一節 : 昇等試験
雲一つ無い晴天の下、青々と生い茂る芝生の上に、総勢百を超える少年少女達が集合していた。
白のシャツに少年は赤いタイをし、少女は赤いリボンを付けていた。服装に一定の規則が見られるため、着用しているそれは制服であるのだろう。外見から読み取れるに、十五、六である所かして、何かしらの学び舎の徒である事が窺い知れる。
学徒が百人単位で一箇所に集まる場合、それは、学び舎にとって、何かしらの行事を催している事を意味する。
学徒達の視線の先には、彼等よりも二回り近く年齢が離れているであろう、長身で面長な男性が立っており、手を叩いて自分に注目させていた。
裾が長い灰色のシャツでその長身を包み、下は黒のスラックス。肩口まで在る灰色の髪の毛や顎鬚を生やしているラフな格好と、外見から推測できる年齢からして、この男性が学徒達にとっての教師であろう事が伺える。
「はいはい、注目~。ココに集まってもらったのは、他でもない。この《学園》に所属している君達の《昇等試験》をするために集まってもらったんだ」
男は柔和な顔付き通り、耳に心地良い声を響かせる。
「はい、ユーベル教授、質問があります」
陽の光に反射しても尚、金色に輝く見事な金髪をした一人の少女が男性の名を呼んだ。
風に靡く金色の髪を動き易い様に後ろで一つに縛り、強い意志が宿る蒼い瞳を輝かせながら、指先迄気を配った挙手をしている所から、少女の真面目な性格を感じ取れる。
どうしたんだい? クリス――っとユーベル教授と呼ばれた男が、挙手をした少女の声に応えた。
「コレ迄の講義や先輩方からの話を聞いているので、これから行われる《昇等試験》である《使い魔》の《召喚》が、コレ迄の《召喚》と異なるモノであるのは存じております。しかし、確認を含めまして、再度ご教授頂けますか?」
少女の言葉に、集まっている学徒達も一様に頷き、ユーベルに視線が集まる。
「成る程……うん、そうだった。コレから試験をするんだし、確認を含めて軽く説明をした方が良いね」
ゴメンゴメン――っとユーベルは苦笑して、わざとらしく咳払いをする。
「ごほん……それじゃ、今からみんなに行ってもらう《召喚》について説明するね。先ずこれから行う《召喚》は、君達の《本質》がとても影響するモノだよ。例えば、そうだね~……君達は僕の《使い魔》である《バルナバ》を見た事があるだろう?」
学徒達は無言で頷く。
「それじゃ、今度はシャイン教授の《モリガン》を思い浮かべて」
素直な学徒達はユーベルに云われた通り、《モリガン》と呼ばれる何かを想像する。
「……どうかな? 僕の《バルナバ》とシャイン教授の《モリガン》。同じ《使い魔》なのに、全然違うだろう?」
一様に頷く学徒達。
「これはね、僕とシャイン教授の《法術師》としてのスタイルの違いもあるけど、それ以上に《本質》が違うからなんだ。それは、この外見からも解る通り――」
ユーベルがパチン――っと指を鳴らすと、彼の数メートル隣の地面に、突然、直径数センチ程の光球が現れて、高速で円とその中に幾何学的な紋様を描き出した。
直径三メートルを超える円の中に、複雑に絡み合った幾何学文様が浮かび上がり、淡い金色の光を放ちながら、ゆっくりと回転しているそれに、ユーベルは手を向ける。
「さぁ、おいで、バルナバ」
自らの《使い魔》と云っていたモノの名を呼ぶユーベル。
淡い金色に輝く円が、閃光と呼べる程の光を放つと、徐々にナニかが姿を現す。
光が収まり、光球によって描かれた円が消える頃には、ユーベルの《使い魔》であるバルナバがその姿を現していた。
遥か太古に存在した、アンモナイトと呼ばれる、巻き貝の様な殻を背負った生物に非常に良く似た外見。但し、背負っている巻き貝は、直径二メートルをゆうに超える程大きい。
その巨躯に似合わぬガラス球の様な良く動く瞳を動かして、自らの主を探した《使い魔》の視線が、隣の男性――ユーベルに向いて止まる。
「おはよう、バルナバ」
「おはようございます、ユーベル様。本日は――」
巨体ではあるが、先程の光球の様に、若干浮遊しているため、バルナバは器用に身体を旋回させて周囲を一瞥した。
「……《初等部》から《中等部》への《昇等試験》の日でしたか……」
「うん、だから、バルナバにも手伝ってもらおうと思ってね」
「畏まりました」
殻を動かして頭部を下げると、バルナバは自らの主の斜め後ろに移動する。
「さて、僕のバルナバは、見た目通り俊敏じゃないけど、とても頑強なのが取り柄さ」
「あっ、俺、この前の実技の時に、《法術》に失敗して危なかった所を助けてもらいました! その時、俺に《障壁》を展開したのに、自分にはしなかったから、暴走した《法術》が直撃したのに、傷一つなくて、驚きましたよ!」
手を上げて思わず言葉を発した、十代半ば相応の快活さ溢れる、笑顔が眩しい男子学徒にユーベルは笑みを返す。
「アレン……アナタ、自分の恥をワザワザみんなの前で云う必要ないじゃない……」
「で、でもよ~、コニー、それ位俺は驚いたんだよ。幾ら俺等が《初等部》だといっても、暴走した《法術》だぜ? それを直撃したのに傷一つないなんて、スゲェじゃん!」
「あのねぇ~……ユーベル教授は、《学園》の教授達の中でも《護る》事に関しては、右に出るモノがいない、って云われているのよ? それって、この世界で《護る》事で一番って云われているのと同じなのに、アタシ達程度の《法術》で、《使い魔》であるバルナバに傷が付く訳無いでしょ」
「そ、そうだけどさ~……」
燃える様な紅い髪を短く切り揃え、活発の言葉が似合うコニーという名の少女に言葉を重ねられ、アレンと呼ばれた男子は、徐々に意気消沈していく。
「まぁまぁ、アレンを余り責めないでやって頂戴、コニー。誰にだって、失敗の一つや二つはするものだよ」
「は、はい……アタシも、入学当初は結構失敗して、何度もユーベル教授やバルナバに助けてもらったんで、解りますけど……」
「ふふっ、それに、そうやって失敗を多くした方が、良い経験にもなるからね」
「そ、そうですよね! ほら見ろ、コニー! ユーベル教授だってあ~云ってるし、良いじゃないか!」
「はぁ~……調子に乗る、な!」
「くふっ?!」
腰のキレを活かした見事な迄の貫手が腹部に突き刺さり、声を出せぬ程の激痛に、腹部を押さえながら崩れる様に倒れ込むアレン。余りにも一方的で理不尽な攻撃であるが、周りに居る学徒やユーベルが慌てていない所からして、《いつもの光景》なのだろう。残心を解き、細く長く息を吐き切った所で、コニーは小さく頷き、表情を柔らかくして、ユーベルへと向き直る。
