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第7話 赤の剣聖

 這いだしてみれば、目の前には巨大な魔物が息絶えた様子で立ったまま停止していた。

 恐ろしいほどに発達した筋肉に体中が覆われており、その頭部には鋭く尖った黄金の角が三本生えている。

 おそらくは、相当強力な、名のある魔物なのだろうと思われた。

 そして、そんな魔物の前には、一人の女性剣士が同じく立ち往生した状態で息絶えている。顔には巨大な傷があり、酸か何かでとかされたようでその顔貌はあまり分からない。

 しかし、おそらく、女性剣士はこの魔物と戦って、相打ちになったのだろうということは理解できる。

 そして、命を賭けて、強大な魔物を打ち滅ぼした女性に、自然と尊敬の念を覚えた。

 この場所において、彼女のような人物は、数えきれないほどいるのだろう。

 そう思って。


 辺りを見てみれば、何もかもが赤く染まっていた。

 目に見える風景のどこを眺めてみても、赤以外の色を見つけることが出来ない。

 どす黒い、けれど決して生気を失っていない、赤。


 それは、人の身に流れる命の色であるからだ。


「……ご、ごはッ……」


 自らの口からも同じ液体を流しながら、言う事を利かない体を無理やり起こして立ち上がり、リュシア王国北方騎士団従騎士ナル=エスタリーズは目の前に広がる絶望的な光景を再度眺めた。


 ――終わりだ。なにもかも。


 そう思わずには、いられなかった。

 今まで沈黙を保っていたはずの魔族。

 それが、なぜか突然大挙して北の山脈を越えて押し寄せてきた。

 今まで見たこともないような強力な魔人が、国家級テッラを優に超す魔物の背に跨り、一撃で一軍を滅ぼすような魔術を放ちながら群れをなしてやってきたのだ。


 いかに峻厳な冬の大地をものともせず勇壮に戦う北方騎士団一万人と言えども、その圧倒的物量と実力差の前に、一人、また一人とその命を散らしていった。

 いや、そんな生易しいものじゃない。

 いつの間にか隣に立っていた奴がその身体を肉片に変えて四散している。

 そんな状況が幾度となく繰り返されて血河けっかと屍の山脈を築いて行ったと言うのが真実だ。


 染める赤は騎士団の血の色。

 積み上げられた山は騎士団の肉の形である。


「……なぜ、だ……」


 ナルは唇を噛みながら、声をあげた。

 静かに、しかし確かにうめくようにぽつりと。

 だがその場において彼女の言葉を聞いてくれる存在などどこにもいなかった。

 魔物達はどうやら、すでに遥か遠くに去ったらしい。

 ここにまともな魔物が一匹も残っていないと言うことは、つまりそういうことなのだろう。

 ということは、幸いにして、もはや彼女は襲われる心配はないようだ。

 魔物と戦っていた時間のどこかで彼女は意識を失い、地に倒れ、そして運よく大群に踏みつぶされることなく生き残ったらしいのだから。


 しかしそれが一体なんだと言うのだ。


 彼女は思った。

 彼らと、同胞と死ねなかったことが、この悪夢の下で生かされることの苦しみと比べれば、生き残ったという事実は決して幸運とは呼べないのだと彼女は確信していた。

 生きていることが幸せなどと言うのは、嘘だ。

 生きていることこそが地獄の始まりなのであると絶望の中心で彼女は強く想った。


 胸の奥から止めることの出来ない赤い感情が脳天に駆け巡り、体と感情を炎の色に燃やす。

 彼女はそして、獣のように吠えたのだった。


「なぜなんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 ◆◇◆◇◆


 空を見ていた。

 あのときの赤とは全く異なる、胸のすく様な蒼空を、あのときの絶望とは全く異なる、明るい気持ちで。

 あぁ、やっとすべてが報われる、と。


『さぁ! ついにこれが最後の戦いだ! 第925回リュシア王国建国記念闘技大会、その栄えある決勝戦に登り詰めた二人の選手を紹介しよう! 事前の予想通り順当に駆け上がってきた“赤の剣聖”ナル=エスタリーズ、そしてもう一方は……』


 魔導具で拡声された実況の声がそんな風に彼女を紹介していた。

 あのときから一体何年の月日が流れたことだろう。

 自分は、強くなった。

 運だけで生き残ったあの戦い、けれど今同じ状況に置かれれば、実力で確実に生き残れると言えるくらいには、強くなったのだ。


 だが、もう時は戻らない。

 自分の力をどれだけ振り絞ろうとも、あの戦いをもう一度繰り返すことなど、出来るはずもない。


 それでも、自分は決してあの戦いを忘れることはできないことを彼女は良く知っていた。

 あれがすべての始まりであり、そして今日まで続く鍛錬の終着点となるところだと、彼女は知っているから。


 闘技大会決勝戦、こんなものに出ることになったのも、全てはその一点に理由がある。


『その正体は全く知れない謎の少年剣士、サンゴ! ふらりと現れたこの細身の旅人は、名のある強者をばったばったとなぎ倒し、ついには決勝戦まで登ってしまった! しかしその最後の相手はリュシア王国、いや、今や青の剣聖と並んで世界最強の剣士の一角に名を連ねる赤の剣聖ナル! さすがの天才少年も、ついにここで敗れることになるのだろうかぁ!!?』


