13.事の顛末と偽りの王子
目覚めて最初に感じたのは、背中やお尻の鈍い痛みだった。
心配そうに覗き込んでくるエイデンの顔を見ても殺風景なここがフラワーリング中心街の宿場だと教えられても、何が起きているのかすぐには理解できなかった。
ベッドの横には花が活けられている。イエロー系でアレジメントされたその花々が美しくて思わず手を伸ばすと、エイデンにマリッサからの贈り物だと教えられた。誕生日でもないのにどうして贈られたのだろう。
宿場の人が特別に作ってくれたオートミールを食べながら「お粥の方がいいな……」と日本を懐かしんでいるところで、わたし=アリソン・ヒューズが何をしていたのか思い出した。
わたし達は行方不明になったロッテを探すため、ダグラス邸に乗り込んだのだった。その際にわたしはダグラス卿やモーリー婦人に捕まってしまい、先に誘拐されていた少女達と一緒に地下室に閉じ込められた。それを救出に来たエイデンやオスカー王子と共に外に出ようとしたところ、ダグラス卿が魔力を暴走させてしまった。――そこで、記憶が途切れている。
脳裏に氷漬けになったロッテと目が合った時のことがよぎった。そして、その他の少女達が氷漬けになっている光景も思い出す。わたしはそれを思い出すともうオートミールが食べれなくなって、スプーンを置いた。そして、エイデンに彼女たちの安否について尋ねた。
どうやらダグラス母子を捕まえた直後にエイデンが火の魔法で解凍したので、凍傷を負った子は複数いたけれど命に別状はなかったそうだ。わたしはほっと胸を撫でおろす。
わたしはオートミールを食べ終えると、記憶が途切れた前後に何が起きていたのかエイデンに尋ねた。記憶が途切れるほどの衝撃を受けたのは、ダグラス卿が暴走させて放った氷の刃が左胸に当たったかららしい。
――わたし、よく無事だったな。反射的に胸元を確認すると、服は見たことのないものに着替えさせられていた。どうやら、マリッサが貸してくれているらしい。
え。ちょっと待って。誰が着替えさせたの? どういう状況で?
「着替えさせたのは私ですが。他の男は払っておきましたよ。安心してください」
動揺が顔に出ていたのか、エイデンは柔和な笑みを浮かべながらそう答えた。
――いや、エイデンは確かに兄のようなものではあるけど、一応男だし! え? そこ、着替えさせるならマリッサじゃないの!? なんで? え!?
「気にするのそこですか? 心臓に当たらなかったのか、とかどうして胸は痛くないのか、とか考えないんですか?」
「あ! うん。最初はそこも気にしたけども! って、まあそっちのが重要よね。どうして?」
エイデンは部屋の隅に置かれた荷物の中から、何かを取り出す。彼の掌の中にあるのは、5つくらいに砕けた蝶の髪飾りだった。
「これが守ってくれたみたいですね」
それはアリソンとしての16歳の誕生日にマリッサからプレゼントされ、ダグラス邸での食事会の時にロッテに貸した物だった。それは、ロッテが失踪前に身に着けていたものだから導いてくれるようにと左胸に潜ませていたのだった。それが別の形で役立つとは、人生ってどうなるのかわからない。
わたしは他にも色々と確認したかったけれど、先にエイデンに「事の顛末は帰ってから話します」と言われてしまったので今は我慢することにした。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
宿場で目覚めたのは昼下がりのようだった。その後、宿場に戻ってきたオスカー王子と一緒に、三人で茨邸に戻った。
わたしはその翌日である今日から「ローズクラウン」を開店するつもりでいた。だって、半休後に2日連続で閉店にしてしまったのだもの。取りこぼしてしまった売り上げを取り戻すためにも開店したい。だけど、大事を見て休んだ方がいいとエイデンに押し切られたので、こうしてエヴァジェンナ・レヴィの姿のまま自室でお茶を飲んでいる。
