第7話 筋肉痛→美少女→筋肉痛
アリアと共にウォレスタの街並みを眺めた次の日、筋肉痛はかなり回復していた。
まだ万全と言えるレベルではなく、大きく身体を動かすと脹脛やら腹筋やらに痛みが走るが、この程度で修行を休むわけにはいかない。
時間もないしな。
早朝、宿舎を出て、まだ人の少ないウォレスタの中央広場へと向かう。
服は騎士たちが鎧の下に着る護服というものを借りている。
伸縮自在なのでとても動きやすく、身体をグイグイ動かしてもピタリと密着し、離れない。
広場へ着くと、既にアリアはそこに居て俺の到着を待っていた。
遅刻しないようにとある程度は早く起きてきたつもりなのだが、どうにもアリアに先を越されてしまったらしい。
「おぉ、アキト。
今日は大丈夫みたいだな、よかった」
てっきり遅れてきたことに対して怒るかと思ったが、そうではない。
逆に体調を気遣ってくれているではないか。
「はい、おかげさまで。
まだ少し身体は痛いんですけど、大丈夫です、修行頑張ります!」
「オカゲサマデ……?
……まぁ、とにかく大丈夫ならよかった。
早速修行に取り掛かろう」
そう言うとアリアはまたも走りこみを指示した。
走りこみにより基礎体力をつけることはしばらく……というかこの一ヶ月ずっと続けていくそうだ。
その後は各筋肉の持久力を高める稽古を行うという。
アリアが言うには、一ヶ月の付け焼き刃の技術でニックに勝つことは難しいが、持久戦に持ち込みカウンターを狙う作戦ならば勝ち筋が見えるらしい。
そのために必要となる体力と持久力から先に身に着けていき、余裕があるなら合間に他の稽古をしていくのがアリアコーチの育成方針だ。
この前は外周半分と少しでダウンしてしまったので、今日はせめて一周はしたい。
「し、死ぬ……
い、へ、いや……割とマジで……」
俺は死にかけていた。
マジでこのままだと死ぬ。
世界を救う前に、そしてニックを倒す前に外周走りこみに殺される。
はやく慣れないと……
街を軽く一周し、その後外周の走りこみにとりかかったのだが、予想以上に辛いぞ。
この前ダウンした半分をなんとか乗り越え、四分の三あたりに差し掛かった時が一番の地獄だ。
先は見えないし、後戻りも出来ない。
体力が限界を叫んでもなお、身体に鞭を打ち走り続ける。
気絶しないでゴール出来たのが大きな成長にように思えるぞマジで。
「なんだアキト、もう限界か?
少し休みをやるから、回復したら次の稽古にとりかかるぞ」
「ふ、はぁ、へぁ、はい……
わ、わぁ、わかりま、した……」
返事をするのも精一杯。
というより、返事をする時間さえ呼吸をして息を整えたいという感じだ。
宿舎から持ってきた水も、もう全部飲んでしまっている。
後で汲みに行かなければ……
「こ、これは……地獄だ……」
俺は修行中に死ぬ覚悟を決めた。
「今日の修行はここまでにしよう。
アキト、よくがんばったな」
長い地獄がようやく終わった。
走りこみの後の稽古は宿舎裏の稽古場のさらに裏で行ったのだが、地面に倒れこむことが多すぎて、寧ろずっと倒れこんでいたいと思うほどにハードなものだった。
事実、今も地面に身体を大の字にして倒れているし。
太陽はかなり沈んでいて、もうしばらくすると夜になるといった時間だ。
かなりの時間稽古をしたのではないだろうか。
各筋肉の持久力をつける稽古という名の腹筋やら背筋やらが本当にしんどい。
さらに漬物石くらいの大きさの石を持って、ある程度の高さまで持ち上げた状態を維持するという超過酷な稽古も行った。
身体のみならず、精神的にも負担がかかる。
明日筋肉痛で辛い思いをすると考えると、明日を迎えるのさえ嫌になってしまう。
こんなことなら、普段からもっと運動しておけばよかった。
この修行をアリアも一緒にこなしていたのだが、当の本人はケロリとしている。
「あ、アリアさん……
あの、俺、もう少し、休んでから帰るので……先、帰って、いいです……」
