07.飛竜族
わたし=陽野下耀は、馬車に揺られている。この馬車は、人間の村から牢獄に連行された時に乗った馬車よりもずっと乗り心地がよかった。前の馬車は椅子の部分が木製だったけれど、今回の馬車は椅子の部分が柔らかなクッションで出来ているからだろうか。山を登っているからかやや傾斜はあるものの、小一時間程乗車していても疲れない。今回も窓は付いていないので外の景色が見れないのが残念だけど、同乗しているエレノアやエイデンと会話ができているので退屈はしなかった。
ただ、気になるのはわたしの対面に座るエレノアの……隣に座る女性だ。ディモスと呼ばれていた彼女は軽装ではあるものの、腰に大剣を下げている。鍛えているものの華奢さが残っており、陸上競技の選手や女子サッカー選手のような体型に見える。その体に似つかわしくない大剣を所持している様が、どこか異様。――ずっと押し黙っているし。
そしてこの馬車を動かしているのは、ディモスによく似た容姿のフォボスと呼ばれていた女性だ。
飛竜族の国に行く準備を整えたわたし達がエイデンの家を出ると、このフォボスとディモスが玄関先に立っていた。得体が知れずに驚くわたしに、エレノアは友人だと教えてくれたけれど……どうも関係性的に、エレノアが上でフォボスとディモスは下に見えるのよね。お嬢様と従者のような……。あ、従者だからずっと押し黙っているのかしら。
道中、わたしとエレノアは先日読んだ恋愛小説の話に花を咲かせていた。その話のヒーローがとってもわたし好みで興奮して話しているせいか、体が熱を帯びてくる。長袖のワンピースで着てしまったけれど、半袖でくれば良かったかもしれない……。
馬車が停車する頃には、太陽は真上のやや東寄りまで昇っていた。朝食を終えた後に小一時間程話して出て来たから……乗車時間は1時間経ったか経たないくらいだと思う。エレノアとの話に夢中になっていたからか、体感時間は20分くらいだったんだけど……。いや、しかし……。
「あっつーい」
地面に足を付けた直後に発した第一声はそんな言葉だった。額から伝う汗を手で拭う。馬車に乗る前は春の桜が舞う頃のような穏やかな気候だったのに、降りたら猛暑日の暑さだ。体が追い付いていかない。目の前には石造りの神殿のような大きな建物が建立しているけれど、その荘厳さに気づくのにやや時間がかかってしまった。そして、建物の正面入り口前に出迎えの飛竜族がいること気づくのには、もっと時間がかかった。何十人もいる出迎えの飛竜族は全員軽装だが、腰に武器を下げていて物々しい。ピリリとした緊張が走る。
「大丈夫よ。堂々としてればいいから」
エレノアはわたしの背中に優しく触れると、そう囁いてくれた。
どうやらここは飛竜族を統治する王が住む場所――宮廷らしい。エレノアに連れられて来た部屋で待機をし始めた時、エイデンが教えてくれた。部屋に着いた途端エレノアは退室したので、待機しているのはわたしとエイデンの2人。出入口付近には監視役らしき武装した男が2人居るので、雑談はしにくい雰囲気だ。室内は静寂に包まれている。
どうやら、この国(世界?)に冷房はないみたい。ムッとした暑さで頭がボーっとする。日差しがないおかげか外よりは暑さが和らいでいる気もするけれど……。しかし、これだけ暑いのにエイデンは長袖着用でも涼しそうな顔をしている。飛竜族って人間とは適温が違うのかしら……。
「私の顔に何か付いていますか?」
エイデンに問われてハッとする。左右に首を振って否定すると、エイデンはわたしから視線を外した。――なんだろう。いつもと雰囲気が違うような。わたしがぼぅっとしていると、お得意の柔和な笑顔を向けてくるのが彼だ。なのに、今日は表情が硬い。
――ん? それよりも、出入口の方が少し騒がしいような? 喧騒に釣られて出入口の方を見ると、若い男が入室して来た。それを出入口付近に立っていた男2人が引き留めようとしている。だが若い男はお構いなしで、後ろに複数人の男達を従えてこちらに近づいてくる。どうやら後ろにいる男達は若い男の様子に戸惑っている様子だ。
