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羽衣伝説  作者: けだま
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 そんなの知らないねぇ、と首を振ると、籠を担いだ行商人は足早に去っていった。アルタが肩を落とす。断られたのはこれで何人目か。

 気落ちするのもそこそこに、アルタはすぐに次の通行人を捕まえ、同じことを尋ねていた。最近、綺麗な薄絹を持っていたり売っていたりするような人を見かけなかったか、と――

 イサリはそんな彼女の姿を少し離れたところからぼんやりと眺めていた。羽衣を探しに町で聞き込みを始めてから、今日で七日目である。羽衣が消えた当初、アルタは物思いに沈み小屋に閉じこもっていたが、数日経つと意を決したように町に探しに行くと言ったのだ。しかし無論、いくら通行人や店の主人に尋ねたところで成果は挙がるはずもなかった。

 彼女を手伝って羽衣を探すふりをしつつ、イサリは小屋の裏手の大岩の前に思いを馳せていた。彼女が見当違いな場所を必死に探せば探すだけ、イサリの胸は糾弾を受けているように痛んだ。

「アルタ……」

 道の真ん中で項垂れるアルタに向かって声をかけつつ、イサリは歩み寄った。「駄目ね」とアルタが力無く笑う。

「今日はもう帰ろう、疲れただろう」

 すでに太陽は沈み始め、往来の人々も家に帰るべく足早に過ぎ去っていく。話しかけたところで、もうあまり相手にはされないだろう。

 アルタは憔悴しきった表情で道行く人の顔を眺めていたが、やがて小さくうなずいた。

「そうね、そうしましょう……なんだか途方もなさ過ぎて力が抜けちゃったわ」

 そもそも盗人がこの町に来ていたかどうかもわからないものね……アルタはそう呟くと肩をすくめた。イサリは答えず、黙って彼女を促し、通りを進んだ。

 歩いている間、アルタは口を開かなかった。このところイサリは彼女の笑い声を聞いていない。その原因がはっきりしているだけに、後ろめたさで心は鈍重だった。

 二人とも口を開かず、黄昏時の寂しげな通りを黙って歩いていれば、自然と俯きがちになった。目を開けてはいるものの、二人の視界には目の前の光景が映ってはいない。

 それが災いしたか。どん、とイサリは右肩に痛みを感じた。顔を上げれば、どうやらすれ違いざま破落戸とぶつかってしまったようだった。

「悪かった」

 ぼそりと謝罪してそのまま行き過ぎようとすると、「待てよ小僧」と乱暴に肩を引かれた。イサリは舌打ちする。その反応に男はますます機嫌を損ねたようだった。

「……なんでぇ、その態度はよ……糞生意気な餓鬼だな」

 男が斜に構えてイサリを睨みつける。が、じろりと顔を確認するや、「てめぇ……」と呟き、そして背後のアルタを認めるとにやりと下卑た笑みを浮かべた。

「おい小僧、てめぇ山向こうの村の生き残りだろ? この町でも散々物乞いしてやがった死にぞこないのくせに女連れとは、ずいぶん出世したもんじゃねぇか、え?」

 イサリは黙って男を睨みつけた。相手をしても仕方ない。無視して捨て置こうとするが、男がにやにやと笑いながらアルタに一歩近づくのを見てその場に踏みとどまった。

「知ってるかなお嬢ちゃん、こいつのこと。どういうわけでつるんでるンだか知らねぇが、こんな貧乏臭ぇ餓鬼なんかといるより、もっと稼げる楽しいとこを俺が教えてやる――っ」

