四節 : 意思持つ法具
澄み渡る蒼き空に、少年少女達の掛け声が響く。
皆運動をするための動き易い服装となっており、殆どの学徒達が《教授》に教わった型通りの組手を行っている中、紅き少女と黒き青年の二人だけは異なる動きをしていた。
腰をやや落とし、脇を締め、肘を曲げた両手を顔の高さに持ち上げ、左構えになる紅き少女――コニー。
左前の自然体から左手を右下に、右手を左上に向けて両手で球体を抱く様な構えを取る黒き青年――慶護。
土が剥き出しの地を慶護は摺り足で動き、コニーは流れる様なスウェーにて互いの距離を一メートル半という、腕を伸ばしただけでは届かないが、一足で間に合う絶妙な位置取りをして、相手の出方を観ている。
「……ココ一ヶ月間のアタシとケイゴの戦績ってどうなっているっけ?」
「純粋な近接格闘訓練だけなら、一応僕の勝ち越しだね」
構えを若干緩めて、コニーは小さく溜息を零す。
「はぁ……眼帯ってさ、かなりのハンデだし、アタシ、クリス以外には勝ち越された事ないのに、自信無くしちゃうよ……本当はソレ、見えているんじゃないの?」
残念ながら、全く見えないよ――っと慶護は肩を竦めた。
「僕の師の言葉を借りるなら、コニーは目に頼り過ぎている所があるね」
「相手を良く《視る》のは、基本中の基本よ?」
そうなんだけどね――っと慶護は同意する。
「《法術》の講義を受けさせてもらって解ったけど、身体の動きだけでなく、内部に流れる《生体エネルギー》も《視る》事で、相手の数手先迄を見通し、先の先を取る――通常、年単位の《反復》を繰り返す事で得られる格闘上級者特有の《勘》を数ヶ月の素人とも呼べるモノでも得られる様にするなんて、ホント、凄い理論だと思うよ」
「それでも、素人は素人だよ」
その通り――っと慶護はコニーの返しに頷く。
「如何に頭で理解してても身体が動かない。僕は未だ未だだけど、反射の領域に迄身体に染み込ませた相手には、読み切れずに押し負けちゃう」
「《蓄》が違う――だったっけ?」
コニーからの確認に慶護は首肯する。
「でも、そうなると、勝ち越されているアタシは、ケイゴと比べて、訓練が足りないってなっちゃうよ?」
「う~ん……単純にそれだけじゃないと思うよ。多分だけど、純粋な《蓄》って話ならば、僕よりもコニーの方がある筈だからね。互いの戦闘スタイルの相性や修めている技術の違いとか、それらを総合しての結果だと思うよ」
「アタシがケイゴに負けている事には変わらないじゃん……」
御尤もな意見に、慶護は苦笑するしかなかった。
「……まっ、いいや……小難しい事を云っていたって、アタシとケイゴの戦績が変わる訳じゃないし、そういうのは学者希望の人達に任せて、ウチラに一番解り易い方法で答えを出すよ」
そうだね――っと首肯して、慶護は再び構えを取る。
コニーも下げていた両腕を上げて、軽くステップを踏み、気持ちを入れ替えた。
周りの喧騒すらも聞こえぬ程、お互いだけを視界に収め、集中する二人。
先に動いたのは――。
「……シッ!」
身体を前に倒す様に相手の視界から一瞬だけ消えながら前進し、上体を持ち上げる時の勢いを利用した右の打ち上げを放つコニー。
だが、同じ様に身体を前に倒す様にして一歩踏み込む事で、コニーの拳が最高速に到達する前に、真横へと移動して躱すと同時に、死角から足払いをする慶護。
体勢が崩された上に打ち上げも途中で止められてしまったコニーだが、身体を回転させ、真横にいる慶護に肘打ちを見舞う。
慶護は後ろに上体を退く事で、当たれば確実に骨に迄響く一撃を避けつつ、コニーとの距離を一定に保つ。
けれども、コニーは更に身体を回し、紅い髪を振り回しながら、右のストレートを打って来たため、慶護は彼女の身体の回転に合わせて体軸を回し、身体スレスレを通過させる。
伸び切った腕を引き戻す速さは、他の学徒では反応不可であるが、慶護ならば、それは好機だ。ショートやジャブであったら、流石に慶護でも無理であるが、超近接距離でのストレートなら話は別である。
コニーの右ストレートを通過させる際に、慶護は既に腕を掴むべく左手を上から、右手を下から伸ばしており、彼女の右手首を左手で掴んだ瞬間、腰を落としつつ身体を反転。
紅き少女を背に乗せながら、慶護は右の肘で彼女の二の腕を挟み込んで固定し、後は腰を持ち上げながら腕を引くだけで――。
「ぐっ!!」
コニーの身体は宙を舞い、重力に引かれるまま、地面へと叩き付けられる。
無論、長年の《蓄》がある上に、慶護の一本背負いも型通りの綺麗な動きであったため、受け身を取れたコニーは、下が土であってもそれ程の痛みはない。
天地が引っ繰り返り、一瞬何が起きたのか解らないコニーであるが、遅れてやってくる手の痺れ等から、自分が一本取られたのを理解して、クソッ……――っと小さく呟き、身体に付いた土を払いながら立ち上がる。
周りからしたら、お互いに近付いたらコニーが投げられただけにしか見えず、瞬きの間に何合もの掛け合いがあったのが解らず、自分達の訓練を忘れて眺めてしまう者も居る程である。
「あ~あ……また負けた……やっぱり、ゼロレンジでの格闘だと、ケイゴに勝つのは難しいな~……」
「僕が修めていたのはゼロ距離が基本の武術だったから、ミドルレンジを得意とするコニーのスタイルだと、そりゃ難しいよ」
けどさ――っと慶護はシャツの胸元を掴む。
拳が掠ったのか、ボタンが飛んでおり、インナーが確認出来る。
「この通り、ゼロ距離でも段々と僕に付いて来ている」
「それはケイゴがギリギリで避けようとしたからじゃないの?」
逆だよ逆――っと苦笑して、慶護は弾けたボタンが落ちていないか、地面へと視線を移動させる。
「ギリギリじゃないと避けられないから、そうしたんだよ。この短期間でココ迄僕の動きに合わせて来るなんて、元々の鍛錬もあると思うけど、コニーはセンスも良いと思うよ」
「そ、そう? て、照れるな~」
満更でも無い表情で、痒くも無いが後頭部を掻いて、コニーは照れ隠しをする。
運良く外れたボタンを見付けられたので、慶護は屈んで手に取り、ポケットへとしまう。
「さて、それじゃ、僕は――」
「わたしの相手をお願いします」
休憩するよ――っと続け様とした所に、突然背後から声を掛けられ、慶護は思わず、振り向きながら後ろに飛び退き、構えてしまう。
一ヶ月近く《学園》で生活をしているため、何度か声を掛けられて、それなりに慣れている声の筈であったが、気配を全く感じさせず、背後から声を掛けられる事が多いため、慶護はこの女学徒には、ついこの様な態度を取ってしまう。
後頭部の若干上で一つにまとめた金色の長き髪を風に靡かせながら、澄み渡る湖の様な碧眼で見詰められると、何処迄も見透かされている様な気分になり、慶護は視線を逸らしてしまう。
「あ、あぁ、クリスか……僕は構わないけど、時間が――」
「それなら問題ありません。講義が終わる迄後十分程ありますので、充分です」
「そ、そうかい? ……解ったよ……それじゃ、相手をするよ」
細く長くゆっくりと息を吐き出しながら、左の自然体とはなるが、先程コニーを相手にした時と違い、構える事はしない。
対するクリスも、左前の自然体となると、指先を相手へ向けたまま、掌を下に向ける独特な構えを取る。
