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薔薇に棘はあれど、茨邸の魔女に棘はあらず  作者: 卯野瑛理佳
EP1.茨邸の魔女と失踪の王女
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14.再びの音楽の貴公子

マリッサが「ローズクラウン」に来店し、秘蔵の王族ブロマイドを見せてくれてからというものプラチナアッシュの居候を少し警戒するようになってしまった。彼は隣国のフレアヴァルム王国の王子であるオスカー・オルガを名乗っているものの、ブロマイドを見る限り別人のようだ。


何故、オスカー王子を騙って茨邸に乗り込んできたのだろう。

王子であることが嘘なら、そもそもオリビア王女が失踪しているというのも嘘?


わたしはエイデンと2人きりになった時にその話をするものの、エイデンは特に警戒していないようだった。いつも通りの柔和な笑顔で「事情があるのかも。話してくれるのを待ちましょう」と言ってくる。




あれから5日が経過した。今日は久しぶりの休日で、わたし=アリソン・ヒューズはフラワーリングの中心街へと来ていた。劇団ルシフェルの次の公演が決まったので、前売り券を買いに来ているのである。


この日は前売り券の販売初日ということもあり、長蛇の列ができることが予想できた。そのため、わたしとロッテことシャルロッテ・パーカーは宿場に宿泊して前乗りしていた。だけど予想踊り早起きができず、結局販売開始時刻の30分前から並び始めることとなった。

前にはざっと3000人ほどがいるだろうか。わたしとロッテはもう少し早く出ればよかったね、と苦笑しあいながら大人しく最後尾に並んだ。


ロッテと会うのは、ダグラス邸の地下室ぶりだった。どうやらロッテはわたしも地下室に捕らわれたことも忘却の魔法で忘れたらしく、「あの時は心配かけてたね。あと、お父さんが変な疑いかけてごめんね」と謝ってくるだけでそれ以上は触れなかった。


誘拐された挙句監禁された。しかも、誘拐犯の一人のもう一つの姿は彼女が大の苦手とするカエルである。そのカエルの姿だって何度か目にしただろうに、トラウマになっているんじゃないか。

それが心配だったけれど、こうして遊びに出てこれるくらいだから大丈夫なのかな……。


それから4時間程並び続けて、ようやく4枚のチケットを購入した。今日は仕事で来れない友人2人分のチケットはわたしが預かることにし、ロッテの分だけをロッテに渡す。もうティータイムの時間になっていたので、わたし達は遅めのランチをとる為にお店を探し始める。


何件かカフェを見て回って「どこも気になるね」と言い合っている時だった。

ジャズ・クラブ「ブルーリング」の前を通りがかる。わたしは思わず足を止めて、じっと「ブルーリング」を眺めていた。――ここで出会ったパンクファッションの歌い手の姿が蘇る。カッコよかったし、歌も上手だったよなぁ。


「ここって、ジャズ・クラブだよね。気になるの?」


ロッテにそう尋ねられて、わたしは我に返った。


「あ、ああ。実はエイデンと一緒に来たことがあって」


わたしがそう答えると、ロッテはやや引き気味に驚いていた。

どうもエイネブルームのジャズ・クラブは、日本のダンスクラブと同じでパリピが行く場所のようである。ロッテは流行ものが好きではあるが大人しい性格なので、ジャズ・クラブには抵抗があるようなのだ。


入り口付近に立て看板が出ており、そこにはランチメニューが記載されている。どうやらランチタイムからティータイムにかけては食事とソフトドリンクの提供のみしているようである。


「ローストビーフ美味しそう。わたし、ここがいいな~」


甘えるような口調で言ってみると、ロッテは心配そうな顔をする。

エイネブルームで一番遊ぶ機会の多い友人にそんな顔をされては、辞めようかという気持ちにもなる。けれど、もしかしたら彼がいるかもしれない! そう思うと、もう引くに引けない。


「怖くないから大丈夫だよ」


わたしはロッテの手を引き、「ブルーリング」に入店する。

店内は夜とは打って変わって明るく、客層も落ち着いていた。夜間は若者がほとんどだったけれど、今は壮年の紳士淑女もいたりする。その店内の様子にロッテも安堵したらしく、表情が柔らかくなっていた。