 ばさばさと風に揺れるそのローブのフードの中にある顔は、よく見えない。

 しかしその口元がこんな場に似つかわしくないほど不敵に笑っていることが、ナルの眼にはよく見えた。


 ――らしい仕草だ。


 ナルはそう思って、微笑みを返した。

 あのころはあどけない少女だったその顔は、今や絶対の殺意を宿す最強の剣士の獰猛な笑顔へと変わっている。

 観客達がそれを遠くから見つめただけで、息を呑んだ。

 なのに、ナルの目の前にいる少年は全くそんな仕草など見せない。

 むしろ……笑みが大きくなったようである。


「……ナル、君は本当に望むのかい?」


 少年は口を開いた。

 その言葉の意味を知っている者は、ナルしかいない。

 彼女はその正確な意味を理解し、そして言ったのだ。


「私は望む……この力はそのために鍛えたんだ……私は、迷わない」


「であれば……僕を倒すことだ。それが、約束だった……けれど最後にもう一度言っておこう。君は、歴史を変えることは出来ない。それが許されているのは、理から外れた者だけだ。君は、そうではない……」


「いいや……なってやるさ。私は、サンゴ、お前に勝って……その理とやらを超えてやる!」


 そうして、試合は始まった。


 ◆◇◆◇◆


 少年の――サンゴの踏込みは恐ろしく速く、そして深かった。

 今まで、“赤の剣聖”と呼ばれるまでに切り倒した強者は数知れない。

 東に剣技の天才がいると聞けば切り殺し、西に魔術の悪鬼がいると聞けば突き殺してきた。

 その誰もがこれほどの焦燥を彼女に――ナルに抱かせたことがあっただろうか。


 いや、無い。


 そう言いきれるくらいに、サンゴの技は恐ろしく冴えわたっており、人の限界を超えている様にすら思える。

 数えきれないほどの人を殺して磨いてきた自分の技術が、信じられないくらいの魔物の命を奪って吸収してきた力が、この少年にはまるで通じていない。


 薄ら笑いを浮かべながら、ナルの放つ斬撃を軽々と避けては冷静にカウンターを返して徐々にナルの体力を奪っていくその剣術。


 手に持った蒼い刀身の剣からは焔がほとばしり、闘技場の中を熱くする。

 それを見つめながら、ナルは笑って言った。


「それも、魔剣なんだな、サンゴ……かつて、私にお前が手渡した、この剣のように!」


 サンゴはなるの放つ極限の斬撃をまるで子供の振るう木刀を避けるかのようにたやすく、そして最小限の動きで避けながら言う。


「そうだね。これはちょっと、青の剣聖から借りてきたんだ……蒼陽の剣。いい剣だよ……」


 それはそうだろう。

 ナルの持つ剣、赤月の剣は、今までどんな武具と打ち合っても決してかけることがなかった恐るべき剣だ。

 名の通った聖剣、魔剣をいくつも折ってきたのに、刃こぼれ一つしないこの剣は果たして人の手で作られたものなのかと思ったことも一度や二度ではない。

 こんなものをぽん、とくれた存在に、ナルは改めてかつての約束について尋ねた。


「お前は、本当に約束を果たすのだろうなッ!? あのときした約束を……忘れたなどとは言うまい!?」


 それを違えたときにはどうなるか分かっているのか、と言わんばかりに鬼のような獰猛な笑顔を向けるナルに、サンゴは穏やかな微笑みを向けて言う。


「もちろんさ……それにしても、懐かしいね、ナル。あのとき、あんなに頼りなかった君が、今や赤の剣聖、なんて呼ばれているんだから……」


「確かにな……私も自分がここまで強くなれるとは思わなかった」


 その言葉と共に蘇る思い出。

 それはあのすべてが赤に染まったあの日の記憶だ。


 ◇◆◇◆◇


 ひたすらに叫んでも、どこからの返事の返ってこない絶望の荒野の中、私はただひたすらに涙を流した。

 それは、自分の無力さに対してのものでもあったし、またもはや息絶えて帰ってくることのない、かつての仲間たちへの哀惜でもあった。

 せめて一人くらいは、自分と同じように生き残った運のいい者がいないだろうか。

 そう思っての叫びでもあったが、どんなに呼びかけても、返事一つ返ってこない。

 もはやどこにも生存者がいないことは明白だった。


 けれど、不思議なことに、ふと後ろから気配を感じた。

 驚いて振り返ってみれば、そこには一人の少年が立っていた。

 黒髪黒目の、目立たない少年だった。

 身につけているものは軽装で、防具という防具はせいぜい皮鎧が一枚、と言ったところだろう。

 この荒野の戦いにおいて生き残った兵士にしては少し、いやかなりおかしな格好で、ナルは彼が魔人なのではないかと疑って距離をとった。

 魔人は、その容姿は人間とさほど変わらない。

 ただ、内包する魔力や、その人格が人とは大幅に異なり、強大な力と、残虐きわまりない性質をその特徴とする、亜人の一種族だ。

 もしも目の前にいる彼が魔人なのだとしたら、すぐに逃げるか、もしくは殺すべく襲いかからなければ危険である。

 しかし、少し考えてみれば分かることだが、今のナルに戦う力など残っていない。

 そもそも、戦う力が残っていたとして、従騎士に過ぎない自分に、果たして無傷の魔人を倒すことが出来るのだろうか。

 いや、不可能であるという結論が恐ろしく簡単に出てしまい、そしてまた逃げることも同様の理由で無理であると理解した。

 

