15.女装の麗人
わたし=アリソン・ヒューズは、歌い手とミアの3人で天馬族姿のカーターにしがみついていた。風のような速さで走るカーターに連れられてやって来たのは、小さくて歴史の感じられるアパートの一室だった。アパートに入室すると、カーターは人間の姿に戻る。
「ここはね、ミアのお家なの」
だから大丈夫だよと言うように、ミアはわたしと歌い手に微笑みかけた。歌い手は切なげに視線を下げる。
「お家にあげて大丈夫かい? 俺は追われてるんだよ。悪い人間なのかも」
ミアは左右に首を振る。
「アリソンはね、正義の味方なの。ミアが困ってる時に助けてくれたのよ。そんなアリソンのお友達なら、絶対悪い人じゃない!」
正義の味方、か。何だかくすぐったい。でも、わたしの友人だからって悪い人じゃないっていうのは短絡的な気がする。
「君はもう少し警戒心を持った方がいい。その正義の味方を騙してる悪い人間かもよ?」
まるで試すかのように歌い手が言うと、ミアは「うぅ……」と黙り込んでしまった。カーターはムッとして、「親切を素直に受け取れないなら帰れ!」と言う。
ミアには歌い手を友達と紹介したけれど、会うのは二度目だし彼のことをよく知らない。
けれど、追われているのは自分なのに「怖かったよね」とわたしを気にかけてくれたりあんな消えてしまいそうな顔をされたりしたら、守りたくなる。もし悪い人だとしても、何か事情があって悪い人になったのかもしれない。わたしはカーターを「まあまあ」と制し、歌い手に向き合う。
「悪い人間だっていいわよ。あなたは一度わたしを助けてくれた。それだけで、十分手を貸す理由はあると思うけど? 何かやむにやまれる事情があって悪い人になったのかもしれないし」
わたしが思いの丈を口にすると、歌い手はぽかんと口を開いた。――だけど、何より嬉しかったのはジャズ・クラブ「ブルーリング」で掛けられたあの言葉だ。
「あとね、悪い噂があるからって、茨邸の魔女が悪人と決めつけるのはよくないって。ブルーリングで言っていたでしょ。根っから悪い人はそんな発想しないと思うのよね」
わたしがそう言うと、歌い手は照れたように笑って「ありがとう」と答えた。
ミア宅の広さは10畳程で、室内には必要最低限のものしか置かれておらず殺風景だ。わたし達が部屋の奥へと進むと、最奥にあるベッドがもぞもぞと動き女性が起き上がってきた。青白い顔をして痩せこけているその女性は30半ばくらいだろうか。弱弱しい笑顔をわたし達に向けて、「おかえりなさい」と声をかけてきた。
「今日はね、お母さんの調子がいいの」
ミアはわたしと歌い手にそう言うと、母親と思われる女性の方に駆け寄った。ミアは女性に抱き着くと、「あのかわいいワンピースの人がね、アリソンなの!」と伝えた。女性は驚いた顔をするとミアを放し、わたしの方へ寄ってきた。
「いつもお世話になっております」
近くで見る女性は、遠くで見る時以上に弱弱しく見えた。きっと美人なんだろうけれど、頬が扱けて目が落ちくぼんでいるのでどこか骸骨のような印象を受ける。これじゃあ働くの難しいよな……と納得してしまう。わたしはそんな彼女に心配かけないよう、ミアの手伝いのおかげで助かっている旨を伝えた。
母親はホッと胸を撫でおろすと、今度は歌い手の方を見た。一目で恋に落ちる瞬間、人はこんな顔をするのだろうか。驚きと恥じらいの混じった表情をした女性は硬直する。でもそれはほんの一瞬で、勢いよく歌い手の肩を掴んでいた。
「か、かわいい! い、いえ。綺麗? お、男の子よね!?」
そう言った反応に慣れているのか、歌い手は驚きはせずにふふっと笑う。
「あー。絶対似合う! 似合うわよねぇ」
独り言をぶつぶつ言う彼女にわたしが驚いていると、ミアが「あ! それいいじゃない!」と明るく言った。ミアは母親に駆け寄ると、何事か耳打ちをする。母親は「あーそうなの」「うんうん。逃げるなら、確かにありかも」と答える。
