第13話
前回の続きです。
「いつになるかはわからんが、わしはいつか必ずいなくなる。そのときお前が一人でも生きていけるようにと、わしはいろんなことをお前に教えてきたよなあ」
急に胸の奥がちくりと痛む。
わかりきっているからこそ敢えて考えないようにしているのに、その事実を他でもないおじいさま本人の口から告げられるのは、正直辛い。
「……まだまだ、先のことじゃないですか。そんなこと言わないでくださいよ。その話なら別に今じゃなくても――」
「――いいや、今じゃなきゃだめなんだ、ミレーユ」
真剣な表情をしたおじいさまと目を合わせていられなくて、私はつい俯いてしまった。
すると、瞬きをした瞬間に目の前の景色が変わった。いつの間にかおじいさまはベッドに寝ていて、私はおじいさまの手を握り締めていた。
おじいさまの顔は火照っていて、全身のあちこちには赤い発疹が出ている。そして私が握り締めた大きな手は、手のひらを火傷するかと思うくらいに熱かった。
「いいか、ミレーユ。命というのは有限だ。それをわかっているから、誰も彼もが自分の身が一番かわいいと思って生きている。限りある命はみんな自分のためにこそ使いたいから、他人のことなんていつも後回しだ」
そこまで言うとおじいさまは、胸のあたりを抑えて押し黙った。
勘づいた私が咄嗟に桶を差し出すと、おじいさまはその中に勢いよく嘔吐してしまった。
今日食べたものが全部出てしまったのではないかと思う量。私の中で最悪の想像が膨らんでいってしまうのも致し方ないのだが、今だけはそんなことを考えている自分を呪ってしまいたくなった。
「私は、そんな風になんて思いません……」
汚れてしまったおじいさまの口元を拭いながら、私はそう答えた。
「命が有限だからといって、みんながみんな自分勝手に振る舞っていいはずがありません。自分よりも他人を優先して思いやることができるほうが、ずっと素晴らしいじゃないですか」
これはおじいさまを安心させたくてそう言ったのではなく、私の本心だった。
おじいさまは奴隷であった私を引き取り、実の孫のように育て、一人で生きていくための力も身につけさせてくれた。
私はそんなおじいさまへのせめてもの感謝として、自分の持つものすべてをおじいさまのために使おうと決めた。
互いが互いを思い合い支え合えるなんて、どんなに気高く美しい関係なんだと思う。
奴隷の娘を飼って可愛がっている頭のおかしいヤツなんだとおじいさまを貶すような村人たちには、到底理解などできないだろう。
そうか。おじいさまはあんな村人たちのようにはなるなと、私にそう伝えたかったのだろう。
それならば何も心配はいらない。おじいさまの思いは、私の中にしっかりと届いているのだから。
おじいさまを安心させようと、握る手にぐっと力を込める。
しかしおじいさまはなぜだか、私の顔を見ると少しだけ悲しそうな表情になった。
「……ミレーユ。わしはなにも、自分勝手に生きるのが悪いことだとは言ってないぞ」
「……えっ?」
自分の言ったこととおじいさまの言ったことが食い違って、私は言葉を失った。
おじいさまがそのようなことを考えているなんて信じられない。誰よりも私のことを思って、私の幸せを祈ってくれていたおじいさまに限って、そんなことを言うはずが……。
「お前は優しい子だから、わしのためを思って何でも頑張ってくれたなあ。いっつもおじいさまおじいさまって、自分よりわしのことばかり考えて。だが、わしにはそれが嬉しかったし、幸せだった」
おじいさまの言葉に耳を傾けるも、何も答えることができない。
そんな当たり前のことを言われても、なんと返せばいいというのだろう。
おじいさまは私の命を救ってくれて、私をここまで育ててくれた。だから私の命すべてを持ってでも、おじいさまに尽くそうとするのは当然ではないか。
「だけどなあ、お前はもっと、自分の欲のために生きていいんだぞ? わしを慕ってなんでも世話を焼いてくれるお前の優しさが嬉しくて、わしはお前に甘え続けてきた。お前が自分の幸せのために生きようとしないのをいいことに、お前をずっと隣に縛りつけ続けた。わしがお前と共に生きたのはお前のためじゃあない。全部自分のためだったんだよ、ミレーユ」
そのようなことを言われても、信じられない。
まるで私に謝ろうとしているようなおじいさまの様子に、私は様々な思いが込み上げてきた。
私が自分の幸せのために生きようとしていない?
おじいさまが私にくれた幸せは、すべて自分のためだった?
そんなことはない。私はおじいさまに尽くすことができればそれで幸せだったし、おじいさまは私の幸せをあんなに強く願ってくれていたじゃないか。
今更それがすべて逆だったのだと言われても、すんなり飲み込めるはずがなかった。
「どうしようもなく幸せだったんだよ。愛しい孫が、他の誰でもなくわしのためだけに尽くしてくれることが。だが、お前はちゃんと自分のために生きることを覚えなきゃならない。それを教えないままいなくなるこの老いぼれの最後の我が儘を、どうか許してやってくれ……」
「なにを、言ってるんです……? おじいさまは、私の前からいなくなったりしませんよね? この病気だって、きっとすぐに良くなりますよ。……だから、そんなこと……言わないで……」
そう言って、おじいさまの手をぎゅっと強く握る。
するとその感触は煙のようにふわりと消えて、気が付くと私は、土砂降りの雨の中で一人立っていた。
足元には何かを埋めた跡と大きな石が一つ。そして一輪の野花。
それを見て私はすべてを悟った――私の世界は、ついに壊れてしまったのだと。
おじいさまの墓標を見ているのが苦しくて、私は家に駆け戻るとベッドで一晩中泣き続けた。
おじいさまの言っていた通りだった。
私は自分のために生きることを知らない。おじいさまを失った途端、何のために生きればいいのかまるでわからなくなったのだ。
生きる意味が欲しい。けれど、その見つけ方をおじいさまはついに教えてはくれなかった。
そんな私は、これから一体どうしたら……。
『――ミレーユ』
ああ、また声がする。
私を呼ぶ声。この世を去ったおじいさまだろうか。
『――ミレーユ』
ねえ、おじいさま。私も連れて行ってくださいよ。
生きる意味も見出せないこの世界より、おじいさまのいるところのほうが、私はずっとずっと幸せになれるんですから。
『――ミレーユ』
……あれ、なんだろう。おかしいな。
聞き慣れた懐かしい声じゃない。お腹に響いてくるような低い声じゃない。
声の主はもっと若くて……それになんだか慌てている、みたい……?
「――ミレーユ!!」
ついにはっきりと捉えたその声に導かれるように、私はゆっくりと目を開く。
すると私の目の前には、額に冷や汗を滲ませた金髪碧眼の美青年の顔があった。