第14話
「……せ、んせ……?」
「ミレーユ! やっと気がついた……!」
安堵の声を漏らしたのは、発疹だらけの私の手を握り締めたオズワルド先生だった。
彼は背後の椅子にどすんと腰を落とすと、大きく息をついてから再び私と向き合った。
「森で君が動かなくなったのを感じ取ったから、まさかと思って急いで迎えに行ったんだ。全然目を覚まさないから心配したよ……」
「そうだ、私……ここに帰ってこようとして……」
途中で倒れたんだっけ。ぼんやりとだけど覚えている。
ぼんやりと言えば、なにか夢のようなものをみていた気もするのだけれど……何も思い出せないや。
いや、今はそんなことよりもオズワルド先生だ。いつも穏やかでにこにこしている彼が、こんなにも冷や汗をかいて慌てているところなんて初めて見た。
どうやらかなり心配させてしまったようで、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。けれども、いくら人が倒れたからといっても彼は医者のはずだ。そんなに狼狽えていてはらしくないのではないか、なんて考えている私は、思ったより元気なのかもしれない。
「……さて、目覚めたばかりのところ悪いんだけど、君には聞かなきゃならないことがある」
「……はい」
咳払いをして場の空気を切り替えたオズワルド先生は、実に真剣な面持ちで私に切り出してきた。
彼の問いにはすべて正直に答えなければならないとなんとなく察していた私は、ベッドに寝たままの姿勢で小さく頷いてみせた。
なぜならこれから始まるのは、オズワルドという医者とミレーユという患者による、正真正銘の『診察』なのだから。
「まず聞きたいのは症状だ。ミレーユ、君の身体に起きている異変を、できる限りたくさん教えてくれ。どんなに些細なことでも構わない」
「……はい。まず一番は、身体が熱いです。頭もぼーっとして……それと、倒れる前に吐き気もしました。今は大丈夫ですけど」
オズワルド先生は、弱々しく説明する私の声に何度も頷きながら、私の言葉を書き留めていく。
いつになく真剣なその表情は、まるで顔が似ているだけの別人のようだ。
一通り私の話が終わると、次にオズワルド先生は私の胸元に手を当ててみたり、首を指で軽く揉んでみたり、私の身体を調べ始めた。
特に全身に現れた赤い発疹なんかはじっくり観察しているようだった。きっとこの発疹は、疫病の正体を探るうえで重要な手掛かりになるのだろう。
なんだか、不思議な感じがする。
全身が熱くて苦しくて、微睡んでいるみたいに頭もふわふわしている。今私の身体は危険な状態なんだと、考察する必要もなく確信が持てる。
それなのに、オズワルド先生の顔を見て、オズワルド先生と話をしているというだけで、私はきっと大丈夫だという安心感が湧いてくるのだ。
「――高熱、嘔吐、それから全身に発疹、と……。ふむ、そうか……」
必死に何か書類を書き殴っていたオズワルド先生が、羽ペンをインク瓶に差し戻した。
そして彼は背筋を伸ばして座り直すと、ベッドに寝ている私の顔を見下ろしながら口を開いた。
「もうわかってると思うけどね、ミレーユ。君の身体はおそらく、村に蔓延しているものと同じ疫病に侵されている」
「……はい」
驚きはしなかった。
おじいさまの看病をしてきた私は、その疫病がどのような症状をもたらすのかよく知っている。オズワルド先生の診察を受けるまでもなく、前もって予想はついていたことだった。
「それからもう一つ答えてくれ。君は、この病にわざとかかるために、今日まで村に通っていたんだろう。違うかい?」
「…………」
その質問は極まりが悪い。できることなら答えたくなかった。
あわよくばオズワルド先生に気づかれなければ、なんてことを考えていたけれど、さすがは先生。私の出自が奴隷でありながら特殊なのを見抜いただけのことはある。
「……はい」
毛布を引き上げて顔を半分隠しながら、私は恐る恐る答えた。
そう。私は村人たちを説得するつもりなど毛頭なかった。厳密には、あわよくばとは思っていたけれど期待はしていなかった、というほうが正しいのかもしれないけれど。
最初の一回で思い知らされた。彼らは私が何度頭を下げようとも、オズワルド先生の診察を受ける気はないのだと。だから二回目からは方針を変えたのだ。
オズワルド先生に診てもらう気が村人らにないのなら、私が患者になって診てもらえばいい、と。
少しでも議論を長引かせ、できるだけ村に留まる時間が長くなるように意識した。
そして私がその疫病にかかった暁にはオズワルド先生に徹底的に調べてもらい、効果のある薬でも作れたら村ごと救えるのではないかと、そう思ったのだ。まさか帰り道で倒れることになるとは思っていなかったけれど。
私の返答を聞いて、オズワルド先生は大きなため息をついた。
無謀だったとは思っている。それでも私には、これ以外に方法なんて思いつかなかったのだ。
「今朝君を森から出した直後に、まさかと思ったんだ。……ほんと、こういうときのイヤ~な予感ほどよく当たるのって、なんでなんだろうねえ」
愚痴をこぼすようにそう呟きながら、先生は腰あたりまで伸びた長髪をまとめ始めた。
一本に束ねられた後ろ髪はまるで金の馬の尻尾のようで、美しくさらりと揺れる様子に私はつい見惚れてしまっていた。
「言いたいことは山ほどあるけど、ひとまずそれは後回しだ。幸い、それと似たような症状が出る疾患にはいくつか心当たりがある。その中のどれなのかさえ突き止めれば、有効な治療薬も調合できるはずだ」
怒られるかな、と覚悟していたけれど、そんな様子でもなさそうでほっとした。
オズワルド先生は、発疹だらけの私の手を右手で握り、手袋を被った左手で私の髪を撫でると、じっと私の目を見て囁いた。
「何も心配せずに寝ててくれ。君は絶対に治してみせる。……僕が、必ず」