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誰が為に君は逝く  作者: 黒猫参謀
第一章
1/7

序節 : さよなら現代

 自分の手足すら確認出来ない程の真っ暗闇の中、輪郭がボヤケたナニカが一人の青年の元に近付いて行く。


 ……あぁ、いつもの夢か――っと青年が諦観の念を込めて心の中で愚痴を呟いた。


 この青年、最近、同じ夢ばかりを視ている。

 始まり方も同じならば、終わり方も同じ。

 この輪郭がボヤケたナニカは徐々にその形を明確にさせていく。

 そして、ナニカは白を基調とした小さな少女へと姿を変えながら、青年の数メートル手前で止まると、声にならない何かを呟き、その瞳から涙を零して消えてしまうのだ。

 この夢を視る度に、青年は少女へと声を掛けようとするが、それは叶わない。何故か手足が自分のモノでない様にピクリとも動かせず、只々眺めているだけしか出来ない、拷問にも似た時間となってしまう。

 そのため、この夢を視て起きた時には、必ずと云って良い程に、青年は妙な疲労感に襲われてしまい、その日一日が最悪なモノとなってしまう。

 早く終わってくれ……――っと落胆にも似た気持ちで青年が少女の形を形成していくナニカを眺めていると、いつも通りではない現象が起きた。


「……けて……助けて……お願い………………」


 少女の声が聞こえたのだ。

 余りにもか細く、そして、切実な響きを持った、今にも崩れ落ちてしまいそうな声。只々聞き入る事しか出来ず、青年が気付いた時には、白い少女は消えてしまっており、自身も再び暗闇へと引き込まれていった。

 ――暗闇に亀裂が入り、光が入り込んで来ると、徐々に色と形を持ち出した。築十数年だが、青年が入居する際に張り替えたという、真新しい薄茶色の落ち着いた色合いをした壁紙が視界に入り込む。

 ココ一年程、ほぼ毎日、起床時に青年の視界に入り込んでいる見慣れた壁紙。


「……覚めたのか……」


 一人そう呟き、青年は布団を剥いで身体を起こす。

 鉛の様に重たい頭を振るい、手を当てる。

 相変わらず、あの夢を視た後の目覚めは最悪な様で、青年は冷蔵庫に足を進めて、中からミネラルウォーターを取り出すと、それで口の中を潤して、鈍る思考をクリアにさせる。


「ふぅ~……ホント、何なんだ、あの夢は……」


 八畳一間のこの家には、青年しか居ないので、独り言になるが、余りにも謎な夢のため、つい言葉が口を出てしまう様だ。


「今日のは遂に声が聞こえたし、ホント解らん……それに、聞こえた声だって僕の知っているのじゃなかったけど――」


 そこで言葉を止めると、青年は首を傾げた。


「妙に懐かしい気持ちになったのは何でだ?」


 日本人の平均身長より若干高い位の青年の胸程しかない身長に、全体的に作りが小さいが、整っていて、芯の強さを感じさせる淡いブルーの瞳と、腰の辺り迄ある長く白い髪。服装も白いチェニックの様なウェアーとスカート――見事な迄に頭の天辺から足の先迄全身白尽くめの少女だが、青年の記憶の何処を辿っても、その様な奇妙な出で立ちをした知り合いは居ない様で首を傾げている。ココ迄印象的なら、例え街中で擦れ違ったとしても、覚えていても良い筈だが、その記憶もないため、青年は腕を組んで本格的に考えだしてしまった。

 ふと、青年がベッドの隣に置いてあるスマートフォンに目を向けると、大学に向かう準備を急がないと拙い時間になっていたため、夢について考えるのは一旦止めて、朝食を済ます事にした。



******



 午後に始まる最初の講義を終え、本日の予定は夕方からのアルバイトだけとなった、頭の天辺から足の先迄全身黒尽くめの青年は、遅めの昼食を摂っていた。奇しくも、その姿は夢の中の白き少女と正反対である。

