第15話 誇り高き炎の瞳
魔物。
魔族が魔法によって生み出す生物紛いの何か。
魔物を生み出す魔族の力が強ければ強いほど、魔物は強くなる。
知能を持ち、力を持ち、技を持つ。
おそらく今ウォレスタを襲っているこの魔物も、どこかの魔族が生み出し使役しているものだろう。
でも、何かおかしい。
この数の魔物の生成にはそれなりの魔力を要するはずだ。
生成に使われる魔力の増幅を、国の上層部が掴めないわけがない。
それなのに突如として、何の情報もなく魔物は出現した。
国の上層部が無能なのか。
それとも――
いい、考えるのが面倒くさい。
目の前の魔物を見て、ぼんやりと考える。
城の騎士たちが必死に魔物と戦っているが、劣勢。
民間区へ被害が及ぶなら少しくらい戦ってもいい。
自らも国の騎士であるが、まだ命を賭けるには早いだろう。
それなのに、なぜあの男は騎士でもないのに戦っているのか。
わけがわからない。
アリアの稽古、ニックとの模擬戦を入れても戦闘経験は浅い。
実戦なんて一度も経験したことがない素人が武器を振るう必要があるのか。
自分の命が惜しくはないのか。
必死に魔物に食らいつき、一匹、また一匹と魔物を倒していく。
初めて装備した本物の武具の重さと、昨日の模擬戦の疲れで動きは徐々に鈍っている。
このままではいずれその膝は地をつき、魔物によって命を奪われるだろう。
なのに。
「……逃げればいいのに。
ああいう馬鹿は状況を飲み込めないのかしら」
まるで一つのことしか考えていないように、魔物へ剣を振り上げる男。
ひどい姿だと思いながら石片に腰を下ろした。
この拮抗した状況では埒が明かない。
何匹目かわからない魔物を屠り、思う。
アリアやニックが応援にやってくるまでの間、少しでも被害を抑えられればと考えていたが厳しそうだ。
「さすがに、厳しいか……」
中央広場にいる騎士の数は僅か十数人。
もちろんその中にエルナは数えられていない。
これだけの数の騎士しかこの場に駆けつけることが出来ないのは少しおかしい。
やはり、同時刻に街の複数の場所で魔物が出現したと考えるべきか。
なら時間稼ぎなど考えず、この場にいる魔物を殲滅し、他の場所の魔物も倒さなければならない。
出来るのか……?
いや、それは考えないでおこう。
一分、一秒でも長く戦うことができれば勝率は上がる。
ただ目の前の敵に剣を振るうだけだ。
「うぉぉぉおおおおおお!!!」
声を荒げ、剣を振り上げる。
見据える先には魔物。
何も装備していない。
これなら、倒せる。
魔物へと剣を振り下ろすが、それは簡単に回避される。
しかしそれは予想していたのですぐに次の行動へ。
魔物へ膝蹴りを打ち込み、そのまま前方へ蹴り飛ばす。
大げさな音を立てながら転がる魔物へ追撃をかけようとするが、別の魔物がそれを邪魔するべく跳びかかってきた。
剣を装備した魔物。
その剣の斬れ味はわからないが、当たらなければどうということはない。
剣を構え、相手の剣を受け止めるように攻撃を防いだ。
しばし鍔競り合いが続いて、力負けする前に斜め下へ受け流す。
がら空きとなった胴体に蹴りを与え、そして一撃、二撃と拳を叩きつけていく。
効いているかはわからない。
しかし、ある程度の隙は生まれるのですかさず剣をねじ込んだ。
嘆き、倒れる魔物から剣を引き抜くと同時、背へと強烈な衝撃を覚える。
ぐらりと身体が揺らいだ。
脚へ力を込めて身体を支え、衝撃の正体を確かめるべく振り向く。
先ほど吹き飛ばした魔物がいつの間にか俺に攻撃してきていた。
それを理解した刹那、魔物の二撃目の打撃が俺の鳩尾を捉えた。
痛烈な痛みが走り思わず前かがみになるが、魔物は容赦なく俺を蹴り飛ばした。