「よ! 久しぶりだな、兄弟!」
若い男はエイデンの肩をパンっと叩いた。――わっ。結構な勢いだったよね……。エイデンは肩を押さえて、顔を少し引きつらせている……痛いのかな。視線を感じてそちらの方を見ると、若い男と目が合う。わたしは軽く会釈するものの、やりきる前に男はエイデンに視線を戻した。
「彼女か?」
若い男はエイデンの耳元で言う。やや声量が落ちたので彼的には囁いているつもりのようだが、大きなテーブルを挟んで対面に座るわたしにまで丸聞こえだ。
「そうだったら、姉上もさぞや安心してくださるでしょう」
「え。違う、のか? エレノアのやつ、可愛い妹みたいな子ができたの~って嬉しそうに言ってたんだぞ。だからてっきり」
若い男は拍子抜けした様子でそう言うものの、急に何かを思い出した様子でガーッハッハと豪快に笑う。
「まー、エイデンはエレノア一筋だもんな」
あー! やっぱり、エイデンってシスコンだったんだ。何となくそんな気はしていたけれど……。図星だからか、エイデンは否定せずにギロリと若い男を睨んでいる。
この若い男は20代半ばくらいかな。さっき「兄弟」って言っていたから、エレノアとエイデンのお兄さん? ――のわりには、全く似てないのよね。エレノアは華奢でエイデンも男性にしては線が細く、表情や雰囲気の柔らかい感じが姉弟なんだなと思わせる。瞳の色こそ違えど、髪はどちらもアプリコットブラウンだし。――だけど、この若い男は筋骨隆々だし限りなく「動」といった印象で、「静」の印象の強いエレノアやエイデンとは正反対だ。
「あら。ライリー!」
エレノアの明るい声が聞こえてくる。声のした方を見ると、先程までとは違い改まっていながらも華美な衣装に身を包んだエレノアがこちらへと近づいてきていた。彼女の後ろには、エレノアよりは質素ながらも改まった衣装の女性が数人付いて来ている。
エレノアは若い男――ライリーの逞しい腕にその華奢な腕を絡ませる。一瞬でわかってしまった。エレノアのこの頬に血の通った感じ……滲み出ている幸せオーラ。エレノアは、ライリーに好意があるのだ。エレノアはとても愛情深い人だと思う。だから、わたしやエイデンにも愛を注いでくれるけれど……その何倍もの愛をライリーには注いでいるんだろうな。
「ヒカリ。紹介するわ。彼はライリー・リード。私の婚約者です」
照れたようなエレノアの笑顔が眩しい。眩しすぎてクラっと眩暈がしそう。わたしのことをライリーに紹介してくれているエレノアの声を聞きながら、エイデンを盗み見た。彼の表情は穏やかで温かみを感じるけれど、どことなく瞳の奥が寂しそうに見える。
ライリーとは待合室を退室するところで別れ、わたしとエイデンはエレノアや複数人の侍女? と共に移動した。これからエレノアとエイデンの父親に対面するのだそうだ。辿り着いたのは20畳程ある部屋で、最奥が壇になっている。その壇上には立派な造りの椅子が置いてあり、初老くらいの男性が腰を下ろしていた。扉からその男性の前までには絨毯が敷かれており、その絨毯の脇には武器を下げた男達がずらっと並んでいる。
わたしはエレノアとエイデンに従い、絨毯の上を歩く。男達の雰囲気が物々しく、緊張感が走る。エレノアとエイデンは壇の手前に着くと膝を付いて一礼をしたので、わたしも真似た。事前にエレノアに真似るよう言われていたからだ。
「お目通りの許可をいただいき、感謝いたします。――親愛なる陛下。」
エレノアのその発言を耳にし、わたしは思わず「えっ」と声を上げて初老の男性を見ていた。場内の視線が刺さるのを感じて、わたしはさっと視線を下げる。――ちょ、ちょっと待ってよ! 陛下ってことは、王様!? エレノアとエイデンって、飛竜族の王様の子どもなの? ってことは、お姫様と王子様よね。――ん。エイデンってば王子様なのに、あんな離れで1人で住んでるの?
「話は家臣から聞いている。フレアヴァルムへその娘の入国申請を出せばいいのだろう。――異界から来た者と聞く。こちら側の不手際によるものだ。申請は許可しよう」
ん? 不手際ってどういうこと?
