01.茨邸の魔女
茨邸にはね、魔女が棲んでいるのよ。
魔女はね、庭に咲き誇る薔薇のように可憐で美しい姿をしているわ。
だけど、騙されてはいけない。
美しい少女の姿をしているのは、乙女の生き血を啜り青年の心臓を奪っているから。真の姿は、2000年の時を生きているおぞましい老女。
また、その心は冷酷で傲慢・邪悪で陰険。悪しき魔獣族や魔女を束ね、数え切れぬ事件や天変地異を起こしているの。
茨邸の魔女こそ、諸悪の根源。このエイネブルーム王国を滅ぼし、闇の王国の建国を企てている。
だからね、茨邸には近づいてはいけないの。エイネブルーム王国の住人であるあなたには、死よりも恐ろしい恐怖が待ち受けているわ。
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この、エイネブルーム王国では誰もが知っている「茨邸の魔女」のお話。
わたしも「村娘A」や「貴婦人A」だったら信じていたと思う。
だけど、それは嘘だと知っている。
だって、わたしが「茨邸の魔女」=エヴァジェンナ・レヴィなのだから。
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薄暗い部屋の中で、鏡に映るわたし=エヴァジェンナ・レヴィを眺めていた。
ネグリジェを身に纏うわたしは17歳のあどけない少女の姿ながら、あまり可愛くない。いや、記憶の中にある「アラサーの日本人」のわたしに比べれば、何倍も愛らしい顔立ちをしている。
いや、顔立ちの話じゃないのよ。コーディネートの話。髪の毛はもっとふわふわしていて色味が明るい方がいいし、頬は桃のような唇はさくらんぼのようなピンクがいい。
西洋っぽい顔立ちにザ・日本人って感じの黒髪は似合わないし、カラコン付けたコスプレイヤーのような赤の瞳はどこか不自然だ。そして、不健康そうなこの青白い肌。
わたしがこの世界の創造主なら、エヴァジェンナ・レヴィにもっと違う姿を用意するのに。
不服そうな顔の鏡の中のわたしと睨めっこしていると、唐突に部屋の扉が開かれた。そして物凄い勢いでエヴァジェンナ・レヴィの下僕であるエイデン・ヒューズがやって来る。
「エヴァ。侵入者だ。逃げろ!」
神妙な面持ちでそう叫ぶエイデンを前に、わたしは言葉が出なかった。だって、いつもは冷静沈着な彼が美しい顔を歪め、髪を振り乱しているのだもの。そして、言葉遣いがいつもと違って荒々しい。
非常事態が起きていることを瞬時に悟った。
「聞いているのか!」
エイデンはわたしの両肩を揺さぶってくる。わたしは堪らず疑問を口にする。
「逃げろってどこに? この姿のままで?」
どうやら、エヴァジェンナ・レヴィの容姿は特殊らしい。この姿で街に出てしまっては、すぐに「茨邸の魔女」とバレてしまうだろう。
「ああそうか。そうだよなぁ。アリソンで、囚われの少女を演じる方が無難か?」
エイデンの独り言をスルーして、わたしは冷静に語り掛ける。
「そもそも侵入者って何よ。これまで2000年間、王国の騎士団が何百人とやって来ても、茨の蔦すら壊せなかったのでしょう。こーんな気味悪いくらい静かで、何か起きてるとは思えないんだけど」
わたしはカーテンの隙間から窓の外を覗いた。真っ暗でよく見えない。しばらく目を凝らしていると、荒野化している庭園が見えてくる。その奥にある門も徐々に見えてきて、茨の蔦が切り崩されているのがわかった。
「あらら」
「侵入者は一人だ。だから、館内に侵入されるまで私も気づかなかった」
エイデンは美しい顔に苦悶の表情を浮かべる。
「そりゃあ、2000年も不落だったんだから油断もしちゃうでしょ。気にしない気にしない」
わたしがそう慰めても、エイデンの表情は曇ったままだ。2000年も不落だって聞いてたからそりゃあわたしも驚きはしたけど、そんなに深刻になることだろうか。
「先代が館内の至る所にトラップ仕掛けてるんだから、大丈夫でしょう。今頃“へんじがないただしかばねのようだ”ってなってるはずよ!」
茨邸は日本の中学校くらいの敷地面積を誇る広い洋館。その館内の至る所にトラップが仕掛けてある上、今居る自室はその洋館の最奥。そう簡単にやって来れないはずだ。
「光の剣を持っているんだ」
エイデンがそう答えた刹那、開かれた扉から一つの影が侵入してきた。光る棒状の何かを持っている影は、俊敏な動きでわたしへと迫ってくる。
影からわたしを庇うような位置に移動するエイデンは、火の盾を作る。ゆらゆらと揺れる火の効果で薄暗い部屋に灯りが灯る。
火が灯った瞬間、影が動きを止めた。そこにいるのは、光り輝く剣を掲げた一人の青年だった。どこか冷ややかな印象を与える切れ長な目を持つその青年は、唖然とした様子で室内を眺めている。
「な、なんだこれは」
青年の視線の先にあるのは、部屋の隅々に飾られたくまさんやうさぎさんのぬいぐるみだった。フリルやリボンのあしらわれたカーテンにも視線を移している。どう? 女子って感じのかわいいお部屋でしょ。
青年は視線をわたしへと向ける。ふふ。乙女って感じのかわいいネグリジェでしょ?
