10.少女達の行方を追って
やわらかな日差しがまぶしくて、わたしは目を覚ました。
ベッドに横たわったまま考えているのは、パンクファッションに身を包んだ少年のことだ。暗闇の中にいる彼は、愛らしい顔には似合わない悲し気な表情で、失恋ソングを歌っていた。彼はわたしに気づくと、ぱっと顔を明るくする。――うん。愛らしい顔には、そういう花の咲いたような笑顔が似合う。そう思うわたしを、彼は抱きしめてきた。
「やっと見つけたよ。僕のプリンセス」
いつの間にか正面に鏡が現れていた。そこに映るわたしを見る。クロウブラッグの髪にブラッディレッドの瞳――それは、茨邸の魔女=エヴァジェンナ・レヴィの姿。
「怖くないの? ――わたしのことが」
消え入りそうな声で尋ねるわたしに、歌い手は答える。
「茨邸の魔女が悪だって誰が決めたんだ。俺、噂だけで決めつけるの嫌い」
きりっとした表情で言う。こういう顔をすると、彼はやっぱり男性なんだな、と感じる。
「だって、君はこんなにも乙女で――愛らしい女性じゃないか」
気づくと、わたし達の周りは彩り豊かな薔薇や愛らしいぬいぐるみで溢れていた。――わたしの、大好きなもの。
――ああ、そっか。あれは、夢だったんだ。
ここには魔法があるといえ、周りの景色がこんなに急に変わるはずがない。
それに、初対面の女に「僕のプリンセス」なんて言う男がどこにいるか。ここはわたしがアラサーになるまで過ごした日本とは異なる世界だけど、人間の倫理観はそこまで変わらない気がする。
でも、彼と出会ったことは夢ではないのよね。――ナンパ男から助けてくれた時の感覚は確かにあるし、ジャズ・クラブからの帰り際エイデンに「フード男」について執拗に質問されたし。
彼は少女を誘拐する魔女の姿を目撃したと言っていた。水の魔法を使う華奢な体躯の女、か。――わたしの知り合いにも一人いるけど、これだけの情報で決めつけるのもね。第一、彼女が何のために少女を誘拐するのか皆目見当がつかないし。
わたしは半身を起こして、腰まで伸びた髪を掬い上げた。髪の色はクロウブラックで掌の色は青白い。せっかく早起きできたのだから軽く散歩でもしたいけれど、わたし=エヴァジェンナ・レヴィの姿で人前に出るわけにもいかないしなぁ。
わたしはカーテンの隙間からこっそり外を覗いた。
そこは数々の商店が立ち並ぶ大通りだ。わたしが劇場への行き帰りで目にするここはいつも人で賑わっているのに、今は人通りがまばらだ。それも、酔いつぶれているっぽい千鳥足の男性や娼婦と思われる派手な身なりの女性ばかりでいつもと様相が違う。
小鳥のさえずりに耳を傾けながらぼんやりしていると、少し遠くの方からプラチナアッシュの髪の男――オスカー王子がこちらに向かって走ってくる姿が目に留まった。きっと、日課の鍛錬をしているのだろう。毎日欠かさず走るなんて、真面目よね。運動嫌いのわたしにはとても真似できない。
どこかから言い争っているような声が聞こえてくる。声のする方――オスカー王子の進行方向に視線を向けると、そこには中年オヤジと娼婦のような女性の姿があった。オヤジが女性の体を掴んでおり、女性はそれに抵抗している。
「なにあれ。セクハラ?」
オヤジは体を売っている女性になら、何をしてもいいと思っているのだろう。――あんなに嫌がっているのに、それはおかしい。魔法で髪の毛でも焼いて驚かせてやろうかしら。
火の呪文を唱え始めた時だった。オヤジと女性の前を通り過ぎたオスカー王子が踵を返し、オヤジを制止に掛かる。それに気づいたわたしは詠唱を中断した。オヤジは初めこそオスカー王子に対抗したものの、オスカー王子がオヤジの腕を軽く捻るとすぐに降参した。千鳥足で二人から離れていく。
女性はオスカー王子に礼を述べているようである。言葉だけでは満足できないのか、女性は身をよじらせながらオスカー王子へと近づいている。それに合わせオスカー王子は女性から少しずつ距離を取っている。――ん? 距離があるから顔はよく見えないけど、女性はそれなりに綺麗なように見える。多くの男はそんなふうに近づかれたら喜ぶものではないの?
そういえば、ジャズ・クラブでマリッサが迫っている時も嫌がってたような。
もしかして、オスカー王子は本当はそっちの趣味がある人? 日本で言う「腐女子歓喜!」ってやつ?
いやいや。もっと単純に。――女性が苦手?