そこにエイデンがやって来る。エイデンは昨晩発行された新聞を持ってくると、一面記事をわたしに見せてきた。そこには、『白十字の騎士大活躍!』という見出しが躍り出ていた。わたしはエイデンに勧められて、その記事を読み始める。
記事には、モーリー・ダグラスとディラン・ダグラスの母子が共謀して複数の少女達を誘拐・監禁していたことや略取の罪で監獄に収容されていることが記載されていた。――しかし、モーリー婦人が美魚族であることやディランが半獣であることには触れられていない。
「どうやら、魔獣族の血族であることは、ダグラス侯爵がもみ消したようですね」
わたしの表情が曇ったことで察したのが、エイデンがそう説明してきた。
「でも、罪自体はもみ消せなかったのね」
「いや。もみ消さなかったのでしょう。もみ消したら二人を見受けして監視下に置くことになる」
わたしは「それって……」と口にしかけて、言葉を飲んだ。きっと、母子はダグラス侯爵に見捨てられたのだ。「見捨てられた」なんて、二人が可哀想で口にもしたくなかった。
光の剣は魔力を吸収する特殊な鉱石でできている。それと同じ鉱石で壁が覆われている監獄が各国にあるのだけど、二人はその監獄に収容されているのだろう。そこで生活することは、魔力にあるものにとって苦しいものだそうだ。
ダグラス侯爵は二人を見受けして自身が心労を負うことよりも、二人を苦しめることを選んだのだ。そもそもダグラス侯爵が二人を遠ざけていたから起きた事件でもあるのに、なんて非情な人なのだろう。
また、記事の前日未明に『白十字の騎士』がダグラス邸に忍び込んで少女達を救出したことや少女達は救出された時の記憶を失っていることも綴られている。
それは、エイデンが現場に十字架のネックレスを残して忘却の魔法を使ったことを意味している。
「エイデンは今回もきっちりお仕事してくれたわけね。――ありがとう」
「それが私の役目ですので」
エイデンはそう言うと、わたしの手の甲にくちづけをした。わたしはその手を突っぱねて、「だからそういうのやめなさいって!」と、抗議する。
エイデンは「いい加減我が国の文化に慣れてください」と笑う。
「白十字の騎士」とは、「茨邸の魔女」の対になる存在である。
フラワーリングの西のはずれにある教会の地下に棲んでいるとされ、その正体は性別すら不明。宮廷騎士団でも解決できない数々の事件を解決している英雄として語り継がれている。
――だけど、その英雄譚のほとんどは歴代の「茨邸の魔女」が起こしてきたことだ。何代目かの「茨邸の魔女」が去り際に十字架のネックレスを落としてしまったことから、「白十字の騎士」の噂が生まれた。それ以来、歴代の「茨邸の魔女」は事件解決後去り際に十字架のネックレスを現場に残すようにしている。
忘却の魔法は「茨邸の魔女」及びその使い魔だけが使える秘儀だ。対象者の一定期間の記憶を消し去ることができる。今回エイデンは、少女達の記憶のうち「わたし達がダグラス邸に乗り込んだ期間」のみを忘却させたそうだ。
フラワーリングで起きていた「少女失踪事件」はこれにて一件落着だ。
しかし、それは同時にもう一つの答えも導き出した。
「やっぱり、あの中にオリビア王女は居なかったのね」
オスカー王子が宮廷に戻らないことや今日も街に出かけていることから察してはいるけれど、わたしは確認する為にエイデンに尋ねた。エイデンは頷く。
解決の糸口が見えたかに思われるオリビア王女の捜索は、また暗礁に乗り上げてしまった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
翌朝。わたしとエイデンが開店作業を始めると、ミアとカーターがやって来た。ミアは心配そうな表情ながら、何も言わずに本日の買い出し品について尋ねる。わたしはミアに2日間も無断で閉店していたことの謝罪と体調を崩していたのだという嘘の理由を話し、買い出しリストを渡した。