 すると、今の今まで肩に入っていた力が抜けていき、そして緊張もどんどんほどけていって、どうせ死ぬのならばとその少年に話しかけてみることにしたのだ。


「……おい、そこの少年」


 しかし、少年はいつの間にか別の方向を向いていて、ナルの声に耳を傾けない。

 仕方なくナルはもう一度言う。


「おい、そこの少年!」


「……僕?」


 やっとこちらを向いた少年にナルは少し憤慨して言った。


「おまえ以外誰がいるというのだ!」


 すると少年は場違いにも綺麗に微笑んで、


「確かにそうだよねぇ。……いやはや、すごい光景だ」


 そう言って少年はまた別の方向を向いた。

 彼の視線の先に映るのは、たとえどちらを向いたとしても血と肉で作られた河でしかない。

 極端に高い生命力のせいで、未だにもぞもぞと動く魔物の一部分などもあるが、それは危険なものではない。

 なぜなら、人を食えるくらいに元気であるなら、この場を去っていった群について行っているはずだからだ

 ここで動いている魔物の破片は、それこそその程度のことすらも出来なくなった、死にかけの肉片でしかない。

 つまるところ、やはりここにあるのはすべて、そういうものにすぎないわけだ。

 それは確かに、少年の言うとおり、"すごい光景"としか言いようがなかった。


「お前が知っているかどうかは分からないが、ここで先ほど戦いがあった。魔物と人との大規模な戦がな……だから、こんな悲惨な光景が広がっているんだ。ひどいものだ……」


 この台詞は、少年の存在について、魔人ではない、と考えたときに、おそらくはどこかの村から飛び出してきた結果、戦が終わった後しばらくして、たまたまここに行き着いたとか、そういうものなのだろうと想像してのものである。

 そうでなければ、彼が無傷である理由は彼が魔人であるから、ということになり、相当空虚で無意味な台詞になっただろうが、意外なことにナルの想像はどちらも大外れだったらしい。

 少年は言う。


「うん、すごい戦いだったね……。きっと、あんな戦いは今後百年は見られないだろう」


 その言葉は、彼が先ほどまでここで繰り広げられていたそれを見たことがあるという意味にほかなら無かった。

 ナルは驚いて尋ねる。


「お前……見ていたのか!?」


「うん」


「それで……よく、死ななかったものだ。いや、それならなぜ無傷なんだ……魔物がお前を見つけないはずはないのに」


 彼の話を聞き、次々に疑問が生まれてくる。

 しかし、彼はいっこうに答えようとせず、ただ一言、ナルに尋ねた。


「君は、これからどうするんだい? 君は、運良くーーいや、悪く、かな。この戦いを生き残った。これから君は、どうする?」


 そう聞かれて、ナルの思考は止まった。

 そんなことは全く何も考えてはいなかったからだ。

 絶望的な景色を見つめ、頭が真っ白になり、そして叫んで。

 そんなときに少年の気配に気づいたから、振り返って話をしていた。

 その中で、これから先のことなど、何一つ考えることなど出来なかった。

 これから先が、自分にあるという事実そのものが、まだ受け入れることが出来ていなかったのだと言うことに、ナルはそのとき初めて気づいた。


 しかし、少年に尋ねられて、自分には未来があるのだということに気づいた。

 ここで死んだ者たちとは違って、何かが出来ることだろう。

 そう、魔物たちに対して、復讐をすることだって出来る。

 自分がこれから先、どれだけ強くなれるかは分からないが、それでも今よりはずっとましになるだろう。

 そしてそのときこそ、魔物たちを一匹でも多く斬り殺し、復讐を遂げるときになるだろう。

 そう思った。


 だからナルは少年に言うことにした。

 なぜ、彼に言おうと思ったのかは分からない。

 ただ、この場において、会話できる相手が彼しかいなかったからかもしれない。

 けれど、もっとほかの理由で、彼に対して自分の思いを吐露しなければいけないという気がしていたような気もする。

 それが果たしてどんな理由だったのかは、そのときの自分には分からなかったし、今でも理解できないが、それでもナルは言った。


「私はこれから、復讐の為に生きることにする。いつの日にか、この荒野で命を落とした彼らの弔いのための復讐を、魔物たちにするんだ。そのために、腕を磨いていこうと決めた……」


 そんなナルの言葉を少年は聞き、おもしろそうな顔をして、それからナルが予想もしなかった台詞を吐いた。


「復讐のために、か。それは嫌いじゃない生き方だ。僕も復讐してやりたい奴が、いないでもないからね……。よし、じゃあこうしよう。君は、いつかこの場所に戻ってくる。そして、魔物たちを蹴散らすんだ。そのときは……そうだな、君が僕に傷を付けられるくらい、強くなったとき、ということにしようか」


 はじめ、ナルには少年が何を言っているのか理解できなかった。

 だからナルは首を傾げて、尋ねる。


「お前は……何を言っているんだ? ここに戻ってくるとは……どういう意味だ」


 困惑の表情で少年を見つめるナルに、少年はなんでもないことのように軽く言う。


「そのままの意味だよ? 僕には君を、この戦が始まる前の瞬間に戻して上げることが出来る。そういう魔術を、僕は知っている……だから、君が強くなったら、その強くなった状態のまま、過去に戻してあげると言っているんだ。復讐を目標にする君には、それはとてもすばらしいことはのではないかな?」


 それは信じられない話だった。

 確かに魔法や魔術にはとても人間に可能なこととは思えないものがあるが、それでも過去に人間そのものを送り込むなどと言うことが出来ないと言うことはナルにだって分かる。

 宮廷魔術師とて、時間を操る魔術など使うことは出来ないのだ。

 それは神の領域にしか存在しないものだと言われているのだ。

 だから、彼にそんなことが出来るはずがない。

 そう反論しようとした。

 しかし、少年はそんなナルの反論を聞く前に、その口を完全に塞いでみせる。


 周りに転がっているあらゆるものの中から、一本の剣を拾った少年は、それを空中に無造作に投げると、腰にささった剣を抜刀し、一撃で破壊して見せた。

 刃を砕かれ、刀身が二つに分かれた剣が地面に落ちた。

 それから、何事か呪文のようなものを少年が呟くと、砕かれたはずの剣が、二つに分かたれたはずの刀身が浮き上がり、砕かれたあとなどなかったかのようにくっついて元の姿に戻り、少年の手の内に収まった。

