三節 : 死に難い青年
数百人は余裕を持って収容可能な、大型の食堂に幾つも並べられている長机の一つに、二人の少女と一人の少年――っと一人の青年は、男女同士が対面になる様に椅子に座って、食事を摂っていた。
「――すると、この前部屋でリゼに云った言葉は、無意識の内に出たって事なのか? ……じゃなくて……ですか?」
「アレン、前から伝えようと思ったけど……確かに僕の方が歳上だけど、言葉使いは気にしなくて良いよ。むしろ、この《学園》では君達の方が先輩で、僕は教えてもらう立場でもあるからさ」
そ、そうか――っとアレンは照れ隠しのために、痒くもないのに後頭部を掻いた。
「部屋で彼女に――」
リゼット……――っと隣から恨めしい響きを持って訂正されたため、慶護は一旦言葉を区切り、云い直す事にした。
「――リゼットに云ったのは、本当に無意識だったんだ。僕自身も、何でそんな事を云ったのか全然解らなくて、気が付いたら言葉が口を出ていたんだよ」
リゼもなの? ――っとコニーに確認されて、小さく頷くリゼット。
「わたしも、気が付いたら、《おかえり》って云っていたの……」
「その後、通じ合っちゃって、二人だけの世界に入っちゃった――っと? ナニソレ? 惚気?? 超羨ましいんですけど~」
「いや、そういう訳では――」
え、えへへぇ~――っとハニカミながらも、頬を若干染めて嬉しそうにするリゼットを見てしまい、否定しようにも出来なくなった慶護は、アレンとコニーからの妬みが含まれた眼差しを甘んじて受ける事にした。
本当に見た目も中身も年齢通りだな――っと何処か微笑ましい二人の態度に目を細め、慶護は持って来たまま、一口もつけていないスープを口に運んで、パンを食した。
「……うん、やっぱり味も良いね。スープにパンにサラダ……栄養のバランスも考えられているし、ココの食堂の人はちゃんと解っているよ」
だろう? ――っと自分が褒められた訳ではないが、《学園》の事を良く云われ、アレンは自慢気に応える。
「ココのオヤジが作る料理は、本当に美味くてな。俺、いつも大盛りで頼んじゃうんだ」
「アレンの場合は、タダ食いしん坊なだけでしょ?」
「ほほぉ~、そういうコニーも俺の事を云えるのか? この前――」
「ちょ、ちょっと、アレン! それは云わなくても良いでしょ!」
「……あ~、そのな……俺の料理がうまいって云ってくれるのは嬉しいが、食事中は、余り騒ぐのは宜しくないと思うぜ、坊主に嬢ちゃん」
突然、野太い声が聞こえ、皆が驚いて振り返ると、熊と云われても納得してしまう程の、口周りに髭を生やした彫りの深い巨漢が、大きなエプロンを付けて立っていた。
「おっ、ガルドのオヤジ、いつも通り美味いぜ!」
ガルド《さん》だろうが、悪ガキ――っと、巨漢は苦笑してアレンを小突いた。
だが、本人にとっては軽くであっても、受けたアレンの方は相当な様で、小突かれた頭を抱えて唸ってしまった。
「あれ? ガルドさん、厨房は良いの?」
「俺には、優秀なちっこいのがいるから、悪ガキ達が少ないこの時間なら大丈夫だ」
もう厨房を任せているの? ――っとコニーが驚いて確認すると、ガルドは首肯する。
「ココに来てからは、俺と一緒に飯を作っているからな。アイツは飲み込みが早いし、この時間なら、任せても何の問題もない。《法具》には未だ慣れないがな」
「そりゃ仕方無いさ。むしろ、あんな事があったのに、こうして《法術師》やその見習いに囲まれている所に住み込みで居る方が凄いぜ」
それもそうだな――っとガルドは顎髭を撫で付けた。
アレン達の話題の人物が全く解らない慶護は、会話を耳に入れつつ、黙々と昼食を口に運んでいると、視線を感じたので、手を止めてそちらへと顔を向ける事にした。
「……オマエが噂の人間の《使い魔》か?」
「どの様に伝わっているかは解りませんが、多分、僕で合っていると思いますよ」
「……美味いか?」
唐突にそれだけを訊かれ、想像していたのとは全く違う質問であったが、えぇ……――っと答え、慶護は続ける。
「バランスもちゃんと考えられていて、凄く良いと思います」
「そうか……」
それだけ答え、満足そうに頷くと、ガルドは踵を返して厨房へと戻って行った。ガルドの意図が全く解らず、慶護が首を傾げていると、アレンとコニーが青年へと顔を寄せた。
「スゲェな、ケイゴ! 初めてガルドのオヤジを見たのに全然驚かないし、普通に会話もしたな!」
「そんなに驚く事なのかい?」
「あのガタイと見た目だから、初対面の人は大抵怖気付くわね」
「そうなのか……道場に通っていた時には、あの位の大きな人も居たし、ガルドさん、見た目は怖そうだけど、優しそうな感じを受けたから、怖いとかは全然なかったな……」
「へぇ~、そうなのか~」
「ふぅ~ん……ねっ、その《ドウジョウ》ってのは、どんな所なの? あんな巨漢が居るなんて、あんまり普通の所じゃないと思うからさ」
何処か楽しそうにコニーが尋ねて来たが、この食堂はあんまり普通の所じゃないのか――っと慶護は苦笑した。
「面白そうな想像をしている所、申し訳ないけど、武道を修めるための、普通の所だよ」
《ブドウ》? ――っとコニーは眉根を寄せ、首を傾げた。
さて、どの様に説明すれば伝わるかな? ――っと慶護は頭の中で考えつつ、他の言葉に置き換えて、説明する事にした。
「一定のルールの下で行う戦闘訓練の事だよ。戦闘訓練と云うだけあって、中には非常に実践的なのもあれば、精神的な面を重要視するのもあって、様々さ。そして、道場っていうのは、それら訓練を行う場所の総称だね」
「成る程ね~……ケイゴの居た世界じゃ、戦闘訓練の事を《ブドウ》って呼んで、修練場の事は《ドウジョウ》って云っていたのね」
「詳しくは違うけど、大体そう捉えてくれて構わないよ。タダ、僕の居た世界って云うよりかは、僕の居た国ではが正しいかな? 他の国と比べると色々と変わっている所があるって云われていたけどさ。僕自身は自分の居た国から外に出た事がないから、その辺りの実感は、余りなかったな~」
「……って事は、ケイゴはその修練場で戦闘訓練を受けていたって事なの?」
そうだよ――っと慶護は首肯する。
「背も高くないし、体重だってそんなにないけど、コレでも道場で子供達に教えていた位の腕はあるよ」
じゃあさ! ――っと目を輝かせてコニーが声を掛けてきたので、会って未だ数日程度の時しか一緒にいないが、目の前の快活な赤毛の少女の性格が大体解った慶護は、次に来る言葉の予想がついてはいたけど、続きを促した。
「アタシ、近接格闘が得意で、家も格闘の修練場をしているんだ。腕にはそれなり自信があるから、今度訓練の相手をしてよ!」
案の定の続きに慶護は苦笑する。
「隣に居る腰抜けじゃ、全然相手にならなくて、困っていたんだよね」
「オイ、コラ、誰が腰抜けだって?」
「アンタの事よ。だって、アンタ、戦闘訓練の格闘術で、一度でもアタシに勝った事ある?」
どうやら痛い所を突かれた様で、アレンは渋い顔になり、言葉に詰まってしまった。
「な、ない……けど、それを云ったら、コニーだって《法術》の実技訓練で、《障壁》の強度や《法陣》の錬成制度で俺に勝った事ないだろう?」
「代わりに、アタシは《攻性法術》の威力で、アレンに勝っているけどね」
一瞬互いに口を噤むアレンとコニー。
「攻めるだけじゃ、直ぐに折れちゃうぜ?」
「攻撃は最大の防御って言葉、知らないの?」
再び互いに口を噤むと、椅子を立ち上がり、二人は距離を取った。
「……なら、俺の《障壁》の強さを身を持って思い知らせてやるよ……」
「ふんっ……アンタこそ、アタシの一撃の威力をその身に刻み込んでやるわ」
二人の直ぐ隣の床に《法陣》が形成されると、光の粒子が収束して中からナニカがその姿を現した。