 味は兎も角、安価で胃を満たせるため、大学に備え付けられている学生食堂で、青年は昼食と共に平穏な一時を過ごしていた。

 しかし、この様に気を抜いている時程、人間には余り宜しくない事が降り掛かるモノ。

 案の定、その切っ掛けであるかの如く、食堂の出入口に、彼にとっては何とも見慣れたシルエットの人物が姿を現した。

 黒尽くめ青年が、ふと、持ち上げた視界の隅に、件のシルエットの人物を収めた瞬間、彼は慌てて俯き、視線を逸らして昼食を早く終わらせる事に専念した。

 頼む、こっちに気付かないでくれ――心の中で祈りつつ、青年は昼食を流し込むが、どうやらその願いは聞き入られなかった様だ。

 件の人物は、時間がズレており、学生が疎らにしか存在しないため、一瞥しただけで、どうやら目的の人物――黒き青年を見付けた様である。

 ――それもその筈だ。

 乳白色を基調とする食堂では、全身黒尽くめの青年はとても目立ってしまう。

 黒尽くめ青年にとって見慣れたシルエットの人物は、その作りの良い顔に笑みを浮かべながら、一直線に彼の下へと歩き出す。


「……あれ? 天音じゃん。今からお昼? 一緒にどう?」

「ごめん、ゆうゆう。わたし、待ち合わせしているの……」


 友人であろう女子に誘われたが、天音と呼ばれた黒き青年の見知った人物は、歩く速度はそのままに、手を合わせて申し訳無さそうに断った。

 う~ん? ――っと天音の視線の先に、ゆうゆうは顔を向ける。

 自分達の事を、視界の隅で見ていた黒い青年と視線が合うと、ゆうゆうは目を細め、口元に笑みを浮かべた。


「ほぉほぉ……これは失敬。馬に蹴られたくないので、後は若い者同士で、どうぞどうぞ」

「ふふっ、お心遣い、感謝いたしまする~」


 妙に芝居が掛かった口調で会話をすると、ゆうゆうは昼食の続きを食べ始め、天音は目的の青年へと歩みを進める。

 コレを食べきれば! ――っと青年が黒い箸を伸ばして、エビフライを掴んだ所で、テーブルの端に女性ハンドモデル顔負けの手荒れ一つ無い、健康的なピンク色をした爪の指先が乗せられた。

 あぁ、ダメだったか……――エビフライを掴んだ箸が力無く垂れ下がり、青年はゆっくりと面を上げた。

 春先であるため、手首迄袖が在る白のシャツの上に、ダブルブレストの黒いジャンパースカートという、一目でお洒落に気を使っているのが解る服装。顎の左右のラインに合わせたダークブラウンのショートボブには、天使の輪が浮かんでいるため、こちらも入念に手入れされている事が伺える。

 マスカラや付けまつ毛をしてもいないのに、毛先は長く、上を向いており、大きな瞳の眩しいまでの輝きは、意志の強さを感じさせる。筋の通った鼻に、若干の厚みと吸い込まれそうな艶やかさを持った唇は、笑みを浮かべており、向けられている青年も釣られて笑みを浮かべそうになる程だ。

 巷で《美少女》と呼ばれる要素をこれでもかと詰め込み、全てを奇跡的なバランスで配置した女子――天音は、青年に確認も取らずに隣の席へと腰を下ろした。

 フワリと甘みのある香りが青年の鼻孔をくすぐり、思わず天音を目で追ってしまうが、エビフライを口に無理矢理放放り込む事で、気持ちを紛らわして、苦しいが気付かないフリをする。


「ねっ、慶ちゃん、この後バイト迄暇でしょ? 一緒に買い物に行かない?」


 青年はエビフライを飲み込むのに必死になっているように見せ掛け、彼女からの言葉に気付かないフリを貫き通す。

 しかし、青年に自分の言葉が届いているのは解っているので、天音は小さな子供が悪巧みを考え付いた時の様な表情となり、思い切り腕に抱き着いた。


(みなもと)慶護(けいご)~! わたしを無視するなんて、許さないぞ~!!」


 突然腕に柔らかい感触がしたので、源慶護とフルネームで呼ばれた青年は、慌てて抱きかかえられた腕を外して、天音に振り返った。


「ま、待って、天音! 僕は無視していた訳じゃなくて、バイトの前に色々とやらなきゃいけない事があって、考え事を――」

「そんなに急ぎのって何かあったっけ? 洗濯なら、大学に来る前に終わらせたし、課題はいつも通りなら、金曜の午後を使って終わらせるでしょ? それに、荷物をアパートに置きに行くのなら、三十分もあれば終わるし……あっ、そっか!」