わたしとロッテは案内された席に着席する。夜間は受付カウンターで注文して商品を受け取るセルフ方式だったけれど、日中は席でオーダーし店員さんが運んでくれる方式のようだ。わたしとロッテはローストビーフのサンドイッチを注文し、料理が運ばれてくるのを待つ。


店内の隅々まで視線を走らせる。あの特徴的なパンクファッションも綺麗な金髪も見当たらない。そりゃあ、そう簡単に出会えるはずないよね……。でも、この間居た店員さんがいるからその人に聞いてみようかな。ライブをしてたくらいだから、名前や今度いつ来るかくらいは知ってそう。


わたしが脳内で歌い手に関する質問をまとめていると、ロッテが仕事の話をしてきた。彼女は服飾の歴史を紹介する博物館で働いており、次の期間限定展示が爬虫類柄の展示が中心なのだとか。カエルほどではないが彼女は爬虫類も苦手なので、それに関する不安だとかを話してきた。

わたしは苦手を克服するか苦手なことを館長に話して期間限定展示の仕事は振られないようにするしかないのでは、とアドバイスをする。ロッテは「館長堅物だから聞いてくれるかな」と不安そうな顔をしている。


そんなこんな話をしていると、ローストビーフのサンドイッチが運ばれてきた。運んできてくれたのはこの間居た店員さんなので、わたしは思い切って話しかける。


「あの! 夜に歌っていた人について聞きたいんですけど」


わたしがそう尋ねると、店員は「歌手は何人もいますが、どういった方のことですか?」と聞き返してきた。わたしが「パンクファッションの……」というと意味が通じていないようなので、フードを目深にかぶった小柄な男性ボーカルだと伝える。そうすると、店員さんは誰のことかわかったようだ。


「彼の名前は? 今度、いつ出演するんですか?」


わたしは身を乗り出して答えていた。声が大きかったらしく、近くの席の人がこちらを見てくる。わたしは急に恥ずかしくなって、乗り出していた体を引っ込める。店員さんは確認すると言ってその場を離れた。

ロッテも件の彼が気になったようで、わたしにどんな人なのか尋ねてきた。わたしはハイトーンボイスと顔立ちがとても綺麗であることを話す。思わず、顔がにやけてしまう。

そうしていると、そこに店員さんが戻ってくる。


「先程の歌手ですが、ルイス・グレイです」


ルイス・グレイ。それは、オスカー王子を騙るプラチナアッシュの同居人が人前で使う名前だ。


「次回の出演は未定です。いつも突発的にライブをさせて欲しいと来るので、事前に知るのはなかなか難しいかと……」


店員さんは申し訳なさそうにそう言うと、深々と一礼をして去っていった。


「ルイス・グレイって、カルロスが演じてた役と同じだよね」


ロッテのその言葉の意味が理解できなくて、わたしは「どういうこと?」と聞き返した。


「ほら、宮廷のお話の。ジュリアンがパトリック王子をやってた時の」


そう言えばそうだった。劇団ルシフェルの公演で現代の宮廷のお話が上演されたけれど、その時にジュリアン様はパトリック王子を演じていた。その護衛官を演じていたのがカルロスで、その護衛官の名前がルイス・グレイだった。


「アリソンやエイデンのお友達といい、同じ名前の人がたくさんいるね」


ロッテは不思議そうにそう言うと、ローストビーフ丼のサンドイッチを食べ始めた。


名前の偶然の一致? も気になるけれど、わたしにとっては歌い手との再会が難しいことの方が一大事だ。茨邸とこのジャズ・クラブは馬車で30分はかかる。仕事の後に足しげく通うのは難しい。

わたしは添え物のピクルスをかじりながら、テーブルナプキンに目を向けた。――そうだ。それなら、イチかバチか。


わたしはテーブルナプキンを2枚取り、そのうちの1枚で指をぬぐった。そしてもう1枚にバッグから取り出したペンを走らせる。




◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆




ジャズ・クラブ「ブルーリング」でのランチから、4日が経過した。ティータイムが終盤を迎えた頃に、客用の出入り口のベルが鳴る。

紅茶を煎れるのに集中しているわたしは声だけで「いらっしゃいませ」と来客を出迎えていると、ふいに「アリソン」と声をかけられた。エイデンのものでもプラチナアッシュの居候のものでもないその声を不思議に思いつつ振り替えると、カウンター席に金髪碧眼の愛らしい顔立ちをした少年がいる。――歌い手の彼だ!


