世界ものの本で読んだのよ。実際にある風景をそのまま紙に写す技術があって、その写された紙をポスターって言うらしいの」


「それって、イラストとは違うの?」


「似てるけど、もっとリアルなのよ。って、そんなことより、急ぎましょう!」


わたしはロッテの手を引き、劇場の裏口へと移動する。終演直後の劇場周辺には観劇を終えた人々で賑わっており、わたし達はその人々の間を縫うようにして進んでいく。




裏口に辿り着くと、そこには既に人ごみが出来ていた。劇場周辺は若い女性がやや多いものの老若男女がいた。だけど、ここには若い女性しかいない。女性達は色めきたちながら裏口の方を見つめている。


あっちゃー。出遅れた。


わたしは人ごみの最後尾に立ち、背伸びをして裏口の方を眺める。だけど、わたしの身長は平均くらいなので女性達の後頭部に隠れて裏口を見ることができない。同じくらいの身長のロッテも同様だ。


ロッテは太い眉毛を悲しげに下げている。わたし達の隣に並んできている女性陣もこの状況に落胆してるらしく、「見えなーい」とか「ジュリアン様に気づいてもらえない」とか悲しげな声を上げている。


わたし達は役者の出待ちをしている。一瞬であろうと愛しの推しと目が合う可能性を考えてか、ここにいる誰もが気合の入った身なりをしている。それなのにその姿を近くで見ることすら叶わないなんて、悲しくて切なくて泣きたくなるよね……。

わたしも悲しいよ。演劇鑑賞はひと月に一度の大イベント。おろしたてのフリルのワンピースもジュリアン様モデルのブレスレットも愛しの推しに見てもらいたくて用意したのに、この距離じゃあ無理よね。


「急いで出てきたのにね」と力なく言うロッテ。


「こりゃあ終演前に出てきてる子や出待ちの為に来てる子がいそうね。次はもっと計画的にいきましょ!」


わたしは次に望みをかけようとロッテと誓いを立てた。そして本日鑑賞した『悠久恋慕』の感想を言い合いながら、それぞれの推しがやって来るのを待った。




1時間程経過した頃だろうか。近くに少人数用の馬車が停車した。すると劇場裏口からスタッフが出てきて、チェーンの付いたポールを等間隔に並べていく。すると、裏口から馬車の間に道ができる。

何かを察したのか、出待ちの女性陣がざわつき始める。ああ……わたしもドキドキしてきた。


最初に出てきたのは、硬派な雰囲気を身にまとった男性俳優――カルロスだ。出待ちの女性の一部が色めき始める。先程まで大人しくしていたロッテもやや興奮した様子になり、何度も背伸びをしている。ロッテの前にいる子よりわたしの前にいる子の方が背が低いので見やすそうだから、立ち位置を変わってあげた。


その直後、どこからか「ジュリアンさまー」という黄色い歓声が上がる。すると、カルロス登場時よりも一段と大きな女性たちの悲鳴が上がり始める。わたしは反射的に裏口の方に視線を向ける。


いた。金髪碧眼で線の細い男性――ジュリアン様だ。彼の周りは神々しく輝いていて、届くはずもないのにいい香りがする気がする。ジュリアン様が歩を進めていくので、立ち止まってファンと握手をしているカルロスと並んだ。鍛え上げられた肉体美が売りのカルロスと並ぶとジュリアン様の線の細さが引き立つ。

わたしの方が体重重かったりして……ダイエット、しようかな。


ジュリアン様はカルロスの肩に腕を置き、わたし達……いや、わたしに向かって手を振り始める。その腕にはわたしとお揃いの星のブレスレットが輝いている。わたしはただただその宝石のような瞳に見つけてほしくて、念を送る。だけど何故かカルロスと目が合った……気がする。


あなたじゃないのよぉ~。




◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆




ジュリアン様とカルロスが馬車で去った後、わたしとロッテはカフェでお茶をした。カルロスと目が合った……気がする……なんて、カルロスを推しているロッテには言えずに日暮れを迎え、わたし達は帰路につくこととなった。馬車乗り場を目指す。


馬車乗り場には北通りか西通りを通って行く。西通りにはロッテの苦手とするカエルモチーフの雑貨屋があるので、北通りを行こうとする。すると、ロッテがピタリと足を止めた。どうしたのか尋ねると、北通りではカエルが足に止まったから行きたくないとのこと。


北通りにはわたしの天敵がいる。ロッテが北通り嫌いになったのは好都合だ。

件の雑貨屋が近づいたらわたしが手を引くので、ロッテは目をつむればいい。わたしがそう提案するとロッテがそれを了承してくれたので、西通りに繋がる角を曲がった。


西通りに入った直後、わたしは目を疑った。倒れた馬車数台が道を塞いでいる。複数人の兵士がその馬車の周辺におり、馬車乗り場に行くのなら北通りを通るようにわたし達に言ってきた。

わたし達はしぶしぶ引き返し、北通りへと向かう。


北通りを進むと、極彩色の花が店先に並ぶお店が見えてきた。数人の客が花を見ている店先では、水色のウェーブヘアが特徴的な販売員が接客をしている。どうやらこちらには気づいていない様子なので、わたしは足早にそこを通り過ぎようとする。


だが、鈴を転がすような声が「アリソン」とわたしを呼び止めた。無視しようと思ったけれど、彼女なら間違えたふりをして「エヴァ」と呼びかねないのでしぶしぶ振り返る。水色のウェーブヘアの販売員――マリッサ・シアーズがこちらに駆け寄ってくる。深海を思わせるブルーの瞳は、ロッテへと視線を移す。


