05.王都の中心街
わたし=エヴァジェンナ・レヴィの休日の朝は遅い。
この日は太陽が真上にきた頃にエイデンにたたき起こされた。いつもならティータイムまで寝かせてくれるのに何事だ……と思っていると、彼は柔和な笑みを浮かべる。
「シャルロッテ嬢とのお約束はいいのですか」
あー。そうだった! 今日はロッテとショッピングする予定だったのだ!
私はエイデンを自室から追い出し、急いで支度を始めた。
クローゼットを開けて、衣類の山の頂に置かれたローズピンクのワンピースを取り出す。付いたままになっているタグを外し、急いで着替える。
メイクをしようとドレッサーの前に座ったところで、わたしは大事なことに気づいた。髪はクロウブラックで瞳はブラッディレッドのまま。慌てて自室を飛び出し、エイデンを探す。
エイデンの名を呼びながら邸内を走り回り、ようやく階下の書庫で読書中のエイデンを見つける。
「危うく茨邸の魔女のまま外に出るところだったわよ!」
そう責めるとエイデンは謝ってくれたけれど、そもそもわたしが追い出したのだった。悪いことをしたと思って彼の顔を見るけれど、いつも通りの穏やかな表情をしている。
エイデンは呪文を唱え、指を鳴らす。
その刹那、わたしの体を炎が包む。体の中心がポッと暖かくなり、その暖かさが全身へ移動していく。数秒後に炎が止む。
わたしは書庫に立て掛けてある姿見の前に立つ。腰まで伸びた髪はふわふわのアプリコットブラウンに変わっており、瞳は爽やかなシーエメラルドに変わっている。ようやくわたしはアリソン・ヒューズになった。
書庫を出る前にお礼をしようとエイデンに近づくと、手元に数冊の本を置いていることに気づいて。その数冊はアーリヤ・フローレスに纏わる本である。
「アーリヤ・フローレス? フローレス王家の人?」
「ええ。先々代の女王陛下であり、オリビア王女の曾祖母にあたる方ですね。オリビア王女はアーリヤ女王の生き写しだそうなので、何か参考になるかと」
わたしとエイデンはオスカー王子に協力し、失踪中のオリビア王女の行方を捜している。そう言えば、エイデンは「歴史は繰り返すから」という理由で本を紐解いてヒントを探る作戦を立てていた。毎日出歩いて生きた情報を収集しているオスカー王子とは正反対のやり方だ。
「急がなくていいのですか?」
エイデンのその言葉で、一瞬抜けていたロッテとの約束を思い出す。
わたしは書庫を飛び出し、自室に戻って残りの準備を整えた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
公共の馬車に20分程乗車していると、フラワーリングの中心街に着く。
わたしは乗車料金を馬主に渡し、時計台をめざして全力疾走した。
2,3分程走ると時計台が見えてきた。時計台は待ち合わせ場所にする人が多く、今日も人でごった返している。何度見ても銀座和光の時計台に似ているその時計台を横目にしながら、友人であるシャルロッテ・パーカーの姿を探す。
オレンジ系の髪色のボブの女の子を見つける度に彼女かと思うけれど、近づいて顔を見ると別人だということを何度か繰り返した。この世界では中世ヨーロッパ風の服装が主流で髪型は腰まで伸びたロングヘアが定番だが、今は転換期なのかボブヘアの女性が増えてきている。
「あ、こんにちは」
ボブヘアの女の子に近づこうとした時、後ろから小さな声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声音に振り返ってみると、そこには太めの眉毛とあっさりとした顔立ちが特徴的な17歳くらいの少女の姿があった。
「あ。ロッテ! 遅くなってごめんね」
わたしが両手を合わせて謝ると、ロッテは「いいよ」と返してくれた。……約束より30分も遅刻してしまったのに。
こういう時、現代の日本だったらスマホで連絡が取れるのに。遠方との連絡手段は手紙か伝言しかないこの世界は不便すぎる。
「今日のファッション可愛いわね」
わたしはボーイッシュにショートパンツで決めているロッテのファッションを褒めた。女子によくあるお世辞とかじゃなく、本当にかわいいと思う。ゴスロリ風でわたし好み。
それにあっさりとした顔立ちの彼女の場合、フレアのスカートやフリルにリボンといった甘ったるいファッションよりも辛めのファッションの方が似合っている。
だけどロッテは眉を顰める。
「うん。でもね、はしたないって言われたの」
ショートパンツとニーソックスの間には素肌が見えており、一昔前に日本で話題になった「絶対領域」が出来ている。この世界では女性が肌を見せることは少ないので、きっとこの部分をはしたないと言われたのだろう。