「だが、2、3質問させてくれ。――まずはエイデン。その娘との出会いやフレアヴァルム入国申請に至った経緯を話してくれないか」
飛竜王に問いかけられたエイデンは、湖畔で暴漢に襲われていたところを助けて保護し、その中で異界からの来訪者であることを知ったと答える。また、フレアヴァルムへの入国を希望するのはエイネブルームでは辛い目に遭ったからだと続けた。
「エレノアやエイデンと親しくなったのなら、共に住み続けようとは考えなかったのか。あるいは、我が国で面倒を見る手もあるが――」
「飛竜族が人間を匿うと、災いを呼ぶのでは?」
飛竜王の言葉を遮るようにエイデンが答える。その答えはわたしを非難しているのかと思って一瞬ドキっとしたけど、かつて魔獣族と人間は争い合っていたからってことよね。場内にはピリッとした緊張感が走り、飛竜王の家臣らしき複数人の男らが失笑したり口を慎めと声を荒げたりしている。飛竜王はそれを制し、その後で「ヒカリ、といったか。そなたはどう思う?」とわたしに問いかけてくる。
わたしが躊躇っていると、飛竜王の傍らにいる家臣が顔を上げるように促すので、わたしは顔を上げる。初老ながら屈強さを感じさせるその姿に怯みそうになる。けれど、瞳がエレノアと同じように陽だまりを思わせる色味をしているのだから、「きっと怖くない。優しい人に違いない」と自身に言い聞かせた。
「わたしは、エイデンの恋人ではありません。だから、ずっとお世話になるわけにはいかないと思っています。飛竜国でお世話になることは考えていませんでした」
エレノアが飛竜国のお姫様なら、きっと住んでいても楽しいだろう。でも、この亜熱帯のような気候はわたしの体には合わない。それにやっぱり、エレノアやエイデン以外の飛竜族には歓迎されていない気がするもの。場内に入ってから視線が刺さる。――さて、どうやって断りを入れたらいいだろうか。
わたしが断りの言葉を考えていると、飛竜王は質問を変えてきた。異世界ではどんな人間だったのか、と。――アラサーという結婚適齢期ながらリアルでの恋なんて何年もしていないOLで、趣味はアイドルのおっかけと乙女ゲームといった「推し事」。単語の1つもこの異世界では伝わらない気がする。でも、嘘ついたってしょうがないしなぁ。
わたしはエレノアの背中を一瞥する。彼女はエイデンの家を出立する前、「飾らずありのままで話してくれれば大丈夫よ」と励ましてくれた。うん。伝わらないかもしれないけれど、とりあえず話してみよう。
「OLとして働いていました。性別は女で、年齢は30になったばかりでした。……けれど、伴侶はいません。あ! でも、知り合いではないんだけど……とっても好きな人がいてその人のことを遠くから応援していました」
ヤバい顔がにやける。とっても好きな人の件で、最推しのアイドルの顔が浮かんでしまったのだ。飛竜王は好きな人に会うために帰りたいと思わないのか、と尋ねてくる。――いや、会えないのよ。ライブやイベントに参戦すれば会えるけれど、きっと彼の思っている「会う」とは違うんだよねぇ……。それに、どうしてだろう……。戻ったとして、わたしの思う「会う」すら叶わない気がしている。わたしの生存が不確かなのもあるけれど、どうしてか最推しの彼もまた生きていないような……。
わたしが黙り込んだので何かを察したのか、飛竜王は質問を変えてOLとはどんな仕事なのか尋ねてくる。四六時中パソコンに向き合ってメールを送ったり仕様書を作成したり会議をしたりという話を江戸時代の日本人にも伝わるようにかみ砕いて話すと、飛竜王は驚きながらも面白いというような反応をしている。
「ドラゴン・アイを所持していたと聞くが。どこで入手した?」
日本でのわたしの様子を一通り話し終えたところで、飛竜王は話題を変えてきた。偶然出会った女性にドラゴン・アイのネックレスを首に掛けられたところ全身が炎に包まれて驚き、用水路に流されて離れ離れになったことを話した。すると、飛竜王は女性の特徴について尋ねてくる。
「えーっと……とてもスタイルが良くて……綺麗なピンク色の髪をした人でした。年齢は20歳くらいなのかな」
そう。とても綺麗なピンク色の髪だったから、まるで桜の妖精みたいだった。――そう言えば、髪色は飛竜王にとてもよく似ていた気がする。
「やはり、ソルか」
わたしが首を傾げると、飛竜王は言葉を続ける。
「私の妹の娘でな。――そうか。生きていたか」
妹の娘ということは、飛竜王の姪っ子ということになる。確かに、桜の妖精のような髪の色だけじゃなく派手な感じとか体格のよい感じがソルという女性と飛竜王は似ているかも。飛竜王の子どもであるエレノアやエイデンよりも姪っ子の方が似ているような……。いや、飛竜王の瞳の輝きはエレノアに似てるんだけどね。
「しかし、ソルは何故そなたを……」
飛竜王は何事か考えこみながらわたしを眺める。ん? ソルがわたしに? どういうこと?
「いや、こちらの話でな。――言葉が通じるようになったのは、ソルと出会ってからだろう」
言われてみれば、そうかもしれない。用水路に流されてから流れ着いた村で通じるようになった気がしていたけれど、その少し前からの可能性だってあるわよね。わたしは「はい」と答える。
「ドラゴン・アイの力の一つにな、異界の者にこの世界の知を授ける力があるのだ。ソルがそなたにネックレスを掛けたのは、その儀式の一環だったのだよ」
そうだったんだ。わたしはポケットに仕舞っているドラゴン・アイに布越しに触れる。ただの綺麗な石だと思っていたけれど……そんな力があっただなんて! エレノアにはわたしが持っているように言われたけれど……返さないと!