大きなアルマジロと紅いサンショウウオか……――っと二人の《使い魔》の姿を視界に収めた慶護が小さな声で呟くと、服の裾を引っ張られたので、隣に顔を向ける。
「ちょっと危険かも……」
危険? ――っと訊き返す慶護に、リゼットは首肯する。
「アレンとコニーがぶつかるのはいつもの事だけど、今回は《使い魔》もいるから、周りへの被害が、コレ迄よりも酷くなりそう……」
「あ~……確かに、ユーベル教授の話を聞いている限りだと、子供の喧嘩じゃ済みそうにないね……」
《使い魔》を召喚出来るという事は、それなりの《法術》に関しての知識と技量が在るという事になり、その様な彼等が、自らの能力を飛躍的に向上させる《使い魔》を使えば、その結果は火を見るより明らかである。
ユーベルから受け取った紙に書かれていた内容を思い出した慶護は、溜息を零した。
既に二人の近くに座っていた学徒達は席を立ち上がり、避難している。
慶護はアレンとコニーを視界に入れつつ、自分の隣で眉根を寄せて二人の成り行きを不安げに見詰めているリゼットに耳打ちをする。
「リゼット、僕達も避難した方が良いんじゃないかい?」
「そうしたいんだけど……このまま二人を止めないで、学徒だけで《決闘》をさせたら、今迄よりも酷い罰則が待っているの……」
自分が居た世界の校則違反者への罰則の様なものかと置き換えて理解しつつ、慶護は、どんなのがあるの? ――っとリゼットに確認する。
「《使い魔》を使ったら、下手をしたら怪我じゃ済まない可能性があるから、良くて停学や懲罰室への謹慎で、最悪は《学園》からの追放もあるかも……」
「リゼットが間に入って止める事は出来ないのかい?」
白く儚げな少女は、悔しそうに奥歯を噛み締めて首を横に振る。
「難しい……わたし、《法術》の座学は上の方だけど、実技は全然だから……」
で、でも――っと、リゼットは自分の服の裾を思い切り握り締め、今にも泣きそうな表情になりながらも、二人を真っ直ぐに見詰める。
「コニーとアレンは、そんなわたしとずっと一緒に居てくれている、大切な《友達》だから、と、止め……止める……!」
口を強く結び、慄える足で立ち上がったリゼットを見て、慶護は、そうだね――っと呟く様に応え、立ち上がると、小さな慄える少女の頭に手を乗せた。
「でも、それは僕の役目だ」
えっ? ――っと慶護を見上げたリゼットに微笑み、人間の《使い魔》はテーブルを飛び越えて、両手を広げながら二人が睨み合っている間に割り込む。
「二人共、そこ迄に――」
「また君達は問題を起こそうとしているのか?」
年若いが意思の強さを感じさせる響きを持った声が食堂に響き、慶護は口を開けたまま止まり、アレンとコニーの二人にとっては、聞き慣れた厭な相手のため、面白くなさそうな表情となって振り返った。
「何の用だよ、ジャン」
アレンにジャンと呼ばれた少年は、手入れの行き届いた金色の髪を掻き揚げ、物憂げに溜息をついて、二重のハッキリとした瞳を向けた。
何気ない所作の一つでも絵になってしまっており、どの世界にも居るものなんだな――っと慶護は感嘆の息を零した。
「何の用だ、ではない。《教授》や《講師》立ち会いの下でなければ、《決闘》は学則違反だぞ? 君達は、また懲罰室に入りたいのか? これだから、君等の様な血筋も定かでない、卑しい者達に《法術》を伝えるのは碌な事にならないと云うのだよ……」
《学園》であるため、服装による違いはそれ程無いが、身に付けている装飾品や、この世界が中世ヨーロッパに非常に近いため、貴族階級の者であろうと予測していた慶護であったが、ココ迄想像通りの型に嵌まっている少年とは思わず、固まってしまった。
「うん? ……何で《使い魔モドキ》がココに居るのだ? モドキであっても《使い魔》ならば、食事を摂る必要はないだろう?」
「いや~、僕は確かにリゼットの《使い魔》だけど、身体は純粋な人間だから、食事を摂らないと死んでしまうよ」
はっ? 純粋な人間?? ――っと驚きに目を見開くと、始めの方は堪えていたが、耐え切れずに腹を抱えてジャンは笑い出した。
「は~っはっはっはっはっはっ!! 君が! 純粋な! 人間?! 冗談はその顔と服装だけにしてくれたまえ!」
未だ腹を抱えているジャンとは対照的に、不機嫌になっていくアレンとコニー。
先の事はもう頭にはなく、ジャンの事を睨みながら、アレンとコニーが一歩詰め寄る。
「おい、ジャン……俺の友達の《使い魔》を悪く云うって事は、俺の友達を悪く云うって事だ。それだけは許さねぇぞ?」
「そうね……友達を悪く云われて黙って居られる程、アタシ達出来ていないの」
「ほぉ……」
向けられる敵意に気付き、嘲笑の笑みを浮かべたまま、ジャンも二人を正面から見据える。
「君達程度の《法術師》見習いが、この僕に敵うと思っているのかい?」
「やってみなきゃ解かんねぇだろう?」
「そういう事よ……格闘術なら、アンタだってアタシに勝った事ないんだからね」
「相変わらず面白い事を云うな、君達は……《法術》で重要なのは内在している《法力》である事を教えてやろう……」
ジャンが目を細め、腕を振るうと、斜め後ろの中空に大型の《法陣》が発生し、地に降りながら、立体スキャナーの様に、光の粒子が収束していき、慶護もよく知る、ある動物の形となった。
但し、その大きさが通常のそれよりも一回り以上大きく、防具の様な装飾品を付けていたため、一瞬戦車か何かかと勘違いしてしまった程だ。
更に慶護の知っているそれとは違い、頭部に剣に似た角の様なモノが生えており、その姿は宛ら――。
「重装騎馬の……ユニコーン……?」
「ほぉ、《使い魔モドキ》でも、その聖獣の名は知っているのだな。如何にも、我がラフォレーゼ家の家紋にも使われている聖獣ユニコーンの姿をそのままに、より美しく、より実践的なモノとなった僕の《使い魔》――バルカは素晴らしいだろう?」
サラブレッドとは違い、速さをではなく、頑丈さと強靭さを追求したためだろう、頭頂部は二メートルを超えており、足も並みの馬の倍以上もあり、小型の象並みの大きさを有している。
「確かに、威圧感は相当なものだけど、それだけ重いと、鈍重なんじゃないかい?」
ふっ――っとジャンが鼻で笑うと、バルカがその巨躯に似合わぬ程の軽やかさで飛び上がり、慶護の目の前に地を揺るがしながら着地した。
巨体だけあり、眼前に立つと、その圧迫感は跳ね上がり、表情こそ変わらぬが、慶護の頬を冷たい汗が伝う。
「……へぇ、隙はない――っと云いたいのかな?」
「我がラフォレーゼ家は完璧であるからな!」
声高々に一切の躊躇なく《完璧》と宣ったジャンに、慶護は溜息を零し、アレンとコニーは肩を竦めた。
「この世界の貴族階級の人達は、みんな君みたいに、根拠の無い自信と放漫さに満ちているのかな?」
「はっ! 一部の腰抜け共と一緒にされては困るな! 我がラフォレーゼ家は由緒正しき騎士の家! 女王陛下直属の《法術師》を何人も輩出している歴史があるからこその自信であり、自負である!」
ココ迄いくと清々しくさえ思うね――っと呆れ半分、ある意味の尊敬半分で、慶護は心の中で呟き、声高く笑っているジャンに視線を向けて、口を開いた。
「成る程、君の家は歴史的に見て、確かに貴重かもしれない。自信に満ち満ちているのも頷けるね」
当然だ――っと腕を組み、ジャンは気分良く鼻を鳴らす。
けどね……――っと目を細め、慶護は続ける。
「家と君は別だ」
ジャンの笑い声が止まり、表情が固まる。
「家は立派かもしれないけど、君自身はどうなのかな? 例えば……そうだね――」
リゼット――っと慶護に突然声を掛けられ、事態を眺めているだけしか出来ず、唇を噛み締めていたリゼットだが、慌てて顔を向ける。
「な、なに??」
