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Farewell  作者: 松上遥
2/6

Blossom

 彼女はいつだって元気な女の子だった。それだけの特徴を持っている人なんていくらでもいるけれど、もはや彼女の代わりになりそうな人なんて見つからない。

 僕は彼女の目が好きだった。特に、ふと気を抜いた時だけに見せる暗さをたたえた瞳が大好きだった。なにが「いい」のかはよくわからないが、それに対する感情が「好き」しか出てこないのも不思議なものだ。

 そして彼女には遠慮がなかった。いい意味でも悪い意味でもそれがないと彼女は成り立たないくらいで、彼女らしさを決めつけているものだった。よく言えば行動力がある、悪く言えば後先考えない。そこについ惹かれてしまうのはきっと僕だけではない。

 先週まで肩の下まで伸びていた髪の毛が、その辺の男の子と同じくらいに短くなっていた。女性がバッサリと髪を切る理由によく失恋しただとかいうのがあるから、同じ車両に乗っていたから降りてすぐに声をかけた。髪を切っていようがいまいが彼女はおしゃべりだから誰にでも声をかけるので、きっと話しかけまいが談笑しながら学校まで歩いていくことになったのだろうが。

 彼女はぱっとこっちを振り返った。手には四日後の小テストの範囲の部分が開かれている英単語帳があった。

 その目にはちょっとだけ、動揺。

「おはよ、和田くん」声色だけはいつもと同じだった。まだ違和感の残る彼女の髪の毛をみていたのがばれたのだろう、「あー」と彼女はからりと笑ってみせる。

「…そんなに変かな?」

「えっ、別に、へんじゃないけど、まだ慣れないかな…」

 じっと見られているのが耐え切れないのか、彼女はついと視線を逸らす。その瞬間下りの階段を一段目から踏み外して、彼女の体がぐらりと傾く。

 一瞬びっくりはしたけど、この事態に特別驚いたわけでもなかった。彼女はそういうことをよくしでかす人だったから。

 とっさに彼女の腕を掴み、もう片方の手を腰あたりに回す。やけにゆっくり流れる時間の中で彼女の手から英単語帳が落ちていくのが見えた。彼女の片足から力が抜けたのがわかった。仕方ない、無理やりその怯んだ体を抱き寄せて、その場に踏みとどまる。

 周りの人が息をのんでこっちを見ていたのがわかった。また元通りに時間が動き始めたとき、彼女の弱々しい呻き声が僕の耳をかすめた。

 竦んでしまって自力で立てなくなった彼女をどうにか階段から離れたところに連れていき、階段の下に落ちた単語帳を取ってきてくれたスーツを着た人にお礼をした。

「いやあ、ごめんね…」泣きそうに、震えた声がした。すぐにそんな声になるのも彼女らしかった。

「いいんだよ、狩野さんがよくこうやってドジするのは慣れてるし」

 彼女は柔らかそうな下唇をやんわりと噛んで、斜め下を見て、また僕を見た。

「…ほんと、恥ずかし…」

 彼女はもうちゃんと歩けるようだった。不可抗力とはいえ密着してしまったことに動揺しているのはどうやら僕だけらしかった。そのことを気に留めていては彼女らしくないのがもっともだが。

 彼女と二人きりで登校できたというのは四月に入って初めての快挙だった。彼女と去年同じクラスで一年過ごして、なんやかんや接点を持てて仲良くなれたかもしれないのは正直ちょっとだけ嬉しいというのはほかの人には内緒だ。

「さっきはありがとう、私、重くなかった?」

 その笑顔はさっそく無邪気な子供のようだった、と言ってもその当時の年は十分子供だったのだけど。

「重くなかったよ、いつも部活で筋トレしてるから」

「…あはは、和田くんがいてくれてほんとうによかった」

 少し弱々しい息いっぱいの声、少し闇がさした瞳。それが、僕の大好きな顔。

 一拍遅れて僕の胸のあたりがきゅっと締め付けられる感覚がした。

「そういえば、髪…」

 照れて必死に話題を逸らした言葉に、せっかく染まっていた彼女の目に光が入ってしまう。彼女の頭の上でちょうど桜が散っていて、何枚か頭や肩に乗ったり、落ちたり。なんだか新学期の彼女は祝福されているようで、今月から後輩ができる彼女のことを親目線で嬉しく思ったりする。

「邪魔になっちゃったの。だけどちょっと幼く見えちゃって、やっちゃったなあって」

「そうだね、先週よりかなり幼く見える」

「そんなにかぁ~」

 彼女は困った表情のまま微笑んでみせた。

 後ろから自転車通学の生徒が二、三人、歩いている僕たちを追い抜いて行った。僕たちはたいていいつも早すぎる時間に登校していた。いつもなら彼女と一緒に歩いていく友達は、今日は早起きできなかったのか多分遅い電車でくるんだろう。