ミアとの作戦会議? が終わると、女性は歌い手にこう提案をする。
「女装してみない?」
「ママね、メイクとっても上手なの。男の子を女装させるの得意なのよ! ――カーターもね、もごっ」
ミアが何事か話そうとすると、カーターが口を塞いでそれを阻んだ。カーターは青い顔をしてわなわなと震えている。――なるほど、カーターも女装させられたのか。彼はまだ幼くて線が細いから、確かに女装をしても違和感ないかも。
「女装したら、追いかけてる人達から逃げやすいと思うの。どうかしら?」
「いいですよ。俺、女装したらかわいいもん」
女性の提案を受けた歌い手は、さらりとそう言ってのけた。――確かに中性的でかわいい顔をしてるから女装似合いそうだけど、まさかこんなふうにあっさりと答えるとは思わなかった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
女性が歌い手にメイクを施している間、わたしVSミア&カーターでチェスをしていた。子ども相手でも手加減できぬわたしが2勝目を挙げたところで、女性に呼びかけられる。振り返ったわたしは、言葉を失った。
女性の隣に立つのは、可憐な美少女だ。「花も恥じらう」という形容詞は彼女……いや、彼の為にあるような言葉。歌い手は自慢げに自分の女装を「かわいい」と言っていたけれど、胸を張るだけある。今の彼は明らかにわたしよりかわいい。――こんな姿見せられたら、女でいるのが恥ずかしくなるじゃない。
「あれ。似合わないかな?」
わたしもミアもカーターも絶句しているからか、歌い手がそう尋ねてきた。歌い手は不安そうな顔で鏡を覗き込んでいる。その憂いを帯びた顔も憎いくらいに美少女。華奢とは言え肩幅は男性寄りなのでそこは少し気になるけれど、それ以外は完璧! 非の打ち所がない。
「ううん。とってもかわいい。そしてキレイ」
わたしがそう答えると、歌い手は天使の笑顔で「ありがとう」と返してくれた。――わたしが男だったら惚れてちゃうって。
歌い手は再び鏡を見ると、不安げに表情を歪めた。
「あの、ウィッグとかありますか? この髪では目立つので」
歌い手は自身の金髪を示しながらそう言った。
エイネブルーム王国には色々な髪色の人がいるけれど、金髪はそう珍しいわけではない。10人いれば3人はいるかな、という割合。でも、遠目から見て彼とわかる確率を下げるには髪色を変えるのは効果的かもしれない。
女性はクローゼットからブラウンのウィッグを取り出した。そしてそれを慣れた手つきで歌い手に装着する。――ブラウンのロングヘアになった歌い手は金髪の時に比べるとやや華やかさが消えたものの、十分かわいい。いや、清楚な感じになってむしろこっちの方が好みかもしれない。
歌い手も鏡に映る自分を眺め、満足げに頬を緩めた。
歌い手は小窓から外を確認し、追手がまだ近くにいるかもしれないからもう少しここにいさせて欲しいと言う。歌い手の自宅はここから馬車で30分のフラワーリングの中心街にあるとの話を聞くと、女性は泊っていくように言う。すると歌い手は、悲しげな顔で首を左右に振る。
「心配する子がいるから」
歌い手はそう言った。
心配する「子」って言い方は、家族ではなさそうだな。――彼女がいるのかな。そう思ったら、胸にぽっかり穴が開いたような気分になった。ん? でも、彼女がいるのにわたしと2人で出かけるの? それって、わたしにも彼女にも失礼じゃない? モヤモヤする。
「そういえば、宮廷ものの演劇ってどんな話だったんだい?」
話題がないからか、歌い手が唐突にそう話しかけてきた。あれ。ルイスって名前拝借するくらいだから宮廷もの彼も見ているのではないの?