 男の言葉が途切れる。イサリの拳が男の顔面を打っていた。

「この野郎……!」

 男が醜く顔を歪めて吠えた。力任せに横っ面を叩かれ、イサリは地面に倒れ込む。視界がぐらぐらと揺れて耳鳴りがした。アルタの悲鳴が遠いもののように聞こえてくる。

 起き上がる前に男が馬乗りにのしかかった。もう一発顔を殴られ、更に続けざまに拳が振り上げられた瞬間、慌てたように町の人間が止めに入った。

「なにやってんだよあんた、子ども相手にさ!」

「警邏を呼ぶよ!?」

「うるせぇ、こんな餓鬼やってやるっ!」

 数人がかりで取り押さえるも男はなおも暴れている。わらわらと野次馬も集まってきて辺りは騒然となった。その隙にイサリはアルタに助け起こされ、宵闇に紛れながら逃げるようにしてその場を去った。

 物陰まで走ってきたところで二人は止まった。イサリが口元の血を拭っていると、突然アルタに抱きしめられた。イサリは面食らう。なにをされたのかすぐには理解できなかった。

「危ないことは、やめて……!」

 震えた声でアルタが訴える。イサリはしばし黙っていたが、小さく笑って彼女の頭をぽんと撫でた。

「大げさだな。あれくらいで別にどうにかなったりはしない」

 血は出たがかすり傷である。戦のあとから今の小屋に落ち着くまでの間、イサリは襤褸屑のようになりながらあちこち放浪して生きていたのだ。今さら殴られたからとてどうということはなかった。

 アルタが身体を離す。「馬鹿なこと言わないで」と睨む瞳は、今にも泣きだしそうに歪んでいた。あの程度の暴力沙汰でこんなにも取り乱すとは、やはりこの少女を戦中の天上界に戻すわけにはいかない、羽衣を隠したのは正しかったのだ――場違いにもイサリは改めてそんなことを思った。

「早く帰って手当てしましょう。……ごめんなさい、私が、羽衣を探したいなんて町に出たりするから……」

 アルタが精一杯唇を噛んでこうべを垂れた。涙をこらえているのだろう。

「……あんたのせいじゃないだろう」

 イサリは呟く。殴られた頬よりもよほど強い痛みを、胸の奥に感じた。




 その日以来、アルタは羽衣を探しに行こうとはしなくなった。

 日の出と共に起き、雑事を済ませ、海で魚を獲り、泳いで遊び、岩場で日向ぼっこをし、日が落ちれば眠りにつく――二人は浜辺の小屋で慎ましく生活を送った。羽衣や天上界の話は、いつの間にか口にされることはなくなった。

 アルタは浜辺での生活に安らかさを感じているようだった。それでも時折物憂げな影がその顔に差すのを、イサリは気づいていた。その度に良心が咎めつつも、これでよかったのだと己に言い聞かせ煩悶は胸の奥底に押しやった。

 彼女もしばらくは辛いかもしれない。けれどすべてはきっと時間が解決してくれるだろう。ここで新たな人生を歩むことこそ、きっと彼女の両親の願いでもあるはずなのだから――イサリが自身にそう思い込ませていた、矢先の出来事だった。

 夜の星空が、突如として真っ赤に染めあがったのだ。




 夜半。妙な眩しさでイサリは目を覚ました。小屋の中は窓から差し込む禍々しい赤い光で満ちていた。イサリは驚いて跳ね起きる。

(……火事?)

 寝床のほうを見やれば、アルタも同じく半身を起こして呆然としていた。赤く染まった横顔はうつろな表情をしていたが、やがてビクリと震えると布団から跳ね起きた。そのまま慌ただしくイサリの前を横切り、外へ飛び出していってしまった。イサリは呆気にとられる。

「アルタ、どうしたんだ。無闇に出ると危ない――」

 慌てて彼女のあとを追って外に出る。どこかで火事でも起こっているのかと思っていたイサリは、外の状況に目を丸くした。

 空がどす赤く染まっている。燃えているのは、空だった。朝日とも夕暮れとも違う、燃え盛る業火が空いっぱいに広がり蛇のようにのたうっていた。かつて草紙で読んだ地獄の風景もかくやと言わんばかりの、禍々しい眩しさが空を包んでいる。その下に広がる海も血のように染まっていた。