……やり難い――慶護の正直な感想である。
クリスが使う技術は、何処と無く、慶護が居た世界では、ほぼ失われた技術である《古武道》に近く、その足の運び、呼吸、体捌き――どれを取っても、こちらの世界でも質が異なる。そのため、コニーの様な解り易い拳闘士型とは違い、対処が難しい。
慶護とクリスはこの一ヶ月の間に、何度か組手をしているが、敢えて勝率や戦い方を調整しているコニーとは違い、本気で相手をしているのにも関わらず、戦績がほぼ拮抗している。
何処の世界にも極少数だけ存在する、とても優秀な者であり、聞けば聞く程、最早鬼才の域としか思えない程の《法術》のセンスと青天井な将来性に止事無き御家柄――幾ら先に生まれたアドバンテージや普通の人とは少しだけ違う体質に、《使い魔》としては在り得ない事だらけであったとしても、本来なら声を掛けられる事すらない筈であるのに、何故か興味を示されており、慶護はどの様に対応するのが一番良いのか困ってしまっている。
慶護の苦手とする人種の一つであるが、ジャンの様な典型的な鼻持ちならぬ貴族ではなく、礼節を重んじ、高貴なる存在が負うべき責務を理解した上で全うしているため、口先だけの《高貴なる存在》とは違い、むしろ、好意を覚える程で、黒き青年は溜息を零した。
無下にするのも失礼だし、さりとて、どうこうする気は僕に無い以上、真摯に対応するしかないよね――っと何処か諦観の入り混じった考えとなり、慶護は自然体のままクリスへと歩みを進める。
余りにも無防備で自然な足運びであるため、寸刻、反応が遅れてしまったクリスであるが、既に互いの制空権内である事に気付き、前に進む事も後ろにも退く事も出来ず、その場に留まり、正面から睨み合う形となってしまった。
何度か相手をしているからこそ、クリスが典型的な先の先を得意とするのを理解している慶護は制空権内に入ったまま、如何様にも対応出来る自然体で相手の出方を静かに待つ事にする。
クリスの様な相手に同じ様な型で対応しようとしても、それこそ《蓄》が違うため、徐々に押されてしまい、ジリ貧になる。
それならば、自分が最も得意とし、且つ、相手にとっては最も立ち会いたく無い真反対の型で対向する。
後の先――どんなに優秀で強力な者でも、技を放った後には、極僅かな《溜め》が必要となり、その極僅かな好機を利用して、相手に一撃を見舞う型である。
だが、コレは相手の一撃を《受け切る》、もしくは《避ける》事が大前提となり、少なくとも相手よりも受けか避けのどちらかが秀でていなければ、成り立たないモノであるため、慶護は心の中でだけ、溜息を零した。
僕が通っていた道場の講師や師範代の実力……最近は僕の方が付いて行くのがやっとで、良くて対の先だってままある……――コレ迄の戦歴を思い出し、慶護は苦い顔になってしまう。
ただ、まぁ――。
「今回迄は勝たせてもらうよ」
その言葉を合図に慶護とクリスが同時に動く。
クリスは百七十という女性としては長身であり、手足も長く、慶護と比べても攻撃可能範囲はほぼ互角。
技量的にもほぼ拮抗しているため、一度先を取られてしまったら、そこから巻き返すのは不可能。
故に、敢えて攻撃可能な隙を見せ、相手を誘う慶護であるが、敢えてそれには乗らず、クリスは右足で二連の下段の蹴りを放ち、前に出している慶護の左足の脹脛と膝下を払い、それに耐えるべく左足を地に付けて踏み締めて身体全体を締めた瞬間、蹴り足を敢えて相手の踵に合わせる形で下におろして、互いがコレ以上離れられない様に固定する。
拙い! ――慶護が気付いた時には、既に足が固定され、前に出した足を軸に身体を回す事しか出来ず、クリスに外側を取られてしまい、背を見せる形となってしまった。
身体を回してクリスと正面から向き合おうとするが、後ろに回られてしまい、事実上、左腕一本で相手をしなければならず、慶護は顔を顰める。
手首のスナップを効かせた水平の手刀を外受けで弾こうとするが、触れた手首を返しつつ、受けた慶護の腕の内側に入り、外に流して体を崩して、開いた上半身へと流した腕に沿って手を滑らせ、クリスは掌底を放つ。
しかし、慶護は流された左腕の肘を中心に内側に回し、クリスの右肘へと絡め、落とす事でそれを防ぐが、その絡めた腕を引っ張られ顔どうしが急接近してしまう。
鼻が触れ合ってしまう程の近距離。
碧眼と茶眼が交差するが、二人はそこで動きを止める。
二人の視線の外――クリスの肋の一番下に慶護の貫手が直撃している様に見えるが、その指先には極小サイズの《法陣》が展開されており、それ以上先に進まない様にしていた。
慶護の顎下にも、クリスの掌底が触れるか触れないかの所で止まっており、こちらも案の定、《法陣》が展開されていた。
「……相打ち……?」
傍で慶護とクリスの攻防を見ていたコニーに、アレンが尋ねる。
「いや、違うよ。ほんの少しだけ――」
碧眼が閉じ、身体から力が抜ける。
「………………参りました……」
肺に溜まっていた空気をゆっくりと吐き出し、慶護も肩の力を抜いてクリスから離れる。
「ケイゴの方が早かったね」
「わたし、全然解らなかったよ……」
アレンと同じくコニーの側に移動したリゼットが驚きに声を漏らす。
「そりゃそうでしょ。アタシも何とか追えたレベルの速さだったからね」
クリスと一礼をしてその場を後にした慶護が、苦笑しながら三人の元に歩いて来た。
「参った参った……一ヶ月も経っていないのに、僕の動きに付いて来る所か、追い抜かす勢いだよ」
「良くあそこで攻撃を加えようと思ったな」
対の先さ――っと慶護に返され、アレンが頭の上に疑問符を浮かべたので、リゼットからタオルを受け取り、汗を拭いて答える。
「クロスカウンターの事だよ。クリス程の手練れだと、良くて相打ちだと思ったから、全力でいったら、僕の方が少しだけ速かった――ってだけさ。次も同じ状態になったら、上手くいけるかどうかは全然解らないけどね」
それよりも――っと右手に視線を落として、法術障壁で止められた際の感触を思い出し、慶護は何度か手を開閉する。
「技の精度と威力を見極めて、決して相手に怪我をさせない様に法術障壁を展開するなんて、そっちの方が凄いと思うよ」
慶護にそう云われ、三人はバルナバの殻に設置されている専用の椅子に腰掛け、読書に勤しんでいる担当教授へと視線を向ける。
三人の視線に気付いたのか、ユーベルは本から視線を外してリゼット達へと軽く手を振って来たので、三人は会釈をして返す。
慶護一人だけは、ユーベルの事を見詰め、その真意を図ろうとするが、向けられた者に安心感を耐える柔和な笑みを浮かべられてしまい、毒気を抜かれた黒き青年は、肩を竦めて、三人と同じく軽く会釈を返した。
頭を上げた所で、《学園》の象徴の一つであり、《学徒章》にもなっている《鐘》が鳴り響き、講義が終了した事を告げた。
バルナバの殻に設置されている椅子から降りると、ユーベルは学徒達を自分の周りへと呼び寄せた。
「さてっと……今回の講義はココ迄。健全な精神は健全な肉体に宿る! ……だからこそ、日々精進して、《法術》だけじゃなく、身体を鍛えるのも忘れない事だよ」
ユーベルからの言葉に学徒達が元気良く応え、慶護も声は小さいが返事をする。