 そう、それはまるで時間が巻き戻ったかのようなーー

 ナルがそう考えると同時に、にやりと笑った少年が、


「納得したかな?」


 ナルにそう言ったのだった。


 ◆◇◆◇◆


「つまり、お前は……私がお前に勝ったら、過去に戻してくれると?」


 やっとすべてを整理できたナルがそう尋ねると、少年は微笑んで頷いた。


「その通り……君は復讐をしたいんだろう? 魔物すべてに対して復讐する、というのもいいとは思うけど、一番は今日この場の戦いのリベンジが出来ることじゃないかな?」


「それは……そうだが。しかし……」


「しかし?」


「そんなことをして、お前にどんな利があると言うんだ」


 そうだ。

 この少年が不世出の天才魔術師であり、神の領域に達した時空間魔術を操れると受け入れるとしてもだ。

 なぜそんなことを自分のような大して強くもない才能もない運だけで生き残ったような女従騎士などにしてくれるのかということだ。

 体が目当てか、と一瞬思ったがそんな風に見てもらえるほどすばらしい肢体など持っていない。

 そもそも、この少年はよく見れば整った顔つきをしている。

 しかるべきところに行けばよりどりみどりであって、あえて自分のような筋肉で筋張ったごつごつした女を選ぶ必要など無いだろう。

 そうだとすれば、この少年がナルにここまでしようとする理由など何一つ思いつかない。

 あえて言うなら、この戦い唯一の生存者だ、ということが言えるかもしれないが、そんなもの理由になるのだろうか。

 そこまで考えたとき、少年の方からその理由について語ってくれた。

 不思議な目で、昔を思い出すように、彼は言う。


「……利、というほどのものでもないけどね。僕には昔、知り合いから頼まれた仕事が一つあるんだ」


「仕事?」


 ナルが首を傾げると、少年は腰に下げた三本の剣のうち、一本を手に持って言う。


「あぁ、そうさ……この剣、赤い方……"赤月の剣"っていうんだけど、これの担い手を捜すように言われてね。ずっと僕は探していた……」


 この場でそんな話をされて、その行き着くところが分からないほど、ナルは察しが悪くない。

 つまり。


「私が、その担い手だと? なぜそんなことが分かる?」


 剣の担い手など、本来、誰でも良いはずである。

 剣が何か言うわけでもないだろう。

 誰か優れた剣士など、ナルのほかにたくさんいるはずだ。

 そもそも、ナルは自分が優れた剣士だとは露ほども思っていない。

 けれど少年は言うのだ。


「この剣は普通の剣じゃない。魔剣なんだよ。持ち主を、自ら選ぶーーそういう剣なんだ。君を目の前にしたとき、この剣は確かに脈動した。君を持ち主に選んだ証拠だ……ほら、今も」


 魔剣。

 それはこの世界のどこかに数少ない数存在すると言われる伝説の武器である。

 かつては、ドワーフがその製造技術を持っていたと言われているが、現代においてはもはやその技術は失伝してしまったという。

 そしてたくさんあったはずの魔剣も散逸していき、またお互いにぶつかり合って数を減らしていった。

 今や、本物を見る機会など、それこそ美術館や大教会くらいしかなく、実際に手に取る剣士などそれこそ数えるほどしかいない。

 そんな魔剣を目の前の少年は持っているというのだ。

 とてもではないが、信じることができない。


 しかし、少年がその魔剣であるという剣の柄をナルに向けて、


「さぁ、手にとってみてくれ。そうすれば、分かるよ……君にしか、この剣が握れないと言うことが」


 少年がナルを見つめるその目には、妖しい光が宿っていて、自分は本当に彼の言うとおりにこの剣を手にとっていいのかと自問してしまう。

 もしかして、この少年は悪魔か何かで、自分に耳障りのいい甘言でも言っているのではないか。

 そして堕落させ、その魂を奪い去り、永遠の闇へと閉じこめようとしているのではないか。

 そんな不安を感じてしまうくらいに、少年からは暗くて粘ついた、泥のような感覚を受けたのだ。


 けれど、それでもナルは少年の言葉に逆らいがたいものを感じた。

 少年は駄目押しで言ったのだ。


「君がこの剣をとれば、君はいずれ世界でも指折りの剣士になれることだろう。そしてそのとき、僕は君をこの場所に、戦いの前のこの場所に戻す。君は復讐を達成し、騎士たちと凱旋の声を上げて国に帰るだろう……さぁ、剣を取るといい……ナル=エスタリーズ。リュシア王国の英霊たちは、君にそれを望んでいるだろうから……」」


 そして、ナルは、その言葉に乗ってしまった。


 ◆◇◆◇◆


 そのとき握った剣からは恐ろしいほどの力が流れてきた。

 大いなる炎熱の力が。

 触れた瞬間に、自分が焔の理について、すべてを理解したことを知った。

 

