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令和源氏物語  作者: 紫ゆかり
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魂の暴走

 香港は歴史的に闇医者が多いそうだ。

それにしてもこの堂々たる闇医者の営業ぶりはどうだろう。

雑多な看板の雑居ビル群の中で、ひときわ壮麗なビルになっている。

わたしは読んだ体験記の指示通りに、近くのコインロッカーに指定された商品を入れる。

袖の下として必要なようだ。

あの体験記も広告の一部なのだと感じながらも、指示された方法以外は思いつけない。

豪華なエントランスに入ると、思いのほかたくさんの人がいた。

受付も女性で客も女性ばかりだ。

すぐに若そうでそうでもなさそうなくたびれた女が声をかけてきた。

「这个故事是虚构的」

やや遅れて翻訳機が翻訳を始める。

「あんた日本人だね」

「私が代わりに産むよ。そうすればあんたのウェストは細いままだ」

わたしは足早に立ち去りながら答える。

「必要ないです」

受付をすませ通された待合室で、さっきの女について考える。


 セクサロイドの登場で売春は稼げない仕事になった。

低コストで美と若さを保持することができる者だけが利益を出せる。

そうでない者は生まれながらに備わった育てる能力を生かすか、生まれながらに備わった産む能力を使うかだ。

もう女を買っているのは女なのだと痛感する。

そんなことを考えていると診察室に通された。

「こちらへお掛けください」

日本語の堪能な女医だ。

よほど日本人の客が多いらしい。

女医はもはや年齢も原型も留めていないような目で、まっすぐわたしを見て話し始める。

「……クローンの説明をさせていただきます。

 クローンは性的に成熟するまえに寿命を迎えます。約10年です。

 成長促進剤を与えて通常の3倍の速度で成長します。

 早ければ2~3年でエレクトし、使い物になります。ただし発射はしません。

 成長痛に耐えられないため生命維持以外の知能はありません。言葉を発することもなし。

 寿命を迎える頃、急激に衰弱し始めます。

 体内にはチップが埋め込まれていて完全管理下にあります。

 クリニックの職員が向かい安楽死させて引き取る、そういう手筈になっています。

 ……なにか質問はありますか?」

わたしは体験記に書かれていたとおりにコインロッカーの鍵を差し出す。

「普通の子供のように、産んで育てたいのです」

女医は肺の空気を全部吐き出すかのようなため息をついて、こちらを睨む。

わたしは目を伏せて何度も反芻して出した答えを頭に浮かべる。

妊娠すればこの性衝動は治まる。

「明日から検査、部屋は9071号室。

 あなたとおなじような日本人ばかりのフロアよ、安心して」 


 案内された部屋は安眠ポッドがあるだけのシンプルな部屋だった。

「荷物はここに置いて、利用者様はこちらの服に着替えていただく決まりです。

 こちらのタブレットに診察の予約時間などが表示されますので従ってください。

 それ以外の時間は共用の施設で、ご自由に過ごしてくださってかまいません」

 荷物を置いて着替える。

検査中に着るような簡素なかぶりものだ。一日中これで過ごせというのか。

ビルの隙間を縫って窓から強い西日が差し込んでいた。

安眠ポッドに横たわってみる。

窓から転落防止用の金具の影が伸びて、わたしを囚人のように染上げる。

安眠ポッドは冷え切った足を暖めようとすぐさま足元の加熱を始める。

足の間で猫が寝ているような暖かさだ。

猫の寝相を空想しつつ暖かさを楽しんでいたら、いつのまにか眠りに落ちていた。


 目覚めるともう部屋は真っ暗だった。

とにかく真っ先に共用部分のトイレを目指す。

用を済ませてホッとしていると向かいのティールームから談笑する声が聞こえてきた。

ガラス越しにチェシャ猫のような女性がティーカップを傾ける仕草をしている。

喉の渇きを強烈に自覚したわたしは吸い込まれるようにティールームに入った。

「新入りさんね。私はヌッシー。

 常連でいつもいるからヌッシーと呼ばれてるのよ」

「私はゲソって呼んでね。ゲソが好きなの」

「私はたまちゃんって呼んでね」

「わ、わたしは……」

考えてなかった、ニックネームなんて。

たしかに本名を名乗りたくない人が多いだろうし、知りたくないだろう。

「わたしは……囚人番号9071ってかんじ?」

「フフッ、まだ治ってないのね。」

「いいじゃない、私だってフルネームだと多摩の狂犬(たまのきょうけん)我撫離獲瑠(ガブリエル)よ。

 仲良くできそうだわ。よろしくね、えっと囚人番号……」

「あなたポワっとしてるからポワレちゃんでいいんじゃないかしら?

 外はカリッ、中はふわっよ」

「ここにくる女性はみんな中がふわふわだわ」

「例外なのはヌッシーさんくらい」

「私はビジネスでやってるから。ここにいると全ての雑事から逃れて研究できる。

 生活費を賄えて、妊娠中のホルモンと感情の関係も分析できるし、

 お喋りしたくなればいつでも誰かがいるし最高よ。

 ポワレちゃんもこの期間になにか習得するといいわ、……語学とか」

「語学は必須になるわ、日本に連れて帰れないからね」

「ねね、誰を産むの? 私はあるロックスターなんだけど」

「……誰といわれても」

名前を出すわけにいかないし、なんと答えればいいだろう。

別れた恋人? 厳密に言うと自然消滅した恋人?

彼からしたらただの恋人の一人だったかもしれないけど、わたしにとっては運命の相手だった。

恋人なんて軽い言葉ではなく……。

考えあぐねていたが、やっとぴったりきた言葉が見つかった。

「一万回生きた猫がやっと巡り合えたけど運命が交差しなかった人」

「分類すると思い出にできなかった相手ね」

思い出にできなかった、と聞いて一気に涙が溢れ出してきた。

そうだ。思い出にできなかったんだ。

ピークエンドの法則に従い、ピークとエンドだけ残して整理されるはずだった記憶を、

デフラグで整理して箱に押し込み、封印した。

封印が解けると、ひとつひとつのエピソードが、写真のように鮮明に現れ感情が湧き起こる。

クローンじゃなくて、記憶消去のほうが正しかったのか?

「お酒を飲みましょ。

 お酒は思考能力を低下させて人間関係を好くする。

 判断能力も落ちてしまうのが玉にきずだけど」

「私はカルーアミルク」

「私はウィスキー、するめを取ってくるわ」

「ポワレちゃんもカルーアミルクにしなよ。つくってきてあげるね」

真夜中のお茶会は、新人歓迎パーティへと模様替えしていったのだった。


 それからというもの、わたしは記憶を思い出にする方法を探して過ごした。

ヌッシーさんは知らないと言う。

ゲソさんは思い出にする必要はないと言う。

たまちゃんはこれからクローンと思い出をつくるのだと言う。

その言葉に救われた気がして、少し落ち着いた頃、わたしはある人に連絡をとる決意を固めた。

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