「お店の制服もかわいいじゃん。似合ってるよ」


彼は屈託のない笑顔でそう言う。ぽっと体が熱くなる。


「あーそうそう。お手紙ありがとうね」


わたしは「ブルーリング」を退店する際、店員さんにテーブルナプキンを渡した。そこには「ローズクラウン」の住所とナンパ師から助けてくれたお礼がしたい旨を綴っていた。どうやら、店員さんがちゃんと彼に手紙を渡してくれて、彼もわたしの気持ちに応えてくれたらしい。


わたしは淡い期待の成就が信じられなくて……でもだからこそ嬉しくて、指先が震えた。歌い手の近くにやって来たエイデンはメニューを歌い手に渡し、接客を始める。歌い手はその接客を「ふーん」と聞き、「ねぇ。このおすすめのチャイってアリソンのおすすめでもあるの?」とわたしに問いかけてきた。わたしは頷く。どんな味なのか尋ねられたので、スパイスの聞いた甘いミルクティーだと説明する。


「俺、辛いの好き! 甘さ控えめにできる?」


歌い手の問いかけにわたしが頷くと、彼は「じゃあそれで」と言った。


「あと、デートしようよ。お礼ならその方が嬉しいな」


歌い手はニコニコしてそう言う。思わぬ提案にすぐ返事ができない。


「だって、アリソンが仕事中だとあまり話できないだろう。――お兄さんの視線も気になるしね」


歌い手は「お兄さん」のくだりを小声で言った。確かに、わたしや歌い手を見ているエイデンは笑顔なのに何故かその瞳の奥が怖い。


「いつですか?」


「いつでもいいけど、この後とか……このお店、夜は営業してないんでしょ?」


甘えるようにそう聞く彼がとてもかわいくて、とてもノーとは言えない。脊髄反射で頷いていた。


わたしはチャイを作りながら、こんなかわいい人とわたしなんかがデートするなんておこがましいんじゃ……と思い始めた。気づくと、店内にいる女性客全員が歌い手のことをチラチラと見ている。普段はエイデンにお熱の常連の女子達すら、歌い手のことを気にしている。


わたしは舞い上がりそうな気持ちと卑下する気持ちに揺さぶられていた。




歌い手はチャイを秒で飲むと、外で待ち合わせをしようと言ってすぐに出て行ってしまった。

わたしはその後も仕事を続けた。そして閉店後に閉店作業を終えて一旦茨邸に戻り、「ローズクラウン」の制服からデート用の装いにモードチェンジする。コーディネートでだいぶ悩んだものの何とかモードチェンジを完了させて、夕刻の街へと繰り出す。


待ち合わせ場所の小さな公園には、既に歌い手が来ていた。彼はわたしを頭の先からつま先まで眺めると、これまた「かわいいね」と褒めてくる。この女子慣れしている感じが、日本でアラサーとして過ごしてきたわたしを若干警戒させる。……この子、まだ10代だろうに色んな女の子と遊んでるのかな。


歌い手がもうお店は決めてあるというので、そこに向かって歩き始めた。


「二人でいるの見つかったら彼氏に怒られちゃうかな」


「大丈夫です。彼はいませんから」


「本当? こないだの男は違うの?」


こないだの男? エイデンのことだろうか。でも、お店では兄だって思っている風だったし……。

わたしが首を傾げると、歌い手は「ほら、髪の色がプラチナアッシュの」と付け足す。オスカー王子を騙る居候のことか。わたしは彼氏ではないと否定する。

すると歌い手は、「いつ知り合ったのか」とか「どこで」とか矢継ぎ早に質問してくる。わたしがひと月ほど前に「ローズクラウン」に客として来たと答えると、歌い手は考え込むように黙り込む。……そんなに気になる? 彼のこと。