 何かに気付いた様に、天音は手を叩く。


「買い物なんかに行かないで、バイト迄の間、わたしと一緒に家に居たいんだね! もぉ~、それならそうと、早く云ってよ~」


 斜め上過ぎる発想をされ、慶護が唖然としていると、やぁん、もぉ~――っとどう対応すれば良いのか悩んでいる彼の肩を叩きながら、天音はお花畑満開の妄想を膨らませた。

 突っ込み所が多過ぎて、何と云えば良いのか迷ってしまうが、このまま天音を暴走させるのは、互いと周囲の精神衛生上宜しくない――そう考えた慶護は、エビフライを急いで嚥下すると、深呼吸をして気持ちを切り替えた。


「天音……気分良く妄想している所悪いけど、今日は本当に家でやらなきゃいけない事があってだね、その――」

「えっ? け、慶ちゃん……そ、そんなに、わたしと……も、もう~、仕方無いな~……。わたしのパパもとママも、慶ちゃんなら大歓迎だから、だ、大丈夫……だよ?」


 絶世と呼べる程の美少女に、涙目で下から覗き込まれる様に見上げられ、通常の男子ならば、抵抗する事なぞ出来ず、少女の云われるままになってしまうであろう。

 けれども、相手が慶護であった場合、そうはいかない。


「何を云っているんだよ……僕と天音は、家が隣同士で、歳も同じだったから、生まれてからずっと一緒に居るだけだろう? ……まさか、こうして、大学迄一緒になるとは思わなかったけどさ……」

「そうだね、これは運命だね。もうこのまま苗字も一緒になって、お墓も一緒になるのが一番だね、うんうん」


 慶護の腕に自分の腕を絡めながら、一人で話を進め、勝手に納得している天音。

 柔らかい感触とフレグランスだけでない女子特有の甘い香りを受け、腕を外そうと引いてみるが、慶護がどんなに力を入れても全く外れる気配がない。

 細腕の何処にそんな筋力があるのか解らず、慶護は首を傾げながらも、諦めずに腕を外そうと試みるが、ピクリとも動かず、当の本人である天音は、笑顔のまま腕を抱き締め続けた。


「だ~か~ら~、そうじゃなくて――」

「あっれ~? 天音ちゃんじゃん~。今日はもう帰ったんじゃないの~?」


 自分に張り付いている幼馴染の名前を呼ばれ、慶護は声のした方へと顔を向けた。

 流れるライトブランの髪に、笑みを浮かべる度に口元から覗く白い歯。

 綺麗な二重で瞳も大きく、見事な形をした鼻は高い。

 身長も百八十を超える長身であり、日本男子の平均よりも少し高い程度である百七十三の慶護を超えているだけでなく、纏っている雰囲気も、陰と陽で分けられる程、対照的な青年がそこにいた。

 無論、今天音に話し掛けて来た青年が陽で、慶護が陰である。


「高城……」


 天音に話し掛けて来た青年の名を慶護は思わず口にする。

 それと同時に、笑みを浮かべたままだが、話し掛けて来た高城青年に応えもせず、天音は慶護の腕を抱き締めたまま立ち上がった。そのため、慶護は吊られる形で席から腰を上げざるをえない。

 天音は、高城青年を無視したまま、慶護を引き摺る様に出入口に向かおうとしたので、慌てて陰の気を纏った青年が声を上げた。


「あ、天音、ちょ、ちょっと待て! 腕が痛い! って云うか、声を掛けられたんだから、無視しちゃダメだ!」

「そうだよ~、天音ちゃん。俺も無視されちゃ寂し――」


 背後から天音の肩に手を伸ばした高城青年であるが、触れる直前で手首を天音に掴まれてしまった。

 一目で何かしらのスポーツをやっていると解る程の、均衡の取れた身体付きをしている高城青年だが、天音に手首を掴まれている左手はそれ以上動かす事ができない。握られている左手首に、徐々に力を込められている様で、鈍い痛みが走り出し、高城青年は眉根を寄せる。