 だからだろう。

 目の前の少年が一体何者かは分からないが、今なら勝てるのではないかと、そんな気がしてしまったのは。

 実際、少年は確かに不思議なものを感じさせる存在ではあったが、さして強そうには見えなかった。

 飄々として春風のように暖かく穏やかな、そんな雰囲気をしている。

 ナルは少年に言ってみた。


「お前に勝ったら、過去に戻れるというのなら、今、戦ってみてくれないか?」


 その言葉に、少年は目を見開き、そしてふっと笑って言った。


「またせっかちな……いつ戻っても、たどり着く時間は同じだよ。それならずっと強くなってからにした方がいいのに」


「今なら、この剣を持った私なら、戻っても役に立つような気がするんだ……頼む」


「こんなにわかりやすい天狗は始めてみたよ……はぁ、分かった。構えるといい。現実を・・・教えて上げよう」


 そう言って少年が微笑みを収め、鋭い視線でこちらを見て構えた瞬間、自分がいかに愚かなことを口にしていたかを、ナルは深く理解した。

 無理だ、勝てない。

 全身の細胞が、その事実を自分に告げていた。

 鳥肌が立ち、冷や汗が止まらない。

 これなら、先ほどの戦いで見えた魔人たちの方が余程ましだった。

 そう思ってしまうくらいに、目の前の少年は尋常な存在ではなかった。


 もはや、一歩も動くことが出来なくなったナル。

 それを理解したらしい少年はもう一度笑って、構えを解いた。


「分かったかい?」


「……あ、あぁ……痛いほどに」


「それなら、よかった。じゃあ、しばらくの間、修行するといい。僕に勝てると思ったら、呼んでくれ……というとまたさっきみたいなことになりかねないから、そうだな。十年後、僕はリュシア王国の建国記念闘技大会に出るよ。その場所で、決着をつけることにしよう」


「……? ちょっと待て。リュシア王国は……魔物たちにこれから蹂躙されるのでは?」


 ここで魔物たちを止められなかった以上、そうなっているはずだと思ったナル。

 しかし少年は首を振って言った。


「それは心配しなくていい。嘘だと思うなら自分で確認することだね……。あ、そうそう。僕の名前は珊瑚。覚えておいてね。じゃあ、またいつか」


 そう言って、少年はその場から完全に姿を消した。

 一体どこにいったのか、全く理解できなかった。

 広い荒野は平坦で、身を隠す場所などどこにも見あたらないのに、少年の姿はもう影も形もない。


「……一体、何者だったんだ……」


 その答えは、十年後、彼自身に聞くしかないだろう。

 答えてくれるのかどうかは分からないが。


 その日から、ナルの修行の日々が始まった。

 腰に下げられた魔剣"赤月の剣”と共に。


 ◆◇◆◇◆


「……そなたの功績は余りある。あのノルズ荒野の大惨禍を生き残ったことはもちろんだが、その後にあった幾度もの魔族どもとの戦い、それに、ヒースラーン聖帝国やエクサルファ獣王国からの侵略を退けたことなど、枚挙に暇がない。リュシアを治める国王として、そなたに対してはいかなる感謝をしてもしすぎることはないと理解しておる以上、望む褒美はどれほど大きなものであるとしても、与えないとは言えない。……騎士ナル=エリスターズ。そなたは、褒美として何を望む?」


 リュシア王国第74第国王テルス=オル=リュシアが、玉座の間において、そう尋ねた。

 その言葉に嘘やごまかしは一つもなく、真実ナルに感謝し、いかなる褒美をも与える気でいることを、ナルはこの謁見の直前に国王から直接言葉を賜ったために理解している。

 あれから、9年が経った。

 短いようで、意外と長い年月だったように思う。

 その中で行われた戦いは恐ろしく濃密で、数多く、この9年、ナルはずっと戦いの場に出ずっぱりだったと言っていい。

 そして、彼女は一度たりとも負けなかった。

 魔族を倒し、魔人を滅ぼし、敵国の兵士を屠り、名のある将軍の首をとって、王国に捧げてきた。

 そんなナルが名声を得るのに、それほど長い時間はいらなかった。

 一度戦に出れば、必ず勝利を持って凱旋する右に立つ者のいない勝利の女神だと言われた。

 その振る剣が魔剣であることもしばらくして知られ、ナルの強さは魔剣があるからだと揶揄されたこともあったが、魔剣を使わずに決闘を幾度も名のある剣士と繰り返し、一度たりとも敗北しなかったことをもって、その言説が嘘であることを証明して見せた。

 魔剣は、確かにはじめこそナルの強さの源泉であったのだが、徐々に、魔剣の引き出す強さに、ナル自身が慣れ始め、魔剣がなくとも、勝利できないような相手は少なくなっていった。