「すみません、ユーベル教授、クリス。莫迦はこの通り黙らせたから、続きをお願いします」
苦笑するユーベルと涼しい表情のまま一瞥だけして前にいる《教授》へと向き直るクリス。
「では……今僕はバルナバを召喚するために、通常の召喚と同じ様に《法陣》を使ったけど、本当はあんな面倒な術式を使わなくても、《使い魔》なら――」
パチン――っとユーベルが指を鳴らすと、背負っている巻き貝や生やしてる触手を含めると、三メートル近くある巨躯を有するバルナバが、瞬時に光の粒子となって、その姿が掻き消えた。
「この様に――」
再び指を鳴らすと、先程の逆再生の様に光の粒子が収束し、瞬時にバルナバを形成した。
「自らの意のままに呼び出す事が可能なんだ。まぁ、呼び出す度に、通常の召喚と同じで、自分の《法力》を使うから、一度顕現させたのなら、そのままにした方が良いけどね。それに、《使い魔》は、召喚主が死なない限り、死ぬ事がないんだ。僕のバルナバも、酷い時は身体の半分以上を消失した事があるけど、この通り、何事も無かったかの様に元に戻っているのがその証拠さ」
でも、痛みはあるから、余り無理はさせないであげて――っとバルナバの殻を撫でながらユーベルは続ける。
「後、《使い魔》には、必ず誰の《使い魔》であるのか解る様に、互いの身体の何処かに《契約の紋様》が存在するんだ」
僕とバルナバは、胸部と殻だね――っと自らの《契約の紋様》を見せる。
「確か……《契約の紋様》は、例えその部位を失っても、新たに身体の何処かに現れるのですよね?」
そうだよ――っとユーベルはクリスの確認の言葉に、口元に笑みを浮かべながら答える。
「《契約の紋様》は《魂》の《契約》そのもの。目に見える表層の部分が失われた程度で無くなる程、甘いモノじゃないさ」
まっ、だからこそ――っとユーベルは肩を竦めて苦笑する。
「一部の《法術師》は、それが厭で《使い魔》を使わないみたいだけど、僕からしたら、《その程度の覚悟》しかなくて《法術師》をしているんだって思うね。《法術》というのは、《便利な技術》であって、《万能》じゃないし、一歩間違えれば、簡単に人の命を奪えてしまう代物なんだ」
故に――っと瞳に力を込め、学徒達を眺めるユーベル。
声音こそ、柔らかさを持っているが、そこに含まれる意思と覚悟を受けて、学徒達は真剣な表情となる。
「本当に危険な《禁断法術》――通称、《禁術》に含まれるモノが世に出回らぬよう、厳重に保管、管理。また、《法術》を体系化する事で、ある程度の素質は必要だけど、誰もが学べて安全に扱える汎用性の高い技術へと昇華。それら、現在の世界に於いて、非常に重要な役割を担い、《法術》を学び、研究したいモノ全てに門戸を開くため、如何なる国家や組織からも独立した、この《学園》があって、僕達《教授》が居るんだ」
ユーベルは自らの《使い魔》であるバルナバに近付くと、優しく殻を撫でた。
殻に感覚があるか解らないが、バルナバは気持ち良さ気に、ガラス球の様な瞳を細めた。
「《使い魔》もそう……まぁ、今話した内容は、講義で散々伝えた事だし、君達なら、その点は大丈夫だろうから、説教臭い話はコレでお終い」
パンパンッ――っと手を叩いてユーベルは場の雰囲気を一転させた。
「さっ、《初等部》から《中等部》への《昇等試験》を始めるよ。君達がコレ迄学んできたモノを全て使って《使い魔》を《召喚》するんだ。なぁ~に、僕とバルナバがいるんだ。ド~ンとやっちゃいな。何かあったとしても、君達の事は絶対に護るよ」
はい! ――っと教授の言葉に学徒達は元気良く応える。
学徒達の応えに満足気に笑みを浮かべて頷くと、ユーベルの手元に茨状の触手が伸びて名簿帳を握らせる。
「それじゃ、先ずは……――」
「ユーベル教授、わたしからお願いします」
先程と同じく、クリスは背筋と手先を伸ばし、揺るぎなき意思を宿した蒼き瞳を真っ直ぐにユーベルへと向けて、言葉を発した。
少女からの提案に、《教授》は目を細めて口元を緩める。
「そう云うと思ったから、もう準備は出来ているよ。さっ、こっちにおいで、クリス」
手招きした教授の言葉に従い、クリスが近寄ると、ユーベルから数メートル手前の地面に、いつの間にか、光り輝く円――《法陣》が描かれていた。
しかし、《法陣》は外周の円形のみで、先程ユーベルがバルナバを召喚した時の様な幾何学文様は無い。円は淡い白色の光を放ちながら、ゆっくりと回転しており、少女は《法陣》の直前で足を止める。
《法陣》を挟んで対峙しているクリスに、先程迄浮かべていた笑みを消し、《法術師》の一つの頂点と云われている《学園》の《教授》の顔となり、ユーベルは目の前の少女へと語り掛ける。
「汝が真名は如何に?」
「クリスティアーヌ・ド・フォンタニエ」
《法陣》の縁の内側を光球が走り、幾何学的な紋様が新たに書き込まれる。
「汝が求めるは如何に?」
「超常なる力にて《コトワリ》の彼方――《真理》也」
《法陣》に再び幾何学的な紋様が追加され、発光が強くなる。
「汝が《魂の欠片》は如何に?」
「ココに」
利き手である右手に小型のナイフを握り、左手に一筋の切り傷を付け、《法陣》へと自らの《魂の欠片》――《血》を落とす。
《魂の欠片》を受けた《法陣》内を光球が駆け巡り、一瞬にして複雑な紋様を形成する。
「汝と我は如何に?」
「我は汝、汝は我。悠久の彼方、《生命の樹》より分かれし同一なる存在也」
最後の言葉を発条として、《法陣》が完成し、天まで届く極光を放つ。
召喚者の《魂の欠片》を元に、《法陣》の円環加速を掛けられて極限に迄高められた不可思議な力――《法力》を利用して、《コトワリ》へと干渉。数多の可能性を瞬時に振り分けながら、《コトワリ》の彼岸――《生命の樹》へと意識を進ませる。
《コトワリ》の彼岸では、全ての可能性が同時に存在するため、召喚者であるクリスは感覚を更に研ぎ澄ます。《生命の樹》より分かれし己と同一なる存在の、僅かな兆しを見付け出し、無限に存在する世界から手繰り寄せる必要があるからである。
過程や結果こそ、通常の《召喚》と似ているが、その《本質》は全くの別物であり、自らの《魂》を利用した、複製不可能な《人工精霊の創造》に近く、一歩間違えれば、《命の創造》という《禁術》に触れてしまう危険な《法術》。
だが、《学園》は、敢えてその危険な《法術》を《昇等試験》にする事で、学徒達に《法術師》としての覚悟を固めさせ、唯一無二のパートナーを創り上げさせる事が目的だ。
――見付けました……!