「それじゃ、後は座学だけになるけど、身体を動かして疲れたからといって、居眠りは厳禁だよ? もし、居眠りをしている子を見付けたら――」
パチン――っとユーベルが指を鳴らすと、バルナバの植物の蔓に似た触手が絡み合って人間の拳の様な形になり、上から下に振り下ろした。
周囲を揺るがす衝撃と地面に拳の跡を残す程の容赦なき一撃に、静まり返る学徒達。
笑みを浮かべたまま、軽く両の手を叩くユーベル。
「ちょ~っと痛いけど、君達のためだし、起こさせてもらうから、気を付けてね」
は、はい……――っと学徒達は気概の削がれた返事をした。
流石にアレ程の威力で叩き起こされた場合、頭蓋が砕けてそのまま永眠してしまう可能性の方が高いため、脅しとして振るっているのは解るが、学徒達には効果覿面であったらしく、駆け足で更衣室へと向かった。
学徒達を笑顔で見送ったユーベルと、残される形でその場に留まった慶護だけになった所で、青年はゆっくりと《教授》へと視線を向ける。
「……一ヶ月程お世話になっていますが、本当に《学園》は平和ですね……」
そうだね……――っとユーベルは慶護から視線を外し、遠方へと向けた。
「如何なる国家や団体、組織にも属さないため、今でこそ、外界の柵や煩わしさから離れているけど、昔は酷いモノだったよ……。一度戦争となれば、僕達《教授》の様な《超級法術師》は、単騎で戦況を引っ繰り返せる人間戦略兵器故に、人々の生活を潤し、豊かにするため、人生を賭して磨いた技術が、タダの人殺しの技術に成り下がってしまっていたからね……」
そんなに……ですか……? ――っとの慶護からの質問に、ユーベルは静かに首肯する。
「《A級》以上の《歪んだ種族》が一度その力を振るえば、災害レベルの甚大な被害を及ぼすけど、人を大量に殺せる脅威としては、僕達《教授》の様な《超級法術師》クラスだって余り変わらないさ……」
当時の凄惨な戦場を思い出したのか、悲しみを孕んだ儚き笑みを浮かべるユーベル。
しかし、元の世界の《戦争》すらも、過去の歴史となってしまっている慶護では、彼にかける言葉が浮かばず、静かに続きを待つしか出来なかった。
「そのため、普段から《拘束制御》の《法術》を施されていて、全力の数十分の一の力しか振るえなくなっている上に、《決戦特殊法具》も《学園長》の承認がなければ、携帯する事すら不可能な程の厳重な監視体制に置かれている身ではあるけど、僕は今のこの状況を悪く無いと思っているよ」
ユーベルがバルナバの殻を撫でると、二メートルを超える巨躯が光の粒子となり、瞬く間に姿を消した。
……例えばの話さ――っとバルナバの姿が完璧に消えた所で、ユーベルは続きの言葉を口にする。
「僕の様な人間が、もし《歪んだ種族》になってしまった場合、《人類》に与える被害はどれ程になると思う?」
思いもよらぬ質問に慶護は面食らったが、顎に手を当てて暫し考える。
何度思考を繰り返しても、必ず一つの結論に行き着いてしまうため、慶護は、嘘偽りなく、辿り着いた答えを率直に言葉にする。
「この一ヶ月の間、リゼット達と一緒に講義を受けたからこそ解りますが、内在している《法力》の暴走による体組織の急速な破壊と再生――《歪んだ種族》への《転化》が起きた場合、《法力》の枯渇や《人類》の小さな器という枷が外れ、元の存在が強力であればある程、《転化》した《歪んだ種族》が強大となり、ユーベル教授程となれば、それこそ、災害レベルでしょうね。以前聞いた《歪んだ種族》の等級で云いますと、《A級》――否、最悪、《S級》の上の《SS級》に届く程のモノになるのではないでしょうか?」
大体合っているよ――っと深刻な内容とは裏腹にユーベルは笑みを浮かべて答える。
「僕達《教授》クラスの存在がその気になって振るう《法術》は、最早《人類》が扱える範疇を超えている。それが意味する所は、即ち――」
「《転化》との隣合わせ……否、この場合、《転化を抑制しながら行使している》が正しい――ですかね?」
片眉を持ち上げて試す様な視線を向ける慶護に、勘が鋭過ぎるのも残酷だね――っと肩を竦めてユーベルは応える。
「故に僕達《教授》は、余程の事態に陥らない限り、一般的な《法術》以外を行使しないんだ。まぁ、僕が怠け者っていうのもあるけど、《使い魔》に講義の手伝いをさせたりしているのは、《拘束制御》の《法術》のせいで、身体の自由が余り利かないからっていう理由もあるのさ」
「もしかしまして、いつも身に付けている装飾品は、《法具》は《法具》でも、《拘束具》の意味合いがあったりしますか?」
本当に鋭いね――っと苦笑して、ユーベルは身に付けている腕輪の一つを指差す。
「一部の学徒と《学園》関係者以外、コレらが《拘束具》であるのを知らないよ。これは強力でね、一般的な学徒が付けた場合、《生体エネルギー》の遮断に近い状態になってしまって、立つ事すら出来ずに、その場で崩れて気を失うか、最悪、命に関わる事態になるね」
「……何故、そこ迄の危険を冒しても、《学園》で《法術》を教えているのですか? 一歩間違えれば、自分の存在が《人類》にとっての《災害》にすら為り得るのにですよ?」
《学園》だから、かな……――っとユーベルはとても穏やかな笑みを浮かべた。
「《学園》だからこそ、僕は教鞭を振るっているんだ。《学園》じゃなかったら、僕はどんなに大金を積まれ様とも、何かしらの組織的なものに組みしないさ。それに、《学園》なら、イザって時に――」
浮かべていた笑みを消し、《教授》でも《ユーベル》でもなく、一人の《法術師》としての確かな矜持と覚悟を持った表情となり、男は口を開く。
「僕を《殺し切れる》存在が居る」
「そう……ですか……」
それは、自分の実力に対して、絶対なる自信と負うべき責務を理解しているからこそ云える言葉であり、そこ迄理解している存在に向けて、その覚悟を覆せる程の言葉を持たぬ慶護は、只々頷く事しか出来なかった。
《学園》内に響き渡る予鈴を合図に、ユーベルは表情を崩し、踵を返して歩き出した。
この世界の事を少しでも早く理解するため、特例として他の学徒に混じって、講義を受けている慶護も、これ以上は次の講義に遅れてしまうと判断し、ユーベルの後に続いて校舎へと向かった。
******
《使い魔》であるが、ユーベルの図らいで、この世界の常識や知識を少しでも早く習得すべく、慶護は一部の座学や実技をリゼット達と共に受けている。
漸く慣れてきた羽ペンで、黒板に書かれていた内容を紙に書き記し終えた所で、タイミング良く《鐘》が鳴り響いたため、青年はホッと肩の力を抜いた。
座学の講義を終えて、使用している書籍や筆記具一式を鞄にしまっていると、隣に座っているリゼットが遠慮気味に慶護の裾を引っ張った。
「あ、あのね、ケイゴ……」
どうしたの? ――っと向けられた相手が喋り易い様に口元に笑みを浮かべながら、慶護はリゼットへと振り向いた。
「この後、街に買い物に行こうと思うから、時間があるなら、ケイゴも一緒にどう?」
「僕は構わないけど、アレンとコニーは大丈夫なのかい?」
普段、アレンとコニーも一緒に四人で買い物に行くので、慶護が確認すると、リゼットは小さく首を横に振った。
