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羽衣伝説  作者: けだま
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 さらさらとした感触が頬をくすぐっている。どうやらうつ伏せに倒れているらしい。ぴくりと指先を動かせば、細かな砂のようなものが爪の間に入った。

(砂、浜……?)

 目を閉じたままイサリはぼんやりと思う。身体も頭も重く、瞼を開けるのも億劫だった。頬や掌に触れる砂の感触だけがゆるく思考に伝わってくる。

 小屋の前の、浜辺だろうか。イサリは考えた。しかしそれにしては潮の香りはしなかったし、波の音も聞こえてはこない。辺りは無音で無臭だった。それに、こんな砂浜で倒れているはずもないのだ。確か自分は崖から飛び降りたのだ、走るアルタを追いかけて崖から飛び降り、岩場の上へ――

 はっとしてイサリは目を開けた。反射的に身体を起こす。一瞬だけ眩暈に襲われ、イサリは顔を顰めた。

 そして目の前に広がる光景に呆然とした。

「なんだ、ここ……」

 辺り一面、黒と白の二色だった。頭上には夜のような暗い空が広がっているが、星も月もなにひとつ輝いておらず、雲が浮かんでいる様子もない。ただ塗り固めたような黒だった。そして足元は細かな砂のようなものが敷き詰められた、白い大地。所々きらきらと光っており、空の黒との対比でひどく眩しく感じた。

 イサリはしばし呆けていたが、ふらふらと一歩を踏み出した。砂を踏む感触は、軽い。きゅ、きゅと音を立てながら白い砂は静かにイサリの体重を支えている。小石ほどの尖った粒もいくつか混ざっているようで、裸足の足裏に時折ちくりと刺さった。

 しばらく歩いていると大地の切れ目が見えた。イサリは足を速める。辿り着いたそこは切り落としたように白い地面が途切れており、谷底の如く黒い空間が空いている。はるか前方にはうっすらと白い大地が見えた。左右を見渡しても同様に谷底は続いており、向こう側に渡ることは出来そうにない。

 イサリは崖の縁に立ち尽くした。緩やかな風が髪を揺らしてくる。

(一体どこなんだ、ここは)

 黒い空と白い大地、目の前に立ち塞がるのは巨大な谷。とても現実のものとは思えなかった。地獄というものだろうかと思ったが、草紙で眺めた地獄の絵はもっとおどろおどろしくて鬼や怪物が跋扈していたはずだ。では極楽かとも考えたがすぐに首を振って否定した。自分が極楽へいけるとは到底思えない。己の欲望のために彼女を騙して下界に閉じ込めていた自分になど――

「アルタ……」

 ぽつりと呟く。涙が一筋だけ、流れた。彼女は死んでしまったのだろうか。祖国に対する不義と無念を抱えたまま自らの命を絶ってしまったのだろうか――イサリは拳を握る。すべてを失った自分になど、もうたいした価値もなかったのだ。それなのに独りになりたくないという勝手な都合で彼女の大事なものを奪ってしまった。イサリは怒りが湧くのを感じた。自らの浅ましさと、愚かしさに。

「なにをしている、小僧」

 突然背後から声をかけられた。イサリは驚いて振り向く。そこには黒い袍に身を包んだ男が立っていた。傍らには金の天馬が控えている。

「飛び降りようとしていたであろう」

 重々しい口調で再び言われ、イサリは瞠目した。「別に……」と肯定も否定もせず、ただ顔を逸らす。

 視線だけで男の様子を見た。髭を蓄えた壮年の男だ。頭には冠をかぶり、黒い袍の袖や裾には金糸で細かな刺繍が施されている。腰には剣を佩いていた。異国の皇帝のようにも見える。そして傍らの金の天馬……イサリはアルタの言葉を思い出した。

