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薔薇に棘はあれど、茨邸の魔女に棘はあらず  作者: 卯野瑛理佳
EP0-1 アリソン
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16.決意

夜のクレッセント・ヒーラーは日中よりも冷ややかな印象がある。気温が下がっているせいか店内の燭台の数が広さに見合わず薄暗いせいか……。それでも、店内に充満するゼラニウムに似た香りは変わらずで、わたしの心を落ち着けてくれた。


わたし=陽野下ひのもと耀ひかり改めアリソン・ヒューズとエイデンは、とある人物に連れられて閉店後のクレッセント・ヒーラーにやって来た。最後に入店したエイデンはわたしの肩を叩くと、「いつも店にそぐわない香りがしませんか?」と耳打ちしてくる。――どうなのだろう。ポーションって薬草を煎じて作っているみたいだし、薔薇の香りがそぐわないってことないと思うんだけど。


「そんな所で何してるんだい」


奥のカウンター付近からソルの声が聞こえてくる。エイデンとわたしが出入口付近で立ち止まっているから、呼び掛けてきたのだろう。地球で生きてきたわたしからすると奇抜で派手な髪色と身なりの彼女は、薄暗い店内の中でも目立つ。


「警戒しなさんな。いきなり襲ったりしないからさ」


彼女は気抜けしろうなくらい明るい声音でそう言う。――「警戒してるわけじゃない」と返そうとしたけれど、エイデンに手を引かれたのに驚いて言葉を呑む。


「だってさ、こんな狭い店内で戦ったら大変なことになる」


「狭いですって。失礼しちゃうわね」


笑いながら戯言を口にするソルに反発する言葉は、ソルのすぐ隣から紡がれた。言葉の主は、漆黒の髪に真っ赤な瞳の少女――「茨邸の魔女」ことフレイヤだ。「すまん」と謝罪を口にするソルに、フレイヤは「いつも一言多いんだから」と返す。フレイヤは言葉とは真逆に口元に笑みを称えており、特に気にしている様子はなさそうだ。“今の”外見はフレイヤの方が若いけれど、フレイヤの方が上に立っているというか年上の余裕のようなものを感じる。


「まずは、謝らないといけないわね」


エイデンとわたしがカウンター付近に辿り着くと、フレイヤがそう口火を切った。


「ごめんなさい。あなた達を試すようなことをしてしまったわ」


エイデンとわたしがイーストリンガー通りで通り魔を待ち伏せしたのは、フレイヤから助言を受けたからだった。彼女曰く、その事件の裏に茨邸の魔女がいると思われていたから……。だけど、茨邸の魔女の正体は結局フレイヤだったわけで……。危険を冒してまでの通り魔との遭遇になんの意味があったというのだろう。


「試したというのは、私達の力を見たかった、ということですか?」


エイデンが問いかけると、フレイヤは首を傾げる。


「そうねぇ。不正解。――でも、半分は正解かしら」


半分は正解。フレイヤの回答は、なんだか歯切れの悪い物言いだ。そもそも、その「試し」とやらに合格したのかどうか……。あ、でも、通り魔の女性が犯行を諦めてくれたし、その後フレイヤは拍手してくれたし、合格なのかな。――って、何についての「合格」なの?


「もしも、相棒がピンチになったらどう動くか。悪人をいかに懲らしめるか。――アリソンにはね、素質があるわ」


フレイヤは嬉しそうにそう言った。すると、エイデンが「うーん」と唸る。


「素質、ですか。正体を明かすにあたって信用できるか試しているのかと思っていましたが……。一体、何の素質を見ていたんですか?」


「茨邸の魔女としての素質よ。だからこうやって正体を明かしたし、色々確認したくてお店に連れて来たの」


茨邸の魔女としての素質!? そもそもフレイヤが茨邸の魔女なのに、他の人間の素質を見るってどういうこと? そう質問したいのに、フレイヤが早口でまくし立てるから言葉が出ない。


「まずね、忘却の魔法だけど、掛けに行くことはできないわ」


忘却の魔法。それは茨邸の魔女だけが使える魔法で、記憶の一部を消すことのできるものだ。脱獄犯に蹂躙され傷つくエレノアの記憶を消したくて茨邸の魔女を探していたのに……。唯一の希望の光が消えかけているのにエイデンはいつもの穏やかな表情のままで、「それは残念です」と答える。――え、そんな簡単に諦めるの!?


