第16話
「はぁ……はぁ……はぁ……」
オズワルド先生とおやすみの挨拶を交わして、どのくらい経っただろう。
おそらく真夜中。私は全身が焼けるような感覚で突然目を覚ました。
急いで身体を冷やそうと、被っていた毛布は辛うじてベッドから蹴落としたけれど、その程度ではまるで足りない。
汗だくの私は、まるで池かどこかに飛び込んだあとみたいな状態になっていて、服もシーツも既にびしょ濡れになってしまっていた。
とにかく身体が熱い。真っ暗な部屋で一人きりなのが余計に不安を煽ってきて、ただでさえぼんやりしている頭がまるで働いてくれない。
また吐き気が襲ってきている。枕元に置いてある桶に手を伸ばしたけれど、掴み損ねた桶は床に転がってカコンと情けない音を立てた。
ベッドでもがき苦しむうちに、ついに私は床に転がり落ちた。
そのときに身体が揺れたのが決め手になったのだろう、私は真っ暗な床に大量に吐き戻してしまった。
苦しい、苦しい、苦しい……!
助けて……先生……ッ!
どこの部屋にいるかもわからないオズワルド先生を探しに行く余裕も、大声で彼を呼ぶ気力ももう残っていない。
なんとなくわかる。最期の日のおじいさまと同じ感覚を、今私は味わっているのだと。
森で倒れたときとはまるで違う。あのときとは比べ物にならないくらいに、私の身体は大きく大きく警鐘を鳴らしているのだ。
朝になれば効果のある薬がわかって楽になれるというのに、私はそれを待たずにこのまま死んでしまうのだろうか。
村の人たちを助けるために自分の身体を犠牲にしたというのに、結局私は誰のことも救えずに――
「――ミレーユ?」
するとそのとき、ずっとずっと遠くのほうから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
天国のおじいさまが私を迎えに来てくれたのかと思ったけれど、慌てて駆け寄ってくる足音がするということは、オズワルド先生だろうか。
「ミレーユッ!?」
ぐったりと動かない私の上体がそっと持ち上がる。
ああ、やっぱり先生だったんだ、と少しだけ安堵。私の異変に気づいてくださるなんてさすが先生。
もう私の目には何も見えないけれど、彼が傍にいるということだけはなんとか感じ取ることができた。
「しっかりするんだ! 聞こえるかい、ミレーユッ!!」
聞こえてはいるけれど、返事をする余裕なんてあるはずがない。
それどころか私は今、オズワルド先生の呼びかけとはまったく関係ないことを考えていた。
ねえ、先生。私、昔より弱くなってしまったみたい。
小さい頃に奴隷商に処分されそうになったときも、精霊の森で狼の群れに襲われそうになったときも、死ぬことなんて怖くもなんともなかったのに。
なのに、どうしてかな。今はこの病気で死んでしまうのかと思うと、私は怖くて怖くてたまらないの。
だからお願い、先生。私を、助けて……。
そう祈って意識が途切れるかと思われた寸前、私は何か柔らかいもので口を塞がれた。
それと同時に身体を力強く締め付けられて、身動き一つとれなくなった。一体何が起こっているのだろう。
塞がれた口から、温かいなにかが流れ込んでくる。締め付けられる身体からも、そのなにかが私の中に染み込んでくる。
そのなにかには形がない。けれどそのなにかはゆっくりと、高熱に苦しむ私の身体を心地よい温かさで包んでいく。既に熱いのに温まることが心地いいだなんて、とても不思議な感じだ。
そのなにかに身を委ねていると、消えかけていた意識を辛うじて繋いでおくことができた。
真っ暗だった視界が少しずつ回復してくる。そうして私は、自分の視界いっぱいまでオズワルド先生の顔が近づいていたことに、このとき初めて気づいたのだった。
どうやら私は今、オズワルド先生に抱きしめられて、唇を重ねた状態であるらしい。
普段の何倍もの早さで鼓動していた心臓は、先生とぴったり胸を合わせているうちに少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
頭は変わらずぼんやりしたままだけれど、彼とこうして身体を重ねているとこんなにも安心するのは、どうしてなのだろうか。
だめですよ、先生。女の子相手にいきなりこんなことしたら。
普通なら嫌われますからね。私だったからよかったものの。
「――気分はどう?」
ようやく唇を離し、腕の力を緩めたオズワルド先生は、一番にそう尋ねた。
「……はい。落ち着き、ました……。先生、今のは……?」
不思議だ。死がすぐそこまで迫っていたのに、今はなんともない。
いや、なんともないということはなく、相変わらず熱で頭はぼーっとするし少しだけ吐き気も残っているけれど。
それでも、本当になんともないと錯覚してしまいそうなくらいに、私の身体の異変はすっかり収まっていた。
「『魔法療法』、とでも言っておこうかな。森の精霊から授かった森人の加護の力を、口移しで呼吸を補助しながら君の身体に流し込んだんだ。けどそれだけじゃ間に合いそうになかったから、咄嗟に身体の密着面積を増やして、全身からも同じ施術を行った。うまくいってよかったよ」
うーん。やっぱりオズワルド先生の仰ることはよくわからない。
頭がぼんやりしているせいなのかな、と一瞬思ったけれど、きっと万全の状態で聞いてもわからないんだろうなあ。
「けど、本当に済まない……。こんなに強い発作が起こるなんて予想してなかった。そのせいで君に苦しい思いをさせてしまったし、致し方ないとはいえ君にあんな施術をせざるを得なくなったのは僕の失態――」
なぜだろう。オズワルド先生が必死に謝るところなんて見たくなくて、私はつい彼の頬に手を触れていた。
彼は、発作で死にかけているところに突然あんな大胆なことをされて、私が怒っていると思ったのだろうか。そんなはずなんてないのにな。
なんなら、もう一回して欲しい。
あのときの私、なぜだかとっても気分がよかったの。だから――
頭の中は真っ白で、もう何も考えられない。自分が何をしようとしているのかもわからない。
私はただ無意識に、オズワルド先生の驚く顔に向けて、再び自分の顔を寄せていった――
――けれど、それは私の額に当てられた彼の手によって阻まれてしまった。
「朝になるまでまだ時間がある。君はもう少し休んでて、ミレーユ」
優しい笑顔に戻ったオズワルド先生がまた何かしたのか、私の額にひやりとした感覚が走る。
それと同時に私の意識は、再び深い深い眠りの中へと落ちていったのだった。