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第19話

「……ミレーユ?」


「……はい」


「ひょっとして、なにか怒ってる?」


「……いいえ」


「……そう……」


 ベッドの隅と隅に腰かけた、何とも言えない気まずい距離。

 午後になって私の容態を確かめに来たオズワルド先生と、私はまともに目も合わせられずにいた。


 あれから先生に言われた通りもうひと眠りしようとしたけれど、私はまったく寝付けなかった。

 信じられない。私の意識がないうちに、オズワルド先生に身体中あちこち測られていたんだと思うと、恥ずかしくて死にそうになる。

 だから最初に目覚めたとき、私があんなにも恥じらっているのに彼は顔色一つ変えずにいられたのだろうか。だって、あのときの彼はもうとっくに見ていた(・・・・)んだもの……!


 ……まあ、私を裸のままにしておくわけにもいかないだろうし、確かにあれは必要なことだったのだろう。やらしい目的ではなかったことくらいはわかる。私もそこまで子どもじゃない。

 だからって、じゃあ仕方ないか、なんてあっさり割り切ることもできないのが乙女心の面倒なところ。


 明らかに私の機嫌がおかしいことにオズワルド先生は気づいているけれど、彼はそれがなぜなのかわかっていない様子だ。

 本当に申し訳ない。彼にはまったくもって非などないとわかっているのに、心のどこかでは彼を許せないでいることが。なによりそんな私の罪深さが、先生のしたことよりももっと許せない。



 はぁ……。相手は命の恩人で、いくら感謝してもし足りないはずなのに、どうしてこんなにモヤモヤした気持ちにならなければならないのだろう。



 *****



「熱も下がってるし、発疹もほとんど消えた。効果は抜群だったみたいだね。きっと同じ薬で村の住人たちも救えるはずだ」


「本当ですか……!」


 待ち望んでいた言葉をようやく聞くことができた。

 オズワルド先生ほどのお医者様が、これで村人たちを救えると言ってくださったのだ。

 命を懸けたことが報われた。私と彼で力を合わせた結果、たくさんの人の命を救うことができるようになったんだと思うと、胸が躍って躍って落ち着かなかった。


「一晩時間をくれるかな。朝までに同じ薬を三十人分調合する。明日になったらそれを――」


「――それを私が村に持っていけばいいんですね!」


 つい食い入るように声を上げた私に、オズワルド先生は笑顔で頷いてくれた。

 田舎の田舎であるあの村の人口は五十人ほど。たとえ半分以上が疫病に侵されていたとしても、それだけの薬があればきっと足りるはずだ。


「それじゃあ早速取り掛かるとしよう。君もまだ完全に治ったわけじゃないんだから、ちゃんと安静にしてるんだよ?」


「はい! 先生!」


「薬も飲み忘れないようにね」


「はいッ! 先生ッ!」


 なんとも調子のいい小娘だと、自分でも思う。

 ついさっきまでオズワルド先生と一緒にいるのが気まずくて仕方なかったのに、今ではすっかりご機嫌なのだから。


 けれどそんなことはどうでもいい。

 これでおじいさまとの思い出が詰まった村を守れる。私の命を救ってくれたおじいさまやオズワルド先生のように、私も誰かの命を救うことができるのだ。誇らしいことこの上ない。


 別室へ薬の調合に向かったオズワルド先生の背中をにこにこ見送ってから、私は彼に言われた通り薬を服用した。

 明日はまた森を抜けて村へ向かうのだ。病み上がりだからこそきちんと調子を整えておかないと。

 そう意気込んでベッドに潜った私は、高鳴る胸を落ち着かせるのに苦労しながらも、村人たちが病から立ち直っていく姿を想像しながら瞼を閉じたのだった。



 *****



「おはようございます、先生!」


「おはよう、ミレーユ。調子よさそうだね」


「はい! あの薬のおかげですっかりよくなりました!」


 翌朝、早起きした私は居ても立ってもいられなくて、さっそくオズワルド先生の書斎を訪れていた。

 私が診察を受けたり眠ったりしていた部屋も大概だったけれど、彼の自室であるこの部屋の散らかり具合はさらに異常だ。

 梯子がないと届かないような高い本棚で壁が埋め尽くされているにも関わらず、そのほとんどがすかすか。

 本来ならその本棚に収まっているべき大量の書物は、オズワルド先生が机まで辿り着くための道を空けて床に積み上げられたままになっている。というか、ところどころ雪崩が起きているし。


