第4話 鍛冶師
いつも不思議に思っていた。
数年に一度やってくるその男のことを。
たとえどれほどの月日が経とうとも、決して老いることなく、少年の姿を保ったまま、同じ剣を注文しにやってくる、その男のことを。
その男の名、それは、サンゴ、と言った――
◆◇◆◇◆
初めてその男に出会ったのは、そう、それこそ、物心つくかつかないか、と言った年齢の時だった。
雪の降り積もる冬の凍えるような寒さの中、白い氷の結晶を肩につもらせてドワーフの里の中央にある鍛冶師街にやってきたその男は、まっすぐ迷わずに俺の親父の工房を訪ねた。穏やかな表情で微笑みながら工房の入り口に立ったその男を、親父はまるで古い友にでも会うかのように歓待し、家に招いて、いつもはむっつりと黙り込んで動かさないその表情を、珍しくも機嫌良さそうなそれに変えて、男との会話を楽しんでいたのが記憶の端に引っかかっている。
そのとき、ドワーフにとっては宝とも言える古酒の中でも、滅多に手に入らない《竜殺し》と呼ばれる銘柄の五十年物を引っ張り出してきた親父は、その男の持った親父手製のミスリル銀のジョッキにどぼどぼと惜しまずに注ぎ、さらにはそれを飲み干すと、他の何十年物の酒をやはり全く惜しみもせずに出しては、その少年とともに酒を酌み交わしては笑っていた。
親父は、鍛冶師だった。それも、そんじょそこらの鍛冶師とは一線を画する、いわゆる一流の中の一流、超一流と呼ばれるようなそれだ。親父の作り出す武具は、どれも一振りすれば竜種すらもその一撃の前に跡形もなく薙払われるような魔器、神器の類に属するような強力なものであり、その製法は一族を通して連綿と受け継がれる伝統と研鑽の結晶であった。
だから、親父に武器を作ってもらおうと親父の工房を訪ねる者は絶えることなく、けれどそれにも関わらず、親父は気に入った相手にしか武器を打とうとはしなかった。しかし、親父が武器を打った者は、たとえそのときどんなに野暮ったく貧弱に見えようとも、後に英雄として大成した。だから、親父の打った武器の手入れのために、わざわざ大国の騎士団長や、武闘大会の優勝者がやってくることも少なくなかった。
なのに、親父はそのどんなときにも、今、目の前にいる少年ーーサンゴが来たときほどの笑顔を見せたことはなかった。せいぜい、そのいつも一本線に引き結ばれた口元をわずかに歪ませるくらいで、満面の笑みなど浮かべたことはなかった。酒も、ドワーフらしく飲み意地が張っているというか、酒好きの英雄がやってきて棚に並ぶ古酒の数々を涎を垂らして見つめて「親父、あれ、飲ましちゃくんねぇか? 少し、少しでいいんだ」などと言っても、絶対に一滴たりとも分け与えたりなどしなかった。もちろん、彼らのことが嫌いだったわけではないだろうが、それでも親父にしてみれば少し気に入っている程度で、心の底から心酔しているというわけではなかったのだろう。英雄の前なのに、偏屈なことだとよく思ったものだ。
ところが、サンゴの前ではそんな親父の性格が嘘のように百八十度反転してしまうのだ。
親父はサンゴを、それこそ心の底から気に入っていた。
サンゴが近くまできたから、と言って手紙を寄越すとまるで恋する乙女のようにそわそわしだして、それからサンゴがくるまで毎日のように彼の話をするのだ。お袋が一度言ったものだ。
「まるで浮気されているような気分だよ……その相手が男で、しかもあのサンゴだってんだから、文句も出ないがね」
その口調から、お袋はサンゴと親父の関係をよく知っているようだったが、詳しいことは語らなかった。
親父も、サンゴと酌み交わした酒の種類や、サンゴがみやげに持ってきてくれる酒やその肴についての評価は話すのだが、サンゴという人物について、詳しいことは決して語ろうとはしなかった。
一度聞いてみたこともあるのだ。
「親父、サンゴって、何者なんだ?」
親父は一瞬黙り込み、そして答えた。
「いつか分かる。お前はまだまだだな」
と。それがどういう意味だったのか分かったのはだいぶ後のことになる。そのときの俺はもちろん、不満でいっぱいだった。親父はサンゴのことをよく知っているはずなのに、なぜ教えてくれないのかと、言葉で簡単に説明できるのにと、そう思ったからだ。
けれど、そんなことを言う俺に、親父は全く取り合ったりせずに、工房へ戻って黙々と剣を打ち始めるのだった。
そんな親父の心の恋人、サンゴは、不思議な男だった。
けれど、決して無愛想だったわけでも、つまらない男だった訳でもない。
俺も、嫌いじゃなかった。むしろ、大好きだったと言っていいだろう。
サンゴは、親父にくっついている金魚の糞でしかない俺に対しても、頻繁に、優しく、しかもおもしろい話をしてくれたのだ。
それはサンゴのしてきた冒険の話でもあったし、サンゴの旅してきた街や村で起こった事件の話でもあった。昔から伝わる神話や、途絶えた王国についての歴史の話もあった。それに、たまに親父ですら知らない鉱物の話などをし始めたりして、そんなときは親父も俺の後ろから顔を乗り出して話に聞き入ったりしたものだ。その話が終わった直後、その鉱物を次に来たときには持ってきてくれ、と頼まれて少し困った顔をしていたサンゴの表情が印象的だったのを覚えている。
そんなサンゴの不思議なところは、その目的にも現れていたように思う。
俺と親父の住む街は、ドワーフの鍛冶師が好んで居を構える鍛冶街だった。だから、そこにやってくる者の目的など決まっている。それは、強力な武具の入手である。その中でも、親父の作るものは飛び抜けた性能と耐久力を持っていて、どんな者でも手に入れたがり、しかも金を積めば手にはいるというものでもないという、おそるべき価値を有していたのだ。
だから、そんな親父を訪ねるサンゴの目的は、親父の作る魔武器であるべきだった。
けれど、サンゴは何度親父の工房を訪ねても、決して魔武器を引き取ろうとはしなかった。
それこそ、親父はその渾身の力を込めて作り上げた魔武器を「サンゴ、お前に使ってほしいんだ」などといいながら押しつけようと毎回するにも関わらず、サンゴは「僕には過ぎた武器です」などと言って固辞し、そしてその辺においてある親父が暇つぶしに作った練習用の数打ちを拾ってそれを持って行くのだ。
顔をしかめる親父に「僕はこれが一番好きなんですよ」などと言って笑うサンゴは、凄く変わった奴だといつも思ったものだった。
親父に聞いてみたことがある。なんでサンゴはあんな強力な武器を拒否して数打ちなんて持って行くんだと。
すると親父は、首を振りながら言った。
「あいつに魔武器なんて必要がないからだ」
どうして?
魔武器は通常の武器とは比較にならないほど強力なものだ。
性能の良好なそれを使用すれば一般的な下級狩猟者はその実力の大体二回り上の魔物と相対することも可能になると言われる。
サンゴは、どう見ても狩猟者、ないしはそれと似たような自らの腕っ節を売り物に世をわたっている者である。ならば通常の武器などよりも魔武器を欲するのが当然の理のはずだ。なのに、そんなサンゴに魔武器なんて必要がない?
困惑に顔を染めていると、親父は苦笑するように言った。
「まぁ……お前の言うことはもっともだ。普通ならな。……なんて言えばいいのか。あいつは本当に魔武器なんて必要ねぇんだ……。そうだな、たとえば、お前、蟻に大剣を与えるのは正しいと思うか?」
突然変わった話に目を白黒させつつも、答える。
蟻に大剣を与えるのは間違っている。使うことのできない力を与えても、すぐにその力自身に潰されることになるからだ。
そう答えると、親父は満足そうに笑って答えた。
「その通りだ。最近の鍛冶師はどうもその辺が分かってない奴が多くてな。駆け出しに分不相応な武器を打つ奴が増えてきてる。まぁ、俺たちも商売だから、ある程度は仕方ないかもしれないが……魔武器は別だ。あれはな。金で売るもんじゃない。腕に売るもんだ。だから、俺は魔武器を打つときはよくよくその相手を吟味するし、たとえ腕が立っても心根の正しくない者には打つことはない……」
それは、初めて聞く親父の信念だった。
もちろん、日々の中でそういう親父の考えについて感じることはあった。親父はたとえどれだけの金を積まれようとも、打ちたくない相手に武器は打たなかったから。きっとそこには何かしらの信念があることは感じていた。
しかしこうしてそれを口にしたのは初めてのことだった。
何か、そうしなければならない理由があったからだろう。
そして、それはサンゴのことのはずだった。
親父は続ける。それはまたしても質問だった。
「それじゃあ、聞くが、蟻に大剣を与えるのが間違っているとして、反対に竜に与えるのはどうだ?」
これもまた、それほど答えに窮することのない質問だった。
なぜといって、竜には自前の爪と牙がある。
それこそが竜にとっての最上の武器であり、何よりも慣れ親しんだものであり、だからこそ、そこに大剣など与えても何の意味も持たないことが明らかだからだ。
竜には、むしろ何も与えるべきではない。その野生と、生まれ持った力こそが彼の強さの根元なのだから。
そのように答えると、親父はまた笑った。
「俺も、そう思う。竜に武器はいらない。大剣などもってのほかだ。自分の持つ牙と爪こそが、竜の武器であり、それ以外は彼にとって邪魔にしかならない……そう、邪魔にしか、な……」
そうして親父は苦笑するように目を伏せ、語る口を止めた。
ここで、親父がいったい何を伝えようとしているのかに気づく。
つまり、サンゴにとって魔武器とは、竜にとっての大剣なのだということではないか。
サンゴが魔武器を使っても、何の意味もない。そういうことなのではないか。
「……サンゴは、魔武器を使わない方が強いのか」
独り言を呻くように呟くと、親父は耳ざとくそれを聞き、笑わずに答えた。
「ま、そういうこった。冗談みたいな話だろ……俺があいつに魔武器を押しつけるのは、なんていうかな。ちょっとした儀式みたいなもんだよ。昔、あいつの腕を見込んで魔武器を薦めたことがあるんだが……そんときにちょっと色々あってな。以来、断られるのが分かってても薦めてるんだ」
懐かしそうに、そしてうれしそうに親父は語った。
それは珍しい光景だった。何を話すときにも、それこそ何よりも好きな鍛冶の話をするときさえ、その口元は簡単にはゆるまないと言うのに、サンゴの話をするときだけは完全に別らしかった。
気になって、一体サンゴとの間に何があったのかを聞いてみた。
けれど、やっぱりというべきか。
親父はそれ以上のことを語ろうとはしなかった。
◆◇◆◇◆
ある時からだ。
親父は徐々に正気を失っていった。
たとえ魔法を操り道具を作る土妖精の末裔たるドワーフとはいえ、もはやその身は生き物の位階まで落ちている。
病に逆らうことは出来ず、精神は肉体に引きずられていずれ死を迎えるのは当然の理だった。
つまり、親父は呆けかかっていた。
話しかけてもその応答は「あぁ……」とか「そうだったかな……」とかそう言った曖昧なものが多くなっていたのだ。
それは、かつて超一流の鍛冶師として弟子達に怒鳴り声をあげるあの恐ろしげな様子を記憶している俺には、いささか寂しいものに思えた。
あの親父ですら、年月には敵わない。
そんな事実を眼前に突きつけられたような気がして。
けれど、親父としては、そんな風に外界の影響を全く受けなくなってしまったことは悪いことではなかったのかもしれない。
なぜなら、親父は一鍛冶師として、最高の品を作り上げられる環境を手に入れられたらしいからだ。
親父は常日頃から言っていた。
雑念が、鍛冶を邪魔する。何も考えずに、ただ武具を打つことだけに没頭出来なければいいものは作れない。自分は未だにその境地にたどり着けずにいると。
それは、親父が言ったのでなければ何の世迷い言かと思っただろう。
雑念以前に、腕そのものに問題があるだけだと、そういう話にしかならないからだ。
しかし親父の腕に問題があるなど、少しでも鍛冶に関わりがあれば絶対に言えないことだ。
親父が作るものは世界最高峰のものだったのだから。
そして、それですら、親父にしてみれば”それなり”のものに過ぎないと言うのだから、親父の鍛冶への飽くなき執念が分かる。
親父は呆け、外界の何にも関心を持つこともなくなったが、鍛冶だけは違った。
親父はそんな状態になっても鍛冶だけは覚えていた。
依然と変わらずに槌を持ち、金属を叩き、錬金の秘伝を使って魔法武具を作成し続けていた。
そしてそれは、今こそが親父の全盛期なのだと確信できる恐ろしい性能を誇っていた。
はじめて見る、出来上がった剣を満足そうに見つめる親父の表情。
その瞳が移しているその剣は、一目で恐ろしいほど強力な力が宿っていることが理解できた。
ーー加護が宿っている。
そう、直感した。
ドワーフ鍛冶師にとって、最高の栄誉は本来、その作ったものを英雄に使ってもらうことではない。
そうではなく、その出来を、性能を、神や精霊に認めてもらうことだ。
よくできた道具に、神は祝福を与える。
神殿や教会がその宝物庫に後生大事にしまい込んでいる品や、ご神体としてして飾っている道具は、そのような神の加護が宿っているものがほとんどだ。
そしてそういうものを作ったときにこそ、ドワーフは自らの腕がやっと到達すべきところに到達できたのだと満足を覚える。
それは、神にすら認められる道具を作ったという事。
世界最高峰のものをこの世に生み出したという事にほかならないのだから。
親父の今作り出した剣は、まさにそのようなもの、神剣、と呼んで差し支えのないそれだった。
呆けているはずの親父はその剣を満足そうに眺めて、それからぽつりとつぶやいた。
「……これなら、サンゴも気に入ってくれるかな……?」
少年のような瞳で、少年のような声で親父がそういったとき、俺はひどく驚いた。
親父にとっての栄誉は、神の加護などではないとわかったからだ。
親父は未だに、サンゴに自らの手で作り出した武器を持ってもらうことをその望みとしているらしいと理解できたからだ。
親父にとって、サンゴとはそれほど大事で、そして鍛冶の目標そのものだったのだ。
親父の剣は、神の剣は、光り輝いている。
これを、サンゴが認めないとはとてもではないが、思えなかった。
だから、俺は言った。
「あぁ……きっとこれなら、サンゴも気に入ってくれる。親父、親父はよくやったよ……」
親父は俺の台詞を聞いて、一瞬にっこりと笑うと、それからまたどこを見ているのかよくわからない視線に戻った。
また、思考に靄がかかってしまったのだろう。
親父が正気なのは鍛冶のときだけだ。
だからこれは仕方ないことだと自分に言い聞かせた。
おそらく、命ももはやそれほど長くはないだろう。
でも、最後にこれほどの剣を打てた。
サンゴもきっと手に取ってくれる。
だから、親父は鍛冶師として、幸せなのだろう。
俺はそのときそう思っていた。
しかし、そんな期待はすぐに裏切られることになる。
◇◆◇◆◇
「すまない」
サンゴはまずはじめにそう言った。
親父が、呆けていながらもサンゴに自分の武器を持ってもらおうと、差し出したそのときに、サンゴはつらそうな表情で、けれどはっきりとそう言ったのだ。
親父はそれだけでわかったのだろう。
残念そうな顔で、しかし仕方がないとその剣を持って工房にとぼとぼと戻っていく。
その背中は寂しく、俺はたまらない気持ちになった。
だから、俺はその場に残ったサンゴに、怒鳴るように言った。
「サンゴ! あれは親父が渾身の力を込めて売った剣なんだ! 何が不満なんだ! ……どうか、受け取ってくれ……親父、たぶん、もう長くないんだよ……頼む……」
最後は、涙が出てきて、懇願のようになってしまった。
けれどそれは偽らざる俺の心からの気持ちだった。
だって、親父があんなに寂しそうな表情をするのは、はじめてみたのだ。
もしかしたら、呆ける前も、サンゴに断られる度、あんな表情を一人でしていたのかもしれないと考えると、どうしても、言わずにいられなかった。
だから、俺は頼んだ。
どうしても、受け取ってほしかった。
ただ、受け取るだけでいいんだ。
なぜそれができないのかと罵った。
けれどサンゴは、
「申し訳ないが……」
といって、またいつものようにその辺に転がっている数うちを拾って鞘に押し込み、それからそのまま工房を出て行ってしまう。
しばらくすると、工房から、槌で金属を叩く音が響きはじめた。
それは、子供の頃からよく聞いていた音で、あぁ、親父の叩く音だと思った。
どうやら、親父はまた新しい剣を打ち始めたらしい。
俺はおどろいた。
どうやら、親父は、まだあきらめていないようだったからだ。
だったら、俺はどうすればいい。
そうだ。
せっかくの親父のやる気を、そしてその機会を、つぶさないようにしなければ。
唐突にそう思った。
だから俺は工房を出て、街を出ようとするサンゴの背を追った。
そして今にも街道へ出ようとしていたサンゴの背中に声をかける。
「サンゴ! さっきは悪かった! 親父はまだ剣を打ってる! また……また来てくれ! 今度こそ、親父はおまえに剣を受け取ってもらうつもりだろうから!」
サンゴは振り返らなかった。
けれど、ゆっくりと手を挙げて振った。
それを見て、俺は安堵する。
きっと、サンゴはまたここに戻ってくるだろう。
それが何年後なのかはわからないが、できれば親父が逝く前に来てくれたら。
そう願って、俺はサンゴの後ろ姿を見送ったのだった。
◇◆◇◆◇
親父はもう限界だ。
そう思い始めた頃だった。
サンゴが、またやって来たのは。
あれから三年の月日が経っていた。
たぶん、以前持って行った数打ちが限界に達したのだろう。
「見てくれ」
そう言って差し出されたサンゴの剣は、丁寧に手入れされていたのは見て取れるが、そうであるとしても、もう限界に達しているの明らかだった。
サンゴは一体どれほど厳しい戦いの日々を送ってきたのか。
通常の戦士が三年で刻む傷の何倍もの傷がその剣には刻まれていた。
確かにこれではもう、実戦に耐えるのは難しいだろう。
いつ折れてもおかしくない。
新たな剣を欲するのも当然の話だった。
そして、何の偶然か、今ここに、この工房には親父があの神剣に続いて作り出した、新たな剣が存在していた。
親父はまだ生きている。
最後にサンゴに会って、その剣を手渡したかったからだろう。
そのために、親父は命を燃やして今日まで生きてきたのだ。
俺はそう思ってる。
だから、これは運命なのだと、親父がその人生をかけた剣をサンゴに渡し、そしてサンゴがその思いを汲んで、様々な冒険をその剣で乗り越えて英雄譚を作り上げていくのだろうと、そう思っていた。
けれど、親父に会ったサンゴが言った言葉は、またも落胆しか感じさせてはくれなかった。
親父が差し出した剣を、サンゴはまたも拒否したのだ。
「すみません……」
そのサンゴの表情は、もの凄く申し訳なさそうで、できれば受け取りたい、とそういう感情が透けて見えるようだった。
それでも彼は受け取らずに、結果として親父はまた、残念そうな顔で、
「そうか……仕方ない……また、作るか……」
そう言って、工房へ歩いていこうとした。
けれど、瞬間、親父の体がぐらり、と崩れる。
俺とサンゴは慌てて親父のもとへと駆け寄って、支えた。
サンゴは俺が親父をしっかり支えているのを見て取ると、医者を呼びに走った。
けれど、親父は別に何かの病気だったとか、そういうわけではなかった。
しばらくしてやってきた医者が言ったことには、これは寿命であるとのことだった。
それから、静かに、眠るような表情で、それから目を開かずに親父は、逝ってしまった。
遠い、遠いところへ。
◇◆◇◆◇
「サンゴ……サンゴ、なんでだよ……なんでなんだよ!」
親父の葬儀の場で出たその言葉には、思えばいろいろな意味がこもっていたように思う。
なぜ親父は死んでしまったのか。
どうしてサンゴは剣を受け取ってくれなかったのか。
そんな意味が、込められていた。
けれどそんな俺の糾弾を、サンゴは黙って受け入れ、親父に祈り、そして、俺の耳元に口を寄せてささやくように言った。
「今日の夜、君をある場所に連れて行くように君のお父さんに遺言された。その気があるなら、夜、誰にも言わずに工房まで来てくれ」
と。
親父の遺言。
俺には何も言わないで逝ってしまった親父。
その彼が、サンゴに一体何を伝えたというのだろう。
いつ?
親父が呆ける前だろう。
なぜ?
それは俺が親父の子供だからだ。
当然、行くに決まっていた。
親父が残した遺言だ。
どうしても聞かなければならないのだ。
それが、親父の息子たる俺の義務だ。
それまでの時間は、奇妙なほど長く感じた。
葬儀には多くの人が訪れた。
親父の生前の友人や鍛冶仲間、それに親戚。
その多くは戦いを生業にし、親父の武具を身に纏ったことのある者たちであり、葬儀の場にも親父の武具を身につけてやってきた。
新品同様のものもあれば、すでに壊れてしまって武具として用をなさないだろうものもあった。
けれどきっと親父は喜ぶだろうと思った。
あの武具たちは、まさに親父の子供にほかならないのだから。
親父は我が子の凱旋を、笑って歓迎することだろう。
俺は彼らの親父に対する配慮に一人一人お礼をいい、また彼らの丁寧な弔辞を聞いて……そんな風にして、親父の葬儀は終わった。
世界最高の鍛冶師は、そうしてこの世に別れを告げたのだった。
◇◆◇◆◇
葬儀の片づけは明日に回し、サンゴのところに向かう。
サンゴは工房に来いと言った。
当然のことだが、それは、親父が武具を作っていた工房、俺が継ぐことになったそれを意味している。
毎日通い慣れた道を歩き、とうとう工房にたどり着くと、そこにはサンゴがいつもと変わらない様子で立っていた。
あまりにも変わらないので、もしかしたら親父は今もあの工房の中で金属と槌と格闘しているんじゃないか、と一瞬錯覚してしまう。
しかしそんなはずはないのだ。
工房には灯りが灯っておらず、そこからは何の音もしない。
あそこにはもう誰もいないのだ。
そう思うと寂しさが胸をついた。
「来たか。ということはお父さんの遺言を聞くんだね?」
サンゴがそう念押しするようにそう確認するので、俺は迷わず頷いた。
「あぁ。聞こう。だが、そのかわり教えてくれ。なぜおまえが親父の剣を決して受け取ろうとしなかったのかを」
条件を出すような話ではないのはわかっていた。
しかし、こういう言い方をしなければ聞こうにも聞けなかった。
聞いてはいけないことのような気がしたのだ。
けれど、そんな俺の心など、サンゴはお見通しだったのかもしれない。
サンゴは、あの少し困ったような顔をして、ゆっくりと頷き、それから、
「じゃあ、中に入ってから話そうか」
といって、工房の中に入っていった。
俺もサンゴの後に続く。
工房の中には、独特の雰囲気が漂っていた。
何年、何十年、何百年と続いた鍛冶場の匂い。
それは俺にとって嗅ぎなれたものだが、なれない者にとっては少しつらいかもしれない。
サンゴは鍛冶師でもないくせに、そうでもないようで、表情を変えずに穏やかにたたずんでいる。
そう言えば、サンゴは俺をどこかに連れて行くんだったなと思い出す。
だから、聞いた。
「おい、サンゴ。おまえ、俺を連れてくとか言ってなかったか。工房に来て、どうするんだよ」
そう言った俺に、サンゴは右手をゆっくりと掲げて答えた。
何のつもりだ、と言い掛けて、サンゴの右手には何かが把持されているのが見て取れた。
よく見ると、それは小さな鍵だった。
ただ、普通のものではない。
鍛冶師には見慣れた、付与された魔力光。
それは魔術的手法によって製造された鍵のようだった。
そしてサンゴは工房の土で構成された床を見て、その一部を同じく魔術的方法で製造されたらしい小さな箒を使って掃き始める。
一体何をしているんだとよほどききたかったが、俺は黙ってみていた。
そしてしばらくすると、そこには何か四角いタイルのようなものが現れたのだ。
サンゴはそのタイルの端をもって、ゆっくりと横にずらした。
そして現れたのは、地下へと続く、真っ暗な階段だ。
「……なんだこれは」
唖然とした俺に、サンゴはなんでもないようにつぶやく。
「階段だよ」
そして、サンゴは先導するように階段を下りていく。
俺は慌てて彼の後ろ姿を追った。
そうしてたどり着いた先、どれくらい下に降りたかはわからないが、そこには大きな扉があった。
これも魔法がかかっている、特殊な扉だ。
無理矢理開けようとすると中身が壊れたり、消滅したりするタイプのものなのだろう。
これを開くには、この扉に合った鍵が必要である。
そしてそれこそが、先ほどサンゴが掲げた鍵なのだろう。
案の定、サンゴはその扉の鍵穴に、先ほどの鍵をゆっくりと差し込む。
がちゃり、と音を立て、扉はあっけなく開いた。
その様子はなんとなくショックだった。
まるで、親父の抱えてきたものも、作り上げてきたものも、もの凄く小さなものにすぎないのだと、突然言われたような気がして。
なぜそんなことを思ったのかはわからない。
けれど、たぶんだが親父の鍵が、親父の秘密を象徴するものとして俺にはうつったのだと思う。
それなのに、サンゴの手によって簡単に開けられた。
そのことが、不思議とショックだった……そういうことだろう。
しかし、そんな感想を抱くことこそが、むしろ親父を甘く見ていたという事にほかならなかったことに、俺は扉の向こう側に広がる景色を見たときに気づいた。
「こいつは……」
そこは、墓場だった。
いくつもの墓標が、そこには立っていた。
「墓場か。なるほど、確かにそんな感じに見えるね。鍛冶師だからかな。君のお父さんもかつてそう言っていた……」
目の前に広がる墓場。
それは、人間やそれに連なる、生物のものではなかった。
そうではなく、そこにあったのは大量の剣たちだ。
そのどれもが折れ、曲がり、砕けて、等間隔に地面に横たえられている。
剣の前には、その剣の説明として、作った年代、制作者、それに折れた理由が書かれており、まさに剣の墓標と言える。
そして驚くべきは、そのどれもが、全く同じ品質の剣だということだ。
何の魔法も使われていない、ただ通常の鍛冶の技術のみを使った作られたことがわかるそれ。
それを愛用する者を、俺はよく知っていた。
横に立つ、そのただ一人の人間を見て、俺はつぶやく。
「……これは、すべて、サンゴ。おまえが使ってきた剣なのか……?」
そう聞くと、サンゴはうなずいた。
「そうさ。君のお父さんのそのまたお父さんの……ずっと前の君のご先祖様から言われてね。折れた剣はここに納めろと。折れた理由も詳細に伝えてくれると嬉しいってね」
「それは……これだけいろいろな壊れ方をした剣があればな。参考になる。次の強い剣を作るために。そのために、おまえにそう言ったんだろう」
「うん。そう言っていた。君たちはいつも必ずそう言った。だから僕はずっとここに剣を納め続けている。君たちがどうしてこの剣を鍛冶師になったときに必ず学ぶか、知っているかい?」
俺たちの一族は、鍛冶師になったとき、必ず一本の剣の作り方を骨の髄までたたき込まれる。
それが、サンゴのいつも持って行くあの数打ちだ。
すべての剣の基本になるからと、そう言われて教わってきた。
しかし、これを見るとそれは少し事情が異なるような気がする。
俺は素直に言った。
「いや、わからない」
「じゃあ、教えよう。それは、ここのためさ。剣の墓場のため。同じ剣がどのような壊れ方をするのか、どのような力が掛かり、そしてそれがどのように壊れ方に影響するのか。それを永遠に調べ続ける為さ。そして、いつか最高の剣を作るため……そう、初めの人は言っていたし、続く人たちも言っていた。君のお父さんもね。そして、それを君のお父さんは君に継いでほしいといった。だからここに君を連れてきたんだ」
そんな歴史が自分の一族にあるなどと考えてもみなかった。
ずっと続いた鍛冶の一族だ。
鍛冶に命を捧げてきた。
しかし、こんな場所まであったとは思わなかった。
けれど、それを聞いて疑問も生じる。
親父の剣は最高の剣だった。
俺はそう確信している。
だからこそ。
だからサンゴの説明に頷きながらも俺は言った。
「そうだったのか……でも、だったら、親父は最高の剣を作った。なのになんでおまえは受け取らなかった。それは、俺たちの一族の悲願だったんじゃないのか。最高の剣を作るという、目的に沿った剣だったんじゃないのか。それなのに、どうして……」
悲しかった。
ただ、ひたすらに。
呆けようがなんだろうが、ただいい剣を打つことだけを考えて生きた親父のことを思うと、俺はどうしてもサンゴを許すことができないような気がした。
だから、ぶつけるような言葉を浴びせかけた。
だが、サンゴは、そんな俺に優しく言った。
「君のお父さんの作った剣は、確かにすばらしかった。おそらく、今現在、世界最高の剣だったと言ってもいいだろう。特に最後のあの二振。あれは、今後誰も越えられない、それくらいに際だった名剣だと僕は思う」
「だったら……!」
「そう、それでも僕は受け取るわけにはいかなかった。どうしてなのか、知りたいだろう? それを今教えよう。あれを、見てくれ」
サンゴがそう言って、指さした方向を見つめる。
そこは墓場の中心だった。
ほかのところよりも一段高くなっていて、そこに二本の剣が刺さっている。
血のようにどす黒い赤い刀身の剣、親父が最後に作った剣、"赤月の剣"。
海のように深い青い刀身の剣、親父が最後から二番目に作り出した剣"蒼陽の剣"。
どちらも強大な力が宿っており、それを持てばどんな相手であっても敵ではないような、そんな迫力を感じた。
"赤月の剣"には月の女神の加護が、"蒼陽の剣"には太陽の神の加護が宿っていて、そのことを示すように剣に刻まれたそれぞれの神への祝詞が、赤と蒼に輝いて鳴動していた。
その二本に、二人でゆっくりと近づく。
そして、目の前に立ったとき、サンゴは言った。
「まず、君がその剣を持ってみるといい」
言われて、俺はその通りにする。
どちらもすんなりと手に取ることができた。
思いの外、軽いので驚く。
しかし軽く振ってみると、恐ろしいほどに重い音がした。
魔法で重量が軽減されているだけで、実際は信じられないほど重いのだろう。
しかも、二本ともただ持っているだけで力が満ちてくる。
もしかしたら、俺でもドラゴンくらいなら倒せるのでは?
そう思ってしまうほど、強力な力を感じた。
「では、次に僕が持ってみよう」
そう言って、サンゴは両手を差し出した。
あれほど受け取るのを拒否していたのに、持つことに躊躇はなかった。
ふざけるな、と一瞬思ったが、サンゴに持たせるのが親父の望みだ。
だから、俺は素直に渡した。
右手に"赤月の剣"を、左手に"蒼陽の剣"を。
次の瞬間、俺は目をみはった。
そして思った。
これなら、こうなることがわかっていたから、サンゴは……。
両手に親父の作った最高傑作を握るサンゴ。
けれど、その様子は力に満ちている、などというものではない。
彼の右手は今、徐々に浸食されるところだった。
暗い闇色の何かが赤月の剣からサンゴの手を伝っていく。
腕まで登っていくその様は、アリが大量にたかっているかのようで、生理的な嫌悪を感じさせた。
けっして、いいものではない。
見ただけで、それがわかった。
あれは呪いだ。
闇はボロボロとサンゴの皮膚をはがしていく。
それが、闇の浸食だ。
このまま放っておけば、サンゴの右手は無事ではいられない。
そう思わせた。
彼の左手も、決して無事ではない。
蒼陽の剣からは、迸るような火焔がサンゴの左手を灼いている。
燃えさかるサンゴの左手。
その火は、サンゴの左手を躊躇なく焼き尽くしていく。
そうして、しばらく時間が経ったとき、サンゴの両腕は肩から先がすべて消滅していた。
右手は闇の浸食により崩壊し、左手は火焔により完全に炭化させられていた。
ぼとり、と彼の左手左腕は真っ黒になったまま、地面へと抜け落ちた。
俺はあまりのことに何の言葉も口から出すことはできなかった。
ただ、サンゴはそんな風に腕を崩壊させられたというのに、苦痛を想像させるどんな表情もその顔に浮かんではいなかった。
それどころか、そこには穏やかな微笑みが浮かんでいた。
まるで、手に持ったリンゴから、手を離せば地面に落ちるのは当たり前ではないかと、目の前に起こったことをありのまま受け入れ、一切心を動かさない表情がそこにはあったのだ。
それは異常だ。
痛みに耐える、とか苦しみを抑えるとか、そんな雰囲気は一切ないのだ。
そうして、サンゴは、ふっと自分を嘲るように笑うと言った。
「僕は、太陽と光の神にも月と闇の女神にも嫌われているから。こんなものだよ。……それで、分かったかい? 僕が、君のお父さんの剣を受け取るわけにはいかない、その理由が」
不思議なことに、そう言った瞬間に、サンゴの両手は復活していた。
けれど、サンゴの身に何が起こってももう不思議だとは思えない。
俺はサンゴの言葉に慌てて頷き、言った。
「あ、あぁ……分かった。お前は持たなかったんじゃない。持てなかったんだな……」
「それは少し違う。持とうと思えば持てる。ただ、それは剣の力を完全に僕自身の力で封じなければならないから……そうするとね、僕にとって、強い剣であればあるほどこの二振は弱い剣となってしまう。これを持って戦うくらいなら、そう……素手の方がずっと楽に戦えるだろう」
その言葉を聞き、やっぱり親父の言葉は正しかったのかと思った。
サンゴは、魔武具なんて持たない方が強い。
そのことが、本人の口から証明されたのだ
でも、それでも、俺は諦めきれなかった。
サンゴに、作り上げた魔武器を握ってもらう。
それは、親父の夢であり、そしてどうやら俺の一族の夢でもあったらしい。
だから、俺は全てを知ったうえで、言ったのだ。
「だが……俺はお前に魔武器を持ってほしい。俺たちの一族の、魔武器を」
その言葉を聞いたサンゴは、優しく微笑み、そして言った。
「君も、そう言うんだね……本当に、君たちの一族は揃いも揃って鍛冶馬鹿だ。ただ、嫌いじゃないよ。だから、君にも、君たち一族に僕が出し続けた条件を出そう。その条件を乗り越えたそのとき、僕は君の作った武器を握ろう」
「条件?」
そんなものがあるとは思わなかった。
いや、あったからこそ、サンゴは受け取らなかったと言われればむしろ納得はいく。
親父はその条件を聞き、そして達成できなかったのだろう……。
サンゴは続けた。
「しかし、それは簡単なことだ。僕が、僕の力を発揮できる魔武器を作ること。それだけだ。……できるかい?」
そう言ったサンゴはまるで悪魔のように見えた。
鍛冶師を試す、悪魔だ。
無理難題を出して、それを楽しむ、そんな悪魔。
しかし、俺に断るなどと言う選択肢は存在しない。
だから、答えた。
「分かった……。作ろう。必ず、お前が、お前の力を発揮できる武器を作ると」
その日から、俺の挑戦は始まった。
◆◇◆◇◆
当然のことながら、その挑戦は難航した。
サンゴはいつまでも年をとらない。
長年の付き合いで、俺はそのことを知っていたから、時間はあることはわかっていた。
けれど、どんなものを作ればいいのかわからない。
様々な仕事を受け、武具を作り、納品する。
通常の鍛冶師としての業務の合間にこつこつと考え、試作を繰り返しては失敗する。
そんな日々が続いた。
何年そんな風に過ごしただろう。
気付いた時には、いつしか、俺は親父の名前と並べられるような鍛冶師になっていた。
ただ、それでもサンゴの注文を達成することは出来ないでいた。
親父もそうだが、鍛冶の技術をどこまでも探求していくと、作り上げたものに必ず何らかの加護が籠るのだ。
それは悪いことではない。
ドワーフにとっての誉れであり、むしろ素晴らしいことのはずだった。
けれど、サンゴは……。
そのことを考えると、むしろその事実はマイナスに働くのだ。
多くの武具を作り、珊瑚に持ってもらおうとし、断られる。
そんなことを繰り返すうちに、俺は気づいた。
サンゴは、加護を持つ武具を持つことが出来ないのではないかという事に。
サンゴは差し出された武器を見ては、一瞬注視すると、ゆるゆると首を振って断るのだ。
そのときに、何を思っているのか俺は考えた。
あれは、つまり、武器に込められた加護を見ているのではないか。
そう思った。
そして気づいてしまえば、簡単なことだった。
サンゴに武器を持ってもらうためには、加護のないものを作ればいいのだ。
そう、簡単な思いつきだ。
けれど、そこまで考えて俺はまた壁にぶち当たった。
神や精霊の加護は、いい道具に籠るもの。
出来の悪いものには籠らないから、加護のない武器を作るためにはあまり出来のよくないものを作ればいい。
そうなってしまう。
だが、俺は意地でもそんなものをサンゴに渡したくはなかった。
渡すのならば、最高の品を。
それが、俺の鍛冶師としての矜持だった。
どうすればいいのか。
考えた俺は、一つの思いつきを実行した。
それは、サンゴの言葉がヒントになった。
サンゴは、神に嫌われているらしい。
それが嘘か本当かは分からない。
けれど、それが事実だとするのなら、神には好き嫌いがあるということだ。
そしてそうだとすれば、神は嫌いな者の作った道具に、加護を付与しないのではないか。
それは愚かな思いつきだったと言えるだろう。
けれど、俺は実行することにしてしまった。
ありとあらゆる、神の好まないとされる行動をやった。
ひたすらに、嫌われるために。
その中で、鍛冶の技術だけは磨いたが、それ以外は全てが、神に嫌われるための行動だった。
効果が出たのかどうか、俺からは徐々に幸福が逃げて行った。
結婚した妻に、そしてできた子供に愛想を尽かされ、友人は一人また一人といなくなっていき、気づいた頃には一人になっていた。
けれども、俺はそうなってもサンゴに武器を握ってもらうと言う夢を諦められなかった。
それは取り憑かれているといってもいいほどに。
だから、俺はそうやって武器を作り続けた。
徐々に、武器に与えられる加護は弱くなっていく。
そしていつごろからか、加護の与えられない武器も増えていった。
俺の選択は間違いではなかったらしい。
本当に神には好き嫌いがあったのだ。
けれど、武器の質は上がっていく。
恐ろしいほどの切れ味、力、耐久性を持っていく。
なのに、どんな神の加護をも与えられないそれらを、世の人は『呪剣』と呼び、避けるようになった。
俺の剣は普通には売れなくなった。
けれど買う人間もいた。
主に闇に身を窶す人間だ。
彼らから感謝されるのは奇妙な気がしたが、しかし結果として俺の武器は尚のこと質を上げた。
剣を作れば作るほどに高まっていく技術。
それがいつしか、サンゴに握られる剣のためだと思うと、心が踊った。
もう少し、もう少しだ。
俺にも最高の剣が作れる。
あと少しで、最高の剣が……。
◆◇◆◇◆
一瞬、光が過った気がした。
しかしそんなことはどうでもよかった。
とにかく、武器を作らなくては。
そう瞬間的に思い、目の前の赤く燃える炉に目をやって次の作業を思い出し、言った
「……おい、火箸とってくれや」
ぱし、と手に火箸が渡される。
俺は納得して次の作業にうつった。
その日はなぜか、全ての作業が恐ろしいほどにうまくいった。
何もかもが淀みなく、スムーズに、しかも何の違和感も感じない。
全てが何かに導かれるように進んでいく作業。
むしろ、手ごたえがないと言ってもいい。
俺は、作業をしていく中で思っていた。
最高の武器が生まれる瞬間ってのは、こんなものなのかもしれない、と。
そして、全ての作業が終わったその時、そこに存在していたのは俺の生涯の中で最高の出来だと言い切れるくらいに素晴らしい剣だった。
「……こりゃ、すげぇ……」
自分で作ったのに、とてもそうは思えない出来に、俺は感嘆のため息を漏らす。
「そうだね、すごい。君はやり遂げた」
後ろからそんな声が聞こえた。
久々に聞いた声だった。
それは、覚えのある声だ。
そう、サンゴのものだ。
だから俺は振り向かずに言った。
「なぁ、サンゴ。これなら、これならお前も……」
最後までは言えなかった。
断られるのが怖かったからだ。
けれどそんな躊躇など必要ないとでも言うように、サンゴは言った。
「あぁ、持とう。これは素晴らしい剣だ。これなら僕も……持てる」
そう言い切る。
ふわりと、体中に鳥肌が立った。
恐ろしいほどに嬉しいからだと、俺はそう思った。
そうして、俺は振り返る。
振り返って、そして息が止まった。
そこに信じがたい人間が立っていたからだ。
「……親父」
「おう、久しぶりだな」
そうだ、そこにいたのは、死んだはずの、葬式まで出したはずの、親父だった。
「なんで……?」
不思議そうにつぶやく俺に、サンゴが言った。
「なんでだって? そんなの簡単さ。それはね、」
にやり、と笑って言ったサンゴの次の瞬間の言葉に、俺は頭が真っ白になった。
―――君はもう、死んでいるからさ。
◆◇◆◇◆
ぱちぱちとたき火の燃える音が聞こえる。
暖炉の中に燃える薪の割れる音だった。
「……そうして、世界最高の鍛冶師は、世界最高の剣を打ち、満足したのでした。おしまい」
少年の声が聞こえる。
物語を読む声だった。
ふんわりと優しく、ゆっくりとしていた。
「つづきはー?」
続いて、小さな子供の声が響いた。
少し不満そうな男の子の声。
彼は駄々をこねる様に続きを求める。
少年の読んでいた物語のつづきを。
けれど、少年は言った。
「この話はここで終わりだよ。続きを知っている人はいないのさ」
「なんでさー?」
ぷんぷん、と聞こえてきそうなくらいに憤慨した男の子がぽかぽかと少年の胸を叩く。
少年は答えた。
「彼はこの世ではない、黄泉の世界で剣を打ったんだ……黄泉の国は、生者が行くと二度と帰ってくることは出来ない。黄泉の国へと続く川の渡し守に払うべき労賃は、たった一つしかない、命だからね。だから、続きを知っているのは、黄泉の神か、それともすでに死んでしまっている人か……それか、永遠に死を迎えることのない人だけ、だよ」
「ぶーぶー」
少年の言葉に怒りつつも、それなら仕方ないと思ったのか、男の子は口を尖らせたがつづきをせがむことはなくなった。
そこに声がかかる。
「おう、サンゴ。悪いな。子守なんか任せて」
男の、ドワーフの声だった。
そうだ、ここはドワーフの家だった。
「いや、いいよ。こういうのもたまにはいい。戦場暮らしも余り長く続くと飽きるからね」
「そうかよ……それで、今日はまた何しに?」
男はそう珊瑚に聞いた。
珊瑚は男の昔からの友人だった。
いつも変わらない見た目の、不思議な男。
年を取らないのは、なにか長寿の種族の血を引いているからだろうか。
よくはわからなかったが、それでもこうやってたまに来てくれる友人は、話もうまかったし、持ってきてくれる土産の酒も最高だった。
それに、歴史を調べるのが趣味だと言って、その一端として、男の一族の歴史にも詳しく、それを話してくれるのだ。
とは言っても、それは遥か昔の話であって、本当かどうかは眉唾ものらしいが。
「いや、今日はとても珍しいものが手に入ってね」
「酒か!?」
ドワーフらしく、がばりと凄い勢いで珊瑚に迫った男。
珊瑚は笑いながら酒を取り出し、男に渡してから、
「それもあるけど、他がメインだよ。これ」
そう言って、サンゴは何か鍵のようなものと箒のようなもの、そして何かの地図を取り出した。
男は首を傾げる。
「なんだこれは……?」
「君の御先祖様が作ったものだよ。“剣の墓地”の場所と、そこに立ち入るために必要な道具だ。持っているといい」
「……本当かよ?」
疑わしげに見つめる男に、珊瑚は肩をすくめて言った。
「さぁ。所詮、昔のことだからね……。じゃあ、僕は行くよ」
膝の上に乗っていた男の息子を降ろし、珊瑚は立ち上がる。
男は慌てて着いていく。
すでに玄関にいた珊瑚に男は言った。
「おい、もうかよ……酒くらい飲んでけよ、な?」
「ふふ、ありがとう。でも、また今度にするよ」
「おいおい、今度っていつだよ」
「……そうだな、わからないけど……もし君がいなかったら、君の子孫とでも飲むとするよ」
「おいおい……」
笑える冗談だった。
そのはずなのだが、珊瑚が言うと冗談には聞こえなかった。
なぜだろう、そう思ったそのときには、すでにそこに珊瑚の姿は無かった。
「今日こそは、あの剣、触らせてもらおうと思ってたんだがな」
独り言を男は呟く。
珊瑚がいつも腰から下げている三本の剣。
赤い剣と、青い剣、そして漆黒の剣。
それらが相当な業物であることを、男は職人として見抜いていた。
ただ、珊瑚は決してそれらを触らせてはくれなかった。
なぜかと聞くと、
「赤いのと青いのは、担い手を探すことを約束させられてしまってね。それ以外の人に触らせるわけにはいかなくなったんだ。黒いのは、僕専用。君が握ると危ないかもしれない」
そんなことを言って。
「まるで、鍛冶の神ヴァロンテスに神剣を託された剣聖ミナイみたいな言い草だったな……」
それは、男の一族がその血を引いているとされる神の名であり、そしてその友人であった男の名だった。
さきほど男の息子がサンゴに読んでもらっていたのは、その童話だ。
「……はぁ、ま、今日は一人で手酌でもするか……」
そう言って、男は部屋の中に戻っていく。
また、珊瑚が尋ねてきたら一緒に酒を飲もう。
男はそんなことを思った。