身体中の力が魂ごと抜けてしまう様な錯覚に陥る程の《法力》の消費と共に、徐々に召喚者の《使い魔》が顕現され始める。
「……へぇ……流石だね……」
極光の中、そこに存在する《使い魔》の姿が僅かに確認出来た瞬間、ユーベルは思わず声を出してしまった。
光が収束し、《コトワリ》を現す《法陣》内の幾何学文様が消失していた。
その代わりに、姿を現したのは、女子としては百七十という長身であるクリスと同等の身長をし、西洋胸甲やプレートを身に付けた、召喚主と同じく金髪碧眼の端正な顔立ちの少女であった。
膨大な《法力》の消費により、その場に座り込みたい程の疲労感があるが、クリスはそれらを表情に一切出さず、少女へと近付き、伸ばした右手で胸甲へと触れる。
「我が真名はクリスティアーヌ・ド・フォンタニエ。汝が真名は如何に?」
「ジャンヌ……我が真名はジャンヌ」
「ココに我、クリスティアーヌ・ド・フォンタニエと、汝、ジャンヌとの《魂の契約》を結ぶ」
クリスの宣言により、伸ばした右の掌が淡く紅に光り出した。自らの《魂の欠片》を《核》としているからか、クリスは胸の辺りが暖かくなり、一見しては人間と区別がつかない《使い魔》とナニカが繋がった感覚となった。
掌の光が収束するのとは反対に、ジャンヌと名乗った《使い魔》とその主であるクリスの背中の辺りが光り始め、仄かな暖かさが煌めきと共に消失した。本能的に《魂の契約》が完了した事を感じ取ったクリスは、肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出した。
肩を軽く回し、緊張で固まってしまった身体をほぐしていたクリスであるが、どうやら張っていた気も切れてしまった様で、膝の力が抜けてしまった。その場に崩れそうになってしまったクリスであるが、目にも留まらぬ速さで動いた《使い魔》によって抱き留められ、難を逃れる。
「ふぅ……ありがとう、ジャンヌ」
「マスターの身を如何なる脅威からもお護りする事こそが、我が使命であるが故です」
「そう……」
二人にゆっくりと近付きながら、ユーベルが口を開く。
「凄いね……完璧なる人型の《使い魔》を召喚しただけでなく、《契約の紋様》も同じ部位だなんて、クリスの素質には、本当に驚かされるよ」
《使い魔》に支えてもらいながら地に足をつき、クリスはユーベルへと向き直る。
「ユーベル教授でも、そこまで驚く程なのですか?」
うん――っとユーベルは笑みを浮かべて首肯する。
「僕の《法術師》の人生に於いて、クリスと同じ《法術師》には、片手で数えられる位しか会った事がないからね」
「それは……嬉しいですね……」
クリスは微笑み、大きく深呼吸をして気持ちを整えると、背筋が通った、一切の隙が無い《召喚》の儀式を行う前の彼女となり、《使い魔》を斜め後ろに待機させる。
「見事な《使い魔》の《召喚》だったよ。《昇等試験》は不合格にする所が全く見当たらない位の合格さ」
「ありがとうございます」
頭を深く下ろして礼をすると、クリスの《昇等試験》を見守っていた学徒達が一斉に湧き上がり、盛大な拍手の嵐となった。
学徒達に一礼して応えると、クリスはゆっくりと彼等の視界から外れる。そのまま、《使い魔》と共に、木陰迄移動して一息付くと、クリスは木を背にして、静かに腰を下ろした。
「ふぅ……少々疲れました……」
「お疲れ様です、マスター」
クリスは、自分と同じく涼しい表情で応えた《使い魔》を一瞥しただけで、直ぐに視線を外して、自分に続いて《昇等試験》を受けている仲間達へと顔を向ける。
「アナタは《生命の樹》から分かれた、わたしと同一の存在なのですよね?」
はい――っと《使い魔》は短く応える。
「それなら、一歩でも《コトワリ》の彼方へ近付くため、わたしに喚ばれる迄の間に、何を見聞きして来たのか、教えてもらえますか?」
それは……――っとその端正な顔を曇らせ、《使い魔》は言葉に詰まる。
出会って数分しか経っていないが、他世界の自分と同一の存在だけあり、視界の端で《使い魔》を確認しただけで、クリスは心情を察し、小さく溜息を零した。
「……覚えていない……のですね?」
「申し訳有りません……」
頭を垂れる《使い魔》に、問題ありません――っとクリスは短く応える。
「マスターに呼び出された瞬間、此方の基本的な知識や歴史を含めた多くの膨大な情報がわたしの中に流れ込んで来ました。そのため、この様に会話に支障も無く、言語を扱う事も出来ますし、《法術》を扱う事も可能であり、自分が何をしなければならないのかは解ります。しかし、それ以外の、わたしがナニモノであるのか? わたしが何を成して来たのか? ――それら全ての記憶が無いのです……」
そう……――っとだけ応えて、クリスは会話を終わらせる。
顔を前に戻したクリスの視界に、バルナバが自分から生えている無数の触手の幾つかを伸ばし、一気に十個程の《法陣》を作成して、学徒達と対面している光景が映った。
クリスは《法力》の消費によってぼうっとする頭を休ませながら、《昇等試験》である《使い魔》召喚を行っている仲間達の姿を遠巻きに観察する。金色に輝く長い髪を風に靡かせ、木陰で休みながら、仲間達の《昇等試験》を眺めていると、いつの間にか復活していたアレンが、コニーと並んで試験に挑んでいた。
二人の前に存在するそれぞれの《法陣》から光が溢れだし、閃光と呼べる程の強さになり、ナニカが徐々にその姿を現す。
光の収束と共に、召喚された《使い魔》を確認した二人は、互いに顔を見合わせ、自分達の目の前の《法陣》内に現れた、互いの《使い魔》へと視線を向けた。
「コニーのトカゲにしちゃデカイけど、《使い魔》だとしたら妙に小さくねぇか?」
「そういうアンタの方こそ、図体だけでひ弱そうね」