 魔剣は、もしかしたら、その持ち主の潜在能力を限界まで引き出し、そこに本人の実力を徐々に近づけていくものなのかもしれない、と今にして思う。

 だから、あの頃、ただの従騎士に過ぎなかったナルを、"赤月の剣"は選んだのだろう。

 今のナルの実力が、あの頃から分かっていたというのなら、なぜ"赤月の剣"がナルを選んだのか、分かる気がする。

 そう自分で思ってもそれが驕りではないと言い切れるくらいに、今のナルの実力は飛び抜けていた。


 しかしそれでも、あの少年にーーサンゴに果たして勝てる実力を身につけたのかと言われれば、首を振らざるを得ない。

 あの強さに、ただ構えただけで首をはねられることを確信できるような化け物染みた強さに、自分が近づいているとは未だに思えない。

 今だからこそ、実力がついたからこそ、あのときのサンゴの実力が理解できる。

 あれは、人間を超えた何かだった。

 努力や才能があったとしても、人である限りたどり着けない何かだと、今ならはっきりと言える。

 そしてそんなものに、自分は勝たなければならないのだ。

 あのときの時間に、戻るために。


 そう、地位と名声と実力を確かに得た今においても、ナルの目的は何一つ変わっていない。

 あのとき散った友人たちの墓には何度となく詣でた。

 いつか必ず自分があなたたちを助けに行くからと、強く念じて。

 そのときが、近づいている。

 あと一年で、彼と戦う日が来る。


 そしてそのためには、さらなる修行が必要なのは間違いなかった。

 それは、王国騎士である限り、出来ないことだ。

 だから、ナルは国王に言った。


「私にいかなる褒美もくださるとおっしゃるなら、一つ、お願いがございます」


「……言ってみよ」


「はい。私に、王国騎士としての位を返上することをお許しください」


 その一言に驚いたのは、国王だけではなかった。

 その場に詰めかけている王国の屋台骨を担う重鎮たちの誰もが、ナルの言葉に目を見開いた。

 ナルは、今では王国第一の騎士と言ってもいい存在であり、彼女こそがリュシア王国の軍事力を象徴していると言っても言い過ぎではないのだ。

 そんな彼女が、騎士を辞めるというのだ。

 絶対に認められることではないと、誰もが思った。

 しかし国王は違った。


「……ナル=エリスターズ。そなたに王国騎士としての位を返上することを認める。今からそなたは、ただのナルだ。今までの王国に対する働き、感謝する」


「国王陛下……もったいないお言葉。それでは、失礼いたします」


 そう言って、玉座の間を後にするナル。

 後ろからは王国貴族たちの叫び声が聞こえる。

 しかし、もはやただの流浪の剣士となり果てたナルに、それは無意味なものだった。


 これから一年をかけて、名のある剣士たちと剣を合わせにいく。

 手始めに、東の剣鬼を殺しにいこう。

 その次は、西にいるという悪鬼だ。

 南には、剣聖がいるとも聞く。

 強者の噂はどんなところにいても聞こえて来るもので、ナルはそのすべてを完全に記憶していた。

 すべてを倒し、自らの経験とするため、そしてその技術のすべてを自分のものとするために。


 たった一人の男に勝つための、修行の旅が始まった。


 ◆◇◆◇◆


 そして、ナルは今、サンゴと戦っている。

 しかし、形勢は不利であると言わざるを得ない。

 やはり、あのときの、はじめてサンゴを目にしたときの自分の感覚は何一つ間違っていなかったことが、彼と剣を合わせて深く理解できてしまった。


 強い。

 信じられないほど。

 速い。

 人間を逸脱している。


 しかもそれでいて彼はおそらくまだ本気ではない。

 顔をひきつらせて必死に剣を振っているナルに対し、サンゴは薄笑いを浮かべながら、ナルがどういう風に剣を振るうのかと楽しそうに見つめているのだ。

 しかしそれでも、彼に自分の剣が届かない、とまではナルは思わなかった。


 どうやら、自分は思った以上に強くなったらしい。

 ほとんどの剣線がサンゴには防がれているが、それでも、何度か剣に遅れが出るときもある。

 そういうときは、大抵が、ナルがこの一年の旅で身につけた各地の強者の多彩な技を見せたときだ。

 リュシア王国の正統剣術にはなく、そして今まで歴史上にも存在しなかった、天才たちがただ一代で生み出した技の数々を、ナルは奪い取ってきた。

 サンゴをしても、それらの技に対しては対応を苦慮するらしく、ナルはそこに勝機を見つける。


「……さて、それではそろそろ、決着をつけさせてもらおうか!」


 ナルがそう言って勝負に出たとき、サンゴは目を見開いていた。

 次に繰り出そうとしたそれは、南の剣聖が身につけていた、彼曰く歴史上最強の剣士である勇者コーラルが生み出したという奥義であった。


 ナルの振った剣は、まるで吸い込まれるようにサンゴの胸元へと向かっていき、そしてサンゴはそれに対して何も出来ずにただ剣を見つめていた。


 剣が、肉を裂く感触をナルの手に伝えてきた。

 今まで幾度と無く味わってきた甘美な感触。

 今回は特に気分が良く、ナルはそれを深く味わうために神経を研ぎ澄ませる。

 そして少し遅れて、血が吹き出してきて、ナルの顔を汚した。

 それすらも、ナルにとっては不快なものではなく、自分の勝利を確信させてくれる勝利のシャワーに他なら無かった。


 そして、サンゴはナルに対して目を見開いたままふっと笑い、それから、ゆっくりと仰向けに倒れていった。

 どくどくと血を流しながら、闘技場のステージに血の池を作るサンゴ。

 全く立ち上がる気配はなく、それを確認したナルは勝利したことを示すために剣を掲げる。


 闘技場に、ナルの勝利を知らせるアナウンスが流れ、観客の歓声があたりを包んだ。


 ◆◇◆◇◆


「……全く。少しくらい手加減してほしいものだよ。あのまま僕が死んだらどうするつもりだったんだい?」


 呆れたような口調でサンゴがナルにそう言ったので、ナルは申し訳なさそうに、しかし他にやりようがなかったのだとでも言うように開き直って言う。


「そう言われても……私だって必死だったんだ。かつてあれほど力を振り絞ったことはない。手加減なんてしたら、むしろ私の方が倒れていたに間違いないぞ。しかも……サンゴ、おまえ、あれでまだ本気ではなかったな?」


 その言葉に、サンゴは目を見開いて言う。


「あれ、分かっちゃった?」


「私はこれでも剣聖だぞ。相手の力量くらい理解できる。なぜ手加減などしたのだ……」


 そんなことをされては、剣士として面目が保てない。

 ただ、サンゴはそれでも恐ろしく強く、ナル以外にあの闘技場の場でサンゴが手加減をしていた、などと考えた者はいないだろうから、問題ないと言えばないのだが、剣士として、どことなく寂しい思いも感じないではなかった。

