第22話
「はい」
「ありがとうございます」
私が使わせてもらっている部屋。
オズワルド先生は私の腕の傷の手当てが終わると、また温かいミルクを差し出してくれた。
瞼がずっしりと重い。あれからしばらく泣きっぱなしだったのだから無理もないだろう。
そんな私にオズワルド先生はただ黙って付き合ってくれた。なんというか、少し申し訳ないような気持ちはするけれど、おかげでとても気が楽になったのも事実だ。
「すみませんでした。先生の服、汚してしまって……」
「ははは。あんなの汚れたうちには入らないさ。それよりも、君が素直になってくれたことのほうが、僕は嬉しかったよ」
「……お恥ずかしいです」
まんまと先生の思惑通り、隠していた感情を吐露させられた私。本当にいろいろな意味で彼には敵いそうにない。
気恥ずかしさを誤魔化そうとミルクをすすると、その温かさが喉から胸へ通り抜けていく。それがさらに私の心を落ち着かせてくれるような気がして、私はもう一度カップを口に運んだ。
そのとき、ベッドに腰かけた私の太ももの上で何かが蠢いた。
視線を落とすと、小さな三角頭巾が真っ赤な頭を揺らして私の顔を見上げていた。
「あっ、ノームちゃん」
私がそっと指を差し伸べると、ノームは指にぎゅっと抱き着いてきた。
そしてそのまま私の手をそっと撫でてくれている。精霊であるノームに触れても、私の手には何も感じないのだけれどね。
「ふふ。心配してくれてるの? ありがとう。でも大丈夫。先生が慰めてくださったから」
わざとオズワルド先生にも聞こえる声で言ったのだけれど、彼は何も答えなかった。
私に向けられた背中には、僕は何もしてないよ、とでも書いてありそうな気がして笑ってしまう。
私が素直じゃなかったことは認める。でも、先生だって人のことは言えないんじゃないか、って思うな。
「そうだ、先生。私、先生に大事なことをお話ししないといけませんでした」
「うん、わかってる。君の今後についてなら心配はいらない。大きな街に行って教会に駆け込めば、君みたいな身寄りのない子は成人するまで身柄を預かってもらえるはずだから――」
「――あ、いえ。その話もなんですけど、もっと大事なことです」
私がそう述べると、振り向いたオズワルド先生は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
それになんだか不思議そうな顔にも見える。それの他に大事な話なんてあっただろうか、とでも言いたそうな表情だ。
「私は先生に傷の手当てをしていただきました。さらに言えば、二度も命を助けていただきました。私はその分のご恩をお返ししなければなりません。お医者様にかかった患者が報酬をお渡しするのは当然の義務ですから。そうでしょう、先生?」
そう。私はオズワルド先生に、大きすぎるくらいの恩を受けているのだ。
狼に襲われそうなところを救われ、村人たちから受けた全身の傷を治してもらい、疫病に倒れた私のために薬も調合してくださった。
それだけではなく、私が村を救いたいという我が儘にも付き合ってくださったのだ。私なんかに何ができるのかと言われればそれは疑問でしかないけれど、それでも何かお返ししなければ罰が当たってしまう。
背筋を伸ばしてかしこまった私が問うと、オズワルド先生は随分極まりの悪そうな顔をして頭を掻いた。
そして少し考え込む仕草を見せたあとで、彼は再び私に背を向けて壁と向き合ってしまった。
「……どうして言っちゃうかなあ……。黙っててくれればもらい忘れたことにしようと思ってたのに」
「なッ!? そういうわけにはいきません! 私がそれで納得するとお思いですか!?」
「ほら、こうなった。君の性格を考えたら絶対そう言うに決まってる。だからこの話はしたくなかったんだよ……」
思わず立ち上がり、頬を膨らまして睨みつけてやると、オズワルド先生がじりじりとたじろいだ。
彼に何を言われたって、これだけは絶対に譲れない。あれだけ迷惑と心配をかけて、あれだけの恩を受けておきながら何も返さずにさよならなんて、そんなことしたら一生そのことを思い悩むに決まっている。
そんな私の意志を汲み取ったのか、オズワルド先生は大きなため息をついて私と再び向き合った。
「忘れてた、じゃもう済まされないか。だったらこの際、下手な誤魔化しはなしで請求するから覚悟するんだね、ミレーユ」
「もちろんです。誤魔化したりしたら本気で怒りますからね、先生」
オズワルド先生の表情が凛と引き締まる。それに応えて私も凛と立つ。
喧嘩しているわけでもないのに睨み合い。少しの間そのまま沈黙したあとで、オズワルド先生が口を開いた。
「正直に言うとね、ミレーユ。僕が君に請求すべき報酬は、とても君には払えないほど高額だ。しかも君は今、一文無しなんだろう」
「……うぅ、それは……わかってます」
予想はしていた。
全身の怪我の治療、疫病の診察、治療薬の調合――それも私だけでなく村人たちの分まですべて。
他にも服だったり寝泊まりだったり、挙げ始めたらきりがない。正直な話、働いて働いてこれらをすべて支払おうと思っても何年かかるかわからない。
「だったら――」
だから私は、気が付くと咄嗟にこんなことを口走っていた。
「――だったら、私をここに置いてはくださいませんか……ッ?」