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第8話 暗黒騎士

「……旦那。昨夜は随分とうなされていらっしゃったようですが、どこかお加減でも悪いんで?」


 そう聞いたのは、昨日、ベガリタスが宿泊した宿屋の主人だった。

 たしかに彼の言う通り、昨日の寝付きはあまりよくなく、見たくない夢を見たような記憶がある。

 生き物の肉の焼ける匂いと、咽返るような濃密な血の香り。

 あの場所にもう一度戻れ、と言われても心の底から嫌だと言うだろう。

 そういう夢を、ベガリタスは見た。

 

 だが、そんな話を宿の主人にわざわざするほど性格が悪いわけではない。

 そもそも、今、主人は厨房でベガリタスや他の宿泊客のために朝食を作っているところだ。

 食い物がまずくなるような話題を避ける甲斐性くらい、いくら何でも持ち合わせている。

 だから……。


「いや、そんなことはない。記憶にないが、夢見が悪かったのかもな……見た目通り、体だけは丈夫なんだ。何か力仕事でもあれば手伝うからいつでも言ってくれ」


 そう言ったベガリタスに主人は、


「おおっ、そのときは是非に。とは言え、今は旦那の飯だ。何か嫌いなものは?」


「特にはないな。まぁ、流石に竜の目玉とかを生で出された日には、俺とて宿代を返せと言うぞ」


 冗談めかしてそう言えば、


「はっは。その場合はむしろ宿代を上げますぜ、旦那」


 と即座に返してきた。

 竜の目玉と言えば、様々な用途のある素材として馬鹿みたいな値段がつく高級品である。

 実際にそんなものが出てきたら、確かに宿の主人の言う通りであった。

 しかし、だからと言ってさわやかな朝、朝食として食べたくなるようなものであるはずがない。

 あれは薬だ。

 美味い飯とは言いがたいものなのは間違いなかった。


 幸い、しばらくして主人が運んできた皿の上には何かの動物の目玉などは載っていなかった。

 しかし、


「……これは何かの嫌がらせか?」


 ベガリタスがそう言ったので、主人は笑って言う。


「別にそういう訳ではないですぜ? サービスでさ」


 皿の上には、おそらくは普段通りのメニューと思しき料理の他、その上に目玉焼きが乗っかっていた。

 急遽作ったらしく、他の客の皿の上には載っていない。

 だからだろう、主人はベガリタスの耳元に口を寄せて、


「……ちょっとした冗談ですが、さっさと食べてくだせぇ」


 そう言った。

 どうやら、サービス、というのは事実らしい。

 ベガリタスは無言でうなずいて、朝食を掻きこんだのだった。


 ◆◇◆◇◆


 ベガリタス。


 その名前を聞けば、人族の誰もが震え上がる。

 そんな時代が、かつてあった。


 今ではただのベガリタスとして、人族が主人を務める宿屋に素知らぬ顔で泊まり、まるで人族のように笑顔で冗談を飛ばし合ったりできているが、こんなことはかつてなら不可能だった。