「な、なんだ、これ……」

 イサリは目がくらんだ。こんな空は今までに見たことがない。この世の終わりを示しているようでぞっとした。

「アルタ……」

 はっとして辺りを見渡す。彼女は浜辺に突っ立って赤い空を凝視していた。イサリは彼女のそばまで駆け寄る。肩を掴むと、弾かれたようにアルタがイサリを見た。藍色の瞳は赤く染まり、恐怖に見開かれていた。

 天が……と、うわ言のように小さく唇が震える。

「どうしよう、戦がきっと激しくなったんだわ。あんな炎、見たことない……」

「戦……なのか? あれは……」

 イサリは再び空に視線をやる。不意に村を焼き払う炎が脳裏に蘇った。逆巻く火炎は村人の死体もろとも家々を焼き払い、あとに残るのは炭と化した屑のような残骸だけ――背中に鳥肌が立った。震える拳を握りしめ、イサリは小さく舌打ちする。

「お父様、お母様……」

 ぽつりとそう呟くと、アルタは突然取り乱した。早く早く戻らなければと悲痛な声を上げ、海に向かって駆けだそうとする。イサリは驚いて彼女の腕を掴んだ。

「なにしてる。海に入っても天に戻れるわけじゃないんだろう」

「でも、今きっと国が燃えてるんだわ、早くしないとみんな……!」

「……羽衣がないと戻れないと言ったじゃないか」

 そう告げるイサリの瞼の裏には、地面に木箱を埋める己の姿がありありと浮かんでいる。そうだ、自分が本当のことを言わない限り、天女は空へ帰ることはできないのだ。

 炎渦巻く夜空を見上げた。今まさに燃え尽きようとしているであろう、彼女の祖国。あの炎の中ではきっと殺戮が行われているのだろう。そんな場所にわざわざ帰してやる道理などあるはずないではないか――しかし。

 抱え込むイサリの腕の中で、アルタは悲痛に顔を歪めた。

「私はいつもみんなから大事にしてもらえたわ。父様も母様も優しかった。だから皇女として恩返しをしなくてはならなかったのに、私はひとりだけ逃げ出して……これは裏切りなんだわ」

「アルタ……」

 イサリは唇を噛む。もがく彼女の姿を見ていられなかった。母の手で瓦礫の下に隠されひとりだけ生きのびた己には、なにが残ったというのだろう? 蔑まれながら日々を食いつなぎ、ただ漫然と毎日を過ごすだけの死んだような日々だったではないか。彼女が、降りてくるまでは――それと同じ目に遭わせることが果たして正しい行為なのだろうか。

 わからない。イサリには判断ができなかった。しかし抑え込む腕には、もう力をこめることが出来なかった。支えを失ってアルタが一歩よろめく、その瞬間。

 かっと閃光が走った。視界を焼かれ、イサリは咄嗟に目を閉じる。まばゆい光が瞼の裏を鮮烈に焼いた。思わず足元がふらつく。

 しかしその光も長くは続かなかった。白く染まっていた瞼の裏はやがて少しずつ暗くなり、もとの黒に戻っていく。イサリは恐る恐る目を開けた。

「……星が……ない?」

 空は嘘のように常の夜空色に戻っていた。しかし雲ひとつない夜空には星が一粒も輝いていなかった。月だけは皓々と浮かんでいるのが異様である。

 アルタが跪く。顔を覆って泣きじゃくっていた。ごめんなさい、と途切れ途切れに言葉が漏れる。

「ごめんなさい、自分だけ、ごめんなさい……私が……羽衣を盗まれたりするからっ……」

 震える細い肩を見下ろしながら、イサリは一歩後ずさった。そして星の消えた夜空を見上げる。

「星が……死んだ、のか?」

 呆然と呟けば、それを聞いたアルタがますます激しく泣きじゃくった。イサリは動悸がした。月だけが輝く星の死滅した空が、ざわざわと胸をかきみだして不安を煽る。知らず、逃げるようにその場から駆けだしていた。

