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三本足のカラス

作者: 八田理

「ねえ、この鳥はカラスなの?」

 選手の名前が分からないというので、ハーフタイムの間に試合のパンフレットで説明していると、レイちゃんが鳥の絵を見つけて聞いてきた。羽を広げて後ろへ振り返り、サッカーボールを鷲掴みにした黒い鳥は確かにカラスで、日本サッカー協会の紋章である。

「これはヤタガラスと言って、けまりの発祥地である熊野神社のシンボルなんだ」

 熱烈なサッカーファンである俺はここぞとばかりうんちくを披露した。何しろ今日は念願の初デートである。すでに後半は始まっているが彼女へ説明を続けた。もちろんマニアックな話題は避けなければならない。彼女を退屈させないように軽い冗談で笑わせながら、俺は会話を進めた。

 と、その時、日本代表が大きなチャンスを迎えて大歓声が沸く。相手側のディフェンスラインを抜けるロングパスが、右サイドを駆け上がる選手に渡ったのだ。しかし線審の旗が上がってプレーは停止した。

「どうしてダメだったの?」

 天を仰いだ俺の袖をレイちゃんが引っ張ってくる。

「今のはオフサイドというんだよ。右サイドの選手へパスが出された瞬間、その選手はすでに相手側の最終ディフェンスより前に出ていたんだ。この勇み足は待ち伏せ行為と見なされて、反則になるんだ」

 オフサイドは分かりにくいが俺は優しく丁寧に説明してあげた。この試合は負けると後がないという重要な日本代表戦で、日本中が注目している。しかし俺にとってもレイちゃんを獲得するための大切な戦いだ。そのためには冷静な言動が肝要であり、勇み足には気をつけなければならない。

 試合はその後、一進一退を繰り返した。会話をもっと弾ませようとした後半二十三分、日本は再びチャンスを迎える。中盤でのボールの奪い合いを制した日本の選手から、フリーのフォワードへとパスが通ったのだ。相手キーパーとの一対一となり、うまくかわせたと思った瞬間、そのフォワードが倒された。PKだ! と総立ちの大観衆。ところがレフリーは倒れた選手にイエローカードを差し出した。

「倒されたのにカードなの?」

 頭を抱える俺の腕にレイちゃんが指を突いてくる。

「今のはシミュレーションといって、わざと倒れる行為はレフリーをだます非紳士的行為と見なされるんだ。悪質だとレッドカードが出る時もあるんだよ」

 俺はレイちゃんの顔を見つめながら言った。もちろん試合は気になるが、いくら眺めても飽きない美形から目を離せなくなる。その彫りの深い顔立ちは女優でも通用するほどで、スタイルも抜群。それでいて清純な雰囲気を漂わせた高校生なのだ。だから俺は得意の下ネタを封印した。そんな非紳士行為は彼女に失礼である。

 さて後半三十二分。俺は焦っていた。五分前に点を入れられたこともあるが、レイちゃんとの間に沈黙が続いていたのだ。彼女は試合に飽きたのか、パンフレットのヤタガラスを眺めたりしている。ところがその時日本がチャンスを迎えた。ゴールを予感させるコーナーキック。満員の観衆はうなり声のようなコールを始め、徐々にその音程を上げていくと、ボールが蹴られた瞬間にワッという叫び声を発した。ところが直後にレフリーのホイッスル。日本の反則が告げられて声援はため息に変わる。

「また反則なの?」

 パンフレットをうちわ代わりにしながらレイちゃんが聞いてくる。

「ほら、ゴール前で選手同士が服のつかみ合いとかをしてたよね。それがあんまりひどいと反則をとられるんだよ」

 俺は彼女の瞳を見つめながら微笑んだ。その黒目勝ちの潤んだ瞳には一片の濁りもなく、天の川を凝縮させたかのような輝きを放っている。その無垢なる美しさに、キスさえもしたことがないかもと俺は胸をときめかせた。それなのに彼女から漂ってくるシャンプーの香りで、俺はずっとモヤモヤとした気分になっていたのだ。本当は君と服のつかみ合いをしたいんだという下ネタが出そうになり、俺は慌てて口をつぐむ。

 時計を見ると後半のロスタイム。負けているのに日本の戦いぶりは不甲斐なく、欲求不満のブーイングさえ起こっている。しかし最後のチャンスを迎えて万雷の拍手が湧いた。今度こそゴールが決められそうな位置でフリーキックを得たのだ。ボールの手前で二人の選手が立ち、何か相談している。

「ねえ、このカラス。さっきからおかしいと思ってたけど、足が三本のようになってない?」

 レイちゃんの質問に俺は反応できなかった。どちらの選手が蹴るんだと息を呑んでいたのだ。

「足は、三本なの?」

 ちょっと怒った口調になったので俺は我に返った。もちろんヤタガラスが三本足なのは知っている。地面と接する二本の足は甲が大きく描かれているので、誰でもすぐに足だと気づける。だがもう一本は、胴体から左斜め上に細長く突き出ているため、目を凝らさないとボールを掴んでいるようには見えないのだ。

「えーと、それはね……」

 俺は答えに窮した。三本足の理由など考えたこともないし、今は最後にして絶好のチャンスを迎えているからだ。

「もういいわよ」

 とうとう彼女を怒らせた時、フリーキックのボールが蹴られた。ゴールとの間で立ちはだかるのは、相手側の選手が直線に並んで作った壁だ。壁の間には日本の選手も混じっている。地を這うようにしてボールはその選手へ向かった。選手がジャンプしてそのボールを足下にくぐらせ、キーパーの意表を突く作戦だ。ところがボールがホイップしてその選手の股間を直撃する。

「あ、分かったわ!」

 股間を押さえながら選手が倒れるとレイちゃんが朗らかに言った。

「これ、カラスの股間にボールが当たった絵なのね」

「え?」

 と、俺は振り向いたが、彼女はヤタガラスを見つめたままである。やがて口に手を当てると、噴き出しそうになってぽつりといった。

「でもこのカラス、彼のより大きくなってる……」

 その言葉と同時に試合終了のホイッスルが鳴った。 











    











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