「それって、劇団ルシフェルのお話? パトリック王子とルイスの? それなら、あたしも見たよ!」
ミアは興奮した面持ちで話し始める。歌い手は幼き少女の勢いに一瞬怯みながらも、笑顔で頷く。ミアは興奮冷めやらぬ様子で、「あのねあのね」と続ける。
劇団ルシフェルの演目の1つに宮廷ものがある。宮廷ものは史実をベースにフローレス王家を描いており、様々なシリーズがある。パトリック王子とその護衛官であるルイスが登場するのは現代のフローレス王家を描いた、「花の王家~碧い瞳の王子~」という演目だ。
金髪碧眼の麗しの王子・パトリックは自由奔放な性格をしており、一般人に扮して様々な場所へと旅立つ。その旅の最中で事件を解決したり女性の心を奪ったりする。その模様を描いているのが、「花の王家~碧い瞳の王子~」なのだ。
ルイスはパトリック王子の護衛官であると同時に剣の相棒でもあり、旅に同行している。生真面目な彼が自由人のパトリック王子に振り回されている姿がとても面白い。
ミアは、カルロス演じるルイスの魅力について語り始めた。キラキラとして語る彼女を見ていると、わたしの負けず嫌いが燃え上がる。ジュリアン様が演じるパトリック王子だってとっても魅力的なんだからね!
わたしは「花の王家~碧い瞳の王子~」の見どころについて、ジュリアン様――いや、パトリック王子の活躍するシーンを中心に語った。女性は笑顔でうんうんと聞いてくれているし、歌い手もところどころ驚いてはいるけれどはにかみながら聞いてくれている。カーターがやや引いている気がするけれど、まあそういう子だし気にしないことにする!
わたしとミアが「花の王家~碧い瞳の王子~」について熱弁していると、2時間はあっという間に経った。公共の馬車の最終便の時間が近づいているので、わたしと歌い手はミアの家を出る。そして、2人で馬車乗り場へと向かう。
歌い手は申し訳なさそうな顔で、食事が無しになってしまったことを謝罪する。そして、今度劇団ルシフェルの観劇に一緒に行こうと誘われる。わたしは3日後が休みなので、その日に行くことになった。チケット入手は困難だと伝えたが、何とかすると言ってくれた。――まあ、手に入らなければ食事でもいいんだけどね。
歌い手はミア宅のあるアパートの方を振り返り、やや躊躇いがちに言う。
「ミアは母子家庭なのかな」
わたしがそうだと答えると、こう続ける。
「こう言っては失礼だけど……生活するのが大変そうだね。俺も母さんだけだから、他人事に思えないんだ。何かしたいな」
「そうね。ミアにお仕事をあげるか何らかの形でお金や食べ物を援助するとか、かしら。実はね、ミアにはわたしのお店の買い出しを手伝ってもらっているの」
わたしがそう言うと、歌い手は驚いた顔をする。
「アリソンはすごいな。俺には力もないし、仕事もしてないから何もできないな」
おや。まさかのニート? いや、歌手として活動してるならニートではないのかな。ま、まあ、だからってなにもできないわけではないわよね。
「そんなことない! あなたには綺麗な歌声があるじゃない。わたし、感動したのよ。ミア達にも聞かせてあげたら喜んでくれると思う」
わたしのその言葉に歌い手は嬉しそうに笑った。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
それから3日後。
フラワーリングの中心街を歩いていると、わたし=アリソン・ヒューズと連れの美少女は若者に声をかけられた。デートの誘いに美少女はニコニコするだけで何も言わないので、わたしが用事があるからと断る。それで大体の若者はどこかに行ってしまうけれど、8組目の2人組はしつこかった。美少女の肩に手を添えたりわたしの腕を掴み始めたり……わたしがナンパ男の腕を振り払えずにいると、美少女はひどい剣幕で「用事があるって言ってるだろう」と答えた。――男らしい低音ボイスで。
