04.脱走
決行は深夜。時間で言うと夜中の2時頃だろうか。ここに来て5度目の尋問を受け終えたわたし=陽野下耀は、夕食を口にしながらその時が来るのを待っている。視線を感じたのでそちらの方を見ると、鉄格子越しに太った男がわたしをジッと見ていた。ニマニマしていて気持ち悪い……。いやだな。あの人と一緒に脱走するの。
わたしは同室の女性――マチルダと脱走の計画を立てた。元気なら岩壁の隙間に手足をかけてよじ登り、天井付近にある窓のような穴までたどり着くことができる。わたしの華奢さならその穴から外に出ることができるだろう。それがマチルダの考えだった。そして、地下牢の階段付近にある窓のような穴から侵入して看守からカギを奪い取り、マチルダの居る牢を解錠する。
マチルダを助ける条件として、南にあるフレアヴァルムという国まで案内と護衛をしてくれると約束してくれた。どうもわたしの容姿ではエイネブルーム王国では生きていけないから、隣国に行くのがベストのようなのだ。
罪人のようなので脱走させていいものか迷ったけれど、どうも彼女は病弱な弟を救うために窃盗をして捕まったらしい。やむにやまれぬ事情での罪ではあるし、弟に会いたいと願う彼女の切実な様子を見ていては断ることはできなかった。
ここまでは良かった。どうやら隣室の男達に盗み聞きされていたらしく、計画を黙っているかわりに自分達と仲間も脱走させるよう提案されたのだ。わたしが戸惑っていると、太った男は事故で人に怪我をさせてしまったとかタトゥーの男は詐欺に利用されたのだとかこれまたやむにやまれぬ事情で捕まっているのだと話してくる。
それでも彼らまでも脱走させるのはいかがなものかと思ったけれど、この世界には苦しめられてばかりだもの。自分が生き抜く為だし……わたしは彼らも脱走させることを承諾したのだった。
消灯時間を迎えてから決行時刻まで、わたしはベッドの中で過ごした。いつもならぐっすり眠りについているけれど、緊張の為かずっと目が冴えていた。わたしはマチルダに声を掛けられたので、そろりとベッドから抜け出す。
ボルダリング、興味あったんだよね。やっておけば良かったかな……。わたしはそう後悔しながら、岩壁の隙間に手足を差し込む。日本に居た頃は運動音痴でここに来てもそれは改善されていなそうなので不安だけど、マチルダが下に布団を何重かに折って敷いてくれているので万が一落ちても平気だ。……多分。
ゆっくりと登って何とか穴までたどり着いた。マチルダの予測通り、肩も胸もお尻も引っかからずに体を出すことができた。――西洋人っぽくなっても胸が小さいとか何だか悲しい。
足から大地を踏みしめる感覚が伝わってくる。靴を履いてはいるものの、石の冷たさや硬さに慣れていた身にはとても柔らかに感じる。牢は地下だからか穴は高い天井付近にあったものの1階にあたる地上からすると人間の胸の高さの位置にあるので、外に身を出すのは何とも余裕だった。
外にも監視役がいる可能性があるので、わたしは息を殺し足音を立てぬよう気を付けながら壁伝いに進んでいく。何か武器になりそうなものがあれば拾うよう太った男に言われたけれど、草原の中にポツンと牢獄と小屋が建っているだけなので武器になりそうなものは見当たらない……。
壁伝いに5分程歩いただろうか。角を曲がると、少し先にランタンの灯りが見える。どうやら正面玄関があるらしく、武装した男が2人程いるのが見える。さすがにここを突っ切るのは難しそうだ。わたしは踵を返し、反対側から地下牢の入り口付近を目指すことにする。
わたしが窓のような穴には、目印がある。枠の一部が欠けており歪な形をしているのだ。10分程歩いて角を二回曲がったところで、ようやく目的の場所に辿り着く。そうっと穴から中を覗き見ると、下の方に看守の後姿が見えた。
マチルダの話だと看守はいつも居眠りをしているそうだけど、背中しか見えないのでどうにも確認できない。そもそも居眠りをしているっぽいというのも、捕虜が喧嘩をしたり体調不良を訴えても駆けつけるのに時間がかかるから……というあくまでも推測にすぎない。
どうにかして寝ているか確認できないかな……。辺りを見回すと、拳くらいの大きさの石が何個か転がっている。わたしはそれを3個拾い、まず1個を穴から地下牢へと投げ入れる。コンっと甲高い音が響くけれど、看守は微動だにしない。念のため残りの2個を投じてみても、看守は変わらず動かない。
わたしは2度、深呼吸をする。――大丈夫。登った時と同じように慎重に降りればきっと大丈夫。
後ろ向きの体制で足から穴に入る。隙間の穴に足を掛けて、少しずつ降りていく。牢から出た時と同じようにお尻も胸も肩も頭も引っかからず……ギリギリで入ることができた。壁に掛かっているランタンの灯りは頼りなく、外よりも室内の方が暗い。その暗さに目が慣れず、足や手を差し込む穴は手探りで見つけるしかない。怖くて体が震える。