「ううん、今日は、ケイゴと、ふ、二人だけ……」
頬を赤くしながら俯いて視線を外してしまったリゼットだが、慶護は目尻を下げ、頭の上に手を乗せた。
「解ったよ。それじゃ、お昼を食べたら、《学園》からの定期陸上船に乗って行こうか?」
慶護からの提案に、リゼットは俯いたまま頷き、裾を握ったので、慶護は苦笑しつつも鞄を手に持ち、講義室を後にした。
******
昼食を終え、慶護とリゼットの二人は、《学園》から王都である《インペリアル》迄を定期的に行き来している陸上船――《ランドキャリッジ》の停留所へと到着した。
初めて停留所に来た時、慶護は自分の居た世界のバスの停留所と機能も作りも全く同じで本当に驚いた。
《ランドキャリッジ》は、車輪の付いた荷台と、それを引っ張るための蒸気車が連結されており、小型の蒸気機関車の様な見た目をしていて、実際に動いているのを初めて見た慶護は、一種の感動を覚えた。
無論、見た目や基本機能は彼が居た世界の蒸気車と同じであるが、《法術》を中心に作られている。蒸気エンジンの火室には、薪や石炭でなく、《火氣》を得意とする《使い魔》や《召喚獣》が鎮座して、ボイラー内の水を沸騰させている上に、給水口には、《転送》の《法陣》が描かれていて、定期的な給水を可能としていた。そのため、給水のための停車の必要がなく、速度こそ余り出ないが、ある意味完成された移動手段となっていた。
《学園》の敷地内に存在する楕円形のロータリーに、何十人もが並んでいられる細長い停留所が幾本も並列して存在しており、その内の一つに慶護はリゼットと共に並んで、《ランドキャリッジ》が訪れるのを待つ事にした。
自分達以外にも数人の学徒達が並んでいるため、慶護は周囲を一瞥した後、隣で裾を握ったまま俯き気味にしているリゼットへと顔を向けた。
「……他にも街に出掛ける子達って、結構居るんだね」
俯いていたため、最初自分に声を掛けられていた事に気付かなかったリゼットであるが、何かに気付いた様に顔を跳ね上げ、声の主である慶護へと視線を向ける。
「えっ? あっ……う、うん……講義は単位制だから、必修の以外は任意になっていて、全体で卒業に必要な単位さえ取れていれば問題ないから、今日はもう何も講義がない人も居ると思うよ」
「聞けば聞く程、僕が居た世界の大学に近くて、面白いね。やっぱり、本当に学びたいものを集中的に学ぶとなると、単位制になるものなのかな?」
慶護からの言葉に、眉根を寄せて考えるが、解らない……――っと申し訳無さそうにリゼットは答えて、視線を外してしまう。
「わたし、これ以外の制度をしらないから、どうなんだろう……」
「あっ、いや、そんなに気にしなくて大丈夫だよ。僕が居た世界と凄く似た所もあれば、全然違う所もあって、とても興味深いと思って訊いただけだからさ」
リゼットが顔を伏せてしまったため、慶護が慌ててそんなに気にする必要がない事を伝えると、そうなの……? ――っと下から覗き込む様に視線を向けて来たので、青年は口元に笑みを浮かべながら少女の頭を撫でた。
青年から頭を撫でられ、少女は目を細めて頬を赤くするが、決して厭がっている訳ではなく、気恥ずかしくはあるけど、心地良い温もりにそうしているだけの様だ。
「例えばさ、今待っている《ランドキャリッジ》だけど、停留所で待っていると定時にやって来る所もだし、多くの人を乗せて町から町へと移動する所なんて、僕が居た世界のバスって乗り物にとても似ているんだ」
「えっと……《ランドキャリッジ》を初めて見た時にケイゴ云っていたね」
「うん、それに、外見も僕が居た世界では、もう殆ど見る事の出来ない蒸気自動車ってのに殆ど同じで、驚いたよ」
中身は《法術》を使われているから、全く違うと思うけどね――っと慶護が付け加えると、リゼットは小さく頷いた。
「この前少し聞いたけど、燃える石とか水を使って火を起こすなんて、《錬金術》みたいだね。《錬金術士》も燃える水とか破裂する石を作って、それを元に色々な事をするから、ケイゴが居た世界は、《錬金術》が凄く発達した世界みたいだね」
「う~ん……僕が生きていた時代よりも結構前には、《錬金術》が流行って、様々な発明や発見をした様だけど……」
慶護は両腕を組み、眉根を寄せて唸るが、直ぐに肩を竦めた。
「何の道具も使わずに、目の前であらゆる物を創り変える様な、こっちの世界の本物を見ちゃうと、やっぱり僕の居た世界のは、ハッタリであるのが良く解るよ」
そうかな~? ――っとリゼットが小首を傾げて返した。
「わたしは、そうは思わないよ」
そうなのかい? ――っと率直な感想を慶護が返すと、リゼットは首肯する。
「だって、ケイゴが持っているその四角い、えっと~……スマートフォン? ――はさ、《教授》の中でも、一番《錬金術》に長けているアンネ教授でも作れないっていわれている程で、アンネ教授に作れないってなると、それはこの世界では再現出来ないって事だもん。それを短い期間で、何千、何万も作れちゃうなんて、わたし達の《法術》よりもずっと凄いよ」
「ふむ……行き過ぎた科学は魔法に見える、か……」
「うん? どうしたの??」
いや、何でもないよ――っと慶護が返して視線を前に向けた所で、リズミカルに抜ける蒸気の音を響かせ、《ランドキャリッジ》が停留場へと入って来た。
ロータリーであろう広場を回り、慶護達が待っている停留所迄来ると、ゆっくりと停車させ、高まった圧を抜くために、蒸気を排出して、到着した合図の汽笛を鳴らす。
「《インペリアル》行きの《ランドキャリッジ》だよ! 後五分で出発するから、乗った乗った!」
威勢の良い運転手の青年に促されるまま、他の待っていた学徒達と一緒に慶護とリゼットも《ランドキャリッジ》の荷台部へと乗り込み、次々と乗り込む学徒達によって、座る場所は瞬く間に埋まった。
荷台部の椅子はそれ程大きくないため、慶護とリゼットは密着する形になり、気恥ずかしさに少女の頬が赤くなるが、触れ合っている肩の暖かさは心地良く、離れる事は考えられず、俯いてしまう。
リゼットが頬を赤くして俯いてしまっている事に気付き、身体を離そうと慶護はそれとなく座っている位置をズラそうとするが、シャツの裾を握られているため、厭という訳でないのが解り、大人しく座っている事にした。
暫くすると時間になったのか、高まった圧を抜くために、機関部の上に伸びた煙突から蒸気を吐き出して、今度は発車を知らせる汽笛を鳴らした。
「お待たせしました! 《インペリアル》行きの《ランドキャリッジ》、発車いたします!!」
もう一度汽笛を鳴らし、機関部が進みだすと、ワンテンポ遅れて、荷台部が動き出し、程よい揺れと共に《ランドキャリッジ》は《インペリアル》へと走り出す。
暫くの間はポツポツと喋っていたリゼットであるが、少ない口数が徐々に減っていき、ついには、声が完璧に聞こえなくなってしまった。不思議に思った慶護が隣に視線を向けると、リゼットはうつらうつらうと船を漕ぎだしていたため、青年は自分の肩に少女を寄せさせ、《インペリアル》に着く迄の間、ゆっくりと休ませる事にした。