カーターはミアを先に店外に行かせると、不機嫌な表情で「あいつは本気で心配してたんだからな! アリソンが具合悪くてもエイデンは動けるだろう。せめて朝くらい店にいろよ」と早口でまくしたて、外に出て行った。
わたしは幼き少年のツンデレを微笑ましく思いながらも、突発で何かあった時の連絡手段を考えないとなと反省をした。令和の日本だったらスマホがあって便利だったのになぁ。
2日と半日ぶりに開店した「ローズクラウン」は開店直後からそこそこの入客があった。わたしはやや腰に残った痛みが気になりはしたけれど、絶好調で調理したり紅茶を煎れていたりしていた。しかし、エイデンが時々体調を気にして声をかけてくれた。
昼下がりには常連の30歳くらいの女性が来店された。いつも通りの注文をする彼女にローズヒップティーを提供すると、彼女は失踪していた年齢の離れた妹が戻ってきたことを話してくれた。わたしは恐る恐るダグラス卿が絡んでいるのか尋ねると、女性はそうだと答えた。
女性の妹さんは他の少女と同様に、ダグラス邸から解放された後病院に搬送された。検査を受けたところ「白十字の騎士」が活躍した前後の記憶を失っている以外特に問題がなかったので、一泊入院しただけですぐに帰宅したそうだ。
どうやら「茨邸の魔女」が居たこともエイデンやオスカー王子のことも覚えていないようなので、わたしはホッと胸を撫でおろした。エイデンの忘却の魔法を信じてはいるけれど、いざ話題になると緊張する。
ティータイムも終盤になると来客がなくなり、店内にいるお客様が退店したら閉店しようかなとエイデンと話し始めた。この時間にもなると、さすがに腰痛が気になり始めた。……決して、年齢のせいではない。日本にいた頃はアラサーだったけれど、ここでの肉体年齢は17歳のはずだし。ダグラス邸で腰を打ち付けたせいだ。
わたしが腰痛を誤魔化しながらティーカップを洗っている時だった。エイデンが自身のファンを見送っている時、来客があった。その来客は案内係のエイデンを無視し、一目散にカウンター席にやって来る。
わたしが「いらっしゃいませ」と声をかけながら顔を上げると、そこにいるのは水色のウェーブヘアーと黒色のインナーカラーが印象的な美少女、マッリサ・シアーズだった。――驚きのあまり、わたしはティーカップを落としてしまう。床に落下する前に何とかキャッチした。
「あらあら。そんなに驚くこと?」
マリッサは姫君らしく上品に笑って見せた。
わたしは初来店を感謝する旨とおすすめはリラックス効果のあるカモミールティーであることを簡潔に説明すると、マリッサはわざとらしく寂しそうな顔をする。
「お友達なのに他人行儀なのね」
友達じゃなくて腐れ縁ね。
それに、友達だっていうわりには開店してから一年も経つのに来てくれたことなかったじゃないか。
「お店が軌道に乗るまで忙しくって、東の方には来れなかったの。ほら、私は一人でやってるから。ハンサムで頼りになるお兄さんがいて羨ましいわ」
本当は兄ではないことを知っているし羨ましく思ってないくせに、よく言うわね。
わたしは入り口のあたりでこちらを見ているエイデンと目配せをした。エイデンはマリッサの来店を警戒してはいないらしく、いつも通りの穏やかな表情をしている。
マリッサにカモミールティーを提供したところで彼女以外の客が退店したので、エイデンは扉に「clause」の看板を出した。庭園の前にある門にも「clause」の看板を出してくれたようだ。
するとマリッサは、待ってましたとばかりに口を開く。
「ねぇ。今日はルイスはいないの?」
目をキラキラさせながら言うマリッサにわたしは答える。
「いないわよ。――残念ね」
最初は女嫌いの彼への嫌がらせでベタベタしてたようだけど、本当に惚れちゃったのかしら。――あれ。でも、マリッサって同居してる恋人がいるのよね?