「《法術》の座学で、リゼットとジャンなら、どちらの方の成績が良いんだい?」
「ク、クリスには、毎回負けちゃうけど、ジャンより下になった事はないよ……」
ジャンの眉根が寄り、頬が引き攣る。
「ふむ……なら、コニー、君はどうだい?」
「うん? アタシ? そうね~……格闘術や近接戦闘なら《法術》を使っても負けた事はないね~……クリス以外」
ジャンは奥歯を噛み締め、拳を震える程強く握る。
「ほうほう……それじゃ、アレンは?」
「俺も《法術障壁》の強度や《法陣》の精度じゃ、ジャンに負けた事ねぇな~……クリスは除くけどな」
額に青筋を立て、ジャンの口角が下がる。
「成る程……全然完璧じゃないね。今の周りの話しを聞く限り、むしろ、完璧なのは――」
慶護の姿が掻き消えた。
声が唐突に途切れたので、顔を向けた三人の視界に、頭部を振り回しきったバルカと、後方に吹っ飛ばされている慶護が映る。
長机に衝突して破壊するが、慶護は相当な速度であった様で、そのまま転がり続け、幾つかの長机をダメにした所で、漸く黒い塊となった青年は止まった。
破砕音が止まり、静寂に支配された食堂に走る、悲鳴とざわめき。
「お、おいおい、マジかよ……」
「ちょっと、これは……」
アレンとコニーが呆然と慶護が吹っ飛ばされた先に視線を向けていると、白い少女が駆け出した。
「ケ、ケイゴーーーーーーッ!!」
破壊された長机に埋まる形になってしまっているので、木材を急いで退ける。
けれども、絶対的な体力と腕力不足で、中々慶護の姿を確認出来ず、所々に付着している紅いモノがリゼットの心を焦燥させる。
「ケイゴ……ケイゴ……ケイゴ……っ?!」
大きめの木片を退け様とした所で、手を切ってしまい、思わず引いてしまうが、それでも構わず、退けていると、リゼットの後ろから二つの影が近寄り、彼女一人ではとても動かせそうにない木片を横にズラした。
「手伝うよ、リゼット」
「先ずは救出が先だな」
「あ、ありがとう……」
俯き、小さい声で二人にお礼を云い、三人は木片を退ける作業を続け、遂に慶護の姿を見付けるが――。
「えっ……ちょ……コレ……」
「ひでぇ……」
「あ、あぁ……あああぁぁ……」
腹部が大きく凹み、肋の一部が露出する程で、長机に衝突した時の衝撃か、四肢もあらぬ方向に曲がってしまっており、口や至る所から流れ出ている血が慶護とその周囲を紅く染める凄惨な光景。
言葉に出来ぬ感情に支配され、その場に崩れるリゼットと、立ち竦んでしまうアレンとコニー。
「何を呆然としているのだ? 幾らモドキでも、《使い魔》ならば、召喚主の《法力》を与えれば瞬く間に修復される。如何に無茶苦茶な状態になっていようとも、ショックを受ける事ではないだろう?」
「ケイゴは……ケイゴは、《普通の人間》と一緒だよ……」
なに? ――っとジャンは訝しげな表情となり、隣に来たバルカの頭部を撫でる。
「《魂の契約》は結べるけど、《普通の使い魔》みたいに、消去と具象化は不可能で……身体が傷付いたら、わたしの《法力》じゃなくて、《治癒》じゃなきゃダメだし……それに、手足を失ったら《人体部位錬成》でないと治らないんだよ……」
「はっ? それじゃ……」
震える手をゆっくりと伸ばし、紅く濡れるのも構わず、リゼットは慶護の胸へと掌を乗せる。通常ならば、感じる筈の鼓動が無く、只々静かな時だけが流れる。
リゼットは俯き、力無く腕が垂れ下がる。
「は、はんっ! 《使い魔》が一匹死んだ位で、何をそんなに暗くなる! もう一度、召喚すれば良いじゃないか! 先ず在り得ない事だが、現在の《使い魔》が消失した場合、再度《使い魔》を召喚する事が可能なんだ。今度はその様なモドキでなく、ちゃんとした《使い魔》を召喚すれば良いだけだ!」
沈黙に耐え切れず、声を上げたジャンであるが、リゼット達は、無残な姿の慶護に視線を落としたまま、貴族の少年の言葉には全く反応しない。
「……っ! そうか……そういえば、ミス・リゼットはコレが《使い魔》の召喚の初成功だったな。今度また成功するか解らないから、そんなにショックを受けているのだろう?」
余りにも的外れな上に、人の心を逆撫でするジャンの言葉に耐え切れず、アレンとコニーが憤怒の形相で振り返り、鼻持ちならぬ態度の少年へと歩みを進める。
「何だ? その顔は?? そんなに――」
黙れ――アレンとコニーの声を合わせた拒絶の言葉に、流石のジャンも口を噤むしかなく、真一文字に結んだ。
「オマエは厭なヤツだとは思っていたが、ココ迄のクズ野郎とは思わなかったぜ……」
「悪いけど、今のアタシ、手加減出来る気がしないから、その駄馬をぶっ殺しても、構わないよね? また召喚し直せば良いだけだから、大丈夫でしょ?」
コニーは肩に乗せていた赤き大型のサンショウウオの見た目をしたアルマを手に握ると、一言に集約された詠唱を口にする。
「《共鳴》」
手に握っていたアルマが紅き光球となってコニーの身体に吸収されると、少女の身体全体が紅き光を放つ。
紅き光が収束すると共に、身体に張り付く様な黒い布地以外、全てが紅い、ライトアーマーを着込んだ拳闘士が、これまた紅い襟巻きを翻し姿を現した。
紅き拳闘士となったコニーがジャンを指差す。
「《法術》で大事なのは内在する《法力》……だったっけ? 今のアタシなら、アンタの隣の駄馬よりも《法力》が上だと思うよ?」
「ふんっ! 如何に《共鳴形態》が己の《法力》を爆発的に上昇させるモノだとしても、元が低ければ、微々たるものである事に変わりない。僕のバルカで捻り潰してやろう!」
コニーがフルフェイスの中で口角を上げる。
乗ったな、莫迦が! ――っと心の中で毒づき、コニーは左前の自然体となって構える。
駆け出したバルカに身体の動きに合わせ、コニーは短く息を吐き、内在する《法力》を淀みなく流して、右の逆突きを放つ。
バルカの頭部の角とコニーの拳が衝突した瞬間、圧縮された《法力》が破裂し、周囲を一掃。続く拳と角の連撃により、床にヒビが入り、破裂した《法力》が空間を揺らす。拳と角が衝突する度に、圧縮された空気が破裂して、周囲に衝撃が走り、事態を見守っていた学徒達は、《防御障壁》を展開して、コニーとバルカから更に距離を取った。
……可笑しい……――ジャンの表情が曇り、眉根が因る。
内在する《法力》も《使い魔》の能力もコニーを圧倒している筈なのに、何故か拮抗しているだけでなく、むしろ――
「……押されて、いる……?」
連撃の隙間を縫って放たれた炎を纏ったコニーの拳によって、バルカの重装甲の一部が融解し、爆ぜる。
「莫迦な! 僕の方が上なのに、何で君程度に?!」
「――ホント、解ってないのな……」
それ迄一言も喋らず、ジャンの意識から敢えて消えていたアレンが声をあげ、己の存在を気付かせる。
「な、何がだ?!」
「ジャン、オマエ、俺よりも座学も実技も上なのに、熱くなると忘れちまうんだな」
《相生相剋》――っとアレンが呟いた言葉に、目を見開き、ジャンは自らの《使い魔》と自分が格下と考えている《共鳴形態》の紅き少女へと視線を向ける。
バルカの一撃を左の拳で弾き、頭部が仰け反った所に、コニーは死角から身体ごと飛び込む様に突貫。石造の床が爆ぜる程力強く右足を踏み下ろし、身体を急停止させながら、足腰を器用に動かし、勢いと体内を流れる《法力》を右の拳へと移動させて、紅き騎士は瞬速の直突きを放つ。
元々の巨体と重装甲により、並の戦車を超える重量を誇るバルカの身体が若干浮いたため、接近戦をこのまま続けるのは拙いと判断した《使い魔》は、主の元へと大きく飛び退いた。
「くっ……ジャン様、申し訳有りません……」
「いや、いい……僕も熱くなり過ぎた……」
コニーの一撃で焼け焦げ、一部は剥げているバルカの装甲を一瞥して、ジャンは苦虫を噛み潰した様な表情となる。