 サンゴはしかし、全く悪びれずに言った。


「僕が手加減しなかったら君は僕に勝てないからね。それに、僕は君に十分な力量がついたかどうかを試すために、戦ったに過ぎない。僕に勝ったら、と言うのはただの目安で、本当に本気の僕に勝つ必要はない、と思った。ただそれだけの話なんだけど……不服かい?」


 はっきりとそう言われてしまえば、不服である、とは言いにくい。

 ナルの目的は確かにサンゴに勝つこと、であったのだが、それは彼とした約束が、彼に勝つこと、であったからである。

 サンゴへの勝利は、手段であって目的そのものではないのだ。

 だから別にいいと言えばいいのだが……。


「それでも……おまえに本気を出させることが出来なかったのは……剣士として、悔しい……」


 無念を滲ませるような声でそう言うナルに、サンゴは笑う。

 なぜ笑うのか、と憤慨しかけたが、サンゴはごめん、と謝ってその理由を口にした。


「僕に本気を出させたいなら、それこそ魔王か神になるしかない。正直、それでも不足かもしれないけどね……だから、それは悔しがることなんかじゃないさ。蟻が竜に勝てないからと言って、悔しいというのは馬鹿らしいだろう?」


 それは、傲岸不遜にもほどがあると言いたくなるような宣言であった。

 しかしここまではっきりと言われるとむしろ反対に清々しくすらある。

 自慢げに言うわけでも、自分を大きく見せようとしているわけでもなく、ただ単純に事実を述べているような雰囲気が、そこにはあったからだ。

 まさか本当に神や魔王と争えるわけではないだろうが、今のナルとすら、サンゴの実力はそれほどに隔絶したものだということだろう。

 それを聞いて、ナルは自分の精進の足りなさを思うと同時に、人間の可能性にはまだ先があるのだと思って、おもしろく思ったのだった。


 それから、ナルは本来の目的を達成するべく、サンゴに言う。

 闘技大会から一月が過ぎ、サンゴの傷も回復した今だからこそ、言える。


「……では、サンゴ。頼めるだろうか? あのときの約束は……本当に有効なのだろうか?」


 少し不安げなのは、時空間魔術などと言うものが本当に存在している、などと言うことが未だに信じることが出来ていないからだ。

 サンゴのお陰でこれほど強くなり、そして沢山の人を救い、自国を守ってこれたのだから、たとえ今更、それは無理だったのだ、と言われても、もはや許す気でいたくらいだ。

 しかし、サンゴがナルに言ったのは、ナルの言葉に対する肯定の言葉だ。

 予想していたこととは言え、とてもではないが信じられない。

 呆気にとられたような顔をしてしまうのも仕方のないことで、しかしサンゴは笑った。


「なんでそんな顔をしてるんだい? 出来るって十年前に言ったじゃないか……君は、過去に戻れる。そして復讐を達成するだろう……さぁ、準備は良いかな?」


 言われて、ナルは自分を振り返ってみた。

 武器は、"赤月の剣"を持っている。

 道具類は、あれから稼いだ金でもって、個人用の大規模収納袋アイテムボックスに大量の物資を詰め込んである。

 防具は、不要だ。

 そういう戦い方を、今の自分はしない。


 どうやら、何も問題ないらしいことを確信し、ナルはサンゴに頷いた。


「……頼む。私を、あの場所に連れて行ってくれ」


「分かった」


 短く頷いたサンゴは、それから、どこから取り出したのか先端に巨大な魔石のついた杖を取り出して、呪文を唱え始めた。

 膨大な魔力が魔法を形作っていくのを感じる。

 これが、伝説とまで言われた時空間魔術なのか……。

 そう思って、ナルはその魔術に見とれていた。


 そして、すべての呪文をサンゴが唱え終わったとき、その場所には半径2メートルほどの漆黒の穴ができあがっていた。

 これはなんだ、と思ったとき、サンゴが説明を加えてくれる。


「この穴は、あのとき、あの瞬間に直接繋がっている。ここに飛び込めば、君はたどり着けるだろう……飛び込む勇気は、あるかい?」


 時空間魔術がどういうものか知らなかったが、そういうものらしい。

 これが嘘で、永遠の闇に続いていたりしたらナルの目的はもう二度と達成できない、ということになってしまうが、今更そんな嘘を言う必要はサンゴにはないことははっきりしている。

 だから、これは彼の言うとおり、本当にあのときに続いていると考えるべきだった。

 そう考えると、何も映らない漆黒の穴の向こう側に、大量の魔族と、そして自分のかつての同僚たちの姿が見えるような気がした。

 行かねば。

 ただ、それだけを強く思った。

 だからナルは言った。


「勇気は、ある。……私は行くぞ」


 そう言って、ナルは地を蹴って暗闇の中に身を翻した。

 闇に飲まれたナルの体はすぐに見えなくなり、向こう側へと行ったことがサンゴには分かった。


「……じゃあ、僕もいこうかな」


 ついでだと言わんばかりにそう言って、サンゴも同じく暗闇の中に飛び込む。

 そしてその後、数秒もしないうちにその穴は消滅したのだった。


 ◆◇◆◇◆


 確かに、あのときの荒野だ。

 ナルがその場についたとき、まずはじめに思ったのがそれだった。

 そして、次に目に入ったのが、目の前にひしめく大量の魔族の姿である。

 改めて目にすると、とてもではないが一万人の騎士などでは太刀打ちできない数がそこにはいた。


 しかし、国を守るため、そして自らの家族を守るために、勇敢に立ち向かおうとする騎士たちが、魔族たちの対面に陣取って、ぶつかる瞬間を今か今かと待ちかまえているのが見える。