 かつてベガリタスは、ただのベガリタスではなく、こう呼ばれていた。


 暗黒騎士ベガリタス。


 魔族随一の暗黒剣の使い手として、その腕を人族に対して振るった。

 ひとたび彼が戦場に現れれば、人族の敗北は確定するとまで言われていた。

 ベガリタスの前に、人族の兵士など路傍の石か紙に等しく、人族の英雄ですら、幾人もが彼の剣の前に沈んでいった。


 当時、ベガリタスは魔族の王――魔王ということもあるが、その名で呼ばれる存在は一つではないため、あえて、こう呼ぶ――に仕えていた。

 当代最強の魔術師であり、そしてベガリタスの幼いころからの友人でもあった存在でもある魔族の王。

 彼女・・のために、ベガリタスはその剣を振るった。


 ベガリタスの剣が切ったのは、人族だけではなく、彼女・・が魔族の王となるために、不必要な存在である同族すらもであった。

 ベガリタスの剣は、常に、彼女の力が振るわれるよりも素早く振るわれた。

 ベガリタスの剣の前に屈さぬ敵は一人もおらず、そして彼の剣は一人の女性のためだけに捧げられた。


 あまりにも強力すぎる彼の力に、彼女が魔族の王になった当初は、魔族の一部では、彼女よりもベガリタスの方が強い、という揶揄までされたくらいである。

 それが本当かどうかは、実際のところ、ベガリタスと魔王しか知らないことだ。

 しかし、そんなことばを口にした者は、魔王直々に消滅させられ、徐々に魔族の王こそがやはり最も強いのだと知れ渡っていった。

 ベガリタスが、まるでどこにも敵などいないかのように、いかに強さを謳われた存在ですらも、漆黒に染められた全身鎧と、剣一本で打ち破って来たベガリタスが、その人ただ一人にのみ忠誠を誓っていることも強く作用したのは言うまでもない。


 魔族は、個々人の力が他の種族より強力で、生きようと思えば一人でも問題なく生きられるくらいにたくましい者たちである。

 そのために、横の繋がりが弱く、また力あるものこそが権威を持つという感覚も強かった。

 そのため、当時は魔族が一つにまとまることなどないだろう、というのが大方の見方だったのだが、彼女と、そしてベガリタスはその現状をひっくり返した。


 国を作ったのだ。

 魔族の国を。

 人族に対抗するための、強大な国家を。


 その中で、魔族は強さ以外の尺度を手に入れた。

 ただ強いだけの者より、より国に貢献できる者こそが徴用された。

 弱くても、努力と工夫で生きていける国が出来上がったのだ。


 国は発展し、徐々に広大になっていった。

 多くの魔族が国に帰属し、そして魔族の王を、真実の王として敬うようになっていった。


 それを見ていて面白く思わなかったのが、今までその一帯を治めていた人族たちだ。

 魔族は人族にとって、尊重に値する存在ではなく、ただの原住民で、住んでいる場所は人族のものであるが一時的に貸与しているに過ぎないものという感覚だった。

 魔族は確かに個々の力が人族よりも強いが、集団で挑めば人族でも倒せないことは無い。

 むしろ数の上では人族の方が勝っているし、切り札となる英雄もそれなりにいた。

 だからこそ、人族は魔族を見下し、そして人族に不利益がないからと放置し続けてきた。

 魔族の住んでいる地域が、人族の住んでいる地域と高い山脈によって隔たっていて、移住するのも簡単ではない、という事情も影響していただろう。

 つまり、人族はほとんど侵入したこともない土地について、勝手に自らの土地と扱い、そこに住むものを見下していた、ということになる。

 これは酷く愚かなことだが、人族すべてがそうではないことを、魔族は知っていた。

 

 当時、人族の一部で、【唯一の神】と呼ばれる神が尊ばれるようになり、それを信仰する者たちの集団がそれぞれの国家において台頭していたのだ。

 その教えの中には、人族がその【唯一の神】の現身であり、魔族などの他の種族はすべて、人族を作り出す前に試しに造った失敗作に過ぎない、というものがあった。

 だからこそ、魔族などは人族に奉仕すべき存在と定義されるため、人族の方が偉いのだ、とこういうことを主張していたのだ。

 