そして彼女に直接そういうことを言うのは、一人しかいない。
「お母さんに?」
わたしが尋ねると、ロッテは頷く。
「だからね、実家に帰った時は着れないの」
ロッテは南の方にある温泉街出身だ。都会に憧れてフラワーリングに上京し、今は一人暮らしをしている。離れて住んでるんだから親のファッションへの口出しなんて気にしなければいいのに。
「そりゃあ親の世代からしてみたらそうかもね。でも、わたしは可愛いと思うわよ」
わたしの一言で不安げだったロッテの表情がにわかに明るくなった。
それと同時に、わたしのお腹の音がぐぅっと鳴る。
「お腹空いたね。先にご飯食べちゃおうか」
中心街を軽く散策して目についたお店に入るつもりでいたけれど、ロッテが行きたいお店があるというのでそのお店へと向かった。
そのお店はテーマパークの和風茶店のようなカフェだ。。テラス席に案内されたわたし達はその日のオススメだと言うランチプレートを頼む。
注文を受けた店員が席から立ち去ると、ロッテは急にそわそわとし出す。そしてバッグから一枚の紙きれを取り出した。
「あ、あのね。家のポストにこんな手紙が入ってたの」
わたしは渡されるままにその紙きれに視線を落す。
『先日おかけした魔法の効果はいかがなものでしょうか。
さて早速ですが、おかけした魔法へのお支払いの確認が未だ取れておりません。
兎月20日までに100万フォルを下記口座にお納めください。』
なんだ。よくある迷惑レターではないか。日本でも迷惑メールとかあったよなぁ。
「って。えぇ!?」
『from茨邸の魔女 エヴァジェンナ・レヴィ』
茨邸の魔女って。エヴァジェンナ・レヴィって。わたし、なんですが。こんな手紙書いた覚えない。
あ、いや、迷惑レターだからどっかの誰かが勝手に作ったものだってわかってるけども。
「どうしたの? やっぱり、払わないとまずいのかな」
正面から不安げな声が聞こえてきた。声音通り、ロッテは不安げな顔をしている。
「あ、いや。これさ、よくある迷惑レターだから大丈夫よ。まず、正式な督促状なら宛名や住所が書いてあるはずだから。ロッテの名前どこにも書いてないでしょ」
ロッテは不安げな顔のまま頷く。
「そもそも、茨邸の魔女に会ったことあるの?」
うん。ないよね。わたしが茨邸の魔女だもの。
茨邸の魔女モードの時にロッテに会った記憶ないもの。
「ないけど……。こないだね、街で占いをしてもらって。その後で幸福になるおまじないしてもらったから。もしかしたら、茨邸の魔女だったんじゃって……」
わたしはずっこけそうになった。もしそうならその場で請求するでしょうが!
「とりあえず、こんなの気にしなくて大丈夫だから。わたしの家にも来たことあるけど、何もなかったから!」
わたしが強めに迷惑レターについて否定すると、ロッテの表情がほのかに明るくなった気がする。
そこにランチプレートが運ばれてきた。ライスの上に炙った魚介や野菜の乗っているちらし寿司のような料理だ。ロッテは料理を口にすると、目を輝かせながら「美味しいね」と言った。もう迷惑レターのことなど忘れたようで、楽しそうに食事を続けている。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
食事を終えたわたしとロッテは、日が暮れるまでウィンドウショッピングを楽しんだ。それぞれ服やアクセサリーを買ったわたし達は帰路につく為に馬車乗り場へと向かうことになったが……。
「こっちの道行くの?」
わたしが尋ねると、ロッテは不思議そうに首を傾げる。
「北通りは遠回りよね。西通り通って行きましょうよ」
「あ……。そっちは、だめ。雑貨屋にね、あ、あの。……が、いるの」
ロッテが困惑の表情を浮かべている。ああ、思い出した。彼女が苦手とするあの生き物をモチーフにした雑貨屋さんがあるんだったな……。
わたしは仕方なく、北通りを行くことにした。
北通りの馬車乗り場近くに花屋がある。その花屋は店頭で販売員が接客をしており、店の周りは客で賑わっている。わたしはそのお店が視界に入ると歩を速めた。ロッテは不思議そうにしているものの、速度を合わせて着いてきてくれている。
「アリソン!」
聞き覚えのある男の人の声に呼び止められた。わたしは思わず歩を止めるものの、振り返らなかった。だって、声がしてきたのは花屋の方なんだもの。
「アリソン。どうしたんだ?」
肩をポンッと叩かれる。わたしは振り返らずに小声で返答する。
「あ、あら。ルイスじゃない。どうしたの?」
あー。もう、こんな時になんなのよ! 間違えたふりしてオスカー王子と本名でお呼びしましょうか? 国家を揺るがす事態になりかねないから、冗談でもそんなことできないけど!