だとしたら、数々の不自然な出来事にも説明がつく。――まずは、彼が本当に女性が苦手なのか確認してみなきゃね。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
部屋にやって来たエイデンに魔法でアリソン・ヒューズの姿に変えてもらったわたしは、準備を整えると宿場のダイニングへと向かった。その他の宿泊客と同様にそこで朝食をとる。
わたしの隣にはエイデンが座り、正面にはオスカー王子が座っている。ここでわたしは朝食のトマトスープが入った皿をオスカー王子の方へと倒した。――大成功。オスカー王子の衣服がトマトスープで濡れている。
「あ、ああ。ごめんなさい」
ちょっと、言い方わざとらしかったかしら……。ま、まあいいわ。
わたしは慌ててハンカチを取り出すと、オスカー王子の衣類を拭き始める。オスカー王子はやや顔を顰めると、「放っておけば乾くから」と言ってわたしの手を払いのけようとする。わたしはその発言に素直には従わず、「でも、トマトはシミになっちゃうわ」と答えて拭き取り作業を続行する。
「いいよ。そんなこと言ったらお前のハンカチも汚れるだろう!」
オスカー王子は強めにそう言うと、衣類を洗うためにかお手洗いへと行ってしまった。その隙にわたしはエイデンに尋ねる。
「ねぇ。オス……ルイスって」
危ない危ない。人前で「オスカー王子」と呼ぶのはダメだった。彼が使っている偽名に言い直す。
「女性が苦手なのかしら。どう思う?」
わたしがそう尋ねると、エイデンはクスっと笑う。「やっと気づいたんですか」と答えるエイデンの楽しそうな顔を見ながら、わたしは更なる疑問を口にする。
「本人に聞いたの?」
「まさか。見てればわかるでしょう」
当然のように言うエイデンの観察力の鋭さに感心した。わたしもその辺もっと敏感だったら、日本でもリア充生活送れたのかしら……。
しばらくすると、オスカー王子がお手洗いから戻ってきた。やっぱり衣類を洗いに行っていたらしい。薄らと赤くなっていた部分が綺麗になっている。
「ねぇ。前々から思ってたんだけど、あなたって女嫌いなの?」
わたしがオスカー王子に問いかけると、エイデンはふふっと笑いオスカー王子は頭を抱えた。
「あのさー。そういうこと、本人に面と向かって聞く?」
ため息交じりに言われて、わたしは身を引いてしまった。続けて言おうとした“そう尋ねた理由”が出てこない。
「そんな呆れた物言いしなくても。ざっくばらんなのもアリソンの良いところですよ」
ね。と言いながら、エイデンはポンっとわたしの肩を叩いた。それに背中を押されて、わたしは続ける。
「触れられたくないことならごめんなさい。で、でも! “わたし達が調べていること”のヒントになるかもしれなくて……。差し障りがなければ教えてほしいの」
オスカー王子はわたしとエイデンを交互に見た後、静かに続ける。
「嫌い、というか。怖いと思う、っていうのが正しいかな」
オスカー王子には姉や妹が複数人おり、女所帯で育ったらしい。その中で、女同士の争いや確執・裏での立ち居振る舞い等様々な面を見てきたらしい。それで“女性は恐ろしいものだ”と認識するようになったとのこと。
「俺たちに見せてる顔と本性は別の生き物だよな。まじ、怖い」
オスカー王子のその呟きに対し、エイデンはニコニコしながら「そこが女性の愛おしいところじゃないですか」と返す。オスカー王子は信じられないという顔でエイデンを見ている。
やっぱり、オスカー王子は女性が苦手なのね。理由は姉や妹達を見てきたから、かー。
――あれ。フレアヴァルム王国に王女っていたっけ? 王子だけの国だったような。
「それで、俺が女嫌いなのと“俺たちが調べていること”がどう繋がるんだ?」
オスカー王子のその質問に対し、わたしは朝食の後に場所を変えて話そうと返した。
朝食を終えたわたし達3人は、わたしの宿泊部屋へと移動した。そこでわたしは昨晩のジャズ・クラブで歌い手から聞いた目撃証言を口にする。そして、犯人と思われる人物の名前を――。
「犯人は、マリッサだと思うの」
そう。フラワーリングの中心で花を売る美少女。マリッサ・シアーズ。
エイデンは「なるほど、その可能性はありますね」と肯定的に答えた。だけど、オスカー王子は納得いかなそうな顔をしている。
「おや。女性が苦手なオスカーでも、言い寄ってくる女性はかばいたくなるものですか?」
揶揄するようにエイデンが尋ねると、オスカー王子は左右に首を振る。
「いや。アリソンとマリッサが友人関係なのは知っているが」
「友達じゃない。――腐れ縁、ね」
「ああ。その、腐れ縁だとして。どうして魔女だって知ってるんだ?」
一般的に、魔女はその正体を隠すものである。それが魔女同士であっても、無駄な争いを起こさないために隠すものだとされている。