「そう言えば、彼はルイス・グレイって言うんですよ」


正しく言うと、本名は知らない。2つある偽名の1つがルイス・グレイなのだ。


「あなたもルイス・グレイなんですよね」


わたしが問いかけると、歌い手は目を見開いた。


「ブルーリングのスタッフさんに聞いたので」


そう補足すると、彼は「ああ、そうなんだ」と答えた。だけど、どこか焦っているような様子。……もしかして!


「パトリック王子の護衛官もルイス・グレイなんですよね」


わたしが言うと、歌い手はビクッと肩を震わせた。あー。これは当たっているかも!


「もしかして、あなたはカルロスのファンですか?」


ファンだから、カルロスの演じていた役の名前を名乗っているのだろう。女性人気がほとんどのジュリアン様と違って、カルロスは男性人気も高い。

日本ではSNSやお店に予約する時など、推しに関わる名前を使うことがある。この国でもそういう文化があるのか。

そう思って尋ねたけれど、歌い手は合点がいかない様子で「どういうこと?」と尋ねてくる。


「劇団ルシフェルのカルロスですよ。ほら、先々月の舞台で宮廷ものの演目があったじゃないですか!」


「あ、ああ。演劇の役者の話か」


歌い手はしばし虚空を見つめると、作ったような笑顔で「そうだよ。恥ずかしいなぁ」と答える。わたしも日本にいた頃はよくやっていたから、恥ずかしがることないのになぁ。

わたしは彼の芸名? であるルイスと呼ぶべきか本名を聞くべきか考えた。――その時、子どもに「アリソン!」と呼ばれる。


声がしたのは道の端の方だった。そこには10歳くらいの見知った子ども――ミアとカーターがいる。2人の傍らには手書きの看板があり、「靴磨きやってます」と書かれている。よく見ると靴磨きに使うだろう台やら布やらが置かれている。


わたしは歌い手を連れて2人に近寄る。女の子のミアはわたしに耳打ちをして、「お友達? お兄さん? お姉さん?」と尋ねてきた。彼の性別とわたし達の関係性がわからないらしいので、わたしは「このお兄さんはね、お友達よ」と答える。


歌い手はニコニコとして、「君達何やってんの?」と尋ねた。男の子のカーターが「靴磨きって書いてるだろう」とぶっきら棒に答えると、歌い手は首を傾げた。

どうやら、靴磨きの意味がわからないらしい。わたしが靴磨きについて説明すると、納得いったようないってないかのような反応を見せた。――その時だ。歌い手が不意に少し遠くの方を見た。


「うげ。ここにもいるのかよ」


歌い手はフードを目深に被ると、「また今度」と早口でまくし立てて走り出す。わたしはわけがわからず、彼の腕にしがみついて一緒に走っていた。彼は俊足のようで、わたしの足は今までにないくらいの速さで動いている。

いくらか走ったところで、彼は裏道へ身を潜めた。どうやら複数人の男に追われているようで、少し遠くの道から足音と怒号が聞こえてくる。わたしが彼の横顔を盗み見ると、彼はそれに気づいたらしく目を合わせて微笑む。


「まさか、着いて来ちゃうなんてね」


言うと彼はわたしの頭をぽんぽんと叩き、「ごめんね。怖かったよね」と言った。その表情があまりにも儚げで急に消えてしまいそうで、わたしの胸がずきんと痛む。怖くないと伝えようと首を左右に振ると同時に、強烈な一陣の風が吹いた。止んだ時にその風の方を見ると、そこにはミアと小さなユニコーンがいた。――このユニコーンは、カーターの天馬族としての姿だ。

ミアは歌い手の手を掴むと、強いまなざしで口を開く。


「アリソンのお友達は、ミアが守るよ! 着いて来て!」


ミアの言葉を受けた歌い手がわたしの方を見る。

わたしは「大丈夫」の意味を込めて頷いた。





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