「………………」
「………………」
互いの《使い魔》に駆け寄り、右手を伸ばして触れる。
「我が真名はアレン・ネーブル。汝が真名は如何に?」
「我が真名はコートニー・サングリア。汝が真名は如何に?」
全長一メートルを超える巨大なアルマジロに似た外見の《使い魔》にアレンの手が触れて淡い光を放つと、見た目に反したか細い声で《使い魔》が応える。
「コ、コンラッド……」
「えっ? あっ?? ……コン、コンラ……何だって?」
小さく聞き取り難かったため、アレンは再度尋ねる。
「コンラッド……コンラッド!!」
「オッケー、ちゃんと出るじゃないか。ココに我、アレン・ネーブルと、汝、コンラッドとの《魂の契約》を結ぶ!」
アレンの胸部とコンラッドの背面の鱗甲板が淡く黄色く光り、《契約の紋様》が出現する。
「っ?! ……なるほど……俺の《使い魔》は《独立型》か……俺好みだ!」
片膝を付き、赤色で全長六十センチ弱あり、尻尾の先端に存在する小さな炎が特徴的な見た目で、得意な《法術》が解る《使い魔》。その頭部へと触れているコニーの右手が淡く赤色に光る。
「アタイ、アルマ! アルマよ!」
「アルマね? よしっ、それじゃ、ココに我、コートニー・サングリアと、汝、アルマとの《魂の契約》を結ぶ!」
コニーの太腿と《使い魔》の頭部が光り、《契約の紋様》が刻まれる。
「……へぇ、アナタは《共鳴型》ね~……アタシにピッタリ!」
アルマの胴体を掴んで肩に乗せると、コニーはアレン達と距離を取り、《魂の契約》を結んだ瞬間、頭の中に流れ込んで来た、自らの《使い魔》に関する膨大な情報に従い、《法術》を詠唱する。
「《共鳴》!」
刹那、《使い魔》が赤き球体となり、コニーの身体に溶け込むと、身体の至る部位が光りに包まれ、瞬時に服と装備を形成する。
光が消えて、形成された外見を見たアレンが、思わず声を漏らした。
「それが……コニーの《共鳴形態》……」
紅き手甲、紅き具足、胸甲も紅く、首に巻かれている長い襟巻きも当然紅い。
身体に張り付く様な素材で出来ている布地だけが黒く、それ以外の頭部を護るフルヘルムすらも紅い。
フルヘルムはスリットが入っているだけで表情が確認出来ないが、アレンには、中の人間がどの様な表情をしているのかは容易に想像がつく。
「へ、へへっ……へへへっ……コレだよ、コレ。この《法力》が溢れて仕方無い感じ。コレが《共形型》の醍醐味だよ!」
「どうかな? コニー。過ぎたるは何とやらだぜ?」
「強がりも、大概に、ね!!」
疾風――そうとしか感じられぬ程の瞬速にてアレンに肉薄し、地が足型に陥没する程の加速を掛けて飛び出した、その全てが乗った一撃。
アレンは完璧に反応が遅れており、当たると確信したコニー。
けれども、相手がアレン一人ならば、確かに直撃であったのだが、今の彼には、文字通り、魂を分けた半身が存在する。
閃光と共に甲高い音が発生し、コニーの一撃が、アレンに触れる直前で弾かれ、後方へと大きく吹き飛ばされた。
紅き拳闘士は器用に空中で体勢を立て直し、着地する頃には、次の一撃をいつでも放てる様に、腰を若干落として膝を軽く曲げるが、そのまま飛び出す事はしない。コニーが持っている天性の武の素養か、今の一合で自分の理解の範疇外の事が起こったのは解った様で、無闇に飛び込む事はせず、紅き拳闘士は左半身で構えたまま、アレンを注視する。
「ふっふっふっ~……確かに、コニーの体術と《共鳴形態》によって、爆発的に上昇した《法力》や身体能力が合わさった一撃は怖いものがあるけど、《独立型》の《使い魔》の能力も甘くみてもらっちゃ困るな!」
「こ、困るな……!」
コニーの瞬速の一撃を防いだだけでなく、後方に大きく弾いたであろう、金色に輝き、幾何学的な紋様が描かれた《法陣》が中空でゆっくりと回転しており、アレンが触れた途端、淡い光の粒子となって消える。
自分を護った事を褒める様に、《使い魔》の鱗甲を撫でるアレン。
コンラッドは、卵型の耳介を小刻みに動かしている所からして、どうやら喜んでいるようだ。
「……《防御障壁》……」
「そっ、しかも、さっきのコニーの一撃を真っ向から受け切って弾く程のな。コニー、忘れてないか~? 《使い魔》っていうのは、召喚主の《法力》が高ければ高い程、その能力が上がって、中には上級の《歪んだ種族》に匹敵するのだっている程なんだぜ? んでもって、俺とコニーは《法力》に関してはほぼ同等。 なら、俺の《使い魔》の《法術》でコニーの一撃を弾けない訳が無い」
「アレンのくせに……」
若干上から目線の話し方に腹を立てたのか、コニーの固く握った拳が震える。握り締められた拳から漏れ出す《法力》が、陽炎の様に揺らめき、次の瞬間には、発火現象へと変換され、紅き拳闘士の右腕を覆う程の炎へと姿を変えた。
「何度だって、弾いてやるさ」
それに対し、口元に笑みを浮かべてはいるが、頬を冷たい汗が伝い、心境穏やかでないアレンが、左手を前にだし、金色に輝く《防御障壁》を展開させる。
一触即発の雰囲気に、試験中の学徒でさえ中断させて事態を見守る状況となってしまったが、先に動いたコニーに合わせ、ナニカが二人の間へと飛び込んだ。
コニーは、ナニカが自分の進行上に現れたのは理解したが、こんな状況に飛び込んで来るのが悪いと完璧に出来上がってしまった頭で判断を下す。紅き拳闘士は、侵入者ごとアレンを吹き飛ばすべく、更に炎を纏い、《法術》による《加速》を加えた一撃を放つ。
「マスターの指示に従い、お二人を無力化致します」
凛――っと耳に心地良い響きを持った、何処か自分達に聞き覚えのある声が、侵入者から聞こえたと思った刹那――。
パシン……! ――っと、トップスピードになり、生身の状態でも、《法術》で強化されていれば、厚さ数センチの装甲板すら打ち抜く自慢の一撃を片手で事も無げに受け止められてしまい、コニーは唖然としてしまう。
