第5話 身体が叫びたがっているんだ
目を覚ますと、見知らぬ天井が起床を迎え入れた。
いつの間にかベッドの上にいる。
異世界にもベッドがあるんだと思った時、今までに起きたことがすべて夢ではなかったことがわかった。
異世界に飛ばされ、ドラゴンに襲われたところを銀髪碧眼女剣士アリアに助けてもらい、騎士団へ入団するために一ヶ月後、模擬戦を行う。
だから昨日アリアに稽古をつけてもらったのだ。
これから一ヶ月間、試合の前日まで稽古をつけるとアリアは言っていた。
昨日はアリアが「まずアキトには基礎体力をつけてもらう」と言われひたすら走りこみ。
今日はその続きと基礎的なトレーニングなのだが……
「か、身体が動かねえ……」
金縛りにでもあったかのような感覚。
そう、『筋肉痛』である。
俺の身体を苦しめているのは筋肉痛だ。
ベッドから身体を起こそうとすれば腰と背と腹が。
足を滑らせて起き上がろうとすると太ももと脹脛と股関節が痛む。
首ですら動かすと痛い。
身体全身が痛いので、少しでも動こうものなら身体が叫びを上げる。
動かしていない状態でも叫びたがっているような感覚だ。
「まさか異世界に来て筋肉痛になるとは……
思わず独り言も出るわこれ」
笑い事ではないくらいに痛むのだが、走り込みで全身が筋肉痛になるだろうか。
そもそも俺は昨日どれくらい走ったんだ?
えーと、まず軽く街の中を走り、慣れたところで街の外壁を沿うようにして走った。
城を含めて走るので、一周はかなりの距離だな。
半分走ったか走らないかの辺りでもう無理ですと音を上げたのは覚えているが、そこから先の記憶がない。
走りきってご飯を食べて眠ったのか、限界がきて気絶したのか。
おそらく後者だろうな。
思い返してみればドラゴンにも追いかけられていたし、昨日は相当な距離を走ったはずだぞ、俺。
しばらくベッドの上でどうやって起き上がるかを考えていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
はい、と返事をするとドアが開き、黒と白のエプロンドレスに身を包んだ女性が現れる。
「失礼します。
アキト=カゼミヤ様、お目覚めになられましたようなので朝食をお持ち致しました」
出された食事は、現代世界で言うパンとスクランブルエッグ、ベーコンに牛乳であった。
異世界での初めての食事。
はたしてうまいのだろうか。
ベッドに備え付けられた展開式の小さなテーブルに置かれた料理を眺め思う。
しかし、心配する必要はなかった。
どれもかなり美味い。
すべてが作りたてであり、舌を唸らせる絶品だ。
食べてしまうのが惜しいくらいである。
結局あれよあれよと手が進み、気づけば完食してしまっていた。
とりあえず、筋肉痛で動けないことはエプロンドレスの女性からアリアに伝えてもらおう。
女性は朝食の食器等を片付けると、一礼し部屋から出て行った。
本当なら一日でも休んでいる暇はないのだが、体が自由に動かないならどうしようもないだろう。
「しょうがない」と一言呟いて身体をベッドに委ねる。
ここは街のどの辺りなのだろうか。
窓から見える風景では場所が特定できない。
街を行き交う人々の声や姿が少し遠くから聞こえてくる。
その代わりに、野太い男たちの声は近くから聞こえてくる。
どうやらここは、街からある程度離れた場所にある騎士たちの宿舎のようだ。
聞こえてくる声はすべて日本語で、異世界だというのに日本にいる感覚を得る。
「なんか、ゲームとかアニメの設定とかを具現化したみたいだな。
変に都合がいいというか……」
「都合がいいのが……どうした?」
突然の声に驚き、ドアのほうへ顔を向ける。
筋肉痛だというのに無理に動かしたせいで激痛が走り、思わず声を上げた。
「身体が痛くて動けないとアリア様から聞いていたが、本当だったとは。
これじゃあ試合をするまでもなく勝敗が決まるな」
声の主はニックだった。
足音は一切聞こえなかったし、ドアを開ける音すらしていないように思える。
というか情報収集が早過ぎるのではないか。
ニックはドア横の壁に身体を預けるようにしてこちらを見ている。
筋肉痛の俺を笑いにやってきたようだ。
模擬戦を行うと決まってからニックのイメージが変わっていく。
初対面の時はとても優しい人に思えたのが、今ではちょっとうざいキャラへと変貌している。
「まだ一日目だからわからないですよ。
模擬戦をやると決まった以上、俺も本気なんで」
「その様子で言われてもな。
言っておくが、当日どんな状態でも勝負は勝負だからな?」
言いたい放題だな、おい。
ムキになればニックの思う壺だし、動くことで身体にダメージがくる。
ここは平然を装い、かつ、ニックを挑発するのがせめてもの仕返しだな。
「そうやって余裕こいてる人ほど負けるって相場が決まってます。
素人を甘くみないほうがいいですよ」
「そうか。
俺はお前と違って寝てる暇がないくらい忙しい。
もう行せてもらうが、まぁせいぜい頑張ることだな」
ニックはそのまま背を向けてどこかへ去って行った。
暇じゃないならわざわざ俺の所へ挑発しにくる必要ないだろ。嫌味か。
あれだけ言われれば悔しさの一つも湧き上がってくるのが男、いや、俺という人間だ。
「絶対に勝つ。
勝ってドヤ顔して、煽ってやる」
世界を救う前に、まずニックに勝つ。
そう決めたからには、筋肉痛を早く治すためにさっさと寝よう。
決してふて寝ではないんだ。
決して。