 これが、愚かかつ間違った考えであることは、魔族のみならず、エルフやドワーフなどの他種族も理解していた。

 もちろん、人族も大半がそれを理解しているだろう、と他種族は考えていた。

 だからこそ、特に干渉することなく放置されたのだが、意外なことに、その集団の拡大は止まらずに、ついには一国の政治をすら左右するような強大な集団となっていった。


 そして、気づいた時には後の祭りだった。

 人族は、他種族に牙を剥いた。

 まず、エルフやドワーフを襲い、従属化に置いて、その技術のすべてを提供するように強制した後、最後に残った土地を欲して、魔族の国まで求め始めた。


 いつ戦端が開かれたのか。

 その記憶はベガリタスにもない。

 しかし、いつの間にかそれは始まっていて、そして止めようがなかった、ということだ。

 魔族は人族が先に手を出したのだと言い、人族は魔族が先に手を出したのだと主張した。

 ベガリタスはこれについて、魔族の主張こそが正しかったのだと確信しているが、人族にとっては正しさなどどうでもよかったのだろう。

 ただ、魔族に攻め込むための大義名分があればそれだけでよかったのだ。


 それが分からず、というか、それでも話し合いの余地はあるのだと心のどこかでずっと思いながら戦っていたベガリタス。


 結果として、最悪の事態を招いた。


 戦争の終盤、魔族も人族も疲れ切っていたころ。

 魔族は人族に対して全力で戦ったところ、人族はこの反撃に驚き、そして徐々に戦力を減らし、劣勢に陥っていった。

 もちろん、魔族も無傷ではいられず、それどころか人族の技術や思った以上の手ごわさに苦汁を何度もなめさせられ、やはり疲弊していた。


 そんな中でのことだ。


 人族側の代表者である【聖女】が、【魔族の王】と秘密裏に会談を持ちたい、と言ってきたのは。


 【魔族の王】は、当時、そろそろ戦争は終わらせて、和平交渉が出来ないかと道を探っていたところだった。

 こんな話があれば、載らないわけがない。

 ベガリタスも、それはいいことだ、と思った。

 なにせ、それが成ればこれ以上、魔族も人族も戦争で死ぬことがなくなるのだから。

 何人どこから何千、何万という人を屠り倒してきたベガリタスであったが、そうしないで済むのならその方がいい。

 そう思って、【魔族の王】の方針に賛成したのだ。


 結果は――


 ◆◇◆◇◆


「……申し訳、あり、ません……まさかこのようなことに……」


 若い人族の娘が、口から血を流しながらそんなことを言った。

 人族の代表者、聖女。

 彼女の腹部には矢が数本刺さっている。


「いや……私も油断していた……ふふっ……まぁ、最後がこれで良かったかもな。お前とは分かりあえた。人族も悪くは無かろうさ。が、お互い見る目がなかった」


 そう返答したのは、妖艶な魅力を放射する魔族の女性であった。

 ベガリタスの幼馴染。魔族の王。

 魔族の王の台詞に、聖女は力なく笑い、


「全くです……はぁ……流石にここまで重症では回復薬の類も効きませんでしょうし……これではどうにも。そこの暗黒騎士さま。介錯をお願いして……も?」


「私も頼む」


 口々にそんなことを言う。

 ことここに至ってどこまでも余裕のある二人に、ベガリタスは頭を押さえたくなったが、状況はそれを許さなかった。


 周りを見れば、そこには数多くの人族と魔族がいる。

 どちらも魔族の王、聖女に向かって、それと知りながら武器を向けている不心得者だ。

 彼らの後ろには見たことのある顔がいくつかある。

 魔族の王に従属していた幹部、聖女の属する団体、【教会】の教皇、そしてその側近たち。


 彼らが顔を合わせてにこやかに笑っているのを見れば、どう見ても通じ合っていたことが分かる。

 つまりは、ここで【魔族の王】と【聖女】を滅ぼそうというつもりなのだろう。

 実際、それはほとんど成功している。

 会談に指定されたこの場所は、特殊な空間で、魔力や聖気のほとんどが封じられてしまうところだった。

 【魔族の王】も【聖女】も、本来なら一騎当千どころではない実力者だが、その力の源が封じられればいかんともしがたいというわけだ。

 そして、通常武具が最も効果を発揮するのはこういうところでもある。

 その機会を狙ったという訳だ。

 ふざけるにもほどがあった。


 ベガリタスは、そんな状況に頭が血が上るのを感じた。

 これはどう見ても、裏切りであるからだ。

 和平を結ぼうとした平和の使者二人の謀殺である。

 許されることではない。

 そんなベガリタス自身は未だ無傷だが、ベガリタスの魔力も封じられているのだ。

 これでは――


 そう思ってところで、魔族側の幹部、参謀を務めていた老人ファイーザが前に出て、ベガリタスに声をかけた。


「……さて、状況は理解しておりますね、ベガリタス。貴方の力はこんなところで失うのは惜しい。そこの女どもと共に死ぬくらいなら、私と共に覇道を進みませんか? これから、世界は我らのものになります……私と、彼……ルートのものに、ね」