「どうして!? “行くことができない”ってことは、魔法自体は使えるし存在してるのよね!? お願い、力を貸して。何でもするから……」


「今のままだとできないだけよ。最後まで話を聞きなさいな。救いたいんでしょう。飛竜ひりゅうのお姫様の心を」


フレイヤのその返答に、エイデンの表情が凍る。


「どうして飛竜の姫と?」


そう言えば、助けを求めた時に固有名詞は出していなかったと思う。どうして知っているんだろう。――すると、ぷぷっとソルが噴き出す。


「エイデンがそこまでやるのはエレノア絡みだけだろう」


「やはり、ソルが気づいたのか!」


エイデンが鼻の頭を赤くする。――わぁー。エレノアのシスコンはソルも知っていたのね。ソルがエイデンをからかい、エイデンが「うるさい」と一蹴するやり取りを収束させようと、フレイヤがパンっと手を叩く。


「さて。ここからが本題よ」


フレイヤはそう言うと、わたしの目の前にやって来てそっとわたしの手を握る。


「アリソン。あなた、わたしの弟子にならない?」


突然の申し出にわたしは目を丸くする。


「それだけじゃあ、あなた達に旨味が無いわよね。でも、弟子になって“ある条件”を満たせば、エレノアに忘却の魔法を掛けるチャンスが訪れるわ。悪くない話だと思うんだけど……」


「弟子、かー。そう、ですねぇ」


わたしが弟子になれば、エレノアの心を救うことができる。わたしが太った男達の脱獄に協力しなければ、傷つくことのなかったエレノアの心を……。


「アリソン。エレノアの為に、貴女がそこまでする必要はありませんよ」


だけど、エイデンは反対のようだ。エイデンはフレイヤとの距離を詰める。


「“ある条件”とは何でしょうか」


「それはね、弟子になる承諾をしてくれないと教えることができないの」


フレイヤがそう答えると、エイデンはわたしの手を掴む。それは彼らしくない荒々しい手つきで驚いていると、数歩出入口の方に体が動いていた。エイデンは一旦立ち止まると、フレイヤの方へと振り返る。


「言えないということは、好条件とは思えません。――失礼」


再び動き出すエイデンに引きずられ、わたしの足がまた数歩出入口の方に動く。


「まるで保護者ね。アリソンは警戒心がなさすぎるからそれでいいんだけど、過保護かしら」


その声に釣られるように、わたしは振り返っていた。茨邸の魔女ことフレイヤと目が合う。彼女の瞳は、血のような真っ赤な瞳。今は仮の姿だから違うけれど、この世界での本来のわたしも彼女と同じ色の瞳を持つ。水面や鏡に映るこの瞳は憂鬱に沈んでいたけれど、彼女の瞳の奥には希望の光が見える。同じ色なのにまったく違う。もし彼女と共にあれば、わたしもこんな輝きの瞳になれるのだろうか。


そう思ったら、わたしはエイデンの手を振り解いていた。


「強くなれる!? あなたの弟子になったら、わたしも強くなれる!?」


そして、フレイヤに向かってそう叫んでいた。――だって、もう嫌だった。髪と瞳の色が茨邸の魔女と同じだってだけで追い詰められて逃げ惑うのも。襲われた時に反撃できず人の手を借りるだけなのも。大切な人が傷ついている時に守ることができないのも。


「強くなりたい! 大切な人を守れるようになりたい!」


わたしの叫びに応えるように、フレイヤは満面の笑みを称える。


「なれるわ。あなたが望むのなら」


「それなら、わたしはあなたの……茨邸の魔女の弟子になるわ!」


わたしの決意の言葉を否定するような声音で、エイデンが「アリソン!」と叫ぶ。思わず振り返ると、エイデンは信じられないというような表情をしていた。彼は、“ある条件”は絶対に満たせないかもしれないとか逆に利用される可能性もあるとかそもそも茨邸の魔女は悪女として有名でとか、わたしを諦めさせるようなことばかりを言う。確かに彼の言う通り。彼はいつも、理にかなったこととか正論しか言わない。――でも、もう少し柔軟になってもいいのになとも思う。


