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前編

人間たちが好んで食べるチョコレートと呼ばれる食べ物には、強い中毒性があると聞く。

それはまるで、吸血鬼(私たち)にとっての人間の血液のように口の中で甘くて溶けて、人間を虜にする食べ物なのだと――。





窓から入る日の光を遮るために閉ざした白いカーテンが、風の侵入と共にふわりと保健室の室内に舞う。

風と共に入り込んできたのは、グラウンドの、私も受けるはずだった体育の授業でクラスメイト達が発しているのだろう賑やかな声。

だけど他に休む生徒もなく、養護教員すらも所用で不在にしている保健室のベッドに一人横たわっている私にとって静寂の中遠くに聞こえるその声は、酷くよそよそしいものに感じられた。


本当にあっけない。


まさか授業を受けるためにグラウンドに出た途端倒れてしまうなんて……。


別に、どうしても体育の授業を受けたかったわけじゃない。

逆に、基本的な身体能力は高いけれど慣れあいは苦手で、必然的な集団行動から逃げられたことは私にとってよかったのだ。


ただ……。そう、

ただ、日の光に弱くて、弱すぎて、ちっとも意のままになってはくれないこの体が心底嫌になって心が沈むだけ。


2月の、日差しの弱い季節だと言うのに。本当にあっという間に息も絶え絶えに倒れてしまった。


こんなんじゃ、ダメなのに。

もう、彼に迷惑なんかかけたくないのに。


そう思うのに、時折風に揺れるカーテンの隙間から入ってくる僅かな光すらも今の私には苦痛を与えてきて、窓を閉めたくて、重い体を起こすためベッドに突いた腕にぐっと力を込めた。

遠くから聞こえてくるクラスメイト達の元気な声も、現実も、窓と一緒にもう閉ざしてしまいたかったから。


所詮、どんなに願い、憧れようと現実なんて変わりはしない。

この身は生まれたときより吸血鬼という化け物であって、どうあがいても人間になどなれはしないのだ。

いつまでたっても、私は彼に迷惑をかけるお荷物でしかなくて、彼を含む人間たちにとっては同じ形をして自分たちの中に紛れ込んだ恐ろしい捕食者でしかない。

彼はいつも笑って「いいよ」と許してくれるけれど、今はその現実がやけに心に痛いから。


だけど、上半身を少しだけ起こした時、この部屋の扉が思いっきり引き開けられて、その音にびくりと驚いた私は、反射的にそちらに視線を向けた先に、息を切らして現れた姿に思わずほっとしてしまった。

現れた、私と同じこの高校の制服を少しだけだらしなく胸元のボタンを開けたシャツを纏う彼は、そんな私の姿に一つ息を吐くと、色素が薄く他の人間よりも茶色くて人懐こい瞳をふっと優しげに細める。