自分を召喚出来た事で、晴れて中等部に上がり、覚える事が一気に増えたため、連日、遅く迄起きて学習している事をコニーから聞いている慶護は、妹が居たとしたら、こんな感じなのだろう――っと柔らかな笑みを浮かべながら、《インペリアル》に着くまでの間、悪くない重みを肩で受ける事にした。
******
《ランドキャリッジ》に揺られる事約三十分。
《学園》が置かれている国の王都――《インペリアル》に到着した。
女王が居住してる城を中心に、直径数キロメートルにも及ぶ円形状の敷地を取り囲む様に存在する、高さ二十メートルを優に超える石造りの強固な壁を《ランドキャリッジ》の荷台部の中から見上げ、慶護は溜息を零した。
「……? ケイゴ、どうしたの……?」
寝ていた筈のリゼットから反応があり、起こしてしまったのかと思って、ごめん、起こしちゃった? ――っと慶護が声を掛けると、首を小さく横に振った。
「ううん、丁度起きた所でケイゴが溜息を零していたから、どうしたのかと思ったの」
「いや、そのさ……《学園》も相当強固な《法術》が施された壁があるけど、ココのはいつ見ても圧巻だな……っと思ってね」
慶護に云われ、リゼットも《ランドキャリッジ》の窓から《インペリアル》の街壁を見上げる。
「そうだね……見た目はタダの城壁だけど、いつも百人単位の《法術師》の人達が、壁に《障壁》を展開させていて、《E級》や《D級》程度の《歪んだ種族》じゃ、壁に傷一つ付かないって云われている位だもんね」
「流石、《学園》が置かれている国の王都だね。そうなると、《学園》を《卒業》した《法術師》達も結構ココに居るのかな?」
多分ね――っと然程興味なさげに応え、リゼットは窓から離れると、椅子に深く腰掛けた。
彼女にしては珍しい応えに何も返さずに続く言葉を待っていたが、何も来なかったため、慶護も諦め、椅子に深く腰掛けた。
他の学徒達や途中で乗車した一般の人達が話している声と、一定の感覚で蒸気が抜ける軽快な音だけが響く荷台内であったが、城壁を潜った所から、徐々に速度が落ちていく。
《ランドキャリッジ》は左右に家が立ち並ぶ、石畳の幅が広い道路をゆっくりと進み、開けた所に到着すると、更に速度は落ちていき、地上船はゆっくりと停車した。
景気良く汽笛が鳴り、よく響く運転手の青年の声が続いた。
「終点の《インペリアル》に到着です! 忘れ物のなきよう、ご注意してお降りください!」
運転手の青年の声に乗車していた学徒や一般の人々が降りて行くが、どうせ終点であり、急ぐ必要もないだろうと判断した慶護とリゼットは、荷台部に乗っていた殆どの人が降りた所で、ゆったりと降車した。
白を基調とした石畳に足を着けて周りを一瞥した瞬間、慶護は軽い眩暈を覚えた。
見渡す限りの人。
全寮制であるため、《学園》もそれなりの人数が暮らしているが、停留所がある広場はそれの比ではない人々で溢れていた。
先に降りた慶護に支えられる様に降車したリゼットも、同じ様に眩暈の様な感覚を受けるが、支えられているので何事も無くその場に留まり、街を見回した。
「はぁ……やっぱり、人が多いね……」
「それはやっぱり、王都だからだろうね。僕の居た世界も国の中枢機関がある場所は人が凄かったからさ」
「うぅ~……人に酔いそう……」
「それじゃ、早目に買い物を済まそうか?」
うん……――っとリゼットは力無く首肯し、前を歩き出したので、慶護も彼女に続いた。
人の波を掻き分け、石畳を暫く進み、大通りから少し外れた路地にそのお店は存在した。
錬金法具店――《トミー・ザ・アルケミー》。
壁から飛び出る様にして設置されている、鉄製の丸底フラスコ型の看板を確認し、リゼットは扉を開けた。
扉に備え付けられている呼び鈴が店内に鳴り響く。
その音に反応し、カウンター越しに店長であろう男性が、読んでいた書物から顔を上げて来客を確認するが、相手がリゼットである事が解ると、再び下へと視線を落とした。
「……いらっしゃい……」
ダークグレーの髪を肩の辺り迄伸ばして、薄暗い店内と同じく何処か暗い雰囲気を纏っている男がゆっくりと口を開いた。
店内は《学園》の寮を一回り大きくした程度であるが、所狭しと化学の実験で使う様なモノや、見た事もない用途不明な器具が存在しており、カウンターに向かって歩くリゼットに引っ張られる形になりながら、慶護はそれらに視線を走らせた。
「こんにちは、トミーさん。今日はいつもお願いしている材料と、ケイゴに合う《法具》を買いに来ました」
ケイゴ? ――リゼットから聞き慣れない言葉が聞こえたので、トミーと呼ばれた男は書物から面を上げた。
薄暗い店内では、白さが際立つ少女の隣に佇んで、店内を興味深気に見回している黒き青年へとトミーは視線を向けた。
隣に立って上着の裾を握っているリゼットと同じく、左目に眼帯をしているが、白き少女がその見た目と同じく、純白の眼帯に鈴蘭のワンポイントであるのに対し、黒き青年も服装通り、黒い眼帯にシルバースカルの飾りが施されている。
眼帯に銀色の髑髏という、柔和な顔付きに反したその装飾は、違和感を覚える程であるが、そういう趣味なのだろうと結論づけ、トミーは敢えて触れないようにした。
人見知りで、一対一で自分と話せる様になったのも、初めて会ってから一年以上経って漸くであった少女が、異性と二人で来店。
しかも、少女は共に来た異性の上着の裾を握っているという、トミーが想像すらしなかった光景に、思わず我が目を疑ってしまうが、顔に出さずに耐えた店主は、首を傾げた。
「……彼氏か……?」
「ち、ちちちちち違いますよ!! ケ、ケケ、ケイゴは、そ、その……!」
案の定、リゼットは、顔を真っ赤にしながらシドロモドロになってしまい、マトモに返せなくなってしまった。これ以上少女に任せるのは可哀想であると思った慶護が苦笑し、リゼットの頭の上に手を乗せて撫でると、俯いて静かになったため、トミーは更に驚く事となった。
「僕はリゼットの《使い魔》なんですよ」
《使い魔》? ――っと余りにも普通の人間にしか見えないため、トミーはカウンターを指で叩いたのを発条として、慶護の足元に《法陣》を展開させた。ケイゴと呼ばれる青年に失礼と思いつつも、《捜査》の《法術》を走らせるが、頭に流れ込んで来るのは、目の前の存在が、見た目通りの生身の肉体であるという情報だけであり、トミーは余計に首を傾げる事となった。
「多分、僕の身体を《捜査》してるのかと思いますが、正真正銘、普通の人間ですよ。ちょっと他の人より怪我をした時に回復が早いっていうのはありますけどね」
リゼットが慣れているし、《学園》に何かしらの縁がある者であろうと考え、慶護は左目に付けている眼帯を若干ズラして、刻まれている《契約の紋様》を見せた。
……失礼をした――っと返し、トミーはもう一度カウンターを指で叩く事で《法術》を解除し、《法陣》によって若干明るくなった店内が再びランプと、小窓から差し込む小さな陽の光だけの薄暗い空間に戻る。
けれども、慶護の左目に刻まれた《契約の紋様》を見て、トミーは特に変わった反応をしなかったが、思わぬ所の思わぬモノから、黒き青年は言葉を掛けられる事になった。
「オメェ……なんちゅう《契約の紋様》を発現させちまってんだよ……」