「《相生相剋》……確かに、《金氣》である僕のバルカでは、《火氣》のコニーとは《相剋》の関係で、相性が最悪……でも――」
ジャンが自らの《使い魔》であるバルカの装甲が剥げた部位を一撫ですると、淡い光と共に瞬時に修復され、元の見事な金属光沢眩しい装甲となった。
「この通り、バルカの身体を瞬時に修復可能な程の《法力》を僕は内在している。一方、君の方は――」
コニーの頭の天辺から足先迄視線を動かし、ジャンは鼻白む。
「ふんっ……貧相な身体だ」
「あんっ!」
おっと、失礼――っとジャンは嘲笑して肩を竦める。
「そうではなく……籠手は度重なる衝突に耐え切れず、亀裂が無数に走り、胸部装甲も片方が爆ぜ飛ぶ始末。グリーブも拉げ、一部が砕けている所からして、防具を再生不可能な程、《法力》を消耗しているのだろう?」
フルフェイスで表情が見えないが、一瞬だけコニーの動きが止まった。
「四肢にまとっている炎の勢いも弱まっていて、その《共鳴形態》も保って後数分……本来ならそんな満身創痍の状態では、僕のバルカに傷一つ付ける事は不可能だ」
「でも、アタシはその駄馬をアンタが《法力》を加えて修復しなきゃならない程、ボコボコにしてやったわよ」
そこだ、そこ――っとジャンは指を立てて、疑問に感じている所を声にする。
「現実に僕のバルカの装甲は爆ぜた。在り得ない事が起きている……」
「……オマエ、俺の得意なのが何なのか、忘れてねぇか?」
「はぁ? 君が得意なのは、《障壁》だろう? 君はそれ以外全てが平均以下の使えない《法術師見習い》だ」
「そうだ。俺は、《障壁》の強度と《法陣》の錬成精度以外、全部が平均以下の使えない《法術師見習い》だ」
でもな――っとアレンは挑発する様に歯を見せる笑みを浮かべた。
「逆に云えば、《障壁》の強度と《法陣》の錬成精度なら、この《学園》の同じ歳の学徒には負けねぇって事だ。それは、ジャン、オマエにもだ! その上、《土氣》の俺と《火氣》のコニーは《相生》の関係! ならば、俺の《障壁》と《法陣》は更に強力となる!」
「それはそうだが……君が扱えるのは、所詮、《障壁》と《法陣》のみだ。それが、僕のバルカが押されているのと、どう繋が――」
そこで何かに気付いたジャンが言葉を飲み込み、コニーの四肢に視線を向ける。
「――アレン、君は味方なら頼もしいけど、敵となった場合、本当に厄介な存在だよ……」
「気付くのが遅いぜ、ジャン」
そして、アレンが腕を振るうと、コニーの四肢に極小で展開していた《法陣》が掌程の大きさとなり、、金色に淡く光ながら、ゆっくりと回転する。
「コニーが攻撃した時に、バルカに当たる瞬間だけ《法陣》をこのサイズにして、防御に使う《障壁》をぶち当ててやったのさ。まっ、かなりの精度と《法力》を必要とするから、コンラッドが傍に居る事とコニーというパートナーにのみって限定条件が付くけどな」
「成る程……アレンの《障壁》で、コニーの攻撃の威力を高めつつ、返って来る衝撃を緩和させていた、って所か……」
両腕を組んで、ジャンは自分が押されていた説明を続ける。
「ふむ……それならば、バルカの攻撃に対して、真正面から拳や足を衝突させていたのに、籠手やグリーブが未だ健在なのも頷ける」
しかし――っと何度か納得した様に首を縦に振っていたジャンが、片方の眉を上げて挑む様な視線をアレンに向ける。
「バルカの攻撃が想像以上で、耐え切れなかった様だな。コニーは一目で解る程消耗しているし、君も先程と同じ強度と精度では、後数回《障壁》を展開させるのが限界の筈だ」
余りにも正確に自分達の状況を分析され、アレンとコニーが表情を曇らせる。
「まっ、所詮、その程度なのだよ。《火虚金侮》――君達が《火生土》であろうと、弱過ぎるから、こうなる。コレが、血統と雑種の違いだ。解ったかい?」
「――全然解らないね」
突然声が聞こえ、黒い影が長机を足場にして駆け上がる。
反応したバルカの背を足場にして、黒い影は一気にジャンに飛び込むと、手にしているナニかを思い切り振り被ったので、慌てて貴族の少年は自らを護る様に腕をクロスさせた。
飛び降りる際の勢いを利用した一撃により、鈍い音と共に前に出していた左前腕から激痛が走り、ジャンの口から呻き声が漏れる。
黒い影は膝を曲げて体を落とし込み、着地時の衝撃を和らげる。
「……ふぅ……全く……いきなり酷い事をするものだね……」
ゆっくりと立ち上がりながら言葉を発した黒い影を確認したジャンが、口を何度も開いたり閉じたりして、驚きの余りに声が出せなくなっている様だ。
それは、ジャンと対峙していたアレンとコニーも一緒で、眼と口を開いたまま固まってしまっている。
「幾ら頭にキタからって、人を殺せる一撃を放つのは余り良くないよ」
黒い影――慶護はジャンを殴った真鍮製の燭台であったモノを床に投げ捨て、額に手を当てて顔を顰める。
「痛うぅぅ~……未だ治り切っていない状態であんな無理はするもんじゃないね……思考が定まらない上に、身体中から変な音が聞こえるよ」
「き、君、君は……っ?!」
「うん? ……あぁ~、そうか……僕はね、何故か知らないけど、怪我の治りが普通の人よりも早いんだ」
けどさ――っと慶護は額に当てていた手を外して、真っ赤に染まっている掌をジャンに見せる。
幾ら態度が不遜であっても、人の血を見て気分が良い筈はなく、ジャンは顔を顰めた。
「今回みたいなほぼ即死状態の時だけ、命を繋ぎ留めるために急速に回復はするけど、死なない程度まで治ったら、この通り、普通の人と何も変わらない早さなんだ。そのため、適切な処置をしないと治りは遅いし、痛みだってそのままだから、便利なのか不便なのか、今一つ解らない所だよ」
「し、心肺停止していたのに、な、何故だ?!」
「一時的にそうなっていたみたいだね。腕を動かした瞬間、リゼットが驚いた表情のまま固まってしまっていたから、事前に説明をしておけば良かったと後悔しているよ。……って、そっか、それだと――」
後ろに振り返り、確認すると、案の定、アレンとコニーの二人も固まってしまっていたので、あぁ、やっぱり……――っと慶護は苦笑して、二人に近寄った。
「ごめんね、アレン、コニー。事前にちゃんと説明しておけば良かったね」
「いや、まぁ……幾ら《法術》で色んな事が出来ると云っても、死んだ人間を蘇らせる事は《禁術》中の《禁術》だから、多分、笑い飛ばしていたと思うけど……」
「実際に目の前でそれが起きているし、《死なない》なんて、下手な《使い魔》よりも《使い魔》らしいと思うよ……?」
「あ~……それはどうかな? 僕はタダ、《死に難い》だけで、《使い魔》は《死なない》って話だから、全然違うと思うけどね」
死に難い? ――っと二人が声を揃えて疑問を口にした。
「そうだよ。自分の身体が異常だって云うのは解っているけど、多分、限界はあると思う。もし本当に死なないのなら、こんな中途半端な感じじゃ困るからね。流石に試していないし、試したいとも思わないけど、頭を吹っ飛ばされたり、上半身と下半身に分断されたりしたら、死ぬと思うよ」
「それでも、《死ぬと思う》って事は、相当な目に遭っても生きていたって事、だよな……?」
そうだね~……――っと遠くに視線を飛ばして、慶護は溜息を零した。
「全身打撲と複雑骨折ってさ、基本的に同時になるけど――」
「あ~、うん、解った……解ったから、それ以上は云わなくて良い……って云うか、云わないで。聞いているコッチが痛くなって来たよ……」
コニーは顔を背けながら手を左右に振って、慶護の言葉を遮った。
「そうかい? ……まぁ、そんな感じで、僕の身体は命に関わる怪我をすると、こうして急速に回復するから、彼の左の前腕を折ったし、コレで痛み分けって事で、アレンとコニーも退いてくれないかな?」