 ルート、というのは【教会】の教皇の名前である。

 どうやらファーストネームで呼び合うほど親しいらしい。

 そこまでの友誼を一体どこで結んだのかと詰りたくなるが、今言っても仕方のない話だった。

 そして、そんなファイーザの裏切りに対する答えは、決まっていた。


「……断る。俺はあくまで、こいつのために戦ってきた。最後まで、そうするつもりだ……」


 そう言って、ベガリタスは自分の腰に手を伸ばした。

 しかし、そこにはいつも振るってきた剣が差さっていない。

 ここに来る際に、ほぼすべての武具を預けるように言われ、そして実際にその通りにしてしまったからだ。

 ベガリタスが今持っているのは、護身用の短剣、ただ一つである。

 だから、ファイーザとルートはそれに手を伸ばすベガリタスを見て笑う。


「ほ、ほほっ。まさかその短剣でこの人数と戦うと? 普段のあなたならそれも可能でしょうが、この魔力封じられた空間で、出来るとでも?」


「わしら二人を殺すのとて難しいじゃろうなぁ……? くっく。まぁ、良い。暗黒騎士の首を取ったのはこのわしじゃと、あとで自慢してやるわい」


 そんなことを言いながら。

 どうやら教皇自らベガリタスの相手をするつもりらしい。

 教皇の持っているのは、強力な魔力触媒のついた杖だ。

 空間的に魔力が封じられていても使えるように特殊な加工が施されているのだろう。

 でなければあの余裕の説明がつかない。

 教皇は、人族でも一、二を争う魔術の使い手だという話はよく聞いていた。

 魔力が使えない状態で、彼と戦ってもベガリタスには本来万に一つも勝ち目がないことは明らかだった。


 しかし、短剣の柄に手をかけたベガリタスに、もはや息も絶え絶えな【魔族の王】は小声で言った。


「……ベガリタス、それを抜くつもりか」


「今を置いて、他にない。修羅になろうとも、すべてを滅ぼそう。お前たちの介錯について、先ほど頼まれたことだしな」


「ふ……まぁ、それもよかろう。【聖女】殿はそれでもいいか?」


 尋ねられた【聖女】は首を傾げつつ、


「はて……一体どういう……」


「あれは【呪剣】だ。それも、相当に強力なもの。言い伝えられる【黒き剣】、その次に、な」


 【黒き剣】と言えば、古い時代、剣聖ミナイが鍛冶神に与えられ、振るったと言われる最強の剣のことだ。

 その威力は神すらをも滅ぼすほどで、その試作には鍛冶神も数百年を費やしたと言われる。

 【呪剣】とは、その鍛冶神が、【黒き剣】に至るまでに作り出した失敗作たちのことを指す。

 失敗作と言っても、どれも強力な名剣ばかりであり、振るえば大地を切り裂けるほどの品もいくつかあるほどだ。

 問題は、その名の通り、どれも呪われていることだろう。

 振るえるのは余程の狂人か、悪魔の類だけだと言われる。

 ひとたび封じられた鞘から抜けば、【呪剣】は人の本性全てを引き出す。

 暗闇や怒り、死を求める心、人の血を望む人の悪魔的な部分のすべてを。

 だからこそ、【呪剣】は時代を経るごとに減っていった。