「あ」

 彼女が上目遣いで僕の顔のほうを見る。

 僕が耐え切れないくらい緊張を覚えるのも、気づくはずもなく。

 細い腕が、さっき僕に掴まれていた柔い腕がすっと伸びて、僕の視界の上に手が届く。

「前髪にこれついてた」

 丸かった目が細められる。

 仕返し、してやろうと思った。

 僕に近いほうの反対側の肩に後ろから手を伸ばす。

 耳に息がかかるくらいまで近づいて、そっと指でとってやる。

「肩についてた」

 彼女の目がまた開かれる。

「人のこと、言えないね」

 そこにあるのは無邪気な微笑み、だけ。

 どうせ、彼女は僕が何をしたって、きんちょうのきの字すら自覚しないのだ。


 悔しい、とかいう強引な感情の、一歩手前。


 熱を持つ顔を彼女に向けるのが、情けない。僕はどんなに努力しても、彼女は気づくはずないのだ。そのまま彼女は目いっぱいに桜色の光をたたえて、春休みの課題が多いだとか、部活の歓迎会に来た新入生が可愛いだとか嬉々として話す。足は跳ねたり、指は踊ったり。瞳はキラキラの世界に泳いだり。こういうときの彼女の体はいつも、とにかく忙しそうにする。

 口からこぼれてしまいそうなくらい、いとおしい。そして、望みもなしにあこがれる。

 後ろから追い越していく高校生が彼女におはようと呼びかける。人脈の多い彼女だからか、おそらく部活もクラスも同じではない人だけど仲がよさそうな間柄のひとどうしがする会話をしたりする。いまだって「この前借りた本後で持ってくねー」とか。こんな時につくづく、僕は彼女の世界の中のちっぽけな一人でしかないのだと思い知る。僕の世界の大部分は彼女によって構成されているといっても、それは、たぶん過言だけど。

「ああ、ごめんね和田くん、それでね、ええと…」

 きょろきょろと目を泳がせてさっきまで僕と話していた内容を必死に思い出して、ぱっと僕に照準を戻す。

「そうだ、それで南先生がー」

 この彼女の笑顔が僕に向けられるのを、これ以上は望まないようにしよう。欲張らないように気を付けないと、きっと後戻りできなくなるから。



 教室に着くと彼女はすぐにクラスメイトに呼ばれて笑い始める。うるさすぎないころころとした笑い声はすぐに僕の遠くで聞こえるようになる。髪切ったのー、そうなの、似合ってるかなぁ、うれしい、さっきまでそれが隣にあったのが非日常だった自覚が追い付いて、僕は大人しく本を開く。今日は朝からいろんなものが僕を刺激して、殴るくらいの衝撃で僕を振り回す運命にそっとため息を漏らす。誰にも届くはずがない、無論あの人になんて。

 高校生においてモテる男性というのには、どういう定義があるのかまだよくわかっていない。二年生になってちらほらそういう人がいたりいなかったりするが、その「彼氏」と呼ばれるような人にはどんな共通点があるのかさえ分からない。デビューして今を楽しんでいるような見た目をしている人や、部活に勉強に手を抜かずコミュ力の高い人、サッカー部員として王道のモテ方の末綺麗なマネージャーと付き合う人。無論勉強が本文の学生たちの中では恋人を持たない人の方が多いけど、それでも羨ましいと思わずにいられないのはどうしてだろう。

 彼女に恋人がいるのかとか、好きな人がいるかとかは、聞いたことがない。彼女はいつも自分以外の誰かの人生を観察して楽しんでいる。女子は恋愛話に花を咲かせがちと聞いたことがあるが、彼女のそれは一味違う。他人と他人の関係性について満足するまで質問して、人となりについて只管問いただして、満足を覚えて楽しそうな目をして見せる。自分のことはあまり話そうとせず、世の中にありふれた人間関係だけでひとに話を合わせるのが得意そうに窺える。だから彼女の恋愛観はそんなにわからない。そもそもあるものかも彼女は悟らせない。悟らせまいとしているのか、それとも無意識はわからないが、そんな話のときはいつも目がきらきらと輝いている。彼女についての噂は一向に立つはずもない。ちゃんと顔だってかわいくて、振る舞いも軽やかで性格も申し分なし、真面目で成績もそこそこ。恋人とか作ろうとすればすぐ作れるくせに、浮ついた噂も立てようとすればいくらでも。

 気づけばそうやってひたすら彼女のことばかり考えている。自分でもときどき気持ち悪いもんだと思う。純粋な恋にしては盲目であることに欠けて、燃え上がることもなく冷静に遠くから彼女を見ているのが常だ。諦めみたいなものが前提だから、だろうか。

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