「ケイゴがそれで良いって云うのなら、俺等は退かない理由はないけど……」
「でも、良いの? ケイゴは文字通り死ぬ程痛い思いをして、向こうは左腕一本でさ? 骨折しても、あの程度なら、《治癒》の《法術》で直ぐに回復するよ?」
構わないさ――っと特に気にした風でもなく、慶護はコニーに応える。
「多分、彼が左腕の骨折を《法術》で治すのと同じ位の労力で、僕の身体はココ迄回復したからね。それに――」
アレンとコニーにだけ聞こえる様に近寄り、慶護は小声になる。
「君達は、《法術》に関して素人の僕でも解る位疲弊していて、彼の言葉の通り、もう限界だろう? リゼットの友人であるのなら、会って未だそれ程の時が経っていないが、僕にとっても君達は友人だ。友に命に関わる無理はさせられないよ」
慶護からの思わぬ言葉に、それ迄張っていた緊張の糸が途切れてしまい、一気に心身の疲労が二人に襲い掛かって来たため、膝から崩れてその場に座り込んでしまった。
同時にコニーの身体が光に包まれ、《共鳴形態》が解けて元の制服に戻ると、紅き少女の肩にアルマが姿を見せ、輪郭が薄くなっていく。
アレンの《使い魔》であるコンラッドも、徐々に薄くなっていき、数秒とせずにその姿を消してしまった。
アレンとコニーが《使い魔》を解除したのを確認すると、慶護は小さく頷き、後ろへと振り返る。
「さて……ジャン、君も良いよね?」
「ふんっ……僕の腕と君の命、天秤に掛けるのも莫迦らしい位、僕の方に価値がある」
既にバルカの姿は無く、一人で左腕に《治癒》の《法術》を施しながら喋るジャンの言葉を聞き、アレンとコニーが立ち上がり掛けたが、慶護は手を伸ばし、二人を制止させる。
ありがとう――っと肩越しに二人へと小さく応え、慶護はジャンへと顔を向ける。
「確かに、それは合っていると思うよ」
想定外の慶護の応えに、リゼットやアレンにコニーだけでなく、当のジャン迄もが驚きに固まってしまう。
「もし、街中とかで、僕と君が命に関わる程の事態に陥った場合、周囲の人達は、君を優先的に救おうとするだろうからね」
違うかい? ――っと慶護が同意を求めると、視線を泳がせながら、ジャンは首肯する。
「但し、《学園》では違う」
決して声を荒げている訳ではないが、何故か心に深く響き、ジャンは言葉を返す事が出来ず、唇をキツく結んだ。
「だから、痛み分けさ」
「………………良いだろう……ソコの平民達に免じて、それで手を打ってやろう……」
左腕の《治癒》が完了したのか、添えていた右手に展開していた掌サイズの《法陣》が消えており、左手を何度か開閉して、ジャンは動きを確かめる。
「一々鼻に付く云い方をするぜ……」
「本当に厭なヤツね……」
アレンとコニーが毒づく中、リゼットがゆっくりと慶護に近寄り、裾をギュッと握った。
「……ごめんね、リゼット……」
振り返らず、眉尻を下げて謝る慶護に、リゼットは首をゆっくりと横に振った。
「そ、そうなるよね……」
「コニーも……アレンも……もう、こんな無茶はしないで……」
肩を震わせながら、今にも消え入りそうな声で訴えられ、二人は小さく、ごめん……――っと応えて俯いた。
何処か寂しげな表情で慶護達を見ていたジャンであるが、直ぐに視線を外した。
「……――綺麗に纏まった所、申し訳有りませんが、アナタ達をこのまま学徒寮に返す訳にはいきません」
凛……――っとした声を響かせ、流れる様な金色の長髪を後ろで一つにまとめた、美しさの中にも、未だ幼さが残る女学徒が、事の成り行きを見守っていた学徒達の中から慶護達の方へ、歩み出て来た。
解りますよね? ――っと丁寧な口調に反し、強き意思を感じられるライトブルーの瞳を向けられ、慶護は肩を竦ませ、ジャンは一瞥しただけで顔を背けた。
「クリス……」
「リゼ、安心してください。事の始まりから《視て》いましたので、今回に関しましては、アナタ達四人には、そこ迄の罰則は発生しません。重い罰則が発生するのは――」
ジャンへと一歩近寄り、女学徒は指差す。
「アナタです、ジャン」
「ふんっ……相変わらず、態度が腹立たしい女だ……」
「この度の争いは、《決闘》と捉える事が出来ます。それなのに、《教授》を呼ばず、周囲への被害が出なくするための《結界》を展開する事もせず、《使い魔》を使役しました。コレは重い学則違反ですよ?」
「ならば、何だと云うのかな?」
「アナタを懲罰室へ連行し、わたし達の担当教授であるユーベル教授に判断を委ねます」
「……やってみたまえ、クリスティアーヌ……」
眉間に皺を寄せ、怒りの表情となったジャンが、腕を振るい、大型の《法陣》を展開させると、バルカを再び呼び寄せたが、頭頂部に存在する剣状の角だけでなく、全身が帯電しており、先程、アレンとコニーの二人を相手にした時よりも威圧感が増している。
クリスの実力を厭と云う程理解しているジャンは、先と違い、一切の余裕を見せず、全力で相手をする様だ。
しかし、貴族の少年と対峙している女学徒――クリスは眉一つ動かさず、涼し気な表情でジャンとその《使い魔》であるバルカを眺めている。
どうしても、剣を退きませんか? ――っと忠告とも取れる確認の言葉を投げ掛けるクリス。
騎士が一度抜いた剣をタダで収める訳にはいかない――っとハッキリとした拒絶を込めた言葉で返すジャン。
「……では、《学園》の規律を護るため、やむを得ません」
御相手します――そう宣言し、クリスが静かに腕を横に伸ばすと、中空に直系一メートル程の中型の《法陣》が展開され、地面にゆっくりと下りながら、人型に光を収束させる。
光が収まり、色が着くと紅きドレスと甲冑を合わせた様な出で立ちの美麗な騎士が姿を現し、クリスと並び立った絵が余りにも栄えるため、慶護は思わず感嘆の息を零した。
「ジャンヌ、無益な争いを終わらせるべく、一刀で終わらせなさい」
「畏まりました、マスター」
召喚主であるクリスと同じく、凛々しく、力強い響きをした声で応えると、ジャンヌと呼ばれた人型の《使い魔》は、中空に出現させた小型の《法陣》の中に手を入れて、中から鍔元から先が無い、両手剣の柄を取り出した。
取り出した柄をジャンヌが両手で握った瞬間、鍔元から肉厚で長大な両刃の様な発光体が勢い良く出現する。
よく見ると、その発光体からは白き湯気の様なモノが立ち上っており、想像絶する高温で、空気中の水分すらも蒸発させている事に気付いた慶護の背中を冷たい汗が流れた。
「リ、リゼット……これは確認なんだけど……もしかして、あの娘が件の《クリス》って名前の娘で、得意なのは《火》に関係する《法術》だったりするかい?」
「そうだけど……どうしたの?」
「いや、何でもないよ……」
リゼットには何事もない様に応えた慶護であるが、その内心は穏やかでなかった。
無茶苦茶だ……――それがクリスとその《使い魔》に対する慶護の正直な感想である。
剣状の角を中心に全身を帯電させるバルカも大概であるが、ジャンヌと呼ばれた《使い魔》は最早別格である。
彼女が放った《一刀で終わらせなさい》の言葉が、虚勢や威圧のためでなく、只々自らの《使い魔》の実力を熟知した上での言葉であるのを、クリスの言動から確信し、慶護は薄ら寒くなる。
ジャンヌが剣を構え、真っ直ぐにバルカを見据える。
バルカも前足にて何度か地を蹴り、身体の周りに帯電している電撃で威嚇する。
一歩も動かず、只々立っているだけでも消耗してしまう程に張り詰めた空気。
クリスとジャンの対峙を見守っている学徒達も思わず緊張してしまい、頬を汗が伝う。
静かなる時が流れ、互いに攻めあぐねいている様に見えるが、道場にて技量の差が圧倒的である師から徹底的に教え込まれたからこそ、慶護は理解している。
