第2話 死中に活を求めるのは間違っているだろうか
飛竜――ドラゴン。
ファンタジー世界の代名詞であり、王と謳われる存在だ。
毛むくじゃらを襲うべく現れたというところだろう。
しかし、当の毛むくじゃらはすでに逃げていて、その場に俺一人だけが取り残されている。
ドラゴンは毛むくじゃらが逃げたのを見て、標的を俺へと移す。
つまり……まぁ、俺は今、ものすごく大ピンチということだ。
その瞳に睨まれた瞬間、足がガクガクと震えだす。
体を動かそうにも動かせない……!
蛇に睨まれた蛙……というにはいささか相手が大きすぎるんじゃないか……?
「くそっ! くそっ!
動け! 動けって!」
無理矢理に足を動かし、ぎこちなくもその場を駆け出した。
向かう場所など気にしている暇はない。
とにかくアイツから逃げ出さなければ。
しかし、足を無理に動かしたせいか少し走ったところで足が絡まり、身を投げるように転んでしまう。
痛い……でも止まれない。
すぐに立ち上がり、また駆け出す。
後方で強い衝撃とともに轟音が聞こえた。
それを起こしたものが足であれ尾であれなんであろうと気にしている暇はない。
振り返る時間すら惜しい。
息切れも、肺と心臓の痛みすらも無視。
丘を必死で登り、下り坂を全力駆け下りる。
途中、急ぎすぎた足がもつれて坂を転がり落ちた。
やばいと思った瞬間には遅く、顔を上げると目前にドラゴンの姿。
心臓が止まるような感覚が全身を駆け巡る。
あっ……無理だ……
「け、結局、そういうことなのかよ……!」
いつの間にか溢れていた涙で視界は滲み、声は震えていた。
いくら男でも一人の人間だ。
泣くわ、こんなん。
結局、こんなものなんだよ。
ただの一般人である俺にはお似合いの最期。
知っていたはずだ。
それでも俺は生きたい。
自分自身、なぜそう思ったのか不思議でしょうがなかった。
どんなに不格好でもいい。
泥臭くてもいい。
這いつくばってでも、生を掴み取りたい。
そう願った瞬間――
「はぁぁあああああ!!」
突然の叫びとともにドラゴンに強い衝撃が与えられた。
ドラゴンは不意の一撃に怯み、体勢を崩す。
涙を拭い視界をクリアにすると、目の前に何者かが立っているのがわかった。
身の丈ほどある大きな剣を握り、金と青で装飾された美しい鎧を身にまとっている。
兜の後ろにある穴から髪を逃しており、銀色の絹糸が風に揺れているようにも見えた。
容姿と武器から戦士のようなイメージを汲み取れる。
「そこの青年、大丈夫か?
怪我は?」
日本語……それは確かによく知っている日本語で紡がれた言葉だった。
男らしい声ではあるが、声の高さで考えるとおそらく女性だろう。
振り向きこそしないものの、俺の身を案じてくれているようだ。
「は、はい!」
「ならいい。
ニック! こいつを安全な場所へ!」
女性がそう叫ぶと、どこからともなく彼女と同じ鎧に身を包んだ戦士が現れ、俺を持ち上げた。
俗にいう『お姫様抱っこ』なのだが、この際文句は言えない。
それに、さっきの事で腰が抜けまともに動けないので寧ろ都合がよかった。
「とりあえずここに隠れていろ。
アリア様と共にあのドラゴンを倒したあと、また来る」
ニックと呼ばれた戦士は岩陰に俺を連れて行き、先の女性の元に戻っていく。
アリア様とはあの女性のことだろう。
表情こそ兜で見えないものの、こちらの身を案じているのはあの女性……アリア様と呼ばれていた人と同じだ。
ドラゴンを倒すとニックは言っていたが、本当に倒せるのだろうか。
いくら鎧を装備しているとはいえ、あの鋭利な爪の前では役に立たないだろう。
身体も硬い鱗で覆われているし、大抵の武器では傷一つもつけらないのではないか。
……いや、俺はこの目で見たはずだ。
アリアの攻撃で確かにドラゴンは怯んだ。それは紛れもない事実。
倒すことはできなくとも、撃退はできるかもしれない……!