「……高城君、わたし、前に云わなかったっけ? わたしは、慶ちゃんと、付き合っているってさ……」

「で、でもさ、源に訊いたら、ちが――」


 天音は振り返ると同時に握っている高城の手首を返し、締め上げる。

 骨と筋に響く痛みに、高城は顔を顰めた。

 だが、彼が言葉を続けられなくなってしまったのは、呻き声があがる程の痛みもあるけれども、それだけではない。

 笑顔であるが、天音の瞳の奥に潜む、殺意にも近い怒りを感じ取ったからである。


「高城君、わたしは、慶ちゃんと、付き合っているの」


 言葉を一つ一つ区切り、有無を云わせぬ響きを持って、高城に叩き付ける天音。

 締め上げている手首を引っ張り、器用に慶護から自分の表情が見えなくすると、笑顔のため細めていた目を見開き、天音は焦点の合わぬ瞳で高城を射抜く。

 光の宿らぬ瞳の底は何処迄も暗く、心臓を鷲掴みにされた様に呼吸が苦しくなった高城は、只々近くにある天音の顔を見る事しか出来なかった。


「……解った?」


 小刻みに震えながらも、ゆっくりと高城が頷くと、自分の意思が通じた事に満足したのか、天音は再び目を細め、掴んでいた邪魔な青年の手首を離し、慶護を連れて食堂を後にした。

 天音の姿が見えなくなった事で、漸く胸の苦しみが解けて呼吸を再開出来た高城は、長距離を走った後の様に肩で息をして、噛み合わない奥歯がカチカチと音を立てた。


「はぁ……はぁ……くっ……あ、あの女ぁ~……」


 完璧に逆恨みであるが、慄える声で忌々しげに言葉を紡いだ高城を、ゆうゆうは視界の隅で一瞥だけすると、つまらなそうに溜息を零し、鞄からスマートフォンを取り出した。



******



 空に月と星が姿を現している時間帯に少女が一人、大型家電量販店の関係者出入り口から離れた所で、ジッとそちらを凝視していた。

この様な時間帯に少女が一人でいるのは、何とも不用心であるが、彼女――天音は口元に僅かに笑みを浮かべたまま、気配を殺して、物陰に立っていた。

 視線の先から考えられるに、彼女の目的は、大型家電量販店のアルバイトを終えた人物を待っており、その人物は慶護であろう事が予想できる。

 暫くすると、予想通り、関係者専用の裏口から慶護が姿を見せたので、天音が駆け寄ろうと物陰から足を踏み出した所で、彼女はそれ以上進む事が出来なくなってしまった。

 街灯の下に天音の進行方向を塞ぐ形で、五人の男達が立っていたからだ。

 男達を無視して避ける形で歩き出そうとすると、今度はそちらを塞ぐ形で動く。

目的は自分か……――そう確信した天音は、溜息を零して、男達の中にいる見知った顔の青年の名を口にした。


「高城君、わたし、これから慶ちゃんを迎えに行かなきゃだから、忙しいの。そこ、退いてくれる?」


 苛つく心境を悟られぬ様、顔に笑みを浮かべ、なるべく穏便に済ませるべく、柔らかな声で話し掛けるが、言葉の端々に棘があるのだけは隠せない。


「いや~、俺もそれは出来ないな~」


 顔は笑っているが、目は笑っておらず、他の男達が天音を囲む形にゆっくりと動く。

 自分を取り囲む様に動く男達を目だけを動かして確認する天音。

 知性を感じられぬ服装と嫌味な笑み、それと、妙に慣れた動き。

この様な碌でも無い連中が何をしようとするのか、容易に想像がついた天音は、心の中で侮蔑の言葉を吐きながらも、自分が何を云っても通じなさそうだし、どの様に対応するべきかと集中する事にした。


 このまま話しを続けるか?

 ――無駄。さっきの高城の対応からして、延々と引き伸ばされるだけ。


 ならば、叫び声を上げて助けを呼ぶか?

 ――余り意味が無い。然るべき機関の人間に捕まえさせて、然るべき施設に叩き込まない限り、何度でも同じ事を繰り返すだけ。


 強行突破をする?