その瞬きの間に、コニーは伸び切った腕を捻られ、自己防衛本能から自ら飛んで肘関節を護るが、引っ張られた事で地面へと叩き付けられてしまった。そのまま一切無駄のない動きで、肩と肘関節をキメられ、背後から組み伏せられてしまう紅き拳闘士。
余りの早業に、アレンが呆然としていると、コニーを組み伏せているモノの空いている方の左腕が、自分に向いたと認識した瞬間、ナニカが高速で飛来して、少年が展開していた《防御障壁》を硝子細工の様に易易と砕いた。
時間にするとほんの数秒の内に、《使い魔》を使用した衝突が鎮静化された。
もし、他の学徒が、今の衝突を鎮静化させようとした場合、十人近く必要であった所をたった一人――否、一体で治めた人外なるモノが、組み伏せているコニーの耳元に口を寄せる。
「手荒な真似をして申し訳有りません。しかしながら、あのままでは、他の学徒の皆様に被害がおよぶ危険性が生じてしまったため、マスターからの命により、お二人を鎮静化させて頂きました。コニー様、どうか《共鳴形態》をお解き下さい」
関節をキメられている上に、先の一撃を片手で受け止められたため、純粋な実力でも敵わないと感じたコニーは、素直に指示に従う事にした。
押さえ付けられたまま、コニーが短い詠唱を口にすると、外装が光の粒子となって消え、元の他の学徒同様の服装へと戻り、《使い魔》が地面に姿を現す。
続けてアレンへと視線を向けると、少年は両の掌を上に向けて肩を竦めたため、抵抗の意志が無い事を確認した《使い魔》は、ゆっくりと立ち上がり、木陰で休んでいる自らの主のもとへ戻っていった。
「……う~ん、僕の出番、完璧に取られちゃったな~」
照れ隠しで痒くもないけど、後頭部を掻きながら、ユーベルは今も地面に伏せっているコニーに近付き、手を差し伸べて立ち上がらせた。
《教授》は自分の出番を完璧に取っていった《使い魔》を視線で追い、続けて木陰で休息を取っている彼女の主へと視線を移動させた。
「もし、彼女がその気で《法術》を学べば、最年少での《教授会》への入会も可能だろうし、歴史に名を残す様な功績を作り上げる事だって出来るだろうね……」
「だと思います……それに、幾ら頭に血が登っていたからって、まさか、片手でアタシの一撃を受け止められるとは思いませんでした……」
「俺だって、障壁にはちょっと自信があったのに、《使い魔》が作ったのをあ~も簡単に砕かれるなんて、思ってもなかったぜ……」
自信を持っていたモノが一瞬にして砕かれ、溜息を零して俯いている二人に対し、ユーベルは人生の先人らしく、口元に小さな笑みを浮かべ、頭の上に手を乗せる。
「えっ? あっ??」
「ふぇっ??」
「コラコラ、二人共、そんな気落ちしない。この世界で《法具》に頼らずに《法術》を扱えるだけでも凄いんだからさ」
「はい……」
「で、でも……」
若者特有の反応と表情に、ユーベルは在りし日の自分の過去を重ね、苦笑してしまう。
「まぁまぁ、僕なんて、今でこそ《教授》って偉そうな肩書を頂いているけど、君達と同じ位の時なんて、下から数えた方が良い程の落ちこぼれだったんだよ」
「ユーベル教授が……ですか……?」
そうだよ――っと笑みを崩さずにユーベルは答える。
「バルナバだって、召喚した当初は掌位の大きさしかなかったし、防御以外の全てを切り捨てていたから、どんな国からも――それこそ、《ギルド》からも声が掛かってこなかった位で、《学園》を出た後、どうしようかと本気で悩んだモノさ……」
「自分の特化を変えようとは思わなかったんですか?」
アレンからの質問に静かに首を振ってユーベルは否定する。
コレだけは、譲れないんだ――っと、教壇に立ち、自分達を教え導く時の優しくも厳しくある瞳であるのを見て、アレンはユーベルの強さの一旦を垣間見た気がした。
「さてと……僕の身の上話なんて聞いたって面白くないし、何よりも――」
ユーベルが二人の頭の上に乗せていた手を外すと、入れ替わる様に植物の蔦の様な触手が二人の襟首を掴み持ち上げた。
「ちょ、ちょちょ!」
「あ、あれ? あれ??」
「タダでさえ《学園内での一部を除き、私闘での法術の使用は禁止》なのに、《昇等試験》という大事な場でやんちゃするなんて、謹慎モノだぞ?」
《謹慎》の言葉に、二人は顔を青くして、何か喋ろうとするが、口を開いた所で言葉が詰まってしまい、何も云い出せずにそのまま口を噤み、項垂れてしまった。
下手な言い訳をせず、自分の行いを恥じて、真摯に受け止めている二人の態度を見て、顎に手を当てて考える仕草をするユーベル。
「ふむ……まぁ、新しい《法術》を得たりしたら、使ってみたくなるのは解らなくないし、今回は誰も怪我しなかったから良いけど――」
二人の頭を触手で作った拳骨が襲い、三人を眺めていた学徒達が顔を顰める。
「イテッ!」
「アイタッ!」」
「一歩間違えれば、周りも君達も命に関わる位危険だったんだ。反省しなさい」
「はい……」
「すみませんでした……」
頭を擦りながら俯いて謝る二人に苦笑し、もう今日は衝突する事がないとは思うが、念のためにバルナバの傍に移動させて地面に下ろし、二人を隣に座らせる。
主が傍から離れてしまったため、アルマとコンラッドの二体が視線を泳がせて困惑しているので、ユーベルは二体の背を押して、主の元へと向かわせた。
諸々の事態や人物が、収まるべき所に収まり、一人納得して頷いたユーベルが両の手を叩いて自分に注目させる。
「さっ、続きといくよ! 未だ未だ残っている子達だっているんだし、夕方迄には終わらせるよ!」
「はい!」
ユーベルの言葉に、学徒達が元気良く返事をして、《昇等試験》が再開される。