 なんということをしてしまったのだろう――イサリの胸に激しい後悔の念が湧く。彼女のためにはこうするのが一番良いのだと思った。戦火から逃れてこの下界で別の人生を歩むほうが、きっと彼女の両親も喜ぶだろうと……

(でも、違う)

 イサリは首を振る。本当は、彼女のためなどではない。イサリは独りになりたくなかった。孤独な生活を明るく照らしてくれた彼女を、手放したくなかったのだ。イサリは自分自身の欲のために彼女の羽を奪っていただけだったのだ。そしてそれは、なんと残酷な仕打ちだったのだろう――

 はっとしてイサリは立ち止まる。気が付けば小屋の裏手、大岩の前までやって来ていた。それほどの距離を走ったわけでもないのに、息切れがひどい。イサリはその場に屈みこむ。月明かりを頼りに、震える手で土を掘り返し始めた。

 土の中から木箱がのぞく。更に土を掘り進めた。覚束ない手付きで箱を取り出し、蓋を開けた。中には破れ目がほぼ完全に繕われた美しい羽衣が収められている。月光に照らされる羽衣はイサリの目には眩しすぎた。

「イサリ……」

 背後で声が上がる。イサリはびくりと肩を震わせた。振り返れば、そこには呆然とした表情のアルタが立っていた。

 アルタがゆっくりと近づいてくる。イサリの手元を凝視していた。イサリは俯く。彼女の目など、見ることができるはずがない。

「……それ、どうしたの? どうしてあなたが持っているの……?」

「……」

 消えた羽衣を、きっと盗まれたのだろうと言ったのは誰あろうイサリだ。その張本人が羽衣を持っている。それも足元には、たった今掘り返された穴がうつろに開いている。イサリがなにをしたのかは、一目瞭然だった。

「……すまない」

 絞り出すように謝罪する。返事はなかった。アルタは黙って手を伸ばし、箱に触れた。イサリの手から天女のもとへ、羽衣が帰っていく。

 かたん、と地面に箱が落ちた。羽衣を握りしめたアルタは俯いて震えていたが、やがて弱弱しく顔を上げてイサリを見た。藍色の瞳は今の夜空のようにきらめきが失せていた。

「うん……いいの、私、ちゃんとわかってるわ」

 泣き笑いのようにアルタの顔が歪む。

「イサリは優しいから……私のために、そうしたのよね? 大丈夫、わかってる」

 自らに言い聞かせるようにアルタは呟く。しかし一度羽衣をぎゅっと握りしめると、両の眼からつうと涙を流した。

「でも……もう、私はあなたとは、いられない」

 小さく告げるや否や、アルタは駆けた。

「……アルタ!」

 今さらなにを弁解しようというのだろう。しかしイサリの足は咄嗟に彼女を追って駆けだしていた。

 黒髪をなびかせるアルタの白い背中が、夜の闇を我武者羅に走っている。衣服の裾と羽衣がひらめくさまが場違いに美しく、夜空を舞っているようにも見えた。

 浜辺を抜け、草地に上がり、白い背中は止まることなく走る。やがてアルタは崖に向かっているのだということをイサリは気が付いた。かつて共に水浴びをした清水のある、あの崖の上へ。

 草むらを抜けると瞬時に視界が開けた。と同時に足をすくうように強い風が吹き抜けていく。暗い夜空と、同じく輝きのない黒い海が、正面の視界を二分する。

「アルタ、そっちは危ない!」

 イサリは叫んだ。崖に辿り着いてもなお、アルタの速度は落ちなかった。このままでは崖下の岩場へ転落してしまう――そう危惧していると、アルタは躊躇なくその身を空中に躍らせた。髪が、衣が翻り、天女の姿はイサリの視界から消えた。

 イサリは悲鳴を上げていた。もつれる足を叱咤し、考える間もなく地面を蹴っていた。

 浮遊感に襲われる。反転する視界の片隅に、白い影が一瞬だけ垣間見えたような――そんな気がするのと同時にイサリは意識を失っていた。

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