地面を転がると同時に剣が手から離れ、絶妙に距離が空いた場所に剣が残される。
すぐに剣を取り戻そうとするが、素手の魔物はそれを許さないかのように目の前に立ちはだかった。
相手も素手、こちらも素手なら殴りあうしかない。
追ってきた魔物へ右拳を振るうが避けられる。
同時に魔物の拳が左頬を殴りつけた。
吹き飛びそうな意識を繋ぎ止め、魔物を蹴る。
威力はさほど無いが体勢を崩すことにはなんとか成功。
魔物はがむしゃらに拳を放つ。
そんなんで当たるわけがないだろ。
放たれた拳を何とか受け止めると、渾身のヘッドバッドを魔物の頭部へ浴びせた。
そしてよろけた魔物に追撃として全力の右ストレートを叩き込み、吹き飛ばす。
今なら剣を取り戻せる。
そう思った瞬間、身体が自分の意志とは逆の方向へと傾いた。
左半身がまるで何者かに掴まれ後ろへと引っ張られたかのような感覚。
なぜ、どうして。
疑問の答えは数秒後に返ってきた。
左肩に黒い矢のようなものが突き刺さっている。
前方を見ると、素手の魔物に隠れて見えなかったもう一匹の魔物がそこにいた。
弓……いや、ボウガンのようなものを装備した魔物。
奴が放った一撃が、俺の肩を貫いたのだ。
理解した瞬間に痛烈な痛みが駆け巡る。
思わず膝をつき肩を押さえるが……
「あッ……つぅ……ッッ!」
痛みの感覚が一瞬で引いたと思えば、次に熱さが襲う。
熱い、まるで火で内側から炙られているような熱さだ。
それでいて血が出ていく感覚もある。
肩の上から液体をかけられていて、それが皮膚を伝っているだけとも思えた。
とても立てる状態ではない。
そんなこと、敵には一切関係がなかった。
いつの間にか目の前には素手の魔物。
こちらを見下ろすように立っている。
ヤバイヤバイヤバイ……!!
そう感じた時には既に吹き飛ばされていた。
自分の中の何かが遠ざかっていき、もはや痛みさえ感じない。
素手の魔物がゆっくりとこちらに近づいてくる。
痛みが消えたことで、何とか立ち上がることはできた。
しかし、全身がひどく震えるので戦おうにも戦えない。
意識が揺れ始め、視界も曇る。
終わった……
俺、死ぬのか。
目前には素手の魔物が、その向こうにはこちらを狙うボウガンの魔物がいる。
もはや万事休す。
すべてを諦めようとした瞬間、ボウガンの魔物が狙いを変えたように見えた。。
先程より少し右へズレた場所。
とっさに後ろを向くと、そこには崩れた噴水の石片に座るエルナがいた。
こちらは一切見ておらず、別の騎士の戦いを暇そうに見ている。
「あい………つ。
ま……だ……にげて…………」
今の状態で叫んでも、声量はたかが知れている。
エルナへ危機を伝えることができない。
幸いなことに少し……いや、本気で無理をすれば身体は動く。
ならばやることは一つだ。
最初の一秒は、まるで亀のようにゆっくりと。
次の二秒で脚に全エネルギーを込める。
肩から血が吹き出たように見えたが、痛みはもう感じないのだ。
ざまぁみろ。
最後の三秒、身体を投げ出すように跳ぶ。
走るなど到底できる状態ではない。しかし、少しくらいなら跳ねることはできる。
身体を傾け、方向を調整すればギリギリで届くかもしれない。
届いたかどうかは、左脇腹に与えられた違和感でわかる。
見るとそこには黒い矢。
エルナを狙った一撃は、俺の脇腹を捉えた。
途切れそうになる意識の中、エルナを見る。
俺の奇妙な行動に少し驚いた様子のエルナ。
それを見ると、なぜだかすごく安心してしまう。
視界の端で何かが弾けた。
見てみると、そこには一人の男が倒れている。
先ほど弾けて見えたのは、男の血。