金属同士がぶつかり合う乾いた甲高い音と、反響する様な独特の響きを持った声が突然聞こえたため、慶護はカウンターの奥にいる、暗い雰囲気を纏った店主に視線を向けるが、自分ではないと首を横に振られてしまう。
無論、慶護本人でもないため、声の主を探して、今度は奥ではなく、カウンターの上に視線を向けた黒き青年は、発信源であろうモノを見付け、眉根を寄せてしまった。
人間の上半身の骨格を模って作られた、銀色の台座の上に乗せられている、シルバースカルリングと目が合った様な気がしたからである。
誰も触れていないし、《法術》を行使してもいないのに、台座が小さく動き、シルバースカルリングが慶護の方へと向いた。
「あん? オメェ、《法術輪》を見るのは初めてか?」
精巧に作られている顎の部分が動き、先程聞いたのと同じ、反響する様な声がしたので、《契約の紋様》の事を云ったのは、このシルバースカルリングで間違いないのだろう。趣味の余り宜しくない、タダの売り物かと思っていた慶護は、驚きに固まったまま、リングの声に小さく頷いた。
「ほォ~……こっち側に喚び出されたのに、《法具》に関する知識はゼロで、《生体エネルギー》の貯蔵は――」
シルバースカルリングの眼である部分が光り、《捜査》の《法術》を受けている時とは違う、身体の奥底――内奥の部分を無理矢理抉じ開けられている感覚と息苦しさを覚え、慶護は胸元に手を当てた。黒き青年は、口を固く結び、耐えるように眉間がよる。
「オ、オイ、フォスファー――」
黙ってろ、坊主――っと止めに入ろうとしたトミーを一蹴し、フォスファーという名のシルバースカルリングは、慶護を視続けた。
胸に当てている手にも力が入り、奥歯を噛み締めて耐えるが、慶護は膝が崩れそうになる。慌ててリゼットが近寄り、肩を貸して手を添えるが、小柄な彼女では平均的な体型の青年でも支えるのは苦しく、シルバースカルリングへと今にも泣きそうな顔を向けた。
「フォスファー、何をしているの?! ケイゴに酷い事をしないでよ!」
「……チッ……リゼットの嬢ちゃんにそこ迄云われちゃ、止めるしかねェなァ~」
シルバースカルリングの目の光が弱まると共に、胸の苦しさも和らいでいったため、肩で何度か息をして呼吸を整えると、ありがとう――っと慶護はリゼットの頭を撫でた。
小動物の様に目を細めるリゼットは、ヒシっと服を掴んで、慶護を護る様に抱いているが、小柄であるため、抱き付いている様にしか見えない。
白き少女の心境や何をしようとしているのかは解っているが、フォスファーは敢えてそちらには触れず、慶護へと言葉を掛けた。
「オイ、小僧。特別に俺を使わせてやる」
「は、はぁ……? 何を云ってい――」
トミーの坊主しか知らねェがな――っと前置きで慶護の言葉を遮りながら続ける。
「俺は《禁術》に《禁術》を重ねて《錬成》された《法術輪》だ。使えるようになりャ、この店所か、この世界に存在するどの《法具》よりも強力だぜ」
《禁術》という耳慣れない言葉に、慶護は訝しげな表情をシルバースカルリングに向けるだけであるが、抱き付いているリゼットに至っては、身を固めて睨む様な視線を向けた。
トミーは溜息を零し、シルバースカルリングを自分の前に移動させる。
「コイツが云っている事は本当だ。リゼットには以前云ったが、俺が昔《傭兵ギルド》に所属していたのは覚えているよな?」
リゼットはシルバースカルリングを注視しながら、トミーの言葉に首肯する。
「当時は未だ若かったのもあって、順当に昇格していく事に気分を良くした俺は、何を血迷ったか、《指名手配》されている《B級》の《歪んだ種族》に挑んじまったんだ」
まっ、結果はこの通りだ――っとトミーが右の太腿を叩くと無機質な音が響き、顔の高さに持ち上げた左手は、手首が一回転した。
「……右足と左腕を失った――っと?」
そういう事だ――っと慶護からの言葉に首肯して、トミーは左手を下ろした。
「タダ、今こうして生きている所から解る通り、圧倒的に力が上の相手を討ち倒した訳なんだが、それは――」
俺がこの坊主に力を貸したからだ――っともし身体があったのなら、踏ん反り返っているのが容易に想像出来る声音で、フォスファーは答えた。
「人が気持ち良く寝ている所に土足で上がり込んで来たンだ。この坊主の身体を使って、あのガキンチョには、《礼節》っていうの叩き込んでやったゼ」
文字通りな――っと当時を思い出し、トミーは苦笑した。
「かなり端折ったが、要は俺が逃げ込んだ先が、コイツが封印されていた祠で、運が良いのか悪いのか解らないが、その御蔭で生命は助かったって訳だ」
ふむ……――っと今一つこの世界に疎い慶護は顎に手を当てて考え込む。
「……それと、このシルバースカルリングが《禁術》を使って《錬成》されたのには、どんな繋がりがあるのですか?」
もっともな質問にトミーは頷いて、シルバースカルリングを指差した。
「コイツには、《命》が《封入》されてる」
リゼットは何かに気付き、弾ける様に面を上げて目を見開いたが、《法術》や《禁術》に詳しく無い慶護は首を傾げた。
「《ホムンクルス》や《ゴーレム》、《ウィル・オ・ウィスプ》の様な《人工精霊》に使われる《擬似生命》じゃなくて、本物の《命》なの??」
トミーがゆっくりと頷き、リゼットが溜息を零した。
「しかも、普通の《人間》の《命》でなく、この通り、無駄に知識がある所や、俺程度を媒介としただけで、《B級》の《歪んだ種族》を圧倒する所からして、最低でも《A級》――下手をしたら、それ以上の《歪んだ種族》の《命》が《封入》されている」
「はンッ! 俺をオマエら程度の尺度で語るンじャねェ! 《B級》? 《A級》?? ……クダラネェ! 俺はな! 俺は! 俺は……お、俺は……」
それまで息巻いて喋っていたシルバースカルリングであるが、途中から徐々に声が弱くなっていき、目の光も弱くなっていくと、顎の部分を開けたまま止まってしまった。
突然黙ってしまった事を不思議に思い、慶護達三人が人間の上半身を模した銀色の骨の台座に乗せられているシルバースカルリングを覗き込む。
「………………忘れちまッた……」
傲岸な態度で思わせ振りに引っ張った答えが、《忘れてしまった》であったため、三人は最初何を云われたのか解らず、固まってしまっていたが、言葉を理解した途端、リゼット迄もが眉根を寄せてしまった。
「……それはないよ……」
「うん、ないね……」
「あぁ、ないな……」
「ちょ、ちょっと待て、オマエら!」
シルバースカルリングは、骨の台座からリング部分だけを動かして自分を覗き込んでいる三人に抗議した。
「こちとら万単位の年月を生きてンだ! この身体になってからだって、六千年は経ってンだし、少し位忘れても仕方ねェだろうが!」
「六千年ねぇ~……」
「六千年か……」
「六千年……むっ? オイ、フォスファー。そうなると、オマエは《天使》や《悪魔》の存在を見た事があるのか?」
オメェ、何莫迦な事云ってンだ? ――っとフォスファーはトミーを鼻で笑った。
「オメェ達だって見てるじャねェか」
まっ、正確な《天使》や《悪魔》じャねェがな――っと付け加え、三人を更に悩ませる事となった。
「ふむ……いや、やっぱり、ないな……俺は《傭兵ギルド》に居た時から、様々な国や地域を渡り歩いたが、《天使》や《悪魔》の外見に似た《使い魔》や《歪んだ種族》なら見た事はあっても、本物は一度もないぞ?」
