04.魔女は悪なのか
茨邸の客室のベッド上で10歳くらいの女の子が寝息を立てている。
彼女は包帯で巻かれた腕を庇うような体勢を取っている。わたし=エヴァジェンナ・レヴィは彼女に火傷を負わせたことを申し訳なく思いながら、そっと布団を掛ける。
ベッド近くの小さなテーブル席には10歳くらいの男の子が座っており、エイデンが用意したホットミルクを飲んでいる。わたしは男の子の向かい側の席へと腰を下ろした。近くには人間の姿に戻ったエイデンとオスカー王子がいる。
「あなた、あの子の兄弟なの?」
「違う。ミアは元々は純血の人間だ」
「なるほど。あなたはミアの使い魔なわけね」
この世界には人間と魔獣族が存在している。
人間はわたしがかつて生きていた地球にいる人間と同じ姿と能力を持っており、魔法や超能力といった特殊な能力は持たない。
魔獣族は獣と人間のハーフのようなもので、獣の姿と人間の姿を持っており魔法を使うことができる。エイデンは火を司る飛龍族という魔獣族で、ドラゴンの姿と人間の姿を持っている。
ミアと一緒にいたこの男の子はどうやら風を司る天馬族という魔獣族で、ユニコーンの姿と人間の姿を持っている。
人間は基本的に魔法を使えないが、魔獣族と契約を結ぶことで魔法が使えるようになる。
わたしはエイデンと契約を結んだので火の魔法が使え、ミアは天馬族の男の子と契約を結んだので風の魔法を使うことができるのだ。
この魔獣族と契約を結んだ人間のことを、魔男または魔女と呼ぶ。
人間と魔獣族は古より争いを繰り返しており、基本的に相容れない。それぞれで国を作って暮らしている。その為、魔男や魔女・人間と契約を結んだ魔獣族はその正体を隠して人間の国で生きている。
「泊めて大丈夫かしら。親は心配しないの?」
「一晩くらいなら平気だ」
この言い方からするに、ミアは孤児ではなさそうだ。
でも、こんな小さな子どもが夜になっても帰宅しなかったり魔獣族と契約したりしても心配しないということは、ミアは親に愛されていないのだろうか。
胸がきゅっと苦しくなった。
「ミアの母親は流行り病に罹っている。夜、特に重くなるんだよ」
わたしの表情から考えを察したのか、男の子はミアの身の上について語り出した。
ミアの母親は娼婦であり、父親は不明。1年程前に母親は病気になり稼ぐ手段がなくなったそうだ。頼る宛も無く困っているところ天馬族のこの男の子と出会い、ミアは風の魔女となった。
エイネブルーム王国の成人は15歳。
ミアはまだ幼く、働きたくとも誰も雇ってくれない。魔獣族は外見の約10倍の年齢だと言われているのでこの男の子は100歳程だろうが、人間の時の姿は10歳くらいなので誰も雇ってくれないだろう。
だからミアと男の子は手を組み、窃盗を繰り返してきた。ミアにとって、窃盗は生きる為の唯一の手段だったのだ。
わたしの生きていた日本は幸せな国だったのだな、と改めて実感する。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
日課である朝の鍛錬を終えた。
「ローズクラウン」に戻ろうと朝市の近くを通りかかると、同じ道を行こうとしているミアと天馬族の子どもと一緒になる。二人は小さな体で大きな紙袋を抱えて歩いている。
「あ。ルイス! おはようございます!」
ミアは私に気づくと、そう挨拶をしてきた。心なしか数日前より明るくなったミアに私も挨拶を返す。そしてミアが抱えている紙袋を受け取る。天馬族の子どもの分も持とうとしたが、何故か強く拒絶されてしまった。
いつもなら10分程の帰路だが、子どもと一緒だからかいつもの倍の時間がかかった。
「ローズクラウン」に戻ると、アリソンはちょうど仕込みを終えたところだった。
「あら。オス……ルイスも一緒だったの」
おい。今、オスカーと言いかけただろう。いくら子どもだろうと母国の王女の婚約者の名前くらいは知っているはずだ。オリビア王女の失踪も婚約者であるオスカー王子が来国しているのも秘匿情報だ。
どうも嘘を付けないらしいアリソンのシーエメラルドの瞳に睨みをきかせ、「気を付けろ」と言外に伝える。