「わたしとマリッサは同じ師匠の下で魔法の技術を習得したのよ。――先代の129代目エヴァジェンナ・レヴィの下で、ね」
目を白黒させるオスカー王子に、わたしは約束を取り付けた。オリビア王女が失踪していることはわたしとエイデンの胸にしまっておくから、オスカー王子もこれから話す「茨邸の魔女」の話は口外しないように、と。オスカー王子が頷いたので、わたしは「茨邸の魔女」の秘密を彼に話した。
「茨邸の魔女はね、2000年も生きていると言われているけど、違うのよ。外見の若さを保てなくなった頃に、別人へと引き継ぐ。だから、一代当たり15年前後“茨邸の魔女”でいるのかしら」
「茨邸の魔女」によっては一人の弟子を自分好みに育てるけれど、第129代目のエヴァジェンナ・レヴィは違った。5人の少女を弟子にし、誰が130代目のエヴァジェンナ・レヴィに相応しいか競わせた。その5人のうちの2人がわたしとマリッサだったのだ。
「マリッサにはね、特殊な能力があるの。彼女、他人の“最も苦手とするもの”を見抜く力があるのよ。――この意味、わかる?」
オスカー王子はしばし考え込んだ。数十秒後、ハッとする。
「だから、俺に色目使ってきたのか?」
「ええ。多分」
わたしがそう答えると、オスカー王子はおぞましいとでも言いたげに表情を歪めた。普段はクールなのに、女性が関わるところころと表情を変えて面白い。
「でも、先代にそういうイタズラはしないようにって叱られて以来、やって来なかったのよね。なんで今になってこんなにたくさん」
「たくさんってことは他にも事例があるのですか?」
エイデンに問われたので、わたしは数々の“不自然な出来事”について話した。
ロッテの足に彼女が最も苦手とするカエルが貼りついた事。
わたしにジュリアン様の女関係について話、絶望させた事。――そしてその直後、ダグラス卿への痴漢冤罪事件が発生した事。その痴漢冤罪事件は水の魔法で生じた手によってダグラス卿が転んだことで発生したのだから、ただの偶然とは思えない。
「なるほど。アリソンに魔法の詠唱を気づかれないよう気を反らした隙に、ってことですか」
わたしの考えを聞いたエイデンとオスカー王子が「マリッサの自宅に突入すること」を承諾したので、わたし達のこの日の予定は決まった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
朝は晴れ間が覗いていたものの、昼頃にはしとしとと小雨が降り始めた。
それはわたし達にとっては好都合だった。――ただ、この国には傘を差す文化がない。濡れてしまうのが困りものではあるけれど。
「閉店中のようだが」
マリッサの花屋の入り口に佇み、オスカー王子はそう尋ねてきた。
「ええそうよ。雨天はいつもお休みだから」
マリッサの自宅は花屋の上階にある。わたし達は花屋の裏側にある螺旋階段を上り、居住スペースの玄関へと移動する。呼び鈴を鳴らすとその数十秒後に、扉の向こう側からマリッサの声が聞こえてきた。わたしが名前を告げると、扉の鍵が外れた音がする。マリッサは雨に濡れるのが嫌だからか、わたし達に扉を開けるように言ってきた。
大丈夫だと思うものの、わたしは恐る恐る扉を開いた。するとそこには、笑顔でわたし達を出迎えるマリッサの姿があった。
「あら。ルイスも一緒だったの」
鈴を鳴らすような声を甘ったるく響かせる。マリッサはわたし達を室内へ入るように促し、どこかからタオルを持ってきた。マリッサはタオルをわたしやエイデンにはややぞんざいな感じで渡すと、オスカー王子の体を丁寧に拭き始める。
「いや。俺も自分で拭けるが」
「ふふ。照れちゃってかわいい」
ハートを飛ばしながら話すマリッサに対し、何故か嫌悪感がこみ上げてくる。わたしは近場にあった大きな花瓶を両手で持つと、その中身の水を思いっきりマリッサにかけた。
すると、マリッサの体を白い光が包む。光が止んだ刹那、マリッサの姿が露になる。スカートから除く足は魚の形に変わっており、七分丈の袖から除く腕は人の形ながら鱗に覆われている。
オスカー王子は目の前で繰り広げられる展開についていけないようで、口をあんぐりとしていた。
ゆっくりとこちらを振り返るマリッサの目には、怒りが宿っている。
「アリソン。――いえ、エヴァ。どういうつもりかしら?」
「彼にもマリッサが美魚族だって証明しなきゃ、正直には答えてくれない気がしたから」
わたしがエイデンに命じると、エイデンは詠唱を始める。
エイデンが詠唱を終えるとわたしの体を火が包む。その火が止むと、わたしはクロウブラックの髪にブラッディレッドの瞳を有したエヴァジェンナ・レヴィの姿に戻る。
「さあ答えなさい! 女の子達はどこにいるの!?」
わたしが強い口調でそう言うと、マリッサはとても美しい笑顔を称えた。