一方が隙を見付けられず、攻め込めないだけである事を。
そして、それは――。
バルカが前足を大きく上げて食堂に響く程の音量で嘶く。
思わず耳を塞ぐ程であるが、クリスとジャンヌは自然体でその場に立ったまま、バルカを見詰めている。
地に前足を着けると同時に駆け出し、床が蹄の形に陥没する。
剣状の角を前に突き出し、その巨躯に雷を纏ったバルカは、最早砲弾と同等である。
瞬きすら許されぬ瞬足にて突貫するバルカに、ジャンヌも床に蹴り足の跡を残し、肉薄する。
――交差は一瞬。
人の知覚外に迄加速した《使い魔》達の一撃は慶護の瞳に一筋の煌めきとしか映らず、動き出した次の瞬間には、互いの立ち位置が変わっているとしか認識出来なかった。
ジャンヌとバルカが背を向けたまま、駆け抜けた勢いを殺すために数歩進み、その場に立ち止まる。
両手剣を片手で軽々と振るうと、余りの熱に発光していた刃部が掻き消え、柄だけになったそれを中空に出現させた《法陣》の中へと収めるジャンヌ。
《法陣》が消えると同時にバルカの身体に地面と水平に筋が走り、眩い閃光と共に身体が光の粒子となり、消えてしまった。
ジャンは苦虫を噛み潰した様な表情となり、一度だけクリスを睨み付けるが、瞳を閉じて俯いた。
「くっ……今の僕に、君と戦える程の《法力》は残っていない……好きにしろ……」
「では、アナタを拘束させて頂きます」
ジャンの傍に立っていたジャンヌが、再び中空に《法陣》を出現させ、中から腕輪が二つ繋がった様な幾何学文様が刻まれた《法具》を取り出すと、輪の中に貴族の少年の手首を通させた。二つの腕輪が繋がった様な《法具》は、淡い光を放ち、貴族の少年の手首の太さと同じになると、抜けなくなった。
「リゼット、ジャンの手首に付けられたアレは?」
「アレは《法術師》専用の《拘束法具》の一種で、アレを付けられてると、体内の《法力》が乱されて、《法術》が上手く発動出来なくなっちゃう危険な《法具》だよ」
「成る程、確かにタダの紐程度じゃ、簡単に切られちゃうし、丈夫な金属でも《法術》の前じゃ無いに等しいからね」
手錠の様なモノか――っと納得し、慶護は後ろに振り返ると、起き上がりかけていたアレンとコニーに歩み寄り、手を差し伸べた。
「悪いな、ケイゴ」
「ありがとね」
「いやいや、礼を云うのは僕の方さ。リゼットと僕のために、こんなになるまで戦ってくれたんだからさ……ありがとう」
慶護が頭を下げると、照れ隠しに、痒くもないのに、アレンは鼻の頭を掻き、コニーは頭の後ろを掻いた。
「あっ、いや……頭を上げてくれよ。友達を助けるのは当たり前なんだしよ……」
「そうよ。それに、アイツにはちょっと思う所があって色々と溜まっていてさ。リゼやケイゴので爆発しちゃったのは、アタシ達の我慢が足りなかっただけだから、気にしないで大丈夫よ」
それでもだよ――っと笑みを浮かべ、慶護は小さく首を横に振った。
「自分のために戦ってくれたモノに敬意を払うのは人として当たり前の事だからね。それに、こういう時、素直に受け取ってもらえると、凄く助かるんだけどな~」
慶護からの言葉に、両腕を組んで悩み出したアレンだが、一度だけ頷くと口元に笑みを浮かべた。
「うん、解った、素直に受け取るぜ。その代わり、今回のに関して、貸し借りは無しな」
「友達のために戦うのに、理由なんて要らないし、もし逆の立場だったら、リゼとケイゴも同じ事をしたと思うからね」
「うん、コニーやアレンのためなら、わたし、頑張る!」
「頑張るのは良いけど、無理はしないでよ?」
でも、嬉しいよ、リゼ――っと白い小柄な少女を紅い快活な少女が抱き締めた。
心温まる光景に、思わず頬を緩ませていると、視線を感じ、慶護は後ろに振り返った。
すると、金髪碧眼の麗人の顔が目の前にあり、慶護は思わず飛び退く。
「うわっ?! ……な、何、かな……?」
「一つ、お尋ねしても宜しいですか?」
言葉使いは丁寧で、物腰も柔らかであるが、強い意志を感じられる瞳に気圧されつつ、どうぞ……――っと慶護は続きを促した。
ありがとうございます――っと見事な礼をして、クリスは尋ねる。
「アナタは《使い魔》なのですか? それとも、《人間》なのですか?」
クリスの質問の意図が読み取れず、慶護は眉根を寄せて首を傾げた。
「えっと~……僕はリゼットの《使い魔》だし、《人間》だよ。まぁ、ちょっとだけ、普通の人よりも早く怪我が治って、死に難い、っていうのはあるけどね」
「けれども、人間がアレ程の重傷を負ったにも関わらず、あの短時間で動ける様になるのは不可能です」
そうなんだけどね――っと慶護は肩を竦める。
「どうしたモノかな……僕自身も、自分の身体の事なのに、実は良く解らないんだ」
良く解らない? ――っと訊き返すクリスに慶護は首肯する。
「うん、幼い頃に酷い事故に遭って、ほぼ即死だったのに、奇跡的に一命を取り留めた時は特に何も考えず、助かった事を純粋に喜んださ」
けど――っとクリスから視線を外し、慶護は何処か遠く、もう手に入らないナニカに思いを馳せる寂しさを帯びた表情となる。
「色々と遭って、もう一度瀕死の重傷を負ったのに何故か死ななかった頃から、オカシイと感じてさ。そこで漸く、自分の身体が普通の人と少し違う事に気付きだした位だからね」
慶護は肩を竦め、苦笑する。目の前の青年が、敢えてその様な戯けた態度を取った事に気付いたクリスであるが、その事には触れず、続く言葉を静かに待つ事にした。
「その後、僕が居た世界の病院で何度か精密検査をしてもらったけど、普通の人と何も変わらず、何故そうなのか一切解らず仕舞いさ。どんなに調べても解らないのなら、そういう体質なんだろう、で納得する事にしたんだ」
「《体質》程度で、あの様な事は不可能だと思いますけど……コレ程ですと、むしろ――」
「クリス、ケイゴの云っている事は本当だぜ。俺も最初信じられなくて《捜査》の《法術》を走らせたけど、純粋な人間としか感じられなかったからな」
「さっきのを最初から《視ていた》のなら、疑問に思うのは解るけど、実際そうだからね」
「……解りました。わたしは彼を連れて行かなければならないので、また後程、お話しをしましょう」
見事な一礼をして、ジャンヌが待つ所迄歩くと、クリスが先導する形で先を歩き、後ろを《法具》で両手を繋がれたジャンと《使い魔》が付いて行く。
クリス達の姿が見えなくなった所で、慶護達は溜息を零して、肩の力を抜いた。
「な、何だか、あの娘を前にすると、妙に緊張するね……」
「そりゃそうさ。《ミス・パーフェクト》、《業火の淑女》、《灼熱の騎士》――俺等と同じ十五なのに、《学園》の内外で幾つもの二つ名を持つだけじゃなく、この国でも有数の貴族であるフォンタニエ家の嫡子で、次期頭首って云われている位だからな」
「十五?! 驚いた……僕よりかは若いと思っていたけど、アレンやコニーと同じ歳だとは思わなかったよ……」
「あの見た目で、あの性格だからね~。その上実力まで揃っていて、云う事無しだね」
「ってかさ、クリス、さっきケイゴに《また後程、お話しをしましょう》って云っていたよな?」
云っていたね~――っと小さな子供が何か悪さを考えた時の様な、裏の在る笑みをコニーは浮かべた。
「《ミス・パーフェクト》でも、ケイゴはやっぱり気になるみたいだね~」
「《使い魔》って観点だけじゃなく、《人間》としてもケイゴってイレギュラーって感じがするからな~」
「彼女は、タダの物珍しさから、話しをしたいだけだよ。僕は、元の世界じゃ極々普通の生活をしていたから、彼女の様な才女に向けた面白い話題なんて何も無いよ。直ぐに興味を無くすさ」
ふ~ん……そんなモノか? ――っとコニーに確認をするアレン。
そんなモノだと良いね――っと何処か含みの在る言葉を返すコニー。
