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第20話

 自然と足が早まっていく。

 足場の悪い森の中で何度も躓きそうになりながら、大きな旅行鞄を抱えた私は村を目指して駆けていた。


 鞄の中身は例の疫病の治療薬が約三十人分。きっと村の患者全員を救うのに事足りるはずだ。

 早く、早く、早く……! 私が薬を村に届けて、みんなを安心させてあげないと!

 選択肢は間違えてしまったけれど、オズワルド先生の助けがあったおかげでここまでくることができたのだ。何が何でも村を救わなければ、彼にも合わせる顔がない……!


「あの……ッ!」


「あん?」


 やっとの思いで村に辿り着いた私は、肩で息を整えながら村人に声をかけた。

 ぶっきらぼうな返事は左腕を首から吊った男。私が最初に説得しに来たときに話をした人物だった。


「お前、また性懲りもなく――」


「――これ……ッ!」


 やはり不愉快そうな表情を浮かべた男に、私は勢いよく旅行鞄を突き出した。

 男は何を渡されたのかわかっておらず、一応受け取りはしたものの見るからに困惑していた。


「見つけてきました……疫病の薬です……! 私も同じ病気になりましたけど、その薬でよくなったんです。たくさんありますから、苦しんでいる方々で分け合って飲んでください。これでみんな、助かりますから……!」


 ここでオズワルド先生の名前を出せないのはとても悔しい。

 この薬は彼が調合してくださったものなのに、森人(エルフ)の魔法使いが作ったなどと話せば絶対に受け取ってはもらえないだろう。

 というか、『森の魔法使い』と通じているというだけで私すら信用されていない。それを理由に村人たちがこの薬を拒むようなことがあれば、今度こそこの村は終わりだ。


 しかしその不安はすぐに払拭された。

 相変わらず私は信用されていないようだったけれど、村人たちももう藁にも縋る思いだったのだろう。怪訝そうな顔をして散々怪しみつつも、私の渡した薬を各家庭で分け合い始めた。


 もうこの際信用なんてどうでもいい。

 薬を飲みさえすれば治ることは、私が一番よく知っているのだ。これでこの村から疫病はなくなるだろう。

 次第に集まってきた村人たちが、それぞれ薬を持ち帰っていく。私は村の患者たちの容態が回復するのを見届けようと、しばらく村のはずれで待つことに決めた。



 *****



 村に薬を届けたのは早朝だった。

 太陽が随分高くなっていることを考えれば、もう正午も近いのだろう。

 あの薬を飲めば数時間後には熱も下がり、発疹も引き始める。効果が出始めるとしたら、そろそろのはずだ。


 と、そんなことを考えていると、一人の男が私の元へやってきた。

 いや、よく見ると彼の後ろから数人こちらへ歩いてくるのが見える。座り込んで待っていた私は立ち上がり、話を聞こうと彼らの前に向き合った。


「お前の言った通りだった。あの薬を飲んでから、家内の熱が下がり始めた」


「うちもだ。何を食べても吐いちまってた娘が、うちの蓄えを食い尽くしそうなくらいに元気になってな」


 私はほっと胸を撫で下ろした。

 あの薬が効くことなど最初からわかっていたことだ。それでも、こうして実際に村人たちが助かったのだと聞くだけで、自分の苦労が報われた気がした。


「……よかったです。本当によかった……!」


「よくないわよ」


「……えっ?」


 温まった胸が突然凍り付くような、冷たく尖った声。

 私が顔を上げると、そこには目元を真っ赤に腫らした一人の女性が立っていた。


「こんなすごい薬があるなら、どうしてもっと早く持ってこなかったの? 私の彼は昨晩死んだわ。アンタがのろまなばっかりに……!」


「え……えっ……?」


 言葉が出ない。まさかそんなことを言われるなんて思ってもいなかった。

 薬を渡して、それを飲んだ患者たちが元気になって、その喜びで村に笑顔が戻るような、そんな光景を私は想像していたのに……。



 なのにどうして私は、こんなにも冷たい視線を変わらず浴びせられ続けているの……?



「村の犠牲者の数は全部で十七人になった。お前がもっと早くこの薬を届けていれば、最小限の犠牲で済んだっていうのに」


「やっぱり奴隷は奴隷だな。肝心なときにこそ役に立たない」


「ええと……それは……」


「返してよ……彼を返してッ!! アンタがあの人を殺したようなものじゃない! それができないんなら、私がアンタを殺してやる……ッ!!」


 目元を泣き腫らした女性は、隠し持っていたのだろう刃物を持って私に襲い掛かってきた。

 私がなんとかそれを躱すと、女性は勢いそのまま地面に転んで泣き声を漏らしていた。


 よろよろと起き上がった女性が、また私に刃物を向ける。

 ぶつぶつと「返して……返して……」と呟く彼女の目に生気はなく、とても話が通じる状態とは思えない。

 そして何よりわからなかったのは、その様子を村人たちが黙って見ていることだった。


 どうして誰も助けてくれないの……?

 私が持ってきた薬でたくさんの人が助かったはずなのに、どうして私はむしろ恨まれているの……?

 そんな私の疑問には、自分の中で薄々答えが出ていた気がした。



 私は、奴隷だ。



 人権などなく、人々にいいように利用されて捨てられるだけの家畜。

 おじいさまやオズワルド先生があまりにも優しいから忘れかけていた。これこそが、人々が私に向ける本来の感情なのだと。

 薬で助かった者がいることはありがたいが、そこに感謝など存在しない。それどころか彼らは、間に合わなかった命に対する無念を私にぶつけて晴らすつもりなのだ。


 そう気づいた私は、自分に向けられるたくさんの視線が急に恐ろしくて仕方なくなった。

 命を狙われることがではない。そこまでして自身の心の安定を図ろうとする彼らの残虐さが、だ。


「死ねぇぇぇぇッ!」


 女性が再び私に刃物を振りかざす。

 私はそれを間一髪退けると、一目散に精霊の森へと駆け出した。


 こうして森に逃げ帰るのも、もう何度目だろうか。思い出すのも嫌になってしまった。

 刃物が少し掠ったのか、左腕に痛みを感じる。けれどその程度の痛みなどまるで気にならないほど、私は心臓を握り潰されるような息苦しさに支配されていたのだった。

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