「図らずながら姪御さんから奪う形になってしまい、申し訳ありません。貴重な物のようですし、お返しいたします」
「いや。そなたが持っていてはくれないか。ドラゴン・アイはな、確かに王家の物ではあるが……血を引く者は全員持っていてな。それほど珍しい物でもない。それに血を引く者しか力を使えないので、万が一他の人間の手に渡っても悪用されぬだろう。人間の地で再会することがあれば、その時はソルに渡してくれないか」
わたしが行くのはフレアヴァルムで、ソルが居たのはエイネブルームだ。再会することなんてあるのかな……。そう思うけれど断ることはできず、「わかりました」と答えていた。
「我々には会ってはくれぬだろうからな……頼んだぞ」
こうして飛竜王との謁見は終わり、わたしはフレアヴァルムへの入国権をゲットした。申請が受理されるまで数日掛かるけれど、却下される可能性は0に近いとのこと。人間と魔獣族は仲が悪いはずなのに、どうしてすんなり受理されるのだろう。そんな疑問も生まれたけれど、それは後でエレノアかエイデンに聞くことにして謁見室を後にした。
帰路に着く為に廊下を歩いていると、1枚の大きな肖像画が目に留まった。縦も横も1メートルはあるだろう大きさなのに、謁見室に向かっていた時はどうして気づかなかったのだろう。肖像画に描かれているのはエレノアのようだ。わたしは思わず立ち止まっていた。華奢な体躯で柔和な雰囲気ながらもどこか凛とした強さも感じられて、エレノアがよく描かれていると思う。
「似ているでしょう」
エイデンにそう問いかけられて、わたしは頷く。
「母です。エレノアと私の。他にも何人か兄弟はいますが――」
エイデンがそう言葉を続けるものの、わたしは「え!?」という言葉で遮ってしまった。そして、エイデンの隣にいるエレノアに視線を移す。――あ、でも確かに、エレノアにそっくりだけど……どこか違う気もする。肖像画の女性は目元にほくろがあるけどエレノアにはないし、肖像画の女性は瞳の色素が薄い気がする。
「驚くのもわかるよ。若い時の肖像画だもの。――生きてたら、人間に換算すると50歳くらいかなぁ」
エレノアは肖像画の女性とよく似た柔和な笑顔を称えてそう言った。――いやいや、わたしが驚いたのはそこにじゃないんだけど……。
「人間臭いと思ったら、まだこんなところに居たのか」
侮蔑するような声が聞こえてくる。思わず声のした方を見ると、30前後くらいの男が複数の仲間を引き連れて近づいてきている。――え。人間臭いってなに。わたしのこと?
だけど、男はわたしには目もくれずエイデンに突っかかっていく。
「相変わらず生意気な目をしているな。お前の親にそっくりだ」
エイデンは拳をぎゅっと握りしめているものの、何も返さない。ただ、冷たい瞳で男を見ている。エレノアはエイデンと男の間に入っておろおろしている。
「兄様。辞めてください」
どうやらこの男はエレノアとエイデンの兄らしい。複数いると言っていたから、その一人だろうか。確かに、飛竜王を体育会系から文系にして若くしたような容姿をしている。
「王に食って掛かるとは礼儀もない。人間を匿うと災いが起きるっていうのは、自虐のつもりか?」
男は高笑いをする。――え。何。さっきから人間人間って……わたしがここにいるから? 消え入りたい気持ちでいっぱいになる。体も震える。
「兄様! ヒカリが怖がっています!」
エレノアが声を張り上げると、男はようやくわたしに気づいたかのようにこちらを一瞥する。
「おー。客人もご一緒だったとは、これは失敬」
男はエイデンに再び視線を戻すと、更に続ける。
「災いを呼ぶとわかりつつも暴漢から救うとは、お前もエレノアも人間が好きよのう。血は争わぬと言うが、こういうことか。くれぐれも、合の子など生まれぬようにな」
エイデンの拳が震えている。エレノアはまるでエイデンを落ち着かせようとしているように、彼の腕をぎゅっと掴んでいる。
「わかっていますよ。合の子は本人も周りも不幸にしますからね」
エイデンはいつもの柔和な笑みを称える。――でも、どうしてだろう。いつもの余裕が感じられない。瞳の奥が淀んでいるような……。
ライリーが誰かを呼ぶ声が聞こえてくる。どうやらエレノアとエイデンの兄を呼んでいるようで、男が反応する。どうやら飛竜王が探しているらしく、男は足早にこの場を後にする。
ライリーは男を見送ると、わたし達にこの後の予定を尋ねてくる。暗く静まるこの場に、ライリーの声音だけが明るく響く。その明るさが唯一の救いのように感じられた。