「……あんた、天帝?」

 尋ねるが、男は答えなかった。値踏みするようにイサリを見下ろしながら顎髭を撫でている。

「汝らの罪を贖わせるために、死なせずにわざわざ天界まで召し上げたのだ。勝手な行動は許さぬ」

「天界? ……ここが?」

 イサリは驚いて周囲を見渡した。アルタが語っていたような美しい星空は、まったく見えない。ただ白と黒の寂しげな光景が広がるだけだ。

 男が鼻を鳴らす。憐れむように黒い空を見上げると「なれの果てよ」と言った。

「天人どもは愚かにも互いを潰し合って滅びたのだ。汝の足元に敷き詰められている白い粒、それは骨だ」

「……!!」

 イサリは思わず後ずさった。「骨……?」と目を凝らすが、粉々になった砂から人骨を想像することは出来なかった。しかしこめかみからは冷や汗が流れた。

「骨と、星の欠片だ。天人の生き残りはもはやあの娘だけよ」

「アルタ……アルタは生きてるのか?」

 イサリは詰め寄った。男は冷ややかにイサリを見下ろし、「罪を贖わせるために召し上げた」と口早に告げた。

「汝は己の犯した罪を理解しているであろうな? 天人から羽衣を奪うことがどれほど愚かしいことか、説明せねば分からぬか」

 冷然と吐かれた言葉に、イサリはただ俯いた。「わかってる」と呟けば、頭上で男がふんと鼻を鳴らした。

「なるほど、馬鹿ではないらしい……あの娘も自らの処遇に対する罰を甘受した」

 イサリは顔を上げた。「あいつは何もしてない」と咄嗟に否定の言葉が口をつく。

「アルタが帰れなくなったのは俺が羽衣を隠したせいだ。悪いのは、全部俺だ」

「自らの立場も弁えずに下界にうつつを抜かしていた。罰するには十分すぎる」

「だけど」

「黙れ」

 冷ややかに男が斬り捨てる。冷徹な双眸に見下ろされ、イサリはわずかたじろぐ。

「罪状を決めるのは汝ではない。それに、既に娘は罰を受け入れている。申し開きは聞かぬ」

 男は一端言葉を切ると、黒く口を開ける谷底へ顔を向けた。

「娘は向こう岸にいる。再び星が生まれて天界が蘇るまで、かの者は家畜の世話をして過ごすことになる」

「そんな……」

 イサリは愕然とした。自分のせいで彼女までが罰せられることになるとは……拳を握っていると、無感情な声が頭上から降ってきた。

「汝は羽衣を折り続けよ。新たに生まれる天人のために身を粉にして働け」

 顔を上げた。男は感情のこもらぬ双眸でイサリを見下ろしていたが、少しだけ瞳を和ませた。「しかし私にも情はある」と首を傾げる。

「年に一度だけ、この谷に水が満ち川になる。泳ぐことが出来れば娘に会わせてやろう……泳ぎは、得意なのだろう?」

「……」

 探るように男が見つめてくる。イサリは答えなかった。しかし男は気にした風もなく軽く笑うと、

「励め」

 一言だけそう告げ、天馬に跨って風のように黒い空の向こうへ飛び去っていった。イサリは空に残された金色の軌跡を呆然と眺めていたが、やがて視線を俯けた。と、いつの間に出現したのか、白い大地の上にぽつんと小屋が建っているのが見えた。イサリは小屋へ向かう。

 イサリが住んでいたものと同じくらいの、こじんまりとした小屋だ。庭先には屋根の高さほどの木が生えている。梢からはぼんやりとした燐光が発せられている。よくよく見れば、生っている木の実が光を発しているようだった。

「星の生る、木か……」

 イサリは呟く。そして小屋の扉を開けた。大きな機織り機がどっしりと陣取っている。糸を紡ぐための糸車も置かれていた。

 この手で隠した羽衣の感触を思い出す。イサリは機織りなどしたことはない。

「やってやる……いや、やらなければ、駄目なんだ」

 傷つけた彼女の心に償いを見せるためにも、自分は機を織り続けなければならないのだ――イサリは意を決し、糸を紡ぐべく庭先の木へ向かった。




 幼い頃に母や村の女たちが行っていたことを思い出しつつ、イサリは手探りで機織りをし続けた。教本もなく教えをくれる者もなかったが、時間だけは有り余っている。幾度も失敗を重ねるうちに、次第にそれなりのものを織ることが出来るようになっていた。

 イサリは孤独だった。滅びた天界には生き物の気配は愚か、風景が変わることもなかった。毎日黒い空と白い大地に囲まれ、機を織り、身体が疲れれば眠りに落ちる。耳に届くのは自身が機を織る音と、微かな風のそよぎだけだった。

 気が滅入ることもあった。しかし、自分と同じように彼女も孤独に罰を受けているのだと思えば弱音は吐きたくはなかった。それに、一年に一度は会えるのかもしれないという、希望もあった。

 機織りもすっかり板についてきた頃、その日はやってきた。




 イサリは大河を前に佇んでいた。巨大なうつろを見せていた谷底が一夜にして豊かな川に様変わりしている。水は恐ろしく透明で、水位が深くなればなるほどその水の色を濃くしていた。川底はまったく見えない。イサリは久方ぶりに海を思い出した。波がないので様相はだいぶ異なるが、底の見えぬこの川の深さは大洋を思わせた。

 水に入るのはおよそ一年ぶりだ。その間ろくに身体を動かしていないから、さぞ鈍っていることだろう。川幅もどれだけあるのかもわからない。

 だが、流れは緩やかだ。泳ぎ切る自信は、あった。それにイサリには泳ぎ切って彼女に会わねばならない理由もあった。

 イサリは彼女に謝りたかった。きちんとした謝罪をすることもなく二人は別れてしまったのだ。彼女の目を見て、そして頭を下げる。それこそがイサリの贖罪でもあった。

 軽く身体を解したあと、イサリは川に飛び込んだ。澄んだ水は冷たく気持ちが良かった。久方ぶりに味わう、水に抱かれる感触。村のこと、両親のこと、漁のこと、アルタと海で遊んだこと――数々の思い出が目まぐるしく脳裏を掠めて涙が滲んだが、すぐに川の水に紛れて消えていった。

 体力の配分を考えつつ最大の速度で水を掻く。どれほど泳いだかわからない。萎えそうになる身体を叱咤するのは、アルタの笑顔だった。もう一度、会いたい。会って謝りたい。そして――

(俺は、あんたに伝えたいことがあるんだ)

 胸に灯る温かな光を思いつつ、イサリは強く水を蹴った。

最後はなんとなく七夕っぽく。

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