「わたしは彼女達を信じるわ。この世界に来て、初めて助けてくれた人達だから。――エイデンには、わたしを信じて一緒にいて欲しい。わたしも、あなたがまた守ってくれると信じるから」


わたしがそう答えると、エイデンはもうそれ以上何も言わなくなった。呆れたようにため息を吐くと、「好きにしてください」と答える。


「交渉成立ね。――ということで、茨邸へ招待するわ」


フレイヤがそう言うと、ソルがカウンター奥にある扉を開く。フレイヤに促されるままにわたしはソルに続いてその扉を潜る。フレイヤとエイデンが来る気配がしないので振り返ると、二人は何事か囁き合っていた。わたしが二人は来ないのか問いかけると、フレイヤが「私達もすぐに行くわ」と答えたので気にせずにソルに続いて奥の方へと進んでいく。




◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆




わたしとエイデンはフレイヤ達に連れられ、クレッセント・ヒーラーから続く地下通路を通って茨邸へやって来た。本当にそこが茨邸なのかはわからないけれど、フレイヤがそういうのだからそうなのだろう。ロココ様式の内装は街にある他の建物と変わらないが、どことなく不気味な気がしてしまう。それはおそらく、カーテンが閉め切られているし燭台が少ないので、室内が薄暗いせいだろう。


「ホーンテッドマンションみたい」


わたしは思わずそう口にしてしまう。するとフレイヤは笑いながら「ああ、言われてみればそうね」と賛同を口にする。――あ、ホーンテッドマンション知ってるってことは某夢の国のことを知ってるんだ。そう言えば、わたしと同じだって言ってたもんね……。あれ。でも、茨邸の魔女って2000年前からこの世界にいるんじゃないっけ。そんなに前からホーンテッドマンションないわよね……。


鍵付きの扉が複数ある地下通路や茨邸の長い廊下を歩き、10分程経っただろうか。部屋へと案内される。どうもそこは応接室的な部屋らしく、低いテーブルを挟んで3人掛けのソファと1人掛けのソファ2脚が並んでいる。わたしとエイデンはフレイヤに促されるまま3人掛けソファに座り、ソルは1人掛けのソファに腰掛けた。


「今から薔薇の契約を結ぶわね」


フレイヤはそう言うとわたしの真横で膝立ちになる。「薔薇の契約?」とわたしが繰り返すとほぼ同時にフレイヤの指先がわたしの額へと伸びる。


「弟子になる為の準備ね」


フレイヤはそう答えると、何か呪文のようなものを唱えだす。すると額のフレイヤの指先が当たっている部分に熱が灯り、呪文が唱え終わるとその熱が全身へと広がっていく。手のひらを見ると、茨のような光の線が走っていた。隣からも発光を感じてそちらを見ると、エイデンの全身も同じようになっていた。二人で顔を見合わせていると光はすぐに止み、元の状態に戻る。


「これで正式に茨邸の魔女になる準備はできたわ」


いつの間にか対面のソファに腰掛けていたフレイヤがそう言った。弟子になるって話だったと思うんだけど……。


「私にはね、他にも弟子がいるのよ。その子達と競い、最も茨邸の魔女にふさわしい子が次の茨邸の魔女となるわ」


「えーと。茨邸の魔女はあなたであって……ずっとあなた、なんですよね。次の茨邸の魔女ってどういうことですか?」


わたしが疑問を口にすると、フレイヤは静かに笑いソルは大きな声で笑う。――な、なに。わたし、何か変なこと言った?


「2000年も生きる人間いないっての! なんでそんな噂信じてるのさ」


ソルがそう言うと、フレイヤが補足するようには続ける。


「茨邸の魔女はね、2000年間同じ人間だって言われてるけど。そうじゃないのよ。代替わりしているの。私は129代目。――あ、でも、これは秘匿事項だから、見習い期間に外の人間に話しちゃだめよ。体が裏返っちゃうから」