以降の試験は順調に進み、早朝から始め、日が傾き出した頃。
名簿帳を眺めて《昇等試験》を終えていない学徒がいないかユーベルが確認をしていると、一箇所だけチェックをしていない箇所があり、これは拙いと氏名の欄へと視線を移動させた。
――リゼット・ジラール……。
そこに書かれている名を確認した瞬間、ユーベルは何故未だ受けていないのかを理解すると同時に、複雑な表情となる。
どうしたものか……――口には出さないが、名簿帳を眺めたまま悩んでしまったユーベルが視線を向けると、件の少女と一瞬だけ視線が合うが、直ぐに外されてしまった。
彼女は、幼い頃から《学園》に籍を置き、《昇等試験》を受けられる技量と年齢となった二年前から試験を受けているが、召喚対象を《此方側》に呼び出す直前になると、何故か《法陣》が崩壊してしまい、二年連続で試験に落ちている。
今年も、試験を通過できなかった学徒が居るには居るが、彼女の様に《法陣》が崩壊する様な奇っ怪な結末ではない。皆、純粋に技量不足であったり、《法力》不足による召喚不全であったりするので、殆どは追試で対応可能であるが、リゼットの場合は、状況が状況なだけに、追試を行えず、ユーベルも頭を悩ませていた。
けれども、試験を行わない訳にはいかず、ユーベルは小さく深呼吸をして気持ちを切り替えると、リゼットの名を呼んだ。
「さっ、リゼ、残るは君だけだ。試験を受けよう」
「で、でも……わたし、もう、二回も失敗していますし、今回だって……」
「そんな事云わない。何事も挑戦だよ? 諦めちゃそこで全部お終いさ」
「………………」
「大丈夫。何かあっても、僕が必ず護るから、ね?」
「……解りました……」
俯きながら、愛称で呼ばれたリゼットが学徒達の間を抜けて、《法陣》を間にユーベルと対峙する。
「始めるよ? リゼ」
「はい……お願いします……」
深呼吸をして先程迄の終始俯き気味であった顔を上げると、口元を結び、未だ若くとも、《法術師》のそれへと表情を変える。
百四十前半の身長と驚く程白く長い髪に、大きな瞳、筋の通った鼻、小振りな唇と作りはとても綺麗であるが、あどけなさの残る顔のため、十代後半であるが、他の学徒達よりも幼く見えてしまうリゼを前に、ユーベルは柔らかな笑みを浮かべつつも、試験は試験のため、《教授》の表情となり、詠唱を開始する。
「汝が真名は如何に?」
「リゼット・ジラール」
《法陣》の縁の内側を光球が走り、幾何学的な紋様が新たに書き込まれる。
「汝が求めるは如何に?」
「超常なる力にて《コトワリ》の彼方――《真理》也」
《法陣》に再び幾何学的な紋様が追加され、発光が強くなる。
「汝が《魂の欠片》は如何に?」
「ココに」
利き手である右手に小型のナイフを握り、左手に一筋の切り傷を付け、《法陣》へと自らの《魂の欠片》――《血》を落とす。
《魂の欠片》を受けた《法陣》内を光球が駆け巡り、一瞬にして複雑な紋様を形成する。
「汝と我は如何に?」
「我は汝、汝は我。悠久の彼方、《生命の樹》より分かれし同一なる存在也」
最後の言葉を発条として、《法陣》が完成し、天まで届く極光を放つ。
ココ迄はいつも通り。
問題はココから……。
召喚者の《魂の欠片》を元に、《法陣》の円環加速を掛けられて極限に迄高められた不可思議な力――《法力》を利用して、《コトワリ》へと干渉。数多の可能性を瞬時に振り分けながら、《コトワリ》の彼岸――《生命の樹》へと意識を進ませる。
リゼットは《生命の樹》より分かれし己と同一なる存在の、僅かな兆しを見付け出し、無限に存在する世界から手繰り寄せようとするが、自分以外の《ナニカ》が、《コトワリ》や《生命の樹》に干渉しているのか、《法陣》が点滅を繰り返し始める。
《法術》が崩壊する予兆が見え始め、《法力》の注入を止めようとしたリゼだが、ユーベルと視線が合った瞬間、今直ぐ座り込みたくなる程の虚脱感に歯を食い縛って耐え、諦めず続ける事にした。
こんなんで……こんなんで終わりたくない……! ――今回の《昇等試験》を受けるにあたり、リゼットは事前にユーベルと面談をしていた。
もし今回の《昇等試験》である《使い魔》の《召喚》に失敗したら、《学園》を去る――そう決意をしていたリゼットにとっては、まさしく決死の試験。
一呼吸する度に身体から抜け出る《法力》と、早鐘の様に鼓動を打ち続ける心臓によって、リゼットの鼻から血が滴り、視界に霞が入るが、最早気力だけで《法陣》を維持し続けていると、唐突に頭の中にある一つのイメージが浮かび上がった。
それは、数千年単位の昔から存在する文献にしか載っておらず、最早お伽話等のファンタジーにしか姿を確認出来ないモノ。
人間に似た形をしているが、二メートルを超える体躯をしており、全身が節くれ立ち、骨が剥き出しの様な姿で、全体的に細めであるが、筋と爪は異様に発達していて、鋼鉄すら易易と引き裂けそうな程だ。
全身が黒を基調とした色をしており、腰部から生えている一対の翼もまた黒く、頭部の仮面の様なモノに穿たれている穴から除く真紅の瞳は、向けられたモノに絶対的な死を覚悟させる威圧感を持っていた。もし、《教授》クラスの《法術師》が全力で向かっていったとしても、傷一つ負わせる事が出来ずに終わる結末が容易に想像出来る。
その様な畏怖の念を受ける圧倒的存在のイメージを前に、リゼットは恐れや死が頭に全く浮かばず、何故か懐かしさを感じた。
「……ばけものの……おにい……さん……??」
突然頭の中に浮かんだ言葉を思わず口に出すと、《法陣》の点滅が早くなり、目を開けていられない程の眩い閃光が辺り一面を覆い尽くした。
リゼットだけでなく、固唾を呑んで見守っていた学徒達も瞼を閉じて、光から目を護る中、唯一人、ユーベルだけがジッと《法陣》の中から姿を現した存在を眺めていた。