 神を信仰する者たちが、見つけ次第、長い期間をかけて破壊していったからだ。

 だからこそ、【聖女】は驚く。

 まだ、現存していたのか、と。

 しかも、今まで言い伝えられていた【呪剣】たちの見た目とは大幅に異なっている。

 今までの物は、どれも見た目から禍々しさと強力さが伝わるものだという話だった。

 しかし、ベガリタスのものは、普通の短剣と変わらない。

 むしろ、何の変哲もない、その辺にありそうな品だ。

 ただ、剣の刃が闇色に染め上げられている。

 それくらいである。

 あれが、本当に【呪剣】なのか。

 そう思ってしまうくらいに、普通だ。


 けれど、【聖女】はじっとそれを見ているうちに気づいた。

 あれは、危険なものだと。

 破壊の意思、ただ純粋に他を切り倒すことだけを求める何かの意思を感じる。

 そこに信仰や尊敬はない。

 この世の何もかもを切れる、そんなものだけを求めている。

 そういう剣だと、【聖女】には分かってしまった。


 なるほど、あれを抜けばすべて終わるのだろう。

 自分も、そして隣にいる【魔族の王】も、ついでに、周囲にいる裏切者たちすら。


 それを理解した【聖女】はむしろ晴れやかな気持ちになって、ベガリタスに言った。


「……良いでしょう。それで、彼らの野望は潰えますし、私と貴女は一緒に逝けるわけですから。ある意味、魔族と人族が分かりあって死んだということになりますでしょうし」


「余裕があるな、【聖女】よ。まぁ、私も同感だ……ベガリタス、では、頼む」


 その言葉に頷いたベガリタスは、腰の剣を抜いた。


 その直後、ベガリタスの意識は消えた。

 

 気づいた時には、周囲を囲んでいた人々の姿はなかった。

 ベガリタスの手から、あの短剣もなくなっていた。

 

 ――しかし、地面を染め上げる血が、ベガリタスたちを囲んでいた彼らがどうなったかを示していた。


 見覚えのある杖やら指輪やらが転がっている。

 ルートとファイーザが身に付けていたものだろう。

 おそらくは……。


 それから後ろを振り返ると、そこには【魔族の王】と【聖女】がいた。

 しかし、すでに二人とも事切れている。

 傷は、意識を失う前からのもの以外には見られないことから、ベガリタスが止めを刺したというわけではなさそうだった。

 ただ、もう本当に限界だったのだろう。

 二人とも穏やかな表情で眠る様に事切れていた。


 二人を見ながら、ベガリタスは自分の目から何かが流れていることに気づいた。


 ――何も守れなかった。


 ただそれだけの思いが、ベガリタスの胸の奥を強く突き刺していた。


「………うぉぉぉぉぉぉぉぉお!!」


 叫び、そしてベガリタスは歩き出す。

 

 戦争を、終わらせよう。

 方法は、問わない。

 ただ、終わらせるのだ。


 ベガリタスはそう思って、未だ戦火の輝く戦場へと、とさりとさりと歩いていった。


 ◆◇◆◇◆


 すべて、何百年も昔に終わったことだ。

 それなのに、何度となく夢に見る。

 あの二人が命を失った、あの瞬間のことを。

 

