空を漂う幽霊船
船は、空を泳いでいた。
そして、故障か、何の偶然か。
意図せず落下した錨は雲を貫き、大地に絡まり、この空の一点に縫い止めた。
進むこともできす、ただ漂うだけの存在に。
人類の天敵、愉快な知的でいながら、自律型兵器バーピック。
街を焼き、大地を蹂躙し、空すら奪った。
だが、人類が地上から消えたいま、彼らもまた戦いの亡霊となった。
もはや戦う理由も、命令もほとんどない。
細々とした戦闘はあれど、多くは相反する暇という概念に捕らわれていた。
この船も、外観から仲間からも敵からも「幽霊船」と呼ばれていた。
今までもやることがなく空に漂っていたが、今では完全に座礁している。
誰も来ない。
誰も助けない。
誰も、倒しに来ない。
幽霊船の下、地上には牧場があった。
落ちてきた錨に一時は驚いていたが、無害だと知ると牛たちが草を食べ、鳴いた。
今となっては人類が残した営みの残滓。
何の皮肉か、兵器である幽霊船にとって、地上の牧場を見下ろすことだけが娯楽となった。
そして3日後、幽霊船は気づく。
牧場の遠くにはカメラが設置されている。
人類の残党が、今もこの地を監視しているのだと。
これから過ぎる長い時間の中では、それはほんの一瞬の出来事だった。
2 years later…
仲間のゴーレムが、遠くの空を横切った。
視界に入ったはずなのに、何も言わない。
無視なのか、壊れているのか。
多分、みんなどこか壊れているのだろう。
何しろ、やることもないのだから。
戦闘にのみ特化した自律的思考は、暇には適していないのだから。
雲の向こうに消えていく背中を、幽霊船は見送った。
あちらには、まだ動ける自由がある。
こちらは、空に縫い付けられ漂う抜け殻。
ただ、せめて錨を戻してくれれば良かったと思った。
The next 3 years later…
月が出ていた。今日は満月。
甲板を照らすその光が、なぜか懐かしく感じた。
そして、月を見ていると、ふと犬の姿に見えてきた。
錨を落とした、あの日。
地上では黒い犬がこちらを見上げていた。
逃げもせず、ただ吠えていた。
だが、犬と称しているが、月から連想しているだけに本物の犬ではない。
混沌、カオスの権化、コントン。
事象、因果すらねじ曲げ、歪める、バーピックの異端。
錨が落ちたのも、こいつのせいだったのか?
幾度も錨が落ちた理由をシミュレーションに重ねても、正解は割り出せなかった。
だが、因果の操作を仮説に置けば、説明はつく。
けれど、それを証明する証拠など、もう残っていないだろう。
そう思うと怒りは湧く。
だが、怒っても何も変わらない。
The next next 2 years later…
ある夜、翼を持つ竜、ワイバーンが近づいてきた。
明確な意図をもって、こちらに。
全バーピックが共有するネットワークではなく、独自の通信チャネルで交信を求めてきた。
幽霊船が応答すると、声が響いた。
「おまえ、さみしいのだろう?」
あくまでバーピックの会話を要約したモノになるが、そのような会話である。
「……さみしい?」
幽霊船は、聞いた言葉を咀嚼した。
怒り恨みはあれど、さみしいと思ったことはなかった。
いや、いわれれば、そうとも言えるか。
「他の連中は退屈しのぎに独自のチャンネルで会話している。だがおまえは、それすら参加ができない」
「ああ、このざまだからな」
巨体だけに見せつけなくとも分かるが、空に縫い付けられた自身の姿を揺らし見せつけた。
「なら、連絡してみるといい。似たような頑固者のコードを教えてやる」
そう語るだけ語ってワイバーンは笑って、星の彼方へ飛び去った。
文字通り、宇宙へ、と。
幽霊船はそのコードを解析し、送信する。
返ってきたのは、途切れ途切れの声。
「……空は……いいな。俺は……宇宙……闇の中を……ありもしないモノを……探している」
幽霊船は考え、言葉を選んだ。
それはある意味、初めて選んだ自身の言葉だった。
「しかし、そちらの夜も……悪くないのだろう?」
「……ああ、そうだな」
そう相手は答えてくれた。
後に知った、その声の主はオーディン。
仲間の中でも戦場を渡り歩いた唯一の個体。人類からもその戦いぶりと見た目から「戦神」の名を与えられた。
だが、彼もまた、戦いを終えた世界では居場所を失った。
今は、宇宙を漂い、ありもしない「何か」を探す命令を受けたとか。ついでに「存在理由」も探しているとも語っていた。
その後も定期的にオーディンと連絡を取り合うようになった。
後、どうせならワイバーンもコミュニティだけでなく、錨を戻してくれれば良かったとは思った。
これもコントンの仕業か。
そうだとしても、もう、どうでもいい。
退屈は、ほんの少しだけ、和らいのだから。
The next next next 5 years later…