馬鹿になった身体に無理やり喝をいれ動かす。
岩陰から少しだけ顔を出すと、アリアとニック……そして数名の鎧を着た戦士たちがドラゴンを包囲しているのが見えた。
その中でも装飾が施された鎧を着ているのアリアとニック、さらにもう一人、ランスと大盾を構えた者だけ。
それ以外は何の装飾も施されていない簡素な鎧だ。
おそらくあの三人は実力が他の者よりも優れているのだろう。
戦闘を覗いていても、三人を中心とした陣形が組まれている。
それがどう戦いに響くのか。
長い睨み合いのあと、ドラゴンの方が先に動く。
大きく踏み込むと、アリアへ向けて前足を振り下ろした。
アリアはそれを当然のように回避すると、剣を両手で構え走りだしドラゴンの懐へと潜りこむ。
そして剣を薙ぎ払うように斬り上げた。
鱗と剣の衝突により斬撃音というよりは打撃音のような音が辺りに響き、ドラゴンが怯む。
しかしすぐに体勢を整えアリアを睨みつけた。
それを見たニックが腰に下げていた片手剣を引き抜き、駆ける。
ニックに続くように後続の戦士たちもぞくぞくとドラゴンへと走りだし、ドラゴンの四足に次々と斬撃を与える。
ヒットアンドアウェイ。
ニック達の攻撃は注意を引く程度に抑え、深追いしない。
ダメージはほとんど与えられていない様子だが、目的は達成できたようだ。
アリアからニックたちに標的を変えたドラゴンは自らの尾を持ち上げ、ニックへと叩きつける。
……が、ドラゴンの一撃はニックへ届くことはなかった。
地面がめり込むほどの一撃を、ランスの戦士が大盾で受け止めている。
尾を盾で弾き返すと、ランスの戦士は素早く退避。
すでに先と同じ陣形に戻っており、いつでもまた全員が攻撃が可能という状態だ。
「す、すげぇ……」
人がドラゴンと同等、いや、それ以上に戦っている。
気づけば恐怖心は消え、テレビに夢中になる子供のようにかぶりついて戦闘を見ていた。
これならばきっと勝てる。
そう思った時。
「何か、くる……?」
ドラゴンの様子が先ほどとは違うことに気づく。
強く大地を踏みしめ、身体を安定させているのだ。
まさか、あれは……!
そう思った瞬間、ドラゴンは息を大きく吸い込むような動作を見せた。
「火炎、くるぞ!!
備えろ!」
ニックの声が響く。
ブレス攻撃――多くのドラゴンが持っている攻撃方法の一つ。
もしドラゴンが火炎を放てば、辺り一面焼け野原だ。
ドラゴンと戦っている戦士だけでなく、岩陰に隠れている俺まで下手をすれば焼け死ぬ。
あの攻撃をどうにかしなければ勝利はない。
「大丈夫だ、任せておけ!」
そう叫んだのはアリアだった。
剣を構え、ドラゴンへと走りだす。
ブレス攻撃の隙を突いて攻撃を叩きこもうとしているのか。
近くにいたニックはアリアを止めようとするが、アリアはそれを振り切る。
どうにもならないといった様子のニックに、ランスの戦士は大盾とランスを地面に置くことで答えた。
あの戦士は、アリアの勝利を信じている。
ニックもその気持ちは同じだろうが、どうにもアリアの行動に納得出来ないようだ。
彼は心配性なのだろう。
当の本人であるアリアは、ニックが追ってこないのを確認すると、走る速度を早めた。
同時に剣を斜めに構え力を込める。
すると、剣の鍔の部分が展開し、光を放ち始めた。
「形が……変わった……?」
雷のようなエネルギーが唸りを上げ光を放つ。
最初は散っていたエネルギーがやがて収束。
光は刀身を覆い尽くし、今よりもさらに巨大な刀身を作り上げた。
これをアリアはドラゴンへと叩きこむ。
「さぁ、とっておきだ。
遠慮せず全部受け取れ!」