「き、君が茨邸の魔女なのか!?」
わたしは苦笑しながら、「ええ。巷ではそんなふうに呼ばれてますねぇ」と答える。
青年は首を左右に振り、「いやいや騙されるな。これは魔女が見せている幻影」と呟き、剣を構え直す。
なんだなんだ。何か誤解をしている? 確かに私は悪名高き「茨邸の魔女」よ。だけど、自宅に乗り込まれた挙句、刃物を向けられるようなことした覚えない!
青年は切れ長の目でわたしとエイデンを睨んでいる。その目には刃を思わせる鋭利さがあるからか、わたしの肩は震え始めた。でも、こういう時は怯えていても埒が明かない。まず、相手を落ち着かせないと。
「あなたのお名前は? どこから来たの?」
わたしの質問が予想外だったのか、青年の殺気が和らぐ。
「私は……フレアヴァルム王国のオスカーだ」
声音からも棘が抜けた気がする。でも、剣は下ろしてくれないのね。
フレアヴァルムは、エイネブルームの南に位置する大国だ。越境してまで何をしに来たというのだろう。それにオスカーって名前、どこかで聞いたような。
「これはこれは。次期国王と名高いオスカー王子ですか。茨邸に何のご用です?」
抑揚なく言うエイデンのその言葉を耳にし、わたしはぎょっとした。そうだ、オスカー王子と言えば。
「オリビア王女はどこだ?」
そう。エイネブルーム王国の第一王女であるオリビア・フローレスの婚約者。
そんな誉れ高い方が、忌み嫌われている茨邸の魔女に会いに来るなんて何事?
っていうか、「オリビア王女はどこだ?」だって? きっと、煌びやかな宮殿で、美しい夢でも見てらっしゃるわ。
「あの。場所、間違えてませんか? オリビア王女は宮殿から出たことないはずですけど」
もしかして、彼は究極の方向音痴で世間知らずなのかしら。でも、王子だって宮殿生まれ宮殿育ちだから、こんなちょっと立派な程度の邸宅に王女がいるなんて思うはずないわよね。
もしかして、優秀ってのはただの噂で本当はおバカさん? 王子なのに護衛もいないし、変なのー。
あーだめだめ。王子にこんな侮辱するようなこと思ったら、火あぶりにされるかもしれない。
「オリビア王女が誘拐された。付きのメイドの話では、誘拐犯は魔女だったとか」
オスカー王子は、疑うような眼差しでわたしを見てくる。
いやいやいや。身に覚えのない容疑をかけられて、おまけに刃物を向けられても困る。
「わたしは知らないわ。そりゃあ悪名高いのは茨邸の魔女だけど、魔女なんて国中に腐るほどいるでしょ」
怒ってますってのを全面に出して言うと、オスカー王子は怯む。わたしと王子の間に立つエイデンは、火の盾を作ったまま頭を抱える。
オスカー王子は口元を引きつられ、「腐る?」と小さく答える。
なんだ。この世界にはそういった言い回しはないのか。
それとも、王子に対して無礼な物言いだったのか。
まあ、そんなことはどうでもいい。
わたしが示したいのは、「オリビア王女の誘拐に絡んでいない」という真実と「オスカー王子と闘うつもりはない」という意思のみ。
「エイデン。魔法を解除して」
わたしの指示に、エイデンがにわかに動揺する。わたしは大丈夫だと伝える為に、そっとエイデンの肩に手を乗せる。
エイデンは渋々火の盾を消す。室内は再び薄暗くなる。
「言葉を信じてくれないなら、行動で信じさせるわ。館内くまなく案内するから、ついてきて」
わたしのその言葉に、二人の青年は信じられないとでもいうように目を見開いた。