時は、牧場の色を何度も変えた。
緑、金、白。
世界が呼吸しているようだった。
幽霊船は考え始めた。
改めて、自分は何者なのか。
兵器か、漂う墓標か、それとも、残響か。
空の中で、海を想う。
幽霊船と呼ばれようとも、姿は船。
ならば、せめて海を漂いたかった。
潮の香りも、波の音も知らないまま、空で錆びていくなんて、冗談ではない。
Many years later…
数えるのをやめていた。
けれど、経過時間、記録、演算すれば分かる。
――10253日目
しかし、思い出しても何にもならない。
地上の牧場は今も息づいている。
眺めていても退屈しない。
人類の残滓だったはずが、今ではバーピックが牧場を維持している。
時たま、牛1頭ごと持って行くこともある。
そして、牛乳だって搾っていく。
だが、何に使うのかは知らない。
ステーキか、ケーキか。
食べられないくせに、美味しそうに思えた。
そうか、ゆえにここにカメラがあるのか。
ここは多くのバーピックが通る道。
人類は監視していたのだ。安全のために。
Half a century Later…
錨を落とした頃、境遇に対し恨み辛みでしかなかった。
しまいには縛り付けている、この大地、地球が敵に思えた。
あれから50年。
怒りはまるで潮が引くように消えていた。
海の底のように静寂だけが、残った。
世界を恨んでいたはずなのに、今は世界から忘れられたようで、どこか寂しい。
移り変わる世界は好きになっていた。
ときどき、オーディンも語り合う。
まれに近くに寄ってくるモノもいた。
だが、二度と姿を見せることはなかった。
どこへ、行ったのだろうか。
今日は珍しく、下の世界に人影が見えた。本当に人の姿だ。
それは遠くであっても視認ができる距離。少女達もこちらを見上げている。
かつての幽霊船なら、攻撃していたかもしれない。
今はただ、観測するだけ。
少女達の方も攻撃しないことから静観を決めている。
何しろ自分達よりも遙かに巨大な姿。
持っている銃だけで破壊できると思ってもいない。
それでも少女達の瞳に宿る光が、何かを訴えていた。
そう、少女達には50年程度で静けさが取り戻せるわけではない。
いや、心の静けさを得たのは留まっていた50年の話。
絶望的なモラトリアムの終末。それでもわずかな猶予は希望となりえた。
再び、地上を取り戻さんと。
人間は、まだ絶滅していなかった。
少女達はカメラを調整して、去っていった。
次に来るのは、50年よりも先になるだろうか。
いっそ、カメラを壊して、誘ってみるか。
いや、あちらも兵器を持ってきて、こちらが沈没するだけだろう。
A Century Later…
100年目。
特殊な装甲にも錆びが出てきた。
更に甲板は鳥たちの巣になった。
こうなってはいずれ、体は朽ちてしまうかもしれない。
ただ、それは数百年程度ではあり得ない話。数千年先の話か。
それもそれで良いと思った。
幽霊船は鳥たちの声を聞きながら、空に留まった。
最近、オーディンとの交信は余りない。
向こうも何か忙しいことに、なっているらしい。
もしかして、「何か」を見つけたのかもしれない。
また、朽ちた体に誘われたのか、コイドラゴンが襲ってくる様になった。
だが、動く砲をひとつ撃てば、去っていく。
静かに朽ちるかもしれないのに、退屈がしない日々だ。
Long long, one hundred and fifty years later…
夜、夢を見た。
そこには、多くのバーピックの姿があった。
「お前、まだ飛んでいるのか」
「……ああ、まだな」
それが夢だと知りながら、皆に幽霊船は答え続けた。
終わりが近いことを知らす、幻なのか。
まだ牧場は営みを続ける。
まだ甲板の鳥たちは宿り木に。
愛しき時。
Finally… 200 Years Later…
そして、200年の時が過ぎた。
また夢を見ていた。
光、燃える海、砕けた鋼、沈む艦、そして、耐える艦。さらに光。
その果てに、海底に眠る古の船団があった。
その1隻、朽ちた船首は大きく壊れ、海藻が絡みついて怪物のように見えた。
幽霊船はその姿に微笑んだ。
思い出した。いや、それは自身の記憶ではない。
海底に沈んだ軍艦の残響。
その魂を継ぐ機械の亡霊。
滅びのために造られ、いま、夢を見る存在。
「沈んでもなお、空を、渚を見続けた。かつての私……だった」
幽霊船は錨を上げた。
200年ぶりの風が、甲板を渡る。
宿り木にしていた鳥たちも飛び立つ。
もはや因果に縛られることはない。
誰に見送られることもなく、星と月だけがその航跡を照らしていた。
空を漂う幽霊船は、再び出港した。
滅びの果てに見いだされた、ひとつの祈りの形。
破壊のために造られた機械が、今、古き艦名を背負い、“艦”となった。