息も途切れ途切れで答える。
結局アリアからかけられた言葉に対して、反応するのにかなりの時間を要してしまった。
「そう……か、わかった。
気をつけて宿舎へ戻るんだぞ?」
アリアは少し心配そうな面持ちだが、待ってもらうのも悪い。
俺自身どれくらいの時間で動く気力が湧くかもわからないのだ。
ピンピンしているアリアが横にいたら、アリアは暇な時間を利用して自主練を始めるかもしれない。
そんなことになれば謎のプレッシャーにより休むも休めない状態に追い込まれていくので、できれば先に帰ってほしいのである。
「じゃあ私は宿舎に戻る。
護服を洗うのだけは忘れないでおいてくれ」
そう言うとアリアはスタスタと宿舎へ歩いて行った。
アリアの後ろ姿を見送ると、倒れ込んだまま空を仰ぐ。
ゆっくりと流れる雲を眺めているだけで疲れを忘れられるってものよ。
しかし、同時に眠気もこみ上げてきた。
いかん……ここで眠れば次の日まで目を覚まさないぞ。
眠ってしまわないようにゆっくりと体を起こすと、倒れ込んでいた秋人の視界の端で赤髪が揺れた。
見るとそこには一人の女性が立っている。
おそらく俺と同じくらいの年齢、もしくは少し下くらいの女性だ。
革で作られた簡素な鎧と、それと対照的に派手な赤い布のスカート。
脚には鎧とは別の素材……おそらく鉄であろう防具を身につけているが、動きを邪魔しないように装備されているので面積は最小限だ。
腰にレイピアを刺し、瞳は金色に煌めいている。
睨んでいるようにもみえるくらい目つきは鋭いが、その視線は冷たく、まるで呆れたというような様子でこちらを見ていた。
髪色から、俺をこの世界に導いた女性を彷彿とさせるがこの世界で赤い髪の毛というのは珍しくない。
その装いで騎士、またはそれに関係する何かの職業であることはわかった。
しかし、ここを訪れる目的がわからない。
ここは稽古場の裏なので、騎士たちの稽古の邪魔にはならないはずだ。
「あの……なにか用、ですか?」
「…………」
女性は問いに答えない。
ただ、見るだけ。
何も言わず、動かず、じっとこちらを見つめるだけ。
え、なに、なんなんだ。
このままでは気まずすぎる。
よし、さっさと宿舎に戻ろう。
そうして立ち上がり、宿舎へ戻る。
途中で後ろを振り返るとやはり女性はこちらを見つめていた。
「いや……
誰なんだあの人……」
首を傾げながらそう呟くと、宿舎まで逃げるように早足で宿舎へ戻った。
宿舎へ戻ってからも先の出来事が気になってしまい、その日の食事の味はよく覚えていない。
多分、美味しかっただろう。
翌朝、案の定筋肉痛でベッドの上から動けない。
いや、厳密には動けないのではなく、運動をするには厳しい状態であるから修行をするのは推奨しない状態である。
アリアには当然、報告済みだ。
ベッドの上で天井を眺めていると、ある事が脳を覆い尽くしていく。
それは、稽古場裏で会ったあの女性のことだ。
天井を眺めながらずっと彼女について考えている。
なぜずっと見つめてきたか。
なぜ話しかけた時、何も言わなかったのか。
考えれば考えるほど謎は深まるばかり。
本人にその理由を聞かないかぎり、決して答えは得られないというのに。
どうして彼女のことが気になるんだ?
ただ気になるというものでもなく、恋や憧れとも違う形容しがたい感覚。
不思議に思っていたが、秋人がこの世界に訪れた理由、背負った使命を考えれば答えは浮かび上がってくる。
それはつまり、彼女が俺の背負った『この世界を救う』という使命に深く関係している可能性があるからだ。
もしそうなら。彼女もきっと俺と同じような感覚に陥ったはずだ。
確かめる方法などわからない。それでも会えばきっと何かわかる。
そのためにも、なんとしてでも騎士にならなければならない。
「……頑張って、修行しよ」
俺は眠気に身を委ね、その日は何もせずにひたすら寝ていたのだった。