大丈夫。そう言い聞かせながらゆっくりと進み――あっ。右足が宙ぶらりんになった弾みで、左足と両手もつるりと滑ってしまう。気づいたと同時に、臀部に痛みが走る。――けれど、落ちた位置がそれほど高くなかったからかすぐに立ち上がることができた。それよりも、看守を起こしちゃったんじゃ……。
恐る恐る振り返る――と、看守は眠ったままのようだ。耳を澄ますと寝息まで聞こえてくる。わたしは起こさぬよう細心の注意を払いながら、看守のベルトに巻き付けられている鍵の束を外し、ついでに剣も鞘ごと外す。鍵も剣もずしりと重く、両手で抱えるようにして移動する。
マチルダや隣室の男達以外を起こすわけにはいかない。剣はずしりと重く、引きずりたいくらいだけど……そういうわけにはいかない。
わたしが最奥の部屋のところに着くと、マチルダが鉄格子の近くまで静かに駆け寄って来た。目をキラキラとさせながら、小声で「よくやった!」と褒めてくれる。人とのこういった交流が嬉しい。剣を慎重に床に置き、鍵を何個か通し……ようやく解錠できた。
その後、太った男とタトゥー男がいる部屋の鍵を解錠する。剣の腕に自信があるらしいので、剣はタトゥー男に任せることになった。この男達と脱走するのは嫌だったけれど、万が一武装した男達に気づかれたりした場合に頼りになりそうだからバレてかえってよかったのかもしれない。人数が多い方が撒くこともできそうだし……でも、そうなったらわたしか太った男が先に捕まりそう……。
タトゥー男は一発で仲間がいるという部屋の鍵も解錠した。仲間達は眠っているらしく、タトゥー男と太った男が仲間達を起こす。仲間は20代くらいの逆毛の男と今のわたしと同い年くらいの色白の少年だった。年齢の近い仲間ができたのは嬉しいけれど、こんな気の弱そうな男の子が一体どんな悪さをしたというのだろう……。もしかして、わたしと同じように冤罪なのかな。
出入口までの経路が頭に入っているというマチルダと武器を持っているタトゥー男を筆頭に、館内を進んでいく。地下にいる間は他の捕虜や看守を起こさぬよう慎重に抜き足差し足で進み、1階に出てからは極力足音を立てぬよう小走りで進む。
深夜だからかランタンの灯りの数はわたしが尋問室へ行き来している時間帯よりも少なく、薄暗い。床も壁と同じく複数の石を組み合わせた形で出来ており、何度か躓きかけた。そのたびにわたしのすぐ後ろにいる太った男が、腰やら腕やらを掴んで支えてくる。ここで転んだら痛そうなので初めこそ感謝したけれど、ずーっとピタッとくっついてきてることに気づいてからは気持ち悪くて仕方ない。
運が良かったのか警備がザルだったのか、誰にも見つからず正面玄関までたどり着くことができた。玄関には扉は付いておらず、大きく開いた穴の外側に武装した男が2人居るのが見える。1人は立っており、もう1人は座り込んでいる。タトゥー男の推測では、座っている方は居眠りしているようだ。
わたしをはじめとした武器を持たぬ面々は男達から死角になる位置に待機をし、タトゥー男だけが玄関へと近づく。タトゥー男は立っている方の警備の男に背後から斬りかかる。すると、警備の男は血を吹き出しながら倒れた。――わぁ。な、何も殺さなくても……。わたしは思わずやって来た方の廊下に視線を移す。
だ、だって。あの人達は仕事でここに居るのでしょう。悪さをした魔女や魔男を捕まえているだけでしょう。気絶させるとか縛ったりして動かないようにするとかでもよかったんじゃ……。なんだか動悸がしてくる。――と、急に腕を引っ張られ、釣られて足が動き出す。
「なにぼぅっとしてるんだい! 行くよ!」
マチルダに腕を引かれて玄関に向かって駆けていく。玄関先で視線を落とすと、そこには血を流して倒れている2人の警備の男の姿があった。思わず「ひぃー」っと声が漏れる。
彼らにも将来の夢とかあったかもしれない。そういった大きいものはないとしても、明日は何を食べようとかどんな遊びをしようとか……小さな楽しみだってあっただろう。それを壊すことに加担してしまった……。家族や友人が彼らの死を知ったらどれだけ悲しむだろうか……。
マチルダに手を引かれ、わたし達6人は牢獄に隣接している小屋に走った。小屋の前にも武装した男が2人居て、わたし達に気づいて剣を抜く。1人は仲間を呼ぶためか牢獄の方に走り出すが、地面が隆起して男の股を引き裂く。唖然とその様を見ていると、再びマチルダに手を引っ張られれる。小屋の前で無数の切り傷を作って倒れている警備の男の脇を通り、小屋へと侵入する。