「え。お、男?」
2人組の若者は顔を見合わせると、舌打ちをしながらどこかに行ってしまった。
「怖かった?」
美少女に聞かれたので、わたしは「大丈夫だよ」と答えた。
この美少女=ルイスと名乗る歌い手は、女装をしている。ミアの母親から借りたままのウィッグと女性ものの服を着ている。メイクは自分でしているのかミアの母親にしてもらった時よりは上手ではないけれど、それでも十分美少女だ。
どうやら先日追いかけてきた男達と再会するのを恐れ、女装でやって来たらしい。
その後も何組かのナンパを交わし、わたし達は劇場へとたどり着いた。入場待ちの列に並びながら、わたしは歌い手が入手してくれたチケットを受け取る。――座席はどこだろう。ん。A列の30席って。
「ね、これって! 最前席? しかもど真ん中じゃない!」
推しの役者が居る熱狂的なファンは、できるだけ前の席を求める。役者を近くで見れるし、場合によってはファンサービスを受けることがあるからだ。その為前売り券販売直後に売り切れてしまうので、前日の夜から並ぶか高額で取引されている転売品を買うかしか入手できない。
わたしはジュリアン様を推し始めて1年程経つが、まだそんな神席に巡り合ったことはない。――嬉しさのあまり、眩暈がしてきた。足元がふら付いて、気づいたら通りがかりの人にぶつかってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい!」
反射的に謝罪をする。相手はわたしを一瞥だけして、返事もせずに人混みの中へ消えてしまった。熱いレンズの眼鏡に西洋風の唐草模様のバンダナを頭につけた、ちょっと個性的なファッションの人だった。エイネブルーム育ちだろう歌い手から見ても奇天烈なのか、その人が消えた人混みの方をじぃっと睨むように見ている。
「都会にはいろんな人がいるわね」
わたしがそう声をかけると、歌い手は「そうだね」と返した。
数十分並び、わたし達は劇場の大ホールに入場した。やっぱり席は最前席のど真ん中で、舞台は手が届きそうなくらいに近い。開演したらそこにジュリアン様がいると想像しただけで、胸がどきどきとしてきた。
歌い手はくすくすと笑い、「本当に彼のことが好きなんだね」と語りかけてくる。わたしが驚いて歌い手の方を見ると、「幸せそうな顔してたから」と続ける。
「何がきっかけだったの?」
「きっかけねー。単純に顔がカッコいいから一目惚れ、かな」
わたしがそう言うと、歌い手はきょとんとする。
「っていうのは、半分本当だけど半分冗談で」
舞台に立つジュリアン様はとても輝いていた。それこそ、ダイヤモンドのごとき輝き。――カッコいいなってその姿から目が離せなかった。けれど推すまでは考えてなくって、今度公演を見に行くのは何年後かなって思いながら演劇を見ていた。
だけど、気づいたらジュリアン様演じるパトリック王子の沼にはまっていた。見返りを求めずに人々を救う男気はカッコいいのに、王子であることに悩む姿には母性本能をくすぐられた。オリビア王女に対してややシスコン気味なところもご愛敬。
これはジュリアン様の演技がすこぶる良かったのだろうと色んな役を見てきたけれど、まだパトリック王子を超える役には出会えていない。
そんなこんなを話したら、歌い手はふふっと笑う。
「なんか、ジュリアンじゃなくパトリックが好きなように聞こえるよ」
それは盲点だった。言われてみればそんな気もするけど……パトリック王子を演じてたのがカルロスだったら、わたしはたぶん惚れてないよ?
「そんな大した男じゃないけどね」
小さな声で歌い手がそう言っていた気がして聞き返したけれど、歌い手は苦笑しながら「何でもないよ」と答えた。