「カッカッカッ! そりャそうだ。そういう認識ならそうなんだろうしな」
「認識の違い? ……う~ん、フォスファー、どういう事??」
「こっから先は自分で考えな。俺はそこ迄教えてやる気はねェぜ」
何処か楽しそうな声のフォスファーに対し、リゼットとトミーは首を傾げ、頭の上に疑問符を浮かべる。けれども、慶護だけは、違う内容で首を傾げている様で、二人がそれ以上尋ねないので、意を決し、口を開いた。
「フォスファー……だっけ? 一つ良いかな?」
オウッ、何だ? ――っと金属同士がぶつかる音を響かせて、フォスファーは応える。
「もし君が言葉通り、万単位で存在しているのなら――」
慶護はそこで言葉を一旦区切り、シルバースカルリングの淡い光りが宿っている眼の虚に視線を向けて、真っ直ぐに射抜く。
青年の態度から、リゼットやトミーの時の様に、言葉を繰り、翻弄するのは無理と悟ったフォスファーは、何処か真剣な雰囲気となり、続く言葉を待った。
「《人造神威》――知っている筈だよね?」
思考の深みに嵌っていたリゼットとトミーの二人も、慶護の質問の方が気になった様で、面を上げて、フォスファーがどう応えるのか興味深く眺めた。
やっぱりな――言葉には出さず、フォスファーは自分の中でだけ呟き、眼に宿っている光が若干細まった。
「……知っている……」
「なら――」
だがな! ――っと慶護の言葉を遮る様に、フォスファーは声を上げた。
「それを語るにャ時間が必要だ」
目の前の傲岸なシルバースカルリングが云わんとする事を理解した慶護は、口の端と片眉を持ち上げ、挑む様に声を掛ける。
「成る程……成る程、成る程……要するに、君を――」
腰を若干屈め、慶護はフォスファーに顔を寄せた。
「使え、って事だね?」
「話の解るヤツは嫌いじャ無いぜ」
トミーさん――っと突然声を掛けられ、トミーは一瞬だけ反応が遅れるが、元傭兵である名残からか、直ぐに表情を引き締めた。
「この《法具》は幾らになりますか?」
「ソイツに値段は無い」
トミーにキッパリと答えられてしまい、慶護は肩を竦めてしまう。
だが――っとトミーは続ける。
「オマエに売らない訳じゃない。話していて解る通り、コイツには《命》が在り、明確な《意思》も在る。何度かコイツを買っていったヤツが居たが、タダの珍しい《法具》としか認識していなかったが故に、結局こうして俺の元に戻って来ている。けれども――」
リングを手に取ると、トミーは慶護に掌を差し出すように促し、青年は素直に従う。
「今回はコイツから《自分を使え》と云っている。俺の時ですら、《坊主、身体を使うぞ》だったのが、《使え》だ。本人が使われたがっているのに、俺が拒否する権利は無い」
「良いのですか? 僕はそこまで詳しく強さとかを知りませんが、この《法具》を使えば、《B級》の《歪んだ種族》すら圧倒出来るのですよ? それをタダで譲るのですか?」
「俺には過ぎた力だ……。云い忘れていたが、俺が左腕と右足を失ったのは、コイツを使ったからで、余りにも反動が強烈過ぎて、吹っ飛んだ」
「………………成る程……確かに、過ぎた力ですね……」
口元を緩めるだけの笑みだが、目の前の男から、確かな意思を受け取った慶護は、複雑な表情から一変させた。真剣な表情となった慶護は、掌に乗せられたフォスファーに視線を向け、一度だけ頷いた。
「……交渉成立だな」
「これから宜しく、フォスファー」
「ふんっ、なら、掌ってのは、どうも納まりが悪ィ。左の中指に俺を通せ」
「向きは?」
「手の甲を自分に向けた時にオマエと正面で喋れる様にしろ」
頭頂部の方を指先にして、フォスファーに云われた通り、左の中指に通した瞬間、リングのサイズが変化し、キツ過ぎずでも、緩過ぎでも無い、調度良い大きさとなった。
同時に左の中指を中心に身体中をナニカが走った不思議な感覚を受け、慶護は思わず眉根を寄せてしまうが、それも一瞬の出来事であり、左手を何度か開閉して感覚を確かめる。
「……身体の中をナニカが駆け巡った様な気が……」
「気のせいじャねェぜ。俺とオマエの《氣》の回路を合わせるために、身体を調べさせてもらったンだ」
「でも、コレ迄受けてきた《捜査》のとは少し違ったね……」
「当たり前だ。回路を繋げるってのは、《命》を繋げると同義。それに、オマエの場合、上質な《氣》と在り得ねェ位高性能な回路を持ってンのに、《出口》が無かったから、ついでに作ってやったぜ」
《出口》? ――っと訝しむ慶護にフォスファーは、ケタケタと笑った。
「つっても、どっかの《厄災》みてェに何でも好き勝手出来る訳じャねェから、針の穴程度だし、基本は俺を介してじャなきャ《法術》は使えねェけどな」
そんな事はないさ――っとフォスファーに返し、慶護は静かに目を瞑った。
「そっか……どんなに講義を受けたり、修練をしても、途中迄は《法術》が形にはなるけど、発動しなかったのは、そういう事だったのか……」
「寧ろ、《出口》がねェのに、高められた《法力》が暴走しなかった方が、俺的には謎だがなァ」
そうなのかい? ――っと《法術》にはそれ程明るくないため、慶護はフォスファーに疑問を投げ掛ける。
「俺に訊くよりも、リゼットの嬢ちゃんに訊いた方が詳しく教えてくれると思うぜ」
慶護に視線を向けられ、リセットは慌てて答える。
「う、うん……わたしの《使い魔召喚》の失敗は、《向こう側から持って来れない》だけだったの。術事態は発動して《法力》は使われていたし、普段の《法術》の失敗も、純粋に《法力》が足りないだけ。でも、ケイゴの場合、全然違うの」
慶護から少しだけ離れ、リゼットが人差し指を立てて中空に円を描くと、指の軌道に沿って仄かな光が発生し、続けて内部に幾何学模様が走り、瞬時に《法陣》が作られた。
しかし、《法陣》からナニカが出現したり、超自然現象を引き起こす事もなく、《法陣》の光は徐々に暗くなっていき、完璧に消失すると、元の薄暗い店内となった。
今のが《法力》不足での失敗――っとリゼットは若干俯いて苦笑する。
「でもね、ケイゴは、《施行方法》も《法力》の量も申し分無いのに、何故か《法術》としての《結果》に結び付かないの。コレって、蛇口を幾ら捻っても水が出ない状態なんだけど、水自体はスッゴイ量があって、圧力も掛けられているのに出ないから、普通だったら水道管が破裂しても可笑しく無いのに、破裂しないの……」
「高められた《法力》がそこ迄多くないからじゃないのかい?」
首を横に振り、リゼットは否定する。
「ううん、さっきも云った通り、ケイゴの《法力》はスッゴイ量で、もし《法術》として発動して、《攻勢法術》だった場合、《学園》の壁を破損出来る位だし、《治癒》だったら、失われた手足を再生出来ちゃう位だよ」
それは相当だね――っと慶護が驚きの声を上げる。
相当だよ――っとリゼットは首肯する。
「だから、不思議なんだよ。それだけの量の指向性を持っていない《法力》が一切漏れずに溜まり続けているのに、全然溢れる感じがしないんだもん」
「僕自身は全然気付かなかったけど、そんなに凄い状態になっていたんだ……」