瞼越しでも解る程強烈な光であったが、徐々に収束していく。最も近くにいたリゼットが、ゆっくりと瞳を開けて、恐る恐る何が起きたのか確認する。
ユーベルによって作られた《昇等試験》用の《法陣》は案の定消失しており、肩を落として俯いたリゼットだが、いつもなら存在し得ないナニカが視界の端に映っており、慌てて面を上げた。
「う、う~ん……あの奇妙な感じは何だったんだ……?」
《法陣》が存在していた場所に、片手を頭に当てて、頭をゆっくりと振りながら顔を顰めている、中肉中背の凡庸な《人間》の男――慶護が立っていた。
「うん? ……う~ん……??」
慶護は乗り物酔いになった時の様な、足元がおぼつかず、身体全体が揺れている様な錯覚の中、自分の周囲を確認して、余りにも見慣れない光景に、眉根を寄せた。
何度も辺りを見回すが、慶護の記憶の何処にも覚えのない場所。
余りにも訳が解らず、慶護は頬を軽く抓るが、痛みがあるため、夢ではないようだ。
これは、どういう事だ……? ――先程迄街中を歩いていた筈なのに、姿見鏡様なナニカに飲み込まれてしまって意識が途切れた次の瞬間、足元の地面がアスファルトでなく、草花が萌える肥沃な大地に変わってしまっていたからだ。
また、自分を取り囲んでいるのが、細部の意匠の違いはあるものの、同じ様なデザインをした服を着用している、百人近くの十代中頃だろう少年少女達だけでなく、ゲームや漫画の中でしか見た事ない、巨大な動植物が混じっているのだ。もしこれが、痛みを感じるよく出来た夢の中であったとしても、異様な事態に、慶護は、ココが何処であるのか解らないが、一刻も早くこの場から逃げたくて、視線を泳がせた。
「………………あっ……」
腰の辺り迄在る白く長い髪を編み込み、雪の様に白い肌、服装も白を基調としている、夢の中の少女と瓜二つの存在――リゼットが視界に映った瞬間、慶護は動きが止まってしまった。
「き、君は……?」
「えっ? な、何を云っているの??」
「あっ、えっと……フー・アー・ユー?」
「ご、ごめんなさい……アナタが何を云っているのか、全然解らないです……」
幾つか言葉を投げ掛けたが、どうやら伝わっていないらしく、英語には似ているが、全く知らない言語を返されてしまい、慶護は頭に手を当てて悩んでしまった。
何処迄も続く青々とした大地。
自分が全く知らない言語。
ゲームや漫画の中でしか見た事の無い不思議な動植物達。
そして、夢の中の少女。
慶護はいつの間にか眠ってしまったのかと思い、もう一度頬を思い切り抓ってみるが、痛みが走るだけで、今自分の置かれている状況が紛れもない現実である事を証明しただけであった。
「――リゼ、《魂の契約》をするんだ」
訳の解らない事の連続で、慶護が必死に状況の整理をしていると、ユーベルがリゼットに《魂の契約》をする様に促した。
「えっ? あっ……は、はい!」
通常の《使い魔》とナニカが致命的に違う目の前の存在に、呆然としてしまっていたリゼットであったが、ユーベルの言葉を受け、慌てて慶護の胸に手を伸ばす。
「うん? 何を――」
「我が真名はリゼット・ジラール。汝が真名は如何に?」
それまで全く聞き取れず、何であるのか解らないタダの音であった言葉が、突然、慶護が生まれ育った国の言語として聞こえて来たため、口を開いたまま固まってしまった。
「……まな? ……あ~、名前の事か……みなも……否、ケイゴ……ケイゴ・ミナモトだ」
見た目が日本人離れしているため、慶護は敢えて苗字と名前を逆に伝えた。
リゼットの方も、突然、慶護の言葉の意味が解り、一瞬目を見開くが、《魂の契約》を結ぶにあたり、《繋がった》からだろうと結論付け、契約の施行を続ける。
「ココに我、リゼット・ジラールと、汝、ケイゴ・ミナモトとの《魂の契約》を結ぶ」
《契約の紋様》が刻まれる箇所が掌と同じく淡く光り出すが、場所が場所だけに、《教授》であるユーベルですら、目を見開いた。
それは――
「ああぁあぁぁぁああぁぁぁぁっ!!」
左目から金属の棒を突っ込まれ、脳を掻き混ぜられている様な錯覚を受ける程の圧倒的な情報量と激痛に、両手を左目に押し当て、身体を痙攣させながら叫ぶ慶護に、学徒達の一部は目を背けた程だ。
今まさに契約を行っているリゼットは、それを直視しなければならず、腰を抜かしそうになるが、胸に当てている右手は接着の《法術》を受けているかの様に、どんなに力を入れても剥がれず、自分の方は左目に仄かな暖かさを感じるだけで、痛みを一切感じないため、狼狽してしまう。
早く……早く終わって!! ――リゼットは心の中でそう叫びながら《魂の契約》の施行が終わるのを只々待つだけしか出来ない。
その間、激痛に叫ぶ慶護を見ていなければならなかったため、自分が受けている訳でもないのに、その痛々しい姿に涙目になってしまった。
左目の暖かさが消え、目の前の慶護の叫びも徐々に小さくなってきたので、実際の時間にして数秒であるが、数分にも感じられる程の《魂の契約》が漸く終わりを迎えた。
右手の光が消えて離れた所で、リゼットは安堵の溜息を零した。
リゼットの手が離れた途端、慶護は左目に押し当てていた両手が外れて力無く垂れ下がり、地に両膝をついたかと思うと、そのまま顔から倒れ込んでしまった。
「えっ? そ、そんな……なん――」
「大丈夫、彼は気を失っているだけだよ。後は僕が対応するから、リゼはもう休んでいて良いよ」
「で、でも……」
ユーベルからの提案にリゼットが口を開いた所で、教授は学徒の肩に手を置いて、耳元に口を寄せた。
「ちょっとね、気になる事があるんだ……通常の《使い魔》とも違うし、《魂の契約》も尋常じゃなかった。それに――」
耳元から口を離し、リゼットの左目を指差すユーベル。
