6話 想い
「この人工衛星打ち上げ計画は、細部まで良く考えられているね」
智之の声に、蓮は我に返る。
そして、窓際に立ったままの自分に気が付いた。
「どうしたんだ? 白昼夢か?」
智之が、からかうように言うと、蓮は窓から離れる。
「いえ、ちょっと思い出してたんです」
「ゼイラをか?」
蓮は、智之とテーブルを挟んで、反対側の椅子に座ると言った。
「まだゼイラは、あの湖に沈んでいるのかなって」
「いや、もう解けて無くなってしまっているだろう。
小さな部品は残っているかもしれないけどね。
どっちにしても、山脈の向こう側に流されてしまったんじゃないのかな」
「そうですよね。 ゼイラはそれを望んでいたし」
「え? どういうことだ?」
「ゼイラがそう言ったんです」
「ゼイラが、そう望んだ?」
智之は、書類をテーブルの上に置くと言った。
「君も知っているように、ゼイラの記録は、あの嵐の過ぎた朝までしかない。
最後に充電された時にアルコープに残された所までだ」
「そうでしたね」
「しかも、あの嵐の夜、ゼイラが横になってから後の、数時間の途中の記録が抜けていたんだ」
「ええ、調査員は、古いゼイラ型が横になったので、なんらかの故障が起きたと報告したらしいです」
「そうなんだが、ゼイラの見たすべての映像は、君が持っていた目の記録に残っていたね。
音は無かったから、君が何を言ったのかは口の動きでしか分からなかったけれど」
そして智之は、表情を緩めると続ける。
「あの嵐の夜、君が床の上で寝てしまっても、ゼイラはそのまま横になっていた。
君が寝返りを打つまでね。
そして君をベッドへ戻し、壁際に戻って立っていた。
数時間後に嵐が過ぎ、朝になると、アルコープに残っていたのと同じ記録が始まる。
君がベッドで寝ていて、ゼイラが充電用アルコープに戻るまでのだ」
「父は、ゼイラが自分の意思で、アルコープの記録を消したんじゃないかと言ってました」
「僕もそう思うよ。
ゼイラに感情のようなものが生まれていたんだ。
強い想いがあったから、そんなことをしたんだろうってね」
「ゼイラの強い想いって何だったんでしょうか」
思わず出た言葉に、蓮は自分で驚く。
それに対し、智之は真っ直ぐに蓮を見て言った。
「君は、本当に分からないのか?」
蓮は思う。
知らないはずはなかった。
考えないようにしていただけだ。
時が経ち、ゼイラを思い出し、今はそのことに素直になれる自分がいる。
蓮は椅子に深く寄りかかると言った。
「なんとなくは、分かる気がするんですが・・・」
「あの最後の夏、ゼイラに感情のようなものが生まれ、それは少女みたいなものだったのかもしれない。
僕は君のお父さんと、何度もそのことについて話したんだけどね。
あれは、ゼイラの初恋だったんじゃないかってね」
「え?」
「いや、初恋のようなものと言った方がいいかもしれない。
もしあれが人間の少女だったらね。
古い型の秘書用アクトロイドに、少女と言うのは語弊があるかもしれないが、思考能力は子供レベルだったからね」
「ゼイラは、そのことを知ってたんでしょうか?」
「知らなかったと思うよ。
それを理解できる機能もなかったしね。
ゼイラは、自分の中に新しく生まれた感情に従って動いていただけだ。
初恋だったから隠そうとしたし、君を助けようともしたってね。
あの型が、あそこまで大胆になれたのは驚きだよ。
まあ、僕たちもはっきりしたことは分からないから憶測でしかないけれど」
「それは、プログラムを超えてプログレスした意思みたいなものと言われてますよね」
「そうらしいが、感情のある人間が作るから、そんな反応をするとかも言うね。
人間が、かってにそう解釈しているだけだとも言う意見もある。
とにかく今は、すべてのアンドロイドにそれを制御する機能が入っている」
蓮は、くすっと笑って言った。
「だから、美咲がユージに恋心を抱く心配は無いんですよね」
「美咲は、それがなければかなり危ないね、大胆だし」
智之も笑いながら言った。
「それに」
と句切って、智之もソファにゆったり座り直すと言う。
「君だって、ゼイラが何を言ったのか言わなかったじゃないか。
君のお父さんも、当局がそれを探るのを許可しなかったし。
まあ、そんなことをしなくても、おおよその見当は付いていたけどね」
そして顔を上げて蓮を見る。
「君の想いは、『少年と犬』みたいなものだったんだ。
最も、ゼイラにとっても、同じものだったかもしれないけれど。
とは言え、ゼイラが、君の見たいものに流れていきたかったのなら、僕たちの予想は正しいと思うよ」
蓮は黙って、それを否定も肯定もしない。
「とにかく君のお父さんは、君たちが山のどの地点にいるのか分かってはいたんだが、気付くのが遅すぎた。
それで、追いかけるより、地下避難道を使って反対側から行くことにしたんだ。
アンドロイドの救助隊も連れて行けるしね。
彼は、すぐに地下避難道の管理をしている僕に連絡し、自分は近くの駅へ向かうと告げたんだ。
最も、嵐の後で、道は寸断されていて大変だったらしいよ」
「ああ、それは何度も聞かされました」
と蓮は言って、思い出し笑いをする。
「彼は必死だったからね。
そして救助隊と合流して、リニアモーターカーでパーシヴァルの近くへ出る駅に向かったんだ。
それに君は、ゼイラの目を持っていたから、見つけるのも簡単だったしね。
もしかしたら、それでゼイラは、君に自分の目を持たせたのかもしれない。
まあ、それは良かったんだけど、その目に残されていた映像のせいで、君のお父さんは大変なことになってしまったんだ。
アンドロイドが感情を持つ機能についても議論の最