 自分の無力を噛み締めた、あのときのことを。


 あれから、ベガリタスは世界を歩き続けてきた。

 魔族、人族問わず交わり、接し、そして理解するに至った。


 どちらもまるで変わらないと。

 ただ、少しばかり種族が違うだけで。


 それなのにどうしてあんな愚かな争いをしなければならなかったのか。

 それについては未だに理解できていないが、旅を続ければいつか分かるときが来るのかもしれない。


 ――キィ。


 と音が鳴り、宿の扉が開けられる。

 食事中のベガリタスはふと、顔を上げてその開いた扉の方向を見た。

 いつもなら、まず見ることは無い。

 なにせ、ここは宿屋である。

 人の出入りは激しく、またベガリタスの腕なら何があっても即座に対応できるからだ。


 けれど、そのときは反射的に顔が動いていた。


 なぜだろうか。


 それは分からない。

 ただ、そこには一人の青年が立っていた。


 華奢で、優しげな顔立ちの青年である。

 腰に剣を下げていることから、おそらくは狩人ハンターなのだろう。

 それなりに修羅場を切り抜けているらしく、パッと見では中々に察することの出来ない独特の雰囲気を放っている。


 ――強いな。


 ベガリタスがそう思うことなど、どれくらいぶりだろう。

 かなり珍しいことなのは間違いない。

 そして、不思議なことに、その青年は宿屋の食卓についている人間の顔をいくつか順番に見、それからベガリタスを見つけると、


「おっと、いたね」


 と、まるで探し人を見つけたかのようにほほ笑んでベガリタスのもとへとやって来た。

 それから、テーブルの上に、ごとり、と金属製の物体を置く。

 布に包まれていたから、一体何なのかは分からなかったが、怪訝な目でベガリタスが青年を見ると、青年は、


「いや、邪魔して悪いね。僕はサンゴ。旅の狩人ハンターだよ。それで、用事なんだけど、この子が君のところがいいって言ってたからさ。それだけだ。僕はもう行くから。じゃあね」


 そう言って立ち上がり、去っていく。

 変わった青年だ、とベガリタスは思ったが、別に何か実害があるわけでもない。

 まぁいいか、と食事に戻った。


 それからしばらくしてから気になり、一旦食事を中断して、青年の置いていった布に包まれた物体を手に取り、布をほどく。

 そして、ベガリタスは絶句した。


 そこにあったのは、あのとき使った短剣。

 黒い刃を持つそれだった。

 なくしたはずのそれを、ベガリタスは探し続けたきた。

 しかし、全く見つからなかったのだ。


 それを、あの青年が――?


 慌てて立ち上がり、追いかけるも、時すでに遅し。

 ベガリタスはサンゴと名乗る青年を見つけることは出来なかった。


 ベガリタスは、その気になれば周囲数キロを一瞬で探索できるだけの魔術を使うことが出来る。

 つまり、この程度の時間でベガリタスの探知から抜けることなど出来るはずがないのだ。

 それなのに――。


 しかし、現実に、彼はいなくなった。


 ベガリタスはその事実に驚嘆を感じながら、


「……恐ろしい使い手もいるものだな」


 そう一言呟いて、宿に戻り、食事を再開する。

 食事を終えてから、短剣を矯めつ眇めつ見て、どうするか考えたベガリタスは、


「……お前は、俺のところに戻りたかったのか?」


 そう尋ねた。

 短剣が喋るはずなどないと分かっていたが、なぜか聞かずにはいられなかった。

 あの青年の台詞が、とてつもなく気になっていた。


 すると、短剣はベガリタスの言葉に返事をするようにきらりと光った。


 ベガリタスは、目を見開いて、その反応が間違いではなかったか確認しようとするが、しかし、まるで夢か何かだったかのように、短剣は物言わぬ物体へと戻ってしまっていた。

 しかし、きっと間違いではなかった。

 ベガリタスはそう思った。


 この短剣にあのとき、助けられたのだ。

 望みの全てが叶うことは無かった。

 しかし、無念は晴らせたし、また、この短剣によって手に入れたこの数百年の年月も、決して悪くはなかった。


 これから先、もしかしたら何か面白いこともあるかもしれない。

 先ほど会った青年も、中々面白そうな存在だった。


 生きていれば。

 そう、生きていれば、何かがあるだろう。


 ベガリタスはそう思って、短剣にふっと笑いかけ、腰に差す。


 またいつか、頼るときが来るかもしれない。

 そのときはよろしく頼む。


 そう心の中で言いながら、短剣を軽くたたき、そしてベガリタスは眠ったのだった。


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