小屋の正体は馬小屋だった。十数匹の馬が繋がれており、脱走仲間達が次々と乗馬して小屋を出ていく。わたしはマチルダに急ぐよう言われるけれど……ど、どうしよう。馬、乗れるかな。戸惑うわたしを見かねてか、マチルダは「もしかして乗れないのかい? ったく。どんなお嬢さんだよ」と言いながらわたしを後ろに乗馬させてくれた。
6人はそれぞれの馬に跨りながら、草原を駆け抜ける。わたしは振り落とされないよう必死でマチルダの腰にしがみ付き、目的地にたどり着くのを待った。
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空が白み始めた頃に小さな湖畔に辿り着き、そこでようやく休憩をすることができた。彼らが湖畔の水を飲んでいるので、わたしも真似て飲む。渇いた喉が潤う感覚と汗が引いていく感覚が心地いい。
清々しさが気持ちよくて、ふと空を見上げる。夜の名残を感じる紫と朝の訪れを感じる白のコントラストがきれいでうっとりとする。進行方向にはいつの間にか茶色の山が見えていた。また、牢獄の周りは木の一本も生えていなかったけれどこの湖畔の周りには木が生えている。――そっか、乗馬中はずっと下ばかり見ていたから、周りの変化に気づけなかったんだ……。
「あれはね、ヒリュウの火山だよ。目的のフレアヴァルムが間近にある証さ」
わたしが山の方を見ていたからか、マチルダがそう説明した。その説明を聞いて、あの山に既視感があるわけがわかった。某イマジネーションの海の火山に似ているんだ……。今にも火を噴いたり煙を出したりしそう。アトラクションじゃないから、火を噴いたらわたし達は危ないわよね……。富士山が噴火したら富士山が遥か彼方に見える東京まで飛んでくるっていうし……。
わたしの表情から何かを察したのかマチルダはあっははーと笑うと、「ヒリュウが操ってるから噴火しないさ」と答えた。――また出た謎のワード。「ヒリュウ」って何? でも、迂闊に質問していいものだろうか。もしヒリュウが誰でも知っているワードだとしたら、知らないことがバレたら警戒されてしまう。フレアヴァルムとやらに連れて行ってもらえなくなるかも……。
また、視線を感じる。例の太った男がニマニマとしてわたしを見ている。さっと視線を逸らしてから後悔した。いつの間にか太った男も警備の男から奪ったらしき剣を腰に提げていた。彼を不快にさせればわたしも斬り捨てられるかもしれない……。いや、太った男だけじゃなくわたし以外の全員が剣を腰に提げていた。そりゃあそうだ。彼らが殺した警備の男4人から1本ずつ奪えば、わたしが看守から盗んだ1本と足して全部で5本になる。
女ってだけで不利なのに、1人だけ丸腰じゃ更に不利になるじゃない。まあ、剣を持っていたところであんな重いもの振り回したりできないけれど……。もはや、彼らを不快にさせないよう立ち回るしかないわよね……。――って、なんでまだ警戒してるのよ。協力して逃げてきてるんだから、少しは信用してもいいんじゃ……。
「あーもう! 我慢できねぇ」
野太い声が耳元で聞こえたと思うと、体が押し倒された。どうやら太った男に組み敷かれているらしい。
「なんだってんだい。あんたケダモノかね」
マチルダの声がする。わたしは彼女に助けを乞おうとするものの、声がうまく出ない。そして察してしまう。先程の声音には愉快そうな響きがあったことを。抵抗しようと手足を振って嫌々をするものの、足は太った男にガッチリ抑えられているし、手はタトゥーの男に抑えつけられている。
「あたしゃ人様のプレイ観察する趣味ないんでね。先に約束の10万払っておくれよ――と、あんたが払ってくれるのかい」
「彼らは興奮してて払う余力がないでしょう」
マチルダと逆毛の男のやり取りが耳に入る。――もしかして、マチルダは最初っからわたしをフレアヴァルムに送り届ける気はなかったってこと? 涙で視界がぼやける。太った男が剣先を振り下ろしてきたのが見えて体に力を入れたけれど、痛みは走らない。代わりにビリビリと何かを裂くような音がする。――服を破っているの? やめて!と叫んだ気がするけれど、うまく声になっていただろうか。
「あんたは参加しなくていいのかい?」
「生憎私はロリコンではないのでね。貴女の方が好みです」
「ははっ。あたしゃ遠慮しとくよ」
遠くでそんなやり取りが聞こえる。わたしは唯一このやり取りに参加していない存在に気づいて視線を四方に向けると、少年と目が合う。眼差しで助けを求めるけれど、少年は酷く怯えた様子で何もしてくれそうにはない。
やだやだやだ。好きでもない男に貞操を奪われるなんて……よりにもよって、こんな脂ぎった男に……。朝日に照らされた太った男の顔は薄気味悪い笑みを讃えている。わたしは迫りくる蹂躙の時間を想像し、心が絶望に支配された。