そ、そんなモノだよ――っと慌ててアレンとコニーに重ねるリゼット。
三者三様の答えに慶護は苦笑し、後ろに振り返ると、目の前に突然白い壁が現れ、驚きに再び後ろに飛び退いた。
壁かと思ったソレは、仏頂面のガルドのエプロンであり、巨漢は腕を組み、顎鬚を撫で付けた。
「ふむ……フォンタニエの嬢ちゃんや《教授》は、オマエ達にお咎め無し、っとした様だが、俺はそうはいかねぇぞ?」
大股で慶護達の間を歩くと、長机であったモノの前迄進み、ガルドは腕を解いてそれらを指差す。
「これらを何とかしろ」
「あ~……やっぱり?」
無言で頷くガルドに肩を落とすアレンとコニーにリゼット。
「了解。それじゃ、俺が長机の方をやるから、コニーは床を頼む」
オッケー――っと応え、コニーは肩を鳴らして一部は砕けてしまっている床へと向かう。
「んで、リゼットは――」
慶護の紅く染まった服や今も床に血が滴っている惨状をその瞳に映すと、アレンは溜息を零して指差した。
「ケイゴを治療してくれ。ホント、云っていた通り、命を繋ぎ留める所迄は一気に治るのに、そっから先は普通の人と変わらないんだな……」
「中途半端な死に難さだよね……まぁ、僕に合っていると云えば、合っているんだけどさ」
リゼットに裾を引っ張られ、椅子に座る様に促されたので、慶護は素直に従う事にした。
「わたし、得意な属性が無いし、内在している《法力》もそんなに大きくないから、ちょっと時間が掛かっちゃうかもしれないけど、頑張って慶護の事を治すね」
「うん、お願いするよ」
向かい合う様に座ったリゼットが瞳を閉じて、《治癒》の《法術》を施行すべく、短く詠唱を声にすると、少女の右の掌に白色の小さな《法陣》が現れた。
ゆっくりと瞼を開けると、リゼットは右手を慶護の額へと伸ばしす。
「それじゃ、一番目立つ所から治療するよ。痛かったり、足りなかったりしたら云ってね」
解った――っと慶護が頷くと、掌を当てられた箇所がほんのりと暖かくなり、断続的に訪れていた鋭い痛みが徐々に和らいでいき、感嘆の声を零した。
「凄い……こんなに早く痛みが退いていくなんて、驚きだ……」
「ユーベル教授が云うには、《生体エネルギー》を吸収し易い形にして渡す事で、人間が本来持っている治癒能力を飛躍的に向上させるのが、《治癒》の《法術》の基礎なんだって」
「成る程……そうなると、暖かく感じるのは、《生体エネルギー》を受け取った患部が活性化しているからなんだね」
皮膚の奥に存在する赤い肉と白い骨の一部が見えてしまう程深かった額の傷が端から繋がっていき、完璧に塞がると、リゼットはそのまま掌を下に移動させ、慶護の胸部や腹部へと《生体エネルギー》を渡していく。
「……ちょっと、熱い位になって来たよ」
「重傷な所程、強く活性化して、熱く感じるって話だから、それだけ酷いって事だよ」
あ~……――っと天を仰ぎ、治ったばかりの額に慶護は手を当てる。
「服に穴が空いていたから、どうなっていたのか大体想像がつくよ……そりゃ重傷だ……」
「今も結構凄いけど、あの時は本当に酷い状態だったんだよ……。心臓も止まっちゃっていたから、腕が動いてわたしの頭を撫でた時、余りにも驚いて、今度はわたしの心臓が止まるかと思ったよ」
「いや、そのさ……リゼットが、声もあげないで、魂の抜けた様な表情で涙を流していたから、兎に角、僕は生きているっていうのを伝えてあげたくて、動く様になったばかりの腕を持ち上げて頭を撫でたんだよ」
「いいよ……こうして、生きていてくれたから、もう、いいよ……」
でもね……――っとリゼットは唇を噛み、瞳から涙が溢れるのを耐えながら口を開く。
「いくらケイゴが死に難いからって、もう……あんな無茶はしないで……」
お願い……――っと掠れ声で訴えられ、遂に零れたリゼットの涙に、慶護は静かに頷く事しか出来なかった。
《使い魔》を喚び出し、大型の《法陣》を展開して長机や床を修復させていたアレンとコニーだが、リゼットの涙を見てしまい、自分達も相当な無理をしたので、バツが悪くなり、二人から視線を外して、食堂の修復に尽力した。
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既に外が暗くなってしまう時間になってしまったが、壊れてしまった長机と床の交換、その他細かな修繕と調整を無事に終えた4人は、肩で大きく息をして、新調した椅子に腰掛けた。
「お、終わったぁ~……何とか夕飯迄に間に合って良かったぜ……」
「二人共、お疲れ様」
「リゼットと慶語もね~。アタシ達はずっと《法術》を使い続けていたけど、そっちはそっちで、ずっと長机と椅子を運び続けていたからさ」
それにしても……――っと慶護は改めて修繕と調整をした周囲を見舞わした。
「流石《法術》だね。これがもし僕が居た世界だと、多分、数日は修繕中で、この辺りは使えなくなっていたよ」
「ふぅ~ん……慶護が元居た世界って、《教授》達でも再現不可能な技術があると思ったら、アタシ達でも数時間で終わる作業が、数日掛かったりして、何だか不思議ね」
「そこは、生活基盤となっている技術が全然違うからだと思うよ」
「あ~……それって、俺達の世界は《法術》が中心だけど、ケイゴの世界は《金氣》――というか、そういう金属や雷をどうこうするのが中心だから?」
そうだね――っと慶護は首肯する。
「だからこそ、発展の仕方が全然違うんじゃないかな」
成る程――っとアレンとコニーは頷くが、理解していないのは表情から窺い知れる。
慶護はそんな二人に敢えて触れる事はせず、久し振りの肉体労働で軋む身体を肩を回したりして、ほぐした。
「――でも、まぁ、今回ので、謹慎や懲罰室送りにされなかっただけ、ガルドさんに感謝しなきゃね。一ヶ月の間に、三回も懲罰室に送れたりしたら、流石に拙かったわ……」
「あ~、確かに……それは云えているな……」
アレンは長机を背に凭れ掛かり、コニーはうつ伏せになりながらぼやいている光景を、慶護とリゼットが苦笑しながら眺めていると、厨房の方から、エプロンを身に付けた熊の様な巨漢がやってきた。
「ほぉ……悪くないな。オマエらにしちゃ、綺麗に直せたんじゃないか」
「まぁ~ね~、俺はこう見えても《土氣》の結構な使い手だからさ。土や石に関する事なら、俺の範疇だから、元の石畳よりも、ずっと綺麗に創り直したぜ」
「んで、アタシが得意なのは《火氣》。壊れた長机や椅子は木製だったから、それらを原材料にすると、《木生火》――アタシの力が高まるの。後は、その高まった力をアレンに渡す事で《火生土》になって、並の学徒よりも、ずっと良質な石畳が創れるって訳よ」
《学園》の食堂を任されているだけあり、全部を理解は出来ないが、理屈はなんとなく理解できたガルドは、床の方は解ったが、長机と椅子はどうしたのかと思い、確認する。
「ふむ……床の方は解ったが、この机と椅子はどうしたんだ?」
「そっちは、わたしとケイゴが持って来たました。これだけの数の机と椅子だと、学徒の人に創ってもらうと凄く大変だから、《講師》の人に手伝ってもらったんです」
「あくまでも、《講師》の方には創ってもらうだけで、そこから、この食堂までは、僕とリゼットが運んで来ましたよ」
成る程な――っとガルドは顎髭を撫で付けて頷いた。
「オマエ達がちゃんと自分達の力だけで修繕したのは、良く解った」
これは――っとガルドの巨躯が横にズレると、後ろに控えていたキッチンワゴンとそれを押している亜麻色の髪の少女が姿を現した。
「ちゃんと働いたオマエ達に、俺とチェルシーからのサービスだ。味わって食え」
チェルシーと呼ばれた、何処か陰のある少女は、キッチンワゴンを押して慶護達の側に来ると、ワゴンに乗せているデザートを長机の上に置いた。