 あと数十分も経たずに、戦いは始まるだろう。

 もう少し早い時間につないでくれればよかったのに、と思う反面、たとえナルとて、一人であの数は相手にすることが出来ない。

 そうである以上、一人でも多くの騎士を救うためには、むしろこの時間がちょうどよかったのかもしれない、と思わないでもなかった。

 混戦の中、危険に陥っている騎士のもとに行き、救う。

 また、魔族の中でも強力な個体を狙ってつぶしていき、騎士たちの負担の軽減を試みる。

 そう言ったやり方が、一番効率よく彼らを救えるはずだと、いくつもの戦を経験したナルには理解できていた。

 すべてを救おうとは思わない。

 ただ、出来る限りを救おうとは思った。


「……では、サンゴ。私は行ってくる。……達者でな」


 一緒に戦ってくれ、とは言えなかった。

 サンゴがいればどれだけ戦いが楽になるかは分かっていたが、彼にはもはや返しても返しきれない恩があるのだから。

 さらに命を賭けてくれとは、とてもではないが、言えなかった。

 サンゴはそんなナルの心を知ってか知らずか、いつものように飄々とした態度で、微笑みを浮かべて、


「行ってらっしゃい。骨は拾ってあげるよ」


 などと言うものだから、ナルはつい吹き出してしまって、何かこの場を離れがたいようなものを感じた。

 けれど、もうそんなことは言っていられない。

 ナルはサンゴの言葉に返事はせず、無言で手を掲げ、それから戦いの場へと向かっていった。

 おそらくは、自分はこの戦いで死ぬだろう。

 けれど、それでも一人でも多くの騎士を生き残らせたい。

 その一心で、ナルは戦いに向かったのだった。


 ◆◇◆◇◆


 そして、ナル=エリスターズは奮戦の限りを尽くし、その命を散らした。

 意外にも戦が始まって早い時期にその命を落としたのは、今回の魔族の中に、魔王、と呼ばれる個体が混じっていたのが原因だっただろう。

 彼女は運悪くその強力な存在とぶつかり、奮戦して、相打ちを果たしたのだった。

 彼女の遺骸は、その最後の瞬間のまま、立ったままの状態でサンゴの目の前にあった。

 同じく立ったまま息絶えている巨大な魔物の巨大なあぎとの中に、赤月の剣を刺し込んでいるその姿は、まさに絵本の英雄のようですらある。

 サンゴはその姿を見ながら、一言言った。


「君は、よくやったよ……しかし、本当に骨を拾うのはあれだから、このままにしておこう。剣は返してもらおうかな……」


 そう言って、サンゴは赤月の剣を手に取り、ナルの腰の鞘を外してしまった。

 周りを見てみれば、魔物はもうほとんどいない。

 遠くの方に、この場を後にする魔物の軍勢が見える。

 これからリュシア王国の王都に向かうのだろう。

 最近、魔族は、人間勢力を滅ぼすことに血道を上げているようだから。


 とはいえ、


「がんばったナルに、少しご褒美でもあげようかな」


 そう独り言をつぶやいたサンゴは、腰にささった三本の剣のうち、黒い剣を抜いて、後ろ姿を見せる魔族の軍勢に向かい、さらり、と軽く一閃した。

 すると、一瞬の無音のあとに、爆音が鳴り響いて、その場にいた魔物のすべてが完全に消滅した。

 姿形もいっさい残っておらず、そこに魔物がたくさんいたのだ、と言われても誰も信じないだろう。

 これで、リュシア王国はその危機を救われた、と言っていい。

 ただ、沢山の騎士の命が散らされたにしては、あまりにもあっけない結末で、もしもこの場でこの光景を見た者がいたら、サンゴをなじったかもしれない。

 なぜ、はじめからそうしてくれなかったのか、と。


 けれどサンゴには、そんなことをしてあげる義理はないのだ。

 ではなぜ、今やったのか、と問われれば、それはナルの努力を認めたからだ、というだけに過ぎない。

 人間も魔族も、サンゴにとっては同等の存在に過ぎず、どちらに肩入れするかはそのときの気分で決めることなのだった。


 それから、サンゴはしばらくその場の惨状を眺めていた。

 騎士たちはみな、息絶えている。

 一人たりとも生き残っていない。


 それは完全にあのときの再現のようで、ナルがいたことで結末が変わったとは何一つ思えない光景であった。


 しばらくして、近くに積みあがった騎士たちの遺骸の下から、一人の騎士が這いだしてきた。

 彼女は辺りの様子を見て、絶望的な表情を浮かべ、そして叫んだ。

 それは自分の無力さに対する声であり、また死に絶えた同僚たちに対する哀惜の叫びでもあった。


 それから少し時間が経ち、落ち着いたのか、それとも完全に感情を取り落としてしまったのか、ゆっくりと振り返ったその騎士は、サンゴを見て目を見開くと、声を発したのだった。


「……おい、そこの少年」


 懐かしいようなその声をおもしろく思ったサンゴは、彼女に背を向けながら一度笑い、そして、二度目のその言葉で振り返って言ったのだった。


「……僕?」


 始まりはどこからだったのか。

 それは誰も知らない。

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― 新着の感想 ―
このループはこの魔剣が朽ち果てるまで続くのかなぁ…
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