脇腹と肩に魔物が放った矢が突き刺さっている。
彼の倒れている場所から考えると、魔物はこちらを狙ったようだ。
それを防ぐため、既に手負いだった男は最後の力を振り絞ったというわけか。
正直、あの程度の攻撃なら寸前で避けれた。
命を投げ出す無駄な行動。
それなのに今にも死んでしまいそうな、いや、死んでもいいと思っているような顔でこちらを見つめている。
最初に見た時からそういうタイプの人間だと分かっていた。
自分が守ろうとするものすべてに価値があると思っている。
それが、気に入らない。
気に入らないはずなのに。
「はぁ……」
ため息をつくと同時にレイピアを引き抜く。
美しい剣身、刃元には青く煌めく結晶。
結晶の中心には赤い小さな宝珠が埋め込まれてる。
最後にこれを振るったのはいつだろうか。
しばらく前のことに思えるし、つい最近にも思える。
……いや、考えていてもしょうがない。
考えるだけ無駄というか、馬鹿らしいというか。
「……本当に、馬鹿らしい」
あぁ、面倒くさい。
どうにも自分はおかしくなってしまったようだ。
いつもは抱かない、情のような何かがあの男に湧いている。
理由はわからないし考えるのも今は面倒くさい。
男に近づこうと脚を動かすと、一匹の魔物がこちらへ向かってきている。
あの男がそれなりにダメージを与えた素手の魔物。
実力の差もわからない、ただの魔物。
レイピアの切っ先を魔物へ向ける。
「どきなさい、邪魔よ」
刃元の結晶が光を放つ。
同時に切っ先で小さく円を描くと、切っ先から火球が放たれた。
不意に放たれたそれを、魔物は回避できずに正面から受ける。
火球は着弾すると同時に激しく魔物の全身を焼きつくした。
魔物は呻きを上げて倒れるが、炎はなおも燃え続ける。
その様子を見たせいか、それとも他の騎士がすべて殺されたかわからないが、次々と魔物が集まってきた。
数えるのも面倒くさいくらいに。
一匹一匹潰していてもキリがない。
「……面倒くさい。
数を揃えればどうにかなると思っていたのかしら」
レイピアの切っ先を天に掲げ大きく円を描く。
そのままレイピアをゆっくりと正面へ持ってくると、姿勢を低くし片手のまま振りかぶる。
「これで、終わり」
地を蹴り、駆ける。
レイピアの剣身が炎に包まれるのを合図に、思い切り薙ぎ払う。
炎の刃は徐々に巨大化し、意思を持った鞭のようにして放たれた。
魔物たちの多くはそれを回避できずに焼き斬られる。
この一振りで大体は片が付くが。
「おまけよ、あたしからの大サービス」
薙ぎ払ったレイピアを再び天に掲げる。
すると、空中に炎で描かれた魔法陣が出現した。
わずかに生き残った魔物たちに意識を集中させレイピアを振り下ろすと、魔法陣から幾多の火球が魔物たちへと降り注ぐ。
雨のように降り注ぐそれは、的確に魔物のみを狙っているので被害は最小限だ。
当然、それをたかが量産型の魔物が防げるわけもなく、まもなくして辺り一面は黒と赤で彩られた。
紅蓮の炎は魔物が息絶えたあとの骸でさえ、燃やし続ける。
戦いの終着を悟り、倒れた男を見る。
するとあの男と目が合った。
男は少しだけ微笑むと、その瞳を閉じた。
近づいて脈を確かめると、死んではいない。
しかし、このまま放っておけば死ぬのは時間の問題。
これだけしぶとい……いや、生命力のある男だ。
城で適切な処置さえ受ければ助かるだろう。
「……本当に、面倒くさい」
気づけば男を背負い、城へと脚は動いている。
もう自分で何をしているのかもよくわからない。
今日は最悪の日だと最初にこの男に会った時に気づくべきだったのだ。
ただ、ひとつだけ良い事があった。
それは、まぁ、今は別に考えなくてもいいことだろう。