第8話
「森人……」
オズワルド先生の言葉を復唱した私に、彼はこくりと頷いた。
聞いたことがある。森の守護者になることと引き換えに、その森の精霊の加護を授けられた種族――それが森人だったはずだ。
山や海、森や湖など自然の豊かな地では、その地に宿る魔力が意思を持って現れることがある。
世間ではそれらを『精霊』と呼んでいて、恵みをもたらすありがたい存在であるとする説もあれば、災いを招く厄介な存在であるとする説もある。
どちらであるかは未だ立証されておらず、種族や地域によってその扱いは様々だ。
私とオズワルド先生がいるこの森が『精霊の森』と呼ばれていることからもわかる通り、この場所には地下の龍脈から質の良い魔力が絶えず供給されるため、多くの精霊が現れると言われている。
しかし私の村では、精霊は決して良いものとしては見られていなかった。私個人としては、特に恩恵も災いも被っていないため、どちらなのかわからないというのが正直なところだったけれど。
「森人を見るのは初めてかな?」
「……はい。なんというか、耳以外は人間とほとんど見た目が変わらないんですね」
黒いリング状のピアスがついた長い左耳。
今まで長髪に隠れて見えていなかったけれど、その存在感は抜群だった。
このメーレア連邦国には、独自の施政権を行使することのできる領地を持った七大種族と、それ以外の少数民族が存在している。
七大種族はそれぞれの領地に住み分けていて、その他の少数民族はどの種族の領地にもなっていない中立地域で暮らしていることが多い。
人間の領地は、島国であるメーレア連邦国の中でも最も北に位置している。
人間は他の種族と違って魔法を扱うことができない分劣っていると思われがちだけれど、その圧倒的人口の多さ故に七大種族の一角を担うに至った。
私の村は人間領の中では最南端で、この精霊の森を含めてさらに南は中立地域になっているらしい。
しかし精霊の森はオズワルド先生の結界によって通り抜けることができない。
南の地域に行くためには森を迂回して山脈を越える必要があり、この地理的不利な条件によって人間と他種族は余計な火花を散らすことなく済んでいると聞いたことがある。
ひょっとして、そんな重要な結界を一人で張り巡らせているオズワルド先生は、実はお医者様どころかもっとすごいお人なのではないだろうか……。
精霊の森を抜けて南下し続けるとさらに広大な森林地帯があって、確かそこが森人領だったはずだ。
森人は魔法の扱いに長けていて、長い寿命からもわかる通り生命力が強い。
これらを武器に内戦でも比較的優位に立った彼らも七大種族の一角となったのだけれど、基本的には争いを好まない種族であるらしい。
それにしても、なんだか不思議な感覚だ。
いくら平和的な種族とはいえ、人間が和平協定を拒否し続け、今も人間だけが他種族と敵対していることはオズワルド先生も知っているはず。
それなのになぜ、オズワルド先生はこんなに落ち着いているのだろう。
森人である彼には、魔法も使えない人間の小娘一人などいつでも蹂躙できるという余裕があるのだろうか。それとも彼は、敵対関係であるとはいえ患者である私を労わることが、医者として当然だと思っているのだろうか。
落ち着いていると言えば、それは私も同じだ。
命の恩人である彼に、私は早くも気を許しているのだろうか。それとも、味方であるはずの村人たちから散々ひどい扱いを受けた結果、人間という種族を見限ってしまったのだろうか。
オズワルド先生がどう考えているかはわからないけれど、少なくとも私に関しては前者であると思う。というより、そうであると思いたい。
「ねえ、ミレーユ。次は僕から聞いてもいいかな」
「は、はい! なんですか?」
オズワルド先生に不意に呼びかけられて身体が小さく跳ねる。
できれば『君』って呼んで欲しい。そんな優しい声で私の名前を呼ばれると、なんだか懐かしくも切ないような感じがするのだけれど。
「君の村の住人たちは、村に蔓延する疫病を僕の仕業だと思い込んでいると、そう言ったよね」
「それは……はい……」
その話題を持ち出されると極まりが悪い。
何の根拠もないというのに、オズワルド先生は村人殺しの犯人のような扱いをされているのだ。彼が憤っていても仕方がない。
「で、でも、それは村の人たちが勝手に言っているだけで……。先生は私を助けてくださいましたし、そんなことをする方じゃないというのはわかっているつもりです。ですので少なくとも私は、先生があの疫病をばらまいたなんて話を信じたりは――」
「――いやいや、それはいいんだ。誰も責めるつもりはないよ。君も、村の住人たちもね」
オズワルド先生の怒りの矛先が自分に向くのだろうか、なんて不安で胸の中が埋め尽くされていた私は、あれこれと言い訳じみたことをつい口走っていた。
ところがオズワルド先生の様子を見る限り、どうやらそれは杞憂だったらしい。
「何の疫病が蔓延してるのかは知らないけど、それが僕の仕業じゃないことは、森の精霊に誓って本当だ。断言するよ」
「はい……。あっ、そうだ!」
私はひらめいて、俯いていた顔を上げた。
オズワルド先生は、私が次に何を言い出すのかを楽しんでいるような表情だ。
「お医者様である先生なら、あの疫病を治せるのではないですか……!?」
ところが、彼の楽しげな顔は私の発言で曇ってしまった。
何かまずいことでも言ってしまっただろうか、と自分の発言を省みる。
しかし、オズワルド先生が医者であると知った以上、私の考えは当然のものだと思う。なぜ彼はそんなにも極まりの悪そうな顔をしているのだろう。
「……それは、あまりおすすめできない」
オズワルド先生は自分のカップの中身を飲み干すと、それをテーブルに置いて私と向き合った。
キリリと引き締まった真剣な表情に、ベッドに腰かけている私も自然にかしこまって背筋が伸びた。