体が裏返る? とんでもなく恐ろしいことをフレイヤは涼しい顔で言う。


「もしかして、“ある条件”は茨邸の魔女になることですか?」


エイデンがそう尋ねた。“ある条件”を満たさないと、エレノアに忘却の魔法を掛けてもらうことができない。確かに、それはきちんと確認しないと。


「ご名答。茨邸の魔女はね、エイネブルーム王国から出てはいけないのよ。ただ、代替わりの前後には茨邸の魔女が2人存在することになる。その時なら先代である私が茨邸を預かって、次代のあなたが飛竜国に行ってってできるわよね」


「タイミングの問題なら、アリソンが茨邸の魔女になる必要はないのでは? 次代の茨邸の魔女に頼み込めばいい」


エイデンがそう尋ねる。確かに、わたしが茨邸の魔女になれなくてもいいのよね。


「無理よ。忘却の魔法はね、対象者の消したい記憶の前後に言葉を交わした者じゃないといけない。アリソンにしかできないでしょう」


あ、そんな感じなんだ……。だからさっき、クレッセント・ヒーラーで「今のままではできない」と言われたのね。わたしが、頑張らないと。


「それと、茨邸の魔女に関する秘匿事項もう一つ。茨邸の魔女は悪しき魔女や魔男まなんを束ねていると言われているけれど、実はフローレス王家の命令で悪しき魔女や魔男まなんを狩っているのよ」


「それは先程の事件で気づいていましたが、王家の命令でそうしているのに何故極悪人のように言われているんです?」


エイデンがそう尋ねた。確かに、王家の命令で国の秩序を保っているのに、どうして悪く言われないといけないのだろう。容姿が似ていたというだけでわたしは散々な目にあったのに。


「必要悪って言葉があるでしょう。茨邸の魔女は、ようはそういうことなのよ。国内に悪人が大勢いるとヘイトが国家に向くでしょう。でも、その悪人達はグルでその裏にはボスがいる……それも簡単に打倒すことはできない絶大な力の持ち主である。そうなると?」


フレイヤがわたしの方を見ながら尋ねるように言うので、わたしは答える。


「ヘイトはそのボス……茨邸の魔女へと向く」


「そういうことよ」


何よそれ。平和を守る為に危険を冒して戦っているのに、賞賛されるどころか嫌われ者になるなんて……。歴代の茨邸の魔女が可哀想だし、わたしもそうやって生きていくことになるかもしれないのね……。でも、エレノアをあんな目に遭わせてしまった十字架を背負っているわけだし、エイデンは隣にいてくれるだろうし、頑張れる、かな。


「茨邸の魔女に任期はあるのですか?」


唐突にエイデンがそう尋ねる。フレイヤの話では、大体の人は10~15年くらい務めるけれど、決まってはいないらしい。


「私としては、もしアリソンが茨邸の魔女になったら……すぐにその次の代の茨邸の魔女を生み、アリソンを元の世界に返してあげたいとも思っています。――ソル、お願いできますか?」


わたしの意思を聞きもせずに一体何を! 話を振られたソルは驚いた顔をしている。


「なんであたしが?」


「ソルがアリソンを召喚したのでは?」


「あたしは知らないよ。そりゃあ言葉が通じるようにしたのはあたしだけど、それはこの子と偶然会ったからであって」


ソルの回答にエイデンが肩を落としている。一体、どうしたのだろう。


「あ、アリソンは知らないか。異界から召喚された人はね、召喚の魔法を使った人にしか元の世界に返せないんだよ。もしアリソンがあたしに召喚されたなら、あたしだけがアリソンを元の世界に返せることになる。――あ、あたしじゃないけど」


「そうなんですね。でも、わたしとしては戻りたいは思っていないので、問題ないですよ?」


「私は戻った方がいいと思いますがね。この世界で生きるには、アリソンは優しすぎると思います」


エイデンに断言されて、少しムッとする。わたしは小さな子どもじゃないのに、そんな風に勝手に決められたくない! フレイヤもわたしの意思を尊重すべきと思っているようで、「最終的に決めるのはアリソンよ」と忠告してくれた。


そう、茨邸の魔女になる決意もこの世界で生きていく決意もわたしが決めること。たとえエイデンが相棒であったって、指図を受けるつもりはないわ。――意見の一つとして聞くつもりはあるけれど。


こうして、わたし=アリソン・ヒューズは、130代目の茨邸の魔女となるべくフレイヤの弟子となることになったのだった。



【EP0-1 完】

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