「宝……」

美夜(みや)、何してるの?」


彼の名を呟けば、宝は私のおかしな体勢に気が付いたのだろう。

いつものように柔らかく私に問う。


「窓、閉めたかったの」


つい反射的に。

彼に頼ることに慣れきってしまった私がそう答えると、宝は時折差し込んでくる光にハッとしたように、慌てて開いている窓を閉めてくれた。

そして、私の方へやって来て、温かな手を血の気の引いた私の額に当ててくる。

あまりにも人間らしくない、冷たくなった私の体温から宝は全てを察したのだろう。その顔をわずかに顰めて大げさに大きなため息を吐き出した。


「何で無理なんかしたの。外の体育なんてサボって教室にいればよかったのに」


だって、無理をしたかったの。

そんなことを、結局はこうして迷惑をかけることになってしまった宝に向かって言う事は出来なくて、私は宝の言葉を問いで返す。


「宝は? 宝だって授業中だったんじゃないの?」


宝も私と同じ2年生だけれどクラスは違うから付添なんて言い訳が通るわけがないし、いくら成績がいい宝だって授業はちゃんと受けなければならないに決まっている。

そんな私の心配を込めた問いかけに、だけど宝はなにも気にすることないよと言うように、整った、どちらかと言うと可愛らしい顔でにこりと私に笑いかけてくる。


「そんなのより人命救助が優先」

「私、“人間”じゃない」


少し不貞腐れて反論したのはそんな言葉。

だから、私のことなんて放っておいてくれていいのに。

どうやって私が倒れたことを知ったのかは知らない。

けれど、私のことなんか放っておいてくれたらよかったのに。

私は、体にかけている白い掛け布団をぎゅっと握りしめながら心の中でそう訴える。

だけど、宝は私の言葉に困ったような苦笑を浮かべただけで、私に背を向けて、ぶら下げられている間仕切りのカーテンでベッドをぐるりと囲み、そして私の傍に腰かけた。

緩く締められていた制服のネクタイを引き抜いて、横たわった私の背中に手を差し込んで上半身を支え起こす。


「じゃあ、美夜の救助が優先、でいい?」


そう笑って問いながら私の目の前に差し出されたのは宝の首筋。

宝はとても優しい人間だ。

困った者を放っておくことのできない人間。

そして、人間の中で、私が吸血鬼であることを唯一知る、私の秘密の共有者。――いや、私の秘密に巻き込まれた、憐れな犠牲者だ。


「ほら、飲みなよ」


「早く」という急かす言葉に背押されて私はおずおずと口を開いてそのまま宝の首筋に咬みついた。

瞬間、口の中に広がるのは、もうくせになってしまった極上の甘さ。

それは頭がくらくらする程の美味で。

優しい宝は、昔からずっとこんな化け物に抵抗もなく己の血を差し出してくれる。


だけど、


『ねえ、貴方はなんで宝君の傍にいられるの?』


一体何の権利があって、何の役に立ってるの?と、尋ねてきたのは宝の所属するバスケ部のマネジャーをしている可愛い子。


――私は、


ギュッと目を閉じて、夢中になる前にと必要最低限だけ。こくこくと2度ほど喉を鳴らし、さっと口を離した。


「……それだけでいいの? 最近、飲む量減ってる気がするけど」


傷口を抑えながらも不思議そうに首を傾げる宝に、私は俯いて首を小さく縦に振る。


「うん。今はこれで充分なの。ありがとう。宝」


勿論、本当は全く足りないけど、もう、うっかり血を貰いすぎてしまって逆に宝を倒れさせてしまうわけにはいかない。

もう、この人の迷惑にしかならないなんて嫌なんだもの。


人間に生まれたかった。

でも、今更それは叶わないから。

だから結局こうして失敗してしまったけど、せめて、少しでも人間の真似事をして、人間らしくなりたかった。

最後に悪あがきをしてみたかった。


同じ吸血鬼である弟には、笑われるだけだけど。


「ねえ、美夜」

「なに?」

「もう元気になった?」

「うん」

「じゃあ、今のお礼に今日も部活の応援に来て? 美夜が見ててくれたら俺、頑張れるから」

「……いいの?」

「なんで?」


ダメだ、と。


本当は、宝は宝の為じゃなくて、“私を”一人で下校させるのを心配して、だから一緒に帰れるようにと部活の方へも誘ってくれているだけだと分かっていた。

これは、私に気を遣わせないように、私を必要としているように振る舞ってくれる、宝の優しい嘘。

そのはずなのに、


「ううん、なんでもない。うん。ちゃんと、見に行くよ」


これももう少しだからと、自分にばかり甘い私がその嘘にわざと騙されて頷くと、宝はとても嬉しそうににっこりと笑って「良かった」なんて言ってくれるから、私は勘違いだと分かっていながらもついつい小さくはにかんでしまう。


本当に優しい人――。


だけど、それと同時に心が痛む。


『これ以上、宝くんの足を引っ張るの、やめてくれる?』


あの日投げつけられた、勝気そうなあの子(マネージャー)の声がぐるぐると頭に響いて。


少しでいいのに。

私だって、依存してばかりじゃなくて、少しでも宝の為に何かをしてあげられるような、対等の存在になりたかった。


――でも、それは無理のようだから。

だから、


依存して負担をかけることしか出来ないのなら。

迷惑にしかなれない存在なら、お別れをしようと決めたのだ。


「宝」

「うん?」

「あの、ね。今度のバレンタインの日も、一緒に帰れるかな?」


最後に。


今までの目一杯の感謝を、バレンタインのチョコレートに込めて。



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