 ――可能だけど、その場合、慶ちゃんもコイツラの標的になり、慶ちゃんにも危険が及ぶかもしれない。


 ……慶ちゃんにも危険が及ぶかもしれない? ――その結果に辿り着いた瞬間、天音の中でナニカが切れ、俯き気味になる。

 視界の隅で、慶護が何事も無く帰宅しているのを確認した天音は、満面の笑みを浮かべて、面を上げた。

 自分の今の状況を漸く理解したのかと思い、高城が好青年の仮面を脱ぎ捨て、外道特有の何処か粘着質な、吐き気を催す笑みを浮かべる。


「やっと自分の立場を理解した様だね。ほら、こっちに――」

「付いて来て」


 それだけ伝えると、天音は踵を返し、人通りの少ない裏道へと歩き出したため、固まってしまっていた男達であるが、直ぐに下卑た笑みを浮かべて後に続いた。

 人通りが殆ど無く、街灯も疎らにしか存在しないため、月明かりが唯一の光源と云っても過言ではない程に薄暗く、湿った空気が漂う裏通りに到着した天音は、男達に背中を向けたまま、歩みを止めた。

 余りにも御誂え向きの場所に来たため、男達の中で、最も落ち着きの無いピアスを大量に付けた青年が天音へと腕を伸ばした。


「へへっ、それじゃ、早速、その――」


 振り返ると同時に、天音の何気なく伸ばした様にしか見えなかった右手が、青年の顎を斜め下から上へと振り抜いた。

 口から、白い塊と赤い液体を吐き出しながら、ピアスを大量に付けた青年が錐揉み回転して、地面へと倒れ込む。

 突然の出来事に男達が反応出来ずに居る内に、天音は地面へと倒れ込んだ青年の元に歩き出し、持ち上げた足の踵を容赦無く喉元へと踏み下ろした。

 果実が潰れる様な鈍い音を響かせ、ピアスを大量に付けた青年は、口から赤色の泡を吹いて、何度か痙攣をしただけで、動かなくなってしまった。

 天音は踏み下ろした足をゆっくりと戻し、何事も無かったかの様に小首を傾げて笑みを浮かべる。

 態度と表情が余りにも合っていないため、男達は恐怖を覚えるが、仲間達の前で、その様な態度を取ると舐められてしまう、というクダラナイ矜持のためだけに、虚勢を張る。


「こ、この女ぁ! そんな事をして――」

「五月蝿い」


 決して声を張り上げた訳ではないが、相手を黙らせる響きがあり、ダメージジーンズを腰の下で履いている、声を荒げた青年は、言葉を飲み込むしかなかった。


「アナタ達の様な人間として腐っている存在は、生きている価値も無いけど、殺してあげる程、わたし、優しくないの」


 天音は足元に転がっている青年の身体の下に足を入れると、そのまま蹴り上げて、高城達へと足一本だけで投げ渡した。

 男達は瞬きの内に、再起不能な状態へとされた仲間の惨状を近くで確認する事となり、思わず呻き声が上がる。


「だから――」


 動きは一瞬。

 前傾姿勢になったと同時に天音は駆け出し、ダメージジーンズを所謂腰パンにしている青年に接近して、足を払う。

 タダでさえ転び易い腰パンの男が倒れ込む所に合わせ、天音は顔面へと肘を出して頬骨を砕き、叫び声を上げられるよりも早く、今度は体幹を軸に、身体を回転させて掌打を胸部に叩き込み、肋を粉砕する。

 肺に溜まっていた空気を無理矢理吐き出させられ、腰パンの青年は酸欠による意識の混濁から気を失い、力無く地面へと伏した。

 残心を解き、天音は目の前にいる高城へと指を向ける。


「アナタ達を半殺しにする」


 天音の指が掻き消えたと思った刹那、小気味良い音を立て、高木青年の鼻からナニカが垂れると同時に、そこを中心に顔全体に痛みが走ったので、青年は鼻に手を当て、呻きながらその場に蹲ってしまう。

 背中を丸めて呻く高城を足元に、天音は胸の前で両手を叩くと、小首を傾げて満面の笑みを浮かべ、口を開く。


「生活に支障が出る程度に骨を砕いて、神経繊維や筋肉を痛め付けて、再生可能限界迄臓物を破壊して、夜になる度に痛みが蘇って魘される様になる位教育してあげる」


 大丈夫だよ――っと指を立てて自分の口元に持って行くと、天音は片目を瞑って流し目をする。

だが、その凄まじい迄の場違い感に、高城の取り巻きの一人が腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。