「でも、薬はしばらく飲み続けるんだよ。今は症状が抑えられていても、まだ完全に治ったわけじゃない。薬をやめた途端に再発する可能性もあるからね」


「はい、先生!」


「よろしい。それで、君がここに来た要件は『これ』かな? ちょうど準備ができたところだよ」


 先生は積み上げられた本の隙間を縫って、大きな旅行鞄のようなものを私の前に持ってきた。

 聞くまでもなくわかる。この鞄の中身はきっと、オズワルド先生が村人たちのために調合してくださった治療薬だろう。


 私は「ありがとうございます!」と頭を下げ、早速それを受け取って村へ向かおうとした。

 しかし、オズワルド先生は差し出した鞄をひょいと引き戻し、私は盛大に手を空振ってしまった。


「あれ、先生……?」


「……これを渡す前に、話がある」


 さっきまでの優しい微笑みはどこへやら。オズワルド先生はいかにも真剣そうに表情を引き締めていた。

 一刻も早く村人たちにこの薬を届けなければならないのに。焦りが募っていく私だったけれど、いつもと明らかに違う彼の雰囲気には黙り込むしかなかった。


「ミレーユ、君が村の住人たちを救うためにしたことは、決して誉れとされるべきではない愚かな行為だ。自覚はあるね?」


「えと、それは……」


 少しだけ低くなったオズワルド先生の声に思わず委縮してしまう。

 怒っている。彼は私に対して間違いなく憤っているのだ。


 オズワルド先生が言っているのはおそらく、私がわざとこの疫病にかかったことについてだ。

 彼にはこの件で言いたいことが山ほどあるのだろうということはわかっている。それでも私が病人であったから、元気になるまでは我慢して何も咎めずに優しくしてくれたのだろう。

 けれど、あれ以外の方法がなかったことも事実だ。私にそれを悔いるつもりなどない。


「……それは、私が先生のことを信頼していたからこそしたことです。疫病の正体さえわかればどうにかできるって、先生は私に仰ったじゃないですか」


「不治の病や新種の伝染病でなければ、とも言ったはずだよ」


「それは……そうですけど……」


 オズワルド先生の言いたいこともわかる。

 彼が凄腕の医者であることは間違いないけれど、それが万能を意味するわけではないことは私もあの発作の一件で理解したつもりだ。

 今回はたまたまオズワルド先生が対処できる範囲だっただけ。もしこれが彼の腕を持ってしても治せない病であったなら、私は彼の目の前で命を落とすしかなかったのだ。

 そんな無謀な行為に走ったことを咎めているのだということは、彼の目から痛いほど伝わってきた。


「いいかい、ミレーユ。君が村を救いたい気持ちはよくわかる。けどそれは、君自身の命を危険に晒していい理由にはならないんだ」


 少し屈んで私と視線の高さを合わせたオズワルド先生が、私の顔を覗き込んできた。

 今は正直、目を合わせるのがとても気まずい。けれど彼はお構いなしに、その美しい碧眼で私の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「誰かを救いたいと願うのなら、君が最優先で守らなければならないのはその『意志』――つまり、他でもない君自身の命だ。……君は異常なほどに、自分のために生きる(・・・・・・・・・)ということを知らなすぎる」


「……ッ!」


 言葉に詰まって、何も言い返せなかった。

 なぜだろう。今のオズワルド先生の言葉が、ぐっと胸の奥底まで響いた気がするのは。

 前にも誰かにそんなことを言われたような気がする。誰だっただろうか、思い出せない。


 思い出せないけれど、その一言で私は、自分の愚かさをようやく自覚させてもらうことができたような、そんな気がしたんだ。


「……ごめんなさい……」


 しょんぼりとそう呟く私の目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。

 そうだ。私のせいでオズワルド先生には大変な苦労と心配をかけてしまったじゃないか。

 申し訳なくて申し訳なくて、もう今にも泣き出しそうで、私はそれを堪えるために必死に胸元で手を握り合わせていた。


「いや、謝って欲しいわけじゃないんだ。わかってくれればそれでいい。今回のことは、君を森に引き止めなかった僕にも責任はあるわけだし」


 手袋のついた左手で、優しく頭を撫でられた。

 オズワルド先生の優しさは嬉しいのだけれど、正直今は少しご遠慮願いたい。そんなことされたら、ほんとに泣いちゃいそうだから。


「約束してくれ、ミレーユ。これからは自分のことを最優先に生きるって。そう約束してくれるなら、僕はこれを君に託すことに二言はないよ」


 そう言ってオズワルド先生は、治療薬の入った鞄をもう一度私に差し出した。

 私は袖でごしごしと涙を拭うと、彼の手の上から鞄の取っ手を握り、力強く頷き返した。

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