「その《契約の紋様》の形と場所……まぁ、形もオーソドックスなのだし、目に紋様が現れるのは、そんなに珍しい事じゃないけど、念のため、これからは……――」
笑みを浮かべてそう提案すると、ユーベルは何もない空間に手を伸ばした。
すると、空間が水の波紋の様に歪み、その中にユーベルの手が入り込んだ。何かを探す様に腕を動かしていたユーベルだが、見付けたようで、引っ張り出し、リゼットの目の高さに持ち上げた。
「この眼帯を付けて頂戴。パッと見は《呪眼》の封にしか見えないけど、タダの眼帯だから、安心して」
手渡された眼帯は、純白の生地に鈴の形をした小さな花の意匠が施されていて、リゼットは首を傾げた。
「リリー・オブ・ザ・ヴァレリー――スズランって花だよ。名前の通り、鈴の形に似ているだろう? リゼにピッタリの可愛らしい花さ」
ユーベルから間接的に《可愛らしい》と云われ、リゼットは顔を赤く染めると、顔全体を手で覆いつつ、いそいそと眼帯を付けた。
「うんうん、似合ってる、似合ってる」
「は、はい、ありがとう、ございます……」
「学徒達のサポートをするのも僕達の役目だからね。気にしないで頂戴」
小さく頭を垂れたリゼットに、軽く手を振ってユーベルは応える。
そして、一人頷き、面を上げると、両の手を叩き、ユーベルは自分に注目させる。
「さ~てと……今日の《昇等試験》はこれでお終い! 今日は疲れただろうから、後は各自自由行動! 部屋に戻っても良いし、このまま自主練習に励んでも良いよ。まぁ、このまま部屋に戻って、《使い魔》との親交を深める事を僕はオススメするよ」
おっと、そうだった――っと何かに気付いた様に、ユーベルは中空に小型の《法陣》を展開し、中から淡く光る水晶球の様なモノを取り出した。
「ライル君、ちょっといいかな?」
淡く光る水晶球にユーベルが話し掛けると、少し遅れて独特な反響を持って、青年の声が帰って来た。
「はい、今の時間でしたら、問題ありません。どうしましたか?」
「それなら、悪いんだけど、僕はこれから《学園長》の所に行かなきゃだから、僕に変わって、学徒達を見てもらってもいいかな?」
「えぇ、構いませんよ」
ありがとう、ライル君――っとユーベルは返し、淡く光る水晶球を、再度展開した小型の《法陣》に戻した。
「はい、解散!」
一度だけ大きく手を叩くと、ユーベルは踵を返し、いつの間にか慶護を殻に乗せている、自らの《使い魔》の隣に移動した。
学徒達が会話に花を咲かせ、思い思いの行動をしている中、浮かべていた笑みを曇らせ、《教授》は溜息を零した。
「はぁ……久し振りに本気で参っちゃうよ……」
「私もココ迄の事態になるとは、思いもしませんでした……」
だよね~――っとユーベルは苦笑して、隣を同じ速度で浮遊しているバルナバの殻を撫でる。
「《学園長》も既に気付かれているとは思うけど、何と報告したものかね……」
「そのまま報告するしかないと思いますよ? 幾らあの方でも、召喚の際の微細な《法力》の変化や、《事象の変動》迄は、今回の《昇等試験》の担当官であるユーベル様程、感じたり《視る》事は出来ませんからね」
「それでも、ある程度は解っちゃうってのが、恐ろしい所だよ」
「《学園長》ですから」
違いないね――っと肩を竦め、ユーベルは一瞬だけ……《使い魔》にも気付かれぬ程の瞬きの間だけ、眉根を寄せて何かに耐える様な深き哀しみを背負った表情となる。
「ホント、哀しいね……」
「ユーベル様?」
「おっと、違った違った。恐ろしいね、だったね」
ははっ――っと笑い声を上げたユーベルに対し、《使い魔》は魂で繋がっているからこそ、何かを感じ取り、それ以上は敢えて訊く事はせず、《学園長》にどの様に報告するのかの打ち合わせをする事にした。
「ユーベル様、《学園長》にはどの様に報告される予定ですか?」
うん? ――っとユーベルは《使い魔》からの質問に、柔和な顔を向けた。
「そのまま報告するだけだよ」
そのまま? ――っと聞き返すバルナバ。
そう、そのまま――っと首肯するユーベル。
「何の飾りも偽りもなく、何がどうなって、こうなったのかを伝えるだけ」
はぁ……――っと《使い魔》は今一つ主の考えが解らず、ガラス球の様な瞳を向ける。
「今回のリゼの《召喚》、ちょっと普通じゃなさ過ぎるからね。僕もココ迄のは《学園》に所属して初めての事だから、《学園長》に任せるしかないっていうのが正直な所だよ」
「成る程……故に、そのままを報告するになるのですね」
そういう事――っとユーベルは笑みを浮かべながらバルナバに返し、顔を前に戻した。
「……それにね、個人的に《学園長》に確認したい事もあるんだ」
「ユーベル様が個人的に《学園長》に確認したい事、ですか……穏やかではありませんね」
そんな事はないよ――っとユーベルは苦笑して、肩を竦めた。
「個人的に気になる事があるから、それの真意を《学園長》に確認するだけさ」
確認されて――っとバルナバはそこで言葉を一旦区切ると、主へと視線を向けた。
「もし、ユーベル様が危惧されている方であった場合、どの様にされるおつもりですか?」
その時は、その時さ――っと何とも軽く返し、ユーベルは小さく溜息を零した。
「僕は《学園長》じゃないから、その真意を図る事は出来ても、真の意味で理解する事はできない。でも――」
突然立ち止まると、ユーベルは《教授》でも、《法術師》でもない、只の一人の人間として、何処か遠い昔を懐かしみながらも、寂しく物哀しい表情となった。
「何となく、解っちゃうんだよね……だから、真意の確認だけさ」
「……そう、ですね……」
ユーベルが生きてきた時の大半を共にしているからこそ、どの様な人生を送り、今の彼が在るのかを、最も理解しているバルナバは、短く応えるだけにして、歩みを再開した主の後に続いた。