「ちゃんと死なない様に上手く調整してあげるからね」



   ******



 八畳一間のほぼ中央に置かれているテーブルの上。

 そこに存在するスマートフォンから、突然電子音が鳴り響く。

 ベッドから飛び起きた黒髪茶目の青年――慶護は慌ててスマートフォンを手に取り、着信音から相手と内容を予想して、画面に表示されている《通話》ボタンをタッチした。


「お、おはよう、天音」

「おはよう~、慶ちゃん。今日って慶ちゃんのバイトも講義も無い日だし、一緒に出掛けよう~」


 予想通りの人物から、予想通りの言葉を云われ、慶護は思わず眉根が寄ってしまう。


「あのね~、天音。昨日買い物に付き合ったんだし、今日は良いだろう?」


 え~……――っと電話越しでも解る程の不満をぶつけられ、慶護は頭に手を当てた。


「この前、映画を一緒に見に行くって約束したのに、全然行けてないじゃん~。もうすぐ公開も終わっちゃうし、行こうよ~」

「そんな事を云われても、僕は天音と違って、ほぼ毎日バイトが入っているし、使えるお金もそんなに無いんだよ……」

「お金なら問題ないよ。わたしが慶ちゃんの分も出すよ」


 それだけは止めてくれ……――っと心の底から慶護は懇願した。


「物凄く情けない気持ちになるから、それは勘弁してくれ……」

「むぅ~……慶ちゃんがそう云うなら止めるけど……でも、一緒に出掛けようよ~。もし出掛けるのがダメなら、駅前に映画を借りに行って、ウチか慶ちゃんの所で見ようよ~」


 ふむ……――っと顎に手を当てて慶護は思案する。

 ココ迄駄々を捏ねだした天音は、例え断ったとしても、慶護の家に押し掛けて来る可能性が高い上に、その場合、遅くなっても自分の家に帰らず、居座る可能性が非常に高い。

 そうなってしまった場合、学部も学科も、何故か履修迄も同じであるため、天音と一緒に家を出る事になる可能性が非情に高い。

もし、その場面を大学の知り合いに見られでもしたら、要らぬ詮索をされて、気分が良くない。

 様々な思案をしたが、コレと云った断る理由が無いし、素直に従った方が被害も少なくなるため、慶護は小さく溜息を零して、不本意ながらも天音の提案を受ける事にした。


「解ったよ……それじゃ、三十分後に駅前のレンタル屋に集合な」

「え~、別に今からわたしが慶ちゃんの家に行って、一緒に向かうのでも良いじゃん~」

「シャワー位浴びさせてくれ……」


 待ってるよ! ――っと天音案の定の返しが来たが、こうなった時の彼女の対処法を心得ている慶護は、余り云いたくはないが、背に腹は代えられないため、ある言葉を伝える事にした。


