第37話
ディオンさんに続いて、オズワルド先生が「失礼」と断ってカーテンをくぐる。もちろん私はその背後に隠れるように立ったままだ。
貴族のお嬢様と顔を合わせるなんて本当に恐れ多すぎる。そもそも奴隷の私がこんなところに来ることになるなんて、最初に言ってくれれば絶対に留守番してたのに……!
「僕はオズワルド。ディオンから聞いてると思うけど、一応名乗っておこう」
「シンシアです。この度はよろしくお願いしますね、オズワルド先生」
そうしてシンシアさんは左手を差し出した。握手を求めているのだろうけれど、彼女は左利きなのだろうか。
それを見たオズワルド先生は何のためらいもなく握手に応える。その左手は手袋をしていない、寄生植物の義手だ。
「まあ、この手はどうなっているのかしら?」
「驚かせてしまったなら謝ろう。僕の左手は義手なんだ」
「蔓か何かで編んでいるのね? 素敵です! さすがは森に愛された種族だわ」
あの義手を初めて見たとき、私はあんなにも驚いたというのに、シンシアさんはあまり動じていない。
なんというか、私なんかとは気品が違いすぎる。大人の女性ってすごい。劣等感しか抱かない。
「それで、後ろの方は?」
「ひッ!?」
こっそり様子を見つつもオズワルド先生の背後に隠れていたのに、その一言が私に向けられたものだと気づいて身体が跳ねた。
できれば私の存在には触れないで欲しかった。空気か何かだと思ってくれて構わなかったのだけれど、そういうわけにもいかないらしい。
「ああ、彼女はミレーユ。僕の助手なんだけど、まだいろいろと慣れてなくて緊張してるみたいなんだ」
「そうでしたか。どうぞ楽にしてちょうだい」
「は、はい……!」
そう言われてできるなら苦労はしないし、最初からしている。
もう何を言っても失言になる気がして、「はい」しか口にできない。
ああ、情けない。こんなのがあのオズワルド先生の助手だと紹介されるなんて……。
「ん? 少しこちらに顔を出してもらってもいいかしら、助手さん?」
「は、はひッ!」
なぜだかわからないけれど私は呼び出されてしまった。もしかしてもう粗相をしてしまっただろうか。怒られるのだろうか???
私の隠れ蓑であるオズワルド先生がすっと身体をずらして、私とシンシアさんの視線がバチリとぶつかる。このとき私はようやく、シンシアさんの姿をしっかりと目にしたのだった。
紺の髪は少しうねっていて長い。頭の上には髪の毛と同じ色の耳がついているけれど、これは猫か何かのものだろうか?
いかにも性格が穏やかそうな垂れ目で眉毛は太め。病気のせいで痩せているのか、顔は小さく肩や腕もほっそりとしている。
そして私なんかでも何より不自然だと気づけたのは、彼女の肌の色が極端に黄色くなっていることだった。
「うーん。やっぱり」
「なん……でしょうか……?」
私のことをじっくりと観察したシンシアさんは、何かに確信を持ったように頷いた。
「獣人でも森人でもない。あなた、人間ね?」
「あっ、えと……! は、はい、その通りです……すみません!」
シンシアさんの指摘に動揺し、私は思わず頭を下げた。
メーレア連邦国に住むあらゆる種族の中で、唯一鎖国的政策を行い他種族を排斥する動きを見せる人間。
彼らにとって人間以外の種族は内戦で戦った憎むべき敵だ。そしてそのような危険な思想を持つ人間を、他種族はあまり歓迎しない傾向にある。
しかしどうしてわかったのだろう。私は帽子を被ったままであるし、獣人と見分けをつけるのは難しいのではなかっただろうか。
いや、今はとにかく謝らないと。今の私はそんな衝動に突き動かされていた。
シンシアさんに敵意がないことだけはなにがなんでも伝えておかなければならない。
人間とそれ以外の種族の関係は良好ではないのだ。ちょっとした火花が大火事に発展することも少なくない。こんなことでオズワルド先生に迷惑をかけるわけにはいかないのだから。
「あらあら、どうしましょう。別に謝って欲しいわけじゃなかったのよ助手さん。ごめんなさいね」
私が恐る恐る顔を上げると、オズワルド先生もディオンさんもシンシアさんも、かなり困惑した表情を浮かべていた。
あれ、これはもしかして、私またやらかした……? そんな予感がしないこともない雰囲気だ。
「私、人間の方と会うのは初めてだから、つい興味が湧いてしまっただけなの。人間であるというだけであなたを否定しようなんて思っていないし、あなたから否定されるとも思っていないから、どうか安心してちょうだい」
「は、い……ありがとうございます……」
微笑んでくれたシンシアさんに、少しだけ安心感を覚えた。
どうやら私が人間であるというだけであれこれ判断されることはないみたい。
私とシンシアさんがそんなやり取りをしている間、オズワルド先生とディオンさんはなにかこそこそと内緒話をしている。
こんなときにまた私をからかおうと悪だくみでもしているのだろうか。正直今やられると精神的によくないのだけれど……。
「よし、ミレーユちゃん。俺、ちょっと街に出る用事ができたからよ。一緒に来てくれねえか?」
「えっ、私もですか?」
オズワルド先生と一体何を話したのか、ディオンさんは唐突に私を誘って屋敷を出ようとし始めた。
私はどうすればいいのだろう。本当ならオズワルド先生のところで診察の手伝いをしないといけないのに。
まあ、奴隷の私がこのお屋敷にいるのはかなり極まりが悪いし、お手伝いだってちゃんとできるとは思えないから、私がなんかが残っていても仕方ないのだけれど。
ちらりとオズワルド先生の方を見る。
彼はいつもの優しい笑顔でこくりと私に頷いて合図した。どうやらディオンさんについていけということらしい。
「じゃあ……はい、わかりました」
私がそう答えると、ディオンさんはニカッと笑って歩き出した。
なんだか妙な引っ掛かりを胸に抱えたままで、私はオズワルド先生の視線を背中に感じながらディオンさんに続いて屋敷を出たのだった。