「おぉっ、マジで?! どれも超美味しそうじゃん!」
「ガルドさんのは勿論だけど、最近はチェルシーも腕を上げて来たから、見た目だけじゃ解らないね!」
「が、頑張って作ったから、味も、大丈夫……だと思います……」
心を込めて作った事を伝えながら、四人の前にデザートを並べていく小さな少女が、何となくリゼットと重なった慶護は、肩口で切り揃えられている亜麻色の髪の頭を撫でた。
「僕達のために、ありがとう」
突然の事で少女――チェルシーは一瞬、固まってしまうが、少し俯いて頬を染めるだけで、見た目の年齢通りの反応をした。
慶護にとっては何気ない動きと反応であったが、チェルシーの事が何故この食堂にいるのかを知っている者達にとって、今の少女の反応はとても驚く事である。
慶護以外のその場に居た全員が、青年に視線を向けたまま固まってしまった。
視線を感じた慶護が、そちらに顔を向けると、アレンとコニーだけでなく、隣のリゼットやガルドまでもが、自分を見て固まっているため、何事かと尋ねる。
「ちょ、ちょっと、みんなどうしたんだ? もしかして、この娘の頭を撫でちゃダメだったとかあるのかい?」
「否、そっちじゃなくて、撫でれた事に驚いてんだ、俺達……」
撫でれた事に? ――っと慶護はアレンが何を云っているのか解らず、眉根が寄ってしまう。
「アタシやアレンは勿論、リゼットですら、撫でるどころか、身体に触れるのすら避けられるのに、初対面のケイゴが頭を撫でれたから、驚いているの……」
「そ、そうなのか……?」
隣で自分の事を見上げているリゼットに慶護が確認すると、彼女は勢い良く頷いた。
続けてガルドに視線を向けると、こちらは深く一回頷いたため、慶護は何で皆がココ迄反応するのか解らず、件の少女であるチェルシーへと顔を向けた。
ちょうど四人の前にデザートを並べ終え、キッチンワゴンに戻っていた少女は、慶護からの視線に気付き、首を傾げた。
どうやら、チェルシーは並べるのに集中していたため、これまでの会話が聞こえていなかった様で、慶護は短く伝える事にした。
「僕が君の頭を撫でれた事に皆が驚いているんだけど、それってそんなに驚く事なのかい?」
慶護からの言葉を受け、最初は首を傾げるだけであったチェルシーだが、俯き、上を向き、眉根が寄って唸り、本格的に悩み出してしまった。
暫くチェルシーの不思議な動きを眺めていた一同であるが、そこまで悩むのなら、答えが出ないのだろうと考え、慶護が声を掛けようとした所で、少女は面を上げた。
「……解りません……」
悩みに悩んで出した結論がそれなら、本当にそうなのだろうと考え、慶護は不安そうに見詰めて来る少女に笑みを向けた。
「解らないモノは仕方ないし、気にしないで頂戴。僕はみんなが驚いていたから、ちょっと確認してみただけだからさ」
みんなが……――っと呟きながら、チェルシーは慶護以外の四人を見回し、俯いてしまった。
「ごめんなさい……わたし、そんなつもりじゃないんだけど……」
身に着けているエプロンを握り締め、震える瞳から溢れるのを必死に耐えているチェルシーに対し、アレンとコニーが慌てて言葉を掛けた。
リゼットも何かを伝えようとするが、上手く言葉に出来ず、少女と同じく俯いて固まってしまう。
ガルドだけは、何も云わず、皆を眺めているが、その表情からは、どうするべきか苦難している事が垣間見え、何も云わないのでなく、云えないのであろう事が解る。
皆が皆、相手を思うからこその行動に出ている中、慶護だけはジッとチェルシーを見詰め続けていた。
多分、この少女は、何かしら辛い事があったのだろう。
それが何であるのか僕には解らないが、彼女の人生を変えてしまう程のモノであったのは確かな筈だ。
コニーが自分達では触れる事すら避けられると云っていた所から、俺と彼女達との最大の違いは《法術師》であるかどうか。《使い魔》と《召喚主》という違いも考えられるが、僕は何も云わなければタダの人間にしか見えないから、それはないだろう。
そうなると、彼女の事を思って行動してるリゼット達には悪いけど、今の対応は逆効果になってしまう。
ならば、僕がすべき事は――。
慶護は席を立ち上がると、俯いて今にも瞳から溢れてしまいそうになっているチェルシーの側に寄り、膝を曲げて視線の高さを合わせた。
震えるライトグレーの瞳と柔らかな光を宿したダークブラウンの瞳が交差する。
「怖かったし、辛かったと思う……でも、もう大丈夫。僕が――」
慶護は眼帯を取ると、《契約の紋様》が刻まれている左目を見せた。
――護るよ。
零れ落ちた紅涙に濡れる頬をそのままに、少女は慶護へと歩み寄った。
慶護はそれに応える様に、優しさと強き意思を込めた瞳で頷き返し、両手を軽く広げる。
引き寄せられる様に慶護の腕の中に収まると、少女の想いは堰を切り、嗚咽となって吐き出される。
怖かった、不安だった、苦しかった、お母さん、お父さん、助けて……――飾りのない剥き出しの感情の言葉だからこそ、支離滅裂であるが、重く響くそれらを、慶護は静かに受け止める。
少女に言葉を返した所で意味はなく、慶護は只々気持ちを受け止めていると、徐々に声が小さくなっていき、遂には静かになってしまった。
不思議に思った慶護が腕の中を確認すると、泣き疲れてしまったのか、チェルシーは穏やかな表情で眠っていたため、肩を竦めた。
眠ってしまったのならとチェルシーを任せようと考えた慶護であるが、回されている腕の力が入ったままで、外す事が出来ない。
ガルドさん――っと慶護が名を呼ぶと、熊の様な巨漢はそれで何かを悟った陽で、顎髭を撫で付けながら苦笑した。
「寝ちまったんなら仕方ない。オマエさえ良ければ、起きる迄そのままでいてもらっても良いか?」
構いませんよ――っと慶護は返し、驚く程軽いチェルシーをゆっくりと抱き上げると、自分の膝を枕に、長椅子に寝かせた。
キッチンワゴンを厨房に戻しに行ったガルドが、暫くすると、その手に肌掛けを持って来た。慶護がそれを受け取り、チェルシーに掛けると、ガルドは再び厨房に行ったまま、戻って来る事はなかった。
これまでの様な声で話しては、チェルシーを起こしてしまう可能性があるため、皆が落ち着いたのを見計らい、コニーが口を開いた。
「ホント、ケイゴって不思議ね……」
そうかな? ――っと慶護が首を傾げて返すと、疑問を口にしたコニーだけでなく、アレンとリゼットの二人も頷いた。
「いやいや、ホント、不思議だよ。だって、人見知りの激しいリゼットは、まぁ、召喚主っていうので解らなくもないが、チェルシーもってなると、もう謎だぜ」
「うん、チェルシーちゃんはわたしでもダメなのに、ケイゴって不思議だね……」
でも――っとリゼットは続ける。
「わたしは、何となく、チェルシーちゃんの気持ち、解るよ。ケイゴと一緒にいると、安心するもん」
「はいはい、惚気、御馳走様」
「だ、だから、そういうのじゃないんだって! そ、それは……少しはそういうのもあるかもしれないけど……でも、そういうのとは違うんだよ……」
リゼットの態度から、本当に男女間のそういうのではないのだろうと受け取ったアレンとコニーは腕を組み、考え出した。
「う~ん……俺はそういうのはないけど、コニーはどうだ?」
「同じく、ないわね。あるとしたら、ケイゴって雰囲気が柔らかいから、それで子供に好かれるとかじゃない?」
「ちょ、ちょっと、コニー。わたしは子供じゃないよ!」
どうだか~――っとニヤけるコニーにリゼットは小声で抗議をする。
今の様に否定する所が子供みたいに見られてしまうのだが、慶護はそれを伝える事はせず、自分の膝を枕に泣き疲れて眠っている少女へと視線を向けて、肩を竦めた。
……何故自分はあの様な行動に出たのだろうか――っと……。