「待ち合わせをした方が、デ、デートみたい、だろ?」


 デート!? ――っと電話の向こうから裏返った声が聞こえて来たので、効果を感じ取った慶護は、精神を削られはしたが、上手くいった事に安堵した。


「し、仕方無いな~……慶ちゃんがそう云うのなら、駅前で待っているから、時間には来てよ?」

「解っているよ。ちゃんと時間には向かうから、待っててちょうだい」


 オッケー! ――っと元気良く返事をして、天音は通話を終了した様で、スマートフォンから、何も聞こえなくなった。

 一呼吸置いて、慶護もゆっくりとスマートフォンをテーブルの上に置くと、深呼吸をして気持ちを切り替えた。


「……さて、それじゃ、遅れて兎や角云われるのも厭だし、シャワーを浴びるかな……」


 一人そう呟き、備え付けの決して広くないバスルームへと向かう。



   ******



 予定している時間の十五分前になり、出掛ける準備を終えた慶護は、戸締まりの確認を終えて靴を履き、玄関の鍵を閉めた。

 ノブに手を掛けて、何度か回してみるが、ノブは回らず、玄関扉も開かないので、ちゃんと鍵が掛かっている事を確認した慶護は、駅前へと足を進める。

 大通りから外れているため、人通りも車の通りも少ない住宅街を駅に向かって歩いていると、慶護の視界に、姿見鏡の様なナニカが映った。

ソレは道路の真ん中に存在していたため、青年は思わず足を止めて凝視した。

 突然の非日常的な光景に、慶護は眉根を寄せて首を傾げるが、好奇心が勝ったのか、ゆっくりとソレに近付き、注視する。

 姿見鏡の様なナニカは、白く発光しており、円を描く様に回転していた。

 回り込んで裏側を確認してみるが、同じ様に白く発光しているだけで、特に変化は無く、厚さも無いようだ。

 慶護は、再び首を傾げ、不思議な現象もあるものだな……――程度に考え、恐る恐るソレに手を伸ばした。ソレに右手で触れるが、熱くも冷たくもなく、どちらかというと、仄かな暖かさを感じられる。

 コレと云った違和感がないので、慶護が手を引こうとした瞬間、ソレに変化が訪れた。

 発光しているソレが、指にくっついて来たのだ。

 慶護は驚いて、急いで手を引くが、発光しているソレは、ゴムの様に伸びて、ある程度の所迄以上に手を引く事が出来ず、再度発光体の中に引っ張られてしまった。


「う、うわっ?!」


 反動で二の腕辺り迄光の中に入ってしまい、腕を幾ら動かしても、ナニカに触れる感じもなく、虚空を掴んでいる様で、慶護の表情に焦りの色が出て来た。


「くっ、な、何なんだ?! これは??」


 慶護は体を落とし、腰のキレを利用して腕を引いてみるが、全く腕を引き抜けず、徐々に身体が白く発光している姿見鏡の様なモノに吸い込まれていく。


「慶ちゃん!!」


 本来なら、この場に居る筈のない、聞き覚えのある声が背後から聞こえたため、慶護は身体が半分近く発光体の中に入ってしまっているが、顔を動かして、未だ自由に動かせる左手を伸ばした。


「天音!」


 だが、名前を呼んだ所で、ふと、自分の今の状況を思い出し、慶護は伸ばした左手をゆっくりと引き、首を横に振った。


「ちょ、ちょっと! 慶ちゃん、こっちに腕を伸ばしてよ!!」

「ダメだ、天音……早く逃げるんだ……」

「そ、そんな事云ってないで――」

「天音!」


 慶護は近付いて来ようとした天音を、声を上げて制止させた。胸の辺り迄発光体の中に引き込まれてしまっているが、少しでも目の前の女の子を安心させるべく、青年は小さく笑みを浮かべる。


「何だか非常識な事になっているけど、僕は大丈夫! だから、天音は――」


 慶護の身体が白い発光体に完全に呑み込まれ、そこで言葉は途切れてしまった。

 姿見鏡の様な発光体は、みるみる内にその姿を小さくさせていき、時計の秒針が半周する頃には、何事も無かったかの様に元の閑静な住宅街の道路だけとなった。

 行き場を失った天音の右腕が力無く垂れ下がり、俯いてしまう。

 そして、彼女は小さく口を開いた。


「……今のは、《使い魔召喚》のための《次元門》……一体誰が慶ちゃんを……?」


 俯いたまま小首を傾げたため、垂れ下がっている髪の毛でその表情を伺う事は出来ない。

 しかし、声が震え、纏っている雰囲気が一瞬にして変わった所から、高城青年に声を掛けられた時とは比べモノにならない程、怒りで頭の中が真っ赤に染まっている様だ。

 ………………まさか……?! ――っと天音が面を上げると同時に、周囲の空間が圧縮された空気が膨張する様に球状に歪み、道路の左右に存在するブロック塀が粉砕され、足元のアスファルトも拉げた。

 天音のその瞳は光が宿っておらず、何処迄も暗く、虚と呼べる程である。


「あの小娘が慶ちゃんを喚んだの?! わたしの《結界》を破って??」


 何度か深呼吸して気持ちを無理矢理落ち着かせると、天音は踵を返し、地面から数センチ程浮いたまま、前進する。


「……まっ、誰であっても、関係ないね……わたしから慶ちゃんを奪おうとするモノには、それ相応の報いを受けてもらうだけだから……」


 天音の進行方向の空間が、水滴を受けた水面の様に同心円上に歪み出したが、彼女は何の警戒もなくそのまま進み、空間の歪みの中に姿を消した。

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