「あら。またお友達も一緒なのね」


マリッサは小声で「先日は怖い思いをさせてごめんなさい。お安くするから、よかったら買っていって」とロッテに語り掛ける。押しに弱いロッテが断れずにいると、マリッサは当店の花は鮮度がいいから何日も持つとかドライフラワーにしても色味が褪せなくていいのだとかセールストークを始めた。


そりゃあそうよね。このお店では特殊なお水を花にあげてるんだものね。――とか言ってやりたかったけど、言えるはずもない。マリッサの正体を明かすことになるし、どうしてわたしが知っているのか言わないといけなくなる。知っている理由を隠しても、逆恨みしたマリッサにわたしが「茨邸の魔女」だってバラされそうだし。


わたしは助けてくれと瞳で訴えるロッテを救うことができず、マリッサに導かれるまま店へと向かった。


わたしとロッテが薔薇のコーナーを見ていると、マリッサは小太りの20代くらいの男性に呼び止められた。その男性は常連なのだろう。マリッサは「ダグラス卿」と名前で呼んでいるし「いつものお花ですか?」と問いかけている。


よし。常連客に気を取られているからこの隙に……。わたしはロッテに虹色の薔薇を10本買って花束にしてもらうよう耳打ちした。ロッテが買うように見せかけて、わたしが持って帰るのだ。だって、カエルがくっ付いていると悪いから。

わたしの提案を受けたロッテは、静かに頷いた。


マリッサはチューリップの花束を購入したらしいダグラス卿の接客を終えると、わたし達の元に戻ってきた。マリッサはわたしの手元を見る。


「それ、ジュリアンモデルのブレスレットよね?」


なんだなんだいきなり。わたしはマリッサの含みのある笑顔が怖くて、反射的にブレスレットを付けた腕を背中に隠した。


「いつの間にジュリアンのファンになってたの? もっと早く知ってたら、はまる前に止めたのに」


「は? ど、どういうこと!?」


ものすごーく、嫌な予感がする。心臓がドキドキする。出待ち中やジュリアン様を目の前にした以上に。


「ジュリアンってば、よく花束を買いに来るのよ。それもいつも違う種類」


な、なにが言いたいのよ! わたしは思考がショートして、言葉を発することができない。


「何人彼女がいるのかしらね」


マリッサの形良い唇が笑みを浮かべる。それを見つめるわたしの視界がぐらっと揺らいだ。

そ、そりゃあジュリアン様はあんなにカッコいいしもう26歳だし! 彼女くらいいるだろうさ。そ、それに花を頻繁に買いに来てるからって何人も彼女がいるとは限らないし……。あ、いや、一人の女性に夢中よりも何人もいる方が安心できるような……。


きゃーっと、悲鳴が聞こえた。ジュリアン様の女事情に混乱したわたしが声を出していたのかと思ったけど、違うらしい。周囲の人達はわたしを見ていないから。人々の視線が向いている方に視線を向けると、そこには倒れている女性とその女性に馬乗りになっているダグラス卿の姿が見えた。


どこからともなく兵士がやって来て、ダグラス卿を取り押さえる。


「あらぁ。ダグラス卿ったら厭らしい」


ダグラス卿を非難するマリッサの声音はどこか愉快そうだ。常連客相手にその態度はいかがなものだろう。そう突っ込もうとすると、ロッテがわたしの肩を叩いた。不安そうな顔でわたしを見てくる。


「どうしたの?」


「あの人、悪くないの。地面から水が出てきて。あの人の足を掴んだの。そして転んじゃったみたいで……」


地面から水が出てくる。……わたしは幽霊を信じていないからここが日本なら信じないけれど、ここではあり得る話だ。

わたしはマリッサの方を見た。彼女は不思議そうに首を傾げる。……わざとらしい。


「ね、ロッテ。それを証言できる?」


「あ、あの……。み、見間違いかもしれない。変なこと言ってごめんね」


ロッテの瞳には不安の色が増していた。彼女は証言することでこの場のどこかにいるだろう魔女を敵に回すのが怖いのだろう。だから、見なかったことにしようとしてるのだ。

そりゃあダグラス卿は赤の他人だ。身を呈してまで庇う必要はない。だけど、痴漢冤罪だなんてわたしの正義感が黙ってない。見逃すわけにはいかない。


ダグラス卿が複数名の兵士に連行されていく。ダグラス卿は戸惑った様子で、ただ「違う」と大声で連呼している。

わたしは走り出した。後方からロッテの「あ」という言葉が聞こえたけれど、振り返らない。一目散にダグラス卿を連行する兵士の前に立ちふさがる。


「待ってください! その人は躓いて転んだだけなんです」


わたしはダグラス卿に覆いかぶさられていた女性の方を見る。


「この人がいきなり倒れてきただけで、体触られたとかないですよね?」


女性は少しだけ考えるように宙を仰ぐと、首を縦に振った。


「そもそも、人目のある場所で女性を襲うバカがどこにいます? いないでしょ」


わたしがそう断言すると、兵士は顔を見合わせる。うち一人が「まあ確かに」と言うと、誰ともなくダグラス卿を解放していた。


兵士が去っていくと、この場は何事もなかったかのように日常の風景に戻った。わたしも何事もなかったかのようにマリッサとたわいもない会話をし、ロッテは虹色の薔薇の花束を購入する。


マリッサの花屋で買い物を終えたロッテとわたしが馬車乗り場に向かって歩き出すと、ダグラス卿に呼び止められた。ダグラス卿は「お嬢さんのおかげで助かりました」と早口でまくし立てるとわたしにチューリップの花束を押し付け、去っていく。

鈍足で街並みに消えていくダグラス卿の背中を、わたしとロッテはただ唖然と見ていた。



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