アリソンは私や天馬族の子どもから食材を受け取ると、エイデンと一緒に中身を確認し始めた。過不足ないことの確認が取れたのか、アリソンはミアに賃金を渡す。
「ありがとう。明日もお願いね」
アリソンがそう言って見送ると、ミアと天馬族の子どもはどこか満足気に帰って行った。
「よーし! 仕込みラストスパートよ!」
そう言って振り上げたアリソンの右腕には、星の飾りが付いたブレスレットが揺れている。確かあれは、ジュリアンとかいう俳優とお揃いの物だったな。
「オスカーはいつも通り庭園のお掃除をお願いね!」
アリソンはそう言って箒と塵取りを私に押し付けてきた。私はそれを受け取ると、「ローズクラウン」の庭園へと移動する。
アリソン・ヒューズというのは人間として暮らす彼女の仮の名前だ。そして、アプリコットブラウンの髪にシーエメラルドの瞳を有したその姿は仮の姿。
本来の彼女は、クロウブラックの髪にブラッディレッドの瞳というミステリアスな美しさを持つ「茨邸の魔女」=エヴァジェンナ・レヴィ。
誰もが恐れる悪しき魔女のはずで私も初めこそ警戒していたはずなのに、今はそれが解かれつつある。
少女の生き血を啜り青年の心臓を食らうと言われる「茨邸の魔女」はゴシックなイメージがあったのだが、「ローズクラウン」店内どころか「茨邸」すら引くほどに少女趣味。
私はまずそこに驚きを隠せなかった。
しかし、それは人を欺く為に見せている幻影だろうと疑っていた。だって、「茨邸の魔女」は傲慢で冷酷で残忍な魔女のはずだから。
絶対にオリビア王女を連れ去った犯人はこの「茨邸の魔女」で、いつか尻尾を出すに違いない。私は彼女を観察し続け、時に茨邸内を散策した。
だが彼女は、そんな私にも正面から向き合ってくれた。
どうやら私が疑っていることに薄々気づいているようだが茨邸への滞在を許してくれたし、私を追い出すように言うエイデンから庇うためか「清掃係」という任務も与えてくれた。
「ローズクラウン」でふるまわれるお茶や茨邸での食事に毒を盛られることも警戒したが、睡眠薬を盛られることすら一度もなかった。
噂に聞く「茨邸の魔女」らしからぬ彼女に同情してしまったことすらある。
それは、「ローズクラウン」で「茨邸の魔女」の悪評が囁かれた時だ。彼女は落ち込んだ様子を見せ、肩を震わせていた。どうやら繊細な心の持ち主らしい。
流行りの俳優に夢中になるくらいにミーハーで、窃盗をする悪しき魔女を狩るために街へと繰り出す正義漢。その悪しき魔女に悲しき事情があるとわかれば、無情に討つのではなく救いの手すら差し伸べる。
私が想像していたのと正反対に純粋で真っ直ぐでどこかおかしなこの「茨邸の魔女」に、私は一度賭けて見たくなった。
庭園の掃除を終えた私は、「ローズクラウン」の店内へと戻る。
テーブル席に3人分の朝食の準備を終えたアリソンが私の方を見る。その瞳は陽光を受けた海のようにキラキラと輝いている。
「エヴァ。いや、アリソン。君にお願いがある」
「何よ。改まっちゃって」
「オリビア王女の行方を一緒に探してくれないか」
アリソンは硬直した。エイデンは「何を言っているんだ」と言いたげな怪訝な顔で私を見ている。
「何言ってるの。私は茨邸の魔女なのよ。国、滅ぼすために王女人質にしたり殺しちゃったりするかもよ?」
そう言うアリソンの笑顔には力がなく、とても寂し気だ。
「私はこの目で見たことを信じる。茨邸の魔女は悪人ではなく正義の人だ。オリビア王女を無事宮廷へ送り届けた暁には、汚名を返上するために協力しよう」
私は膝を折り、アリソンやエイデンに頭を垂れる。
「フローレス王家に関わる者としてもう一度お願いする。オリビア王女の行方を一緒に探してくれないか」
「あ、頭をあげて!」
私はそう簡単に頭を上げない。任務を遂行する為ならなんだってしよう。
「わかったから! わたしもオリビア王女を探すから!」
茨邸の魔女のその言葉に、私は頭を上げた。
何処かで自由奔放にしているだろう友人の姿を思い浮かべ、「必ず連れて帰るからな」と決意を新たにする。