わたしがそんな疑問で頭をいっぱいにしてると、マリッサがバッグから一つのアルバムを取り出す。適当なページを開くと、それをわたしに見せてきた。
「ねぇ。この人のこと、どう思う?」
そのページには、人物のバストアップのイラストの切り抜きが貼り付けてある。
その人物は、王族や貴族といった高貴な身分の方の正装に身を包んだ20代くらいの男性だ。優しそうな印象を受けるのは、目尻が下がっているからだろうか。その「静」を感じさせる顔立ちとは対照的で髪色は「動」を感じさせる燃えるような赤髪だ。
「優しそうね」
もしかして、この人がマリッサの恋人なのだろうか。
わたしは気になって、切り抜きの下に書かれている文字を確認した。「オスカー・ガルシア」と記載されている。
「オスカー?」
フレアヴァルム王国の王子の名前は、オスカー・ガルシアだ。
でも、それはわたしの身近にいる切れ長の目とプラチナアッシュの髪が印象的な彼のはずだ。髪色どころか顔立ちもブロマイドの人物はまったくの別人だ。
突然の情報に頭の整理ができずにいると、いつの間にかエイデンも近くにいてマリッサのアルバムを覗き込んでいた。
「マリッサ。これは何です?」
エイデンがそう尋ねた。
マリッサは自慢げに「王族のブロマイドよ」と答えた。
基本的に王族は王位を継承するまでは人前に姿を現さない。だから、王族の姿かたちは宮廷で働く者以外には「噂でしか」知られていない。だが、こういったブロマイドが裏では販売されているそうなのだ。それを集めるのがマリッサの趣味らしい。
エイデンが「良い趣味ですね」と嫌味を言うと、マリッサはそれに気づいてか気づかずか笑顔で「ありがとう」と返した。
もしこのブロマイドのオスカー王子が本物なら、わたしの知っているオスカー王子は誰なのだろう。
いや、ブロマイドが真実を描いているとは限らない。わたしはマリッサの許可を得て、他のページも見せてもらうことにした。
王国ごとに分けてキチンとファイリングされている。わたしはフレアヴァルムのページとエイネブルームのページを確認した。現国王はどちらの国もわたしの見知っている顔をしている。……やっぱり、ブロマイドが本物なのだろうか。
わたしはふと気になって、エイネブルーム王国のページを最初から最後まで見た。――ない。
「ねぇ。オリビア王女はないの?」
わたしが尋ねると、マリッサの表情が一瞬強張る。でもすぐに笑顔になって、「大人気で手に入らないのよ」と答えたから気のせいだろう。
わたしはオリビア王女の双子の兄であるパトリック王子でもいいので見てみたいと思い、「パトリック王子もないの?」と尋ねた。
「どうしてその兄妹が気になるのかしら」
何故か逆にそう尋ねられた。笑顔なのにその顔が何故か怖くて、わたしはただ「いや、どんな人なのか気になったから」とだけ答えた。そして、すぐにアルバムを彼女に返した。
マリッサはそれから10分程でカモミールティーを飲み終えると、退店する意を示した。お茶代を払おうとしてきたけれど、先日一緒にダグラス邸に乗り込んだお礼も兼ねて代金は貰わなかった。
閉店作業が落ち着いたらエイデンとオスカー王子の話をしようと思ったけれど、プラチナアッシュの彼が戻ってきたので出来なかった。
わたしの頭からはブロマイドのオスカー王子の姿が離れなくて、プラチナアッシュの彼といつも通りに接せなかった気がする。エイデンは変わらず、だったけれど。
オスカー。ねぇ。あなたは本当は何者なの?
プラチナアッシュの彼が茨邸に乗り込んできてから、もうじきひと月が経過する。
だけど、わたしは彼のことをほとんど知らない。