そんなことしたら、茨邸の魔女は本当に国家転覆を狙う悪女になってしまう。
「これから帰るなら一緒に、と思ったんだが。そうじゃない方がいいのか?」
ロッテはわたしとわたしの背後にいるだろうオスカー王子を不思議そうに見ている。
「あらぁ。アリソンじゃなーい」
後方から鈴を転がしたような声が聞こえてきた。一般的には心地よい声なんでしょうがわたしにとっては耳障りが悪く、ぞわっとした。鳥肌を抑えようと自分を抱きしめるような姿勢を取ると、目の前に儚げな美少女が現れる。
「近くに来たなら寄ってくれてもいいのに。薔薇も売ってるわよ」
にこりと美少女は微笑むが、わたしにとってはその笑顔が薄ら寒い。深海を思わせるブルーの瞳に見つめられると目を反らしたくなる。
「あ、あら。マリッサじゃない。いつものことだけどお忙しそうだから邪魔しちゃ悪いって思ったのよ」
早口でまくし立ててしまった。これじゃあまるで挙動不審じゃない。
マリッサは波を思わせる水色のウェーブヘアを耳に掛ける。インナーカラーは茨邸の魔女と同じ黒なのに大半が水色の為か瞳がブルーな為か彼女は気味悪がられていない。それを不服に思いながら、彼女の唇のあたりを見る。その唇は笑みを称えたままだ。
「遠慮しないで。あたし達、お友達じゃない」
そんなこと一瞬だってあったかしら。
「このハンサムさんはアリソンの彼氏?」
マリッサはオスカー王子の方を見ている。
「エイデンもいるのに、アリソンったら欲張りさんね」
「ち、違うわよ! この人、オス……ルイスは、エイデンの友達よ! それに、エイデンは兄だって言ってるでしょうが!」
「そうね。そういうことになってたのよね」
マリッサは意味深にそう言うと、ふふっと笑う。
「まあ、兄妹だからって何もないとは限らないしねぇ」
「え。アリソン、エイデンとそういう感じだったの」
黙ってわたし達のやり取りを聞いていたロッテが、衝撃を受けたような表情をしている。
「ち、違うわよ! マリッサの言うことは真に受けないで!」
わたし達の横を花屋で買い物を終えた紳士が通った時だった。鉢植えに入ったハイドレンジアからカエルが飛び出してきた。カエルは迷うことなくロッテの絶対領域に飛びつく。
その直後、ロッテは悲鳴を上げる。
「ひゃああああ! カ、カエルー!!!」
真っ青な顔でじたばたするロッテをマリッサとオスカー王子は目を点にして見ている。
「この子、カエルが大の苦手なのよ。ど、どうしよ。わたしもカエル触れないし……」
わたしがマリッサとオスカー王子に目配せをすると、マリッサは含み笑いを浮かべていた。もう、この女何か仕掛けたな!
オスカーは「失礼」とロッテに声をかけると、カエルをつまみ取った。
ロッテはわたしに抱き着いてくる。肩が震えている。わたしもカエルは好きじゃないけれど、こんな小さなカエルがくっついてきただけでここまで怯えることはない。嫌いな理由を聞いたけれど、見た目が苦手なだけで何かあったわけではないと言っていた。前世で何かあったのかな……。
「ルイスって頼もしいのね」
オスカー王子に向かって上品に笑いかけるマリッサを見ながら、わたしは妄想の中でその華奢な背中を蹴り上げた。