二人して考え出してしまい、会話が一向に進まなくなってしまったため、薄暗く、今が何時であるのか解らぬ店内にフォスファーの声が響く。
「……あ~……答えのでねェ事をいつ迄も悩んだって、ンなのは意味をなさねェから、道具を手に入れたからには、その扱いを知らなきゃ話にならねェぞォ~」
「あ、あぁ……そうだったね……悪い、フォスファー。頼むよ」
「ふんっ……少し開けてる店の真ん中迄歩け」
フォスファーに支持されるまま、慶護は円形の店内の真ん中辺りに進み、立ち止まった。
心配そうに見詰めるリゼット。
既に一回使用した事があり、コレから起きる事態を知っているため、静かに見守るトミー。
二人へと振り返った慶護は、互いに頷くと、フォスファーに視線を向けて始める様に促した。
「先ずは、指先を軽く伸ばして俺を顔の高さに持ち上げろ」
指示されたまま、左手を顔の高さに持ち上げると、指先に直径二十センチ程の紫色に輝く《法陣》が出現し、慶護は軽く走った時の様な疲労感を覚えて眉根が寄る。
「今のが《法力》が消費されたって感覚だぜ。《法力》ッつゥのは、《氣》であり、その根源は《生体エネルギー》だから、極端な事を云ッちまえば、《法術》ッつゥこの世の《コトワリ》に則り、時には捻じ曲げて、超自然現象を発生させるからには、《命》を使う必要があるってこった。まっ、それでも、自分の器を見誤った《法術》を使わなきャ、《命》を削り切るなンざ、早々起きる事じャねェから、安心しろや」
「……ナニカを得るには、ナニカを代償にしなければならない、か……」
そういうこった――っと返すフォスファーに、慶護は自嘲気味な笑みを浮かべる。
「……僕にお似合いだね……」
あんっ? ――っと余りにも小声であったため、フォスファーが訊き返すが、慶護に小さく首を横に振られて誤魔化されてしまったので、コレ以上訊いても決して答えないだろう事は、容易に想像が出来たため、傲岸なシルバースカルリングは、続きを声にした。
「んでだ、次に俺を隠す様に右手を左手に添えて、一言に凝縮された《詠唱》を声に出すと共に、一気に右手を左腕に沿って下に降ろして、後は自然体になれ」
その《詠唱》とは? ――っと左手に右手を添えて尋ねる慶護に、フォスファーは一呼吸置いて答える。
「……《武装展開》」
「成る程……――《武装展開)》!」
叫ぶ様にして《詠唱》を口にして、左手に添えていた右手を一気に降ろすと、紫色の《法陣》も同時に降りて腕を通過する。
《法陣》が通過すると左腕が光りと暖かさに包まれ、徐々に光が左腕よりも一回り程大きくなり、見覚えのある形になっていくと、光が納まる。
自然体となって体を開く形で自由になっている右手にも、いつの間にか現れた《法陣》が走り、左腕と同じ様に光り、暖かさに包まれ、収まる頃には、慶護の両腕は、肘の辺り迄を覆う白銀の手甲が装着されていた。
光が収まって両腕以外の外見的特徴が変わらない慶護であるが、その内奥には、確かな《法力》と《法術》の行使の結果を感じ取り、リゼットは驚きに目を見開き、声を掛けるのも忘れて、眺め続けた。
若干の疲労感があるが、身体の内側から発せられる暖かい様なナニカを感じ取り、慶護は自分の中に存在する《法力》というのをハッキリと認識する。
また、見た目や装着している感覚から、金属製であるのは確実であるが、殆ど重さを感じないため、疑問に感じて慶護が両腕の白銀の手甲を眺めていると、左手側の手の甲の辺りに埋め込まれる様にして存在するフォスファーに気付いて声を掛けた。
「凄いね、コレ……重さを全く感じないだけじゃなくて、身体中に力が漲っているよ」
「ヲイヲイ、コノ程度で驚かれちャ困るぜ? こんなの、初歩の初歩だ。そもそも、両腕だけだなんて、本来の数パーセントしか発動していねェってこった」
しかしなァ……――っとフォスファーが呟くが、慶護は両腕に展開された白銀の手甲を何度も眺めているため、どうやら聞こえていない様である。
こんなにも身体が軽く感じるだけでなく、ココ迄ハッキリと《法力》を感じた事のない慶護は、手甲と自分の身体を眺めながら、もしコノ状態で《法術》を行使したのなら、どの様なモノが発動出来るのだろうかと二十歳近くだが、子供みたいに期待に胸を躍らせた。
「あっ、忘れていたが、今の状態だと、《法術》を使えちまうから、《法力》を練って高めたり、発動させンじャねェぞ? 俺との回線を遮断させて無理矢理発動させないって事も出来るが、後でどんな反動を受けるか解らねェからやらせンなよ?」
考えていた事に釘を差される様な事を云われ、慶護は思わず身体が硬直してしまうが、苦笑して誤魔化しつつ、深呼吸して、自分の気持ちを落ち着かせる事にした。
そして、半眼になり、体内に感じている《法力》を呼吸と共に、表面が凸凹なゴムボールを整えるイメージで、徐々に落ち着かせていると、ふと、慶護は自分の身体の奥底に、余りにも小さく、今迄気付かなかった《歪》の様なモノを感じたため、手を伸ばす感覚で、それに集中しようとして――。
「――ヲイ、小僧……《人間》で居たいのなら、《ソレ》に触れるンじャねェ」
叫んでいる訳でも荒げている訳でもないのに、妙に耳に響くフォスファーの声によって一気に意識を引き戻された慶護は、一瞬、自分が何をしようとしていたのか解らず、呆けてしまう。
ふと、顔を正面に向けた時に見えた、今にも泣いてしまいそうなリゼットの不安な表情に、慶護は何故か申し訳なく感じ、頭を軽く左右に振って、気持ちを切り替える事にした。
「……初めて《法術》が成功したから、ちょっと疲れたよ……フォスファー、コレを元に戻すには、どうすれば良いんだい?」
「装着した時と同じで《詠唱》が必要だ。今度は、装着する時とは逆に腕を動かせば良い」
その《詠唱》は? ――っと尋ねる慶護。
簡単さ――っと金属同士がぶつかる甲高い音を立てて答えるフォスファー。
「《武装解除》」
「了解……――《武装解除》!」
右手を左の肘辺りに添えて、一気に指先迄流すと、今度は肘の辺りに出現した《法陣》が指先迄走り、白銀の手甲を光の粒へと変換させて、跡形も無く消失した。
両手の手甲が消えて、軽い疲労と脱力感に膝の力が抜けかける慶護であるが、表情には出さずに踏ん張って、何とか耐える。
不安そうに見詰めて来ているリゼットに、コレ以上の心配をさせるのは勘弁したい慶護は、表面だけであるが、男の子の意地を見せた。
「……止めてくれてありがとう、フォスファー……」
「ふんっ、久し振りの娑婆を楽しめねェのは、面白くねェからな」
互いにしか聞こえぬ声で会話をし、慶護はリゼットへと足を進めた。
リゼットの隣で立ち止まると、頭を撫でた。目を細めて頬を緩めた少女を一瞥して、その表情から負の感情が消えたのを確認した慶護は、続けてトミーへと視線を向けた。
「今日はありがとうございました。ちょっと疲れたので、コレで失礼します。また、来ますので、その時には、他の《法具》や、店内の商品の紹介をお願いします」
「あぁ……また、今度な。気を付けて帰れ」
一礼して踵を返す慶護。
リゼットもトミーに勢い良く頭を下げると、慶護に早歩きで追い付き、いつも通り、上着の裾を掴むと、ドアベルを鳴らして、二人は《トミー・ザ・アルケミー》を後にした。