15.事件
イーストリンガー通りはメインストリートから一本逸れた場所にあり、そこには住宅が建ち並んでいる。商業施設もあるメインストリートと比べると日中も人通りは少なく、夜になるとそれこそ一時間に片手で数える程度しか通らない。この世界では令和の日本に比べると月明りや星明りが強く感じられたけれど、フラワーリングの街並みの中ではそういった自然光は弱弱しく見える。街灯の明かりで辛うじて足元が見える程度だろうか。それはきっと、今まで夜を過ごしてきた村よりも建物が高いからなんじゃないかと思う。
地上三階からイーストリンガー通りを眺めるわたし=陽野下耀改めアリソン・ヒューズの心境は複雑だ。茨邸の魔女がそこに現れて欲しいのに、同時に現れて欲しくないとも思う。だって――。
「あっ!!――うん、エイデン、だよね」
ここは近隣の建物に比べて通りに突き出していることもあり、半径100メートル程の距離なら見ることができる。東の方角からこちらに向かって歩いて来ているその人影の主は、エイデン。服装を変えてはいるが、本日十度目の往来だ。――さすがにここまでくると、今日は噂の通り魔とやらは現れないんじゃないかと思う。
わたしは手のひらに収まる小瓶を眺める。ラベンダー色のその小瓶には魔法で負ったどんな傷をも癒すポーションが入っており、“もしも”の場合に使用するようにとフレイヤから貰ったものだった。使うことにならないのがいい。わたしはつい数時間前のことを思い返す。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
わたしは怒りに打ち震えていた。令和の日本でアラサー女子として生きていた頃、負けず嫌いとか高慢だとか言われることもあった。それは、異世界に転移して10代の少女となっても変わらないらしい。
「せっかく魔女になったのに、教えてくれないなんて……。ほんっとうに意地悪!」
「それはきっと、あなたを守りたいからよ」
そう優しく諭すフレイヤは、クレッセント・ヒーラーのカウンターの奥で何かの薬を調合しながらわたしの話を聞いてくれていた。わたしが怒っているのは、エイデンが魔法の使い方をちゃんと教えてくれないからだ。通り魔は若い男性ばかりを狙っているそうなので、エイデンがおとりになることになった。だから、彼が襲われた時に魔法を使って助けたいのに……今のままじゃ、何もできないじゃないか。――わたしを守る為だとフレイヤは言うけれど……そんな気はするけれど……。
「アリソンは大切な人の力になりたい子なのね」
「それは、みんなそうじゃないの?」
「どうかしら。臆病な人も世の中にはいるわよね」
フレイヤの調合している薬からぽっと煙が飛び出る。どうやら薬が完成したらしく、フレイヤはフラスコのような容器から小瓶へと薬を移す。
「それで、私に何を頼みに来たの?」
そうだった。愚痴を言いに来たわけじゃない。ソルを探しているんだった。そういった経緯でわたしは魔法が使えないので、万が一の時はソルに力を貸して欲しいが彼女の居場所がわからない。だから、以前ソルに会った此処に来たのだとフレイヤに伝える。フレイヤはただ、「ソルに伝えておくわ」とだけ返してくれた。
そして、その帰り際に渡されたのがラベンダー色の小瓶だった。わたしと話しながら調合していたのとは別で、奥の部屋から「特別よ」と言って持ってきてくれたものだ。ヤケドの治療に使ったポーションも特殊だった。金銭を渡しているとはいえそんな物をいただいてばかりなのが申し訳ないと伝えると、フレイヤは笑う。
「私もアリソンと一緒だからよ。異世界から来たの」
彼女が居た異世界がどういった場所なのか詳しいことは「秘密」と言われてしまったけれど、初めての同郷者との邂逅に体が震えた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
なんとなく、エイデンの進行方向へと視線を移す。すると、厳つい体躯の男が歩いているのが見える。もしかして、あの人が通り魔なんじゃ……わたしの体がにわかに震える。フレイヤにこの宿の場所も教えたのに、ソルはやって来ないしイーストリンガー通りにも姿を見せない。いくら従姉といえ、疎遠になったら協力はしてくれないのかな……なんだか切なくなる。
ちょうどこの宿の目の前で、エイデンと厳つい男がすれ違う。生唾を呑んでその様子を見守る……ものの、何も起こらずに男はそのまま歩いていく。エイデンもわたしと同じことを思っていたのか、その場に立ち止まって厳つい男の後姿を眺めている。――まあ、ただの通行人だったならそれで良かったじゃない。
「伏せろ!!」
エイデンが叫ぶ。厳つい男は自分に言っていると気づいたのか、振り返る。ものの、わたしと同じく状況を理解できていないようで、その場に固まっている。するとエイデンは火球を発生させ、男に向かって投げつける。それに気づいた男が慌てた様子でしゃがみ込むと、その頭上で火球と氷の矢が衝突して双方が消失した。どうやら、エイデンがいるのとは逆の方向から氷の矢が飛んできたっぽい?
「アリソン! そこから動かないように!」
エイデンがこちらに向かってそう叫んできた。電気を消して盗み見てるつもりでいたのに、気づかれていたのね……。エイデンは俊敏な動きで厳つい男の傍らに立つと、自身と男を囲うように炎を発生させる。それはまるで、炎の盾のようだ。すると、その炎の盾の向こうにローブに身を包んだ人物が現れる。フードを被っているので顔が見えないけれど、小柄だしエイデンより華奢なので女性か子どもなのだと思う。
「もしかして、茨邸の魔女?」
わたしは思わずそう口にしていた。だとしたら、エイデンは心臓を取られちゃう? どうもソルは近くに来てないようだし、3人以外の影は見えない……。エイデンと魔女の実力がどんなものかわからないけれど、状況次第ではまずいんじゃ……。わたしは気づくと、宿の階段を駆け下りていた。
宿の裏口の扉を開くと、目の前を水の蛇が通り過ぎた。驚いた拍子にその場に尻もちをつくと、先程とは逆の方向に蛇が通り過ぎていく。――エイデン達がいる方? わたしは裏口の扉に手を添えて立ち上がると、蛇が行った方向に視線を向ける。
「エイデン!」
わたしは思わず彼の名を口にしてしまう。案の定エイデンはこちらを睨んでくる。――うー。失敗した。でも、あんなふうに水の蛇に巻き付かれていたら声出ちゃうわよねぇ。見ると、ローブの魔女は姿を消していて、代わりに上半身が人間で下半身が魚の生き物……人魚? が出現していた。その人魚は女優顔負けなくらい綺麗なんだけれど、生気がないように見えて怖い。厳つい男もわたしと同じように人魚の出現に驚いているようで、お尻を地面につけたまま動かない。
「ソードダンス」
人魚がそういうと、氷でできた剣を持った半透明の妖精が4人出現する。人の顔の大きさくらいの愛らしい妖精は、その愛らしさからは想像できないような素早い動きで厳つい男へと斬りかかる。男は「うご」っと鈍いうなり声をあげる。男の体に見る見る傷ができていく。――知らない男ではあるけれど、さすがに何度も斬りかかられるのは可哀想。わたしは走り出していた。
「やめて! どうしてこんなことをするの?」
男の隣でわたしがそう叫ぶと、半透明の妖精達が動きを止めた。人魚もやや動揺した様子を見せている。厳つい男が逃げようとするが、妖精達は男を追いかけて組み伏す。
「お主には関係ないだろう。人間の娘よ」
氷のように冷たい声。聞いているだけで身震いするようだったけれど、瞳の奥にほんのわずかに優しさが見えるような気がして……説得してみようと思う。鋭意、努力します! この人魚、髪も瞳もプラチナカラーだ。茨邸の魔女ではないのかしら……。空振りだけど、今はそんなことどうでもいい。彼女と、攻撃されている男を救わなきゃ!
「悲しいことがあるのかな。何か不満があるのかな。わたしに話してみてよ」
「黙れ。人の子よ」
「わたし、人の子じゃない。魔女なの。それに、今の姿は仮の姿で……最初は茨邸の魔女みたいな姿で、散々な目にあってきて……」
わたしの言葉を受けて、人魚の顔から硬さが消えていく。
「仕返ししたいって思うことあるのよ! も、もしこの人が悪いことしたんなら! 別の方法で仕返ししましょうよ」
人魚はふふっと口元に微笑を浮かべる。
「たとえば?」
「た、たとえば……もし魔獣族だからって差別されたなら、痛めつけるんじゃなく精神的に追い詰めるとか……。あ、いや! あなたが幸せになって見せつけてやればいいのよ!」
我ながら矛盾しているというか、道理にかなっていない発言だよなーと思う。エイデンは大げさにため息を吐いてくるし、人魚はあははーと大声で笑う。な、なんか恥ずかしい。
「そなたはまっすぐな娘よの。眩しゅうて見てられんわ」
「え?」
「余の思いはな、歪んでおるのよ。この男は悪うない。この男によく似た男に裏切られてな。憂さ晴らしをしておった」
エイデンを縛り付けていた蛇は消失し、厳つい男を組み伏していた水の妖精も姿を消していた。どうやら、この人魚は男を攻撃するのをやめてくれたらしい。――のはよかったけれど、色々衝撃的だったからか男は伸びている。気を失ってはない……わよね?
「力で屈服できないのなら、説得をする。いいわ、なかなか賢いわね」
背後から少女の声と拍手が聞こえてくる。振り返ると、そこには――。
「茨邸の魔女!?」
漆黒の髪に真っ赤な瞳を持つ少女がいた。その隣には、ソルがいる。
「ええ。この姿では初めてお目に掛かるわね」
少女のその声は聞き覚えがある気がするし、地味な顔立ちにも見覚えがあるような? わたしが茨邸の魔女の顔をまじまじと見ていると、ソルが「レイ」と言葉を放つ。その言葉の後、光の縄が生じて人魚を捕縛する。
「彼女、逃げそうには無いけれど。一応ね」
動揺するわたしに説明する為か、茨邸の魔女がそう言った。
「これは一体、どういうことですか。――フレイヤ」
エイデンがそう尋ねたのを耳にし、茨邸の魔女と薬局の調合師の姿が重なる。30過ぎと思われる調合師の女性を少女にして髪と瞳の色を変えたら……確かに、今目の前にいる茨邸の魔女の姿になる。
「此処では具合が悪いわ。場所を変えましょうか」
茨邸の魔女・フレイヤの提案にわたしは静かに頷く。
「あ、その前に!」
わたしは失神している男の隣にしゃがみ込むと、ラベンダー色の小瓶の蓋を取る。
「なるほど。結構怪我しているものね。――じゃあ、私は私で残りの仕事を。彼女を騎士に送り届けて来るわね」
フレイヤはそう言うと30過ぎの姿に成り、ソルと共にこの場を後にした。わたしはラベンダ色の小瓶を傾け、その雫を男の傷口へと垂らす。するとジェル状のその雫はラベンダー色の光を放ち、光が止む頃には男の体から傷が消失する。