剣を振り上げる。
閃光と共に光の刃が弧を描いた。
放たれた斬撃はドラゴンの鱗を溶かすように斬り裂く。
刀身が残光を朧に残し、腸を抉る。
骨すら断つ一撃に辺りは静寂に包まれた。
誰もが固まり、決着の時を待っている……
アリアが大剣を納刀すると、同時にドラゴンは断末魔を上げその巨体を地面に叩きつけるように倒れこんだ。
喉を鳴らし再び立ち上がろうとするが、その四足は空を掻くだけで地を掴むことができない。
やがてその動きも勢いを失い、王は静かに瞳を閉ざした。
もはや、動くことはない。
アリアが拳を天高く掲げると、戦士たちは皆歓声を上げる。
人間が、ドラゴンに打ち勝ったのだ。
ランスの戦士は兜越しに笑っているように見えたし、ニックはやれやれといった様子だ。
トドメを刺したアリアは兜を脱ぎ、その美貌を露わにした。
碧色の瞳は優しく笑っており、ドラゴンを相手にしていた戦士とは到底思えない。
その上かなり美人だ。
何歳なのかはわからないが美少女とも言えるし、色気のある女性とも言える。
見とれるように岩陰からアリアを見ていると、その気配に気づいたであろう彼女と目が合う。
アリアは微笑むと、こちらにゆっくりと近づいてきた。
「大丈夫か、青年。
あちこち擦りむいているようだが……」
「え、あ、だ、大丈夫です、多分」
顔を見た途端緊張してしまい、うまくしゃべることができない。
まるで金魚のように口をパクパク動かし何とか言葉を紡いでいる状態だ。
アリアからみたら爆笑ものだろうな、これ。
「よし、ならよかった。
ドラゴン目撃の情報が遅れていたら助けられなかったかもしれない」
よかったと笑うアリアにひどく安心する。
それで少し緊張がほぐれた。
「ところで青年、君の名前は?
こんなところで何をしていた?」
アリアの問いかけに、答えを一瞬悩む。
名前は簡単に応えることができるのだが、何をしていたかが問題だ。
理由もなく……いや、あるのだが、この世界にやって来た経緯が経緯……
素直に言って信じてもらえるのかわからないが、ここは嘘をつかずに正直に答えるべきだろう。
「風宮、秋人です。
気づいたらここにいて、ここは自分のいた世界ではないみたいで……」
「カゼミヤアキト……変わった名前だな。
自分のいた世界ではないとなると、転生か召喚か……」
このようなことはよくあるのか、アリアは至って簡単に受け入れた。
転生や召喚が存在する世界のようで、そのパターンの一つとして考えられているのだろう。
事実、似たようなものだと俺は思っている。
「よし、わかった。
とりあえずカゼミヤ、私達はこれから街に帰るから一緒に来てもらえるか?
詰め所でゆっくりと話が聞きたい」
これはとてもありがたい申し出だ。
警察が怪しい人間を連行するのと変わらないが、今の状況で気にすることではない。
それに自分一人で街へ向かうより、ドラゴンを倒した人達と一緒に行動するほうが安全だ。
「も、勿論です!
お願いします!」
「ありがとう。
では行こう。今あいつらも呼んでくる」
そう言ってアリアは他の戦士たちの元へ向かおうとしたが、途中で足を止めた。
少し思い悩んでから振り返り、またこちらへとやって来る。
「そうだカゼミヤ。
聞きたいことがある」
聞きたいこと?
なんだろう、年齢とか身分とかか?
「先の戦い、どうだった?」
予想は外れた。
だが答えは一つだ。
何も悩む必要はない。
「……すごく、格好良かったです!」
アリアはその言葉を聞くと満足そうに笑う。
「そうだろう」と答える彼女の姿がどうにも輝いて見えたので、つい目を逸らしてしまった。