一杯目 少女とアイス
龍斗は、起きてすぐにある場所へと向かっていた。
夜中まで仕事をしている関係で龍斗の朝は遅い。そのため、彼が家を出たときにはとっくに太陽が高く上がっている。
「遅い」
ちょうど角を曲がった時、まだ、目的地へ着いていないというのにそこで待っていなければならない人物が、腕を組みながら立っていた。
「待ったのか?」
「えぇ。結構ね」
栗色の毛を腰のあたりまで伸ばした少女は、不機嫌そうな表情を浮かべたまま踵を返した。
「ちょっと!」
「時間が惜しいの。急いで」
そう言って彼女は、彼が向かっていた方向へ向けて歩き出す。
龍斗もまた、おいて行かれまいと彼女の背中を追いかけはじめた。
*
アリーナの中心にある広間につくと少女は、すぐ近くにあるベンチに腰掛けた。
この広間の中央には時計台があり、その周りに花壇やらベンチやらがあって市民の憩いの場となっている場所だ。
「それで? 話を聞かせてもらっていいか?」
龍斗は少女の横に座るなり本題を切り出した。
対する少女は、つまらなそうに鼻を鳴らしてからカバンから出した紙束を龍斗に押し付けた。
「これよ。本物は無理だったから写しだけど」
「いやいや。これで十分だ……写しとはいえ、本当に手に入れてくれるとは……」
紙束を見て満足そうな龍斗を見て、少女はわざとらしくため息をついた。
「これが私の仕事なの。むしろ本業よりもこっちの副業の方がもうかってるわ」
「おいおい……頼んだ俺が言うのもなんだが、薬屋の方はいいのかよ?」
「別に問題ないわ。ちゃんと留守番は置いてるから」
少女が右手をパチンと指を鳴らすとあいていた左手にガラスの容器に入ったひんやりとしたバニラアイスが現れる。
これは、龍斗が少女に作り方を教えたもので龍斗が今の職業に就くきっかけとなった料理でもある。
「うん。おいしい」
先ほどまでの不機嫌顔はどこへ行ったのか、少女は頬に手を当ててじっくりとアイスを楽しんでいる。
「ところでさ……」
「何?」
少女はアイスを食べるのに夢中になっているが、龍斗は構わずに話し始めることにした。
「結局のところお前は何者なの? 今頃ながら名前すら聞いたことないと思うんだけど」
「別に私が何者でもいいでしょ? 薬屋のお嬢でいいのよ。薬屋でも可」
初めて会った時から、少女は“薬屋のお嬢”としか名乗らず、本名を聞いたことはない。
居酒屋を開いてからも彼女は、ちょくちょく様子を見に来てくれたがその時も、名前を聞いたことがないし、自分が知る限り誰に対しても本名を名乗っているところを見たことがないはずだ。
「あのさぁ」
薬屋は何か言いたげな龍斗のあごをもつと自分の方へぐっと顔を引き寄せた。
「前にも言ったでしょ? 私にとって名前なんてものは不要だから、とっくの昔に忘れたって……それとも、無理にでも思い出せとでも?」
「そうは言わないが……」
完全にあいつのペースだな。と龍斗は内心舌打ちする。
なるべく優位に話そうとしても、自分よりも幼く見えるこの少女には勝つことができない。
別に彼女と勝負しているわけではないのだが、それでも悔しいと思ってしまう。
「どうかした?」
いつの間にか、アイスを食べ終えた少女が龍斗の顔を覗き込む。
龍斗は驚いて手に持っていた紙束を落としそうになってしまう。
「驚いた?」
「まぁな」
龍斗が驚いた理由というのは、少女が彼の顔を覗き込んだためではなく、その少女の顔に大量の赤い液体が付着していたのだ。
最初こそ驚いたが、すぐにそれは本物の血液ではなく何かしらの木の実をすりつぶした液体だと気づく。
「先ほどの不機嫌はどこに行ったのやら……」
あまりに態度が変貌するため、龍斗は思わずため息をついてしまう。
「不機嫌なままの方がよかった?」
「そんなことはないけどさ……」
少女は、鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌のまま立ち上がる。
「どこか行くのか?」
「えぇ。人と会う約束してるの」
そう言い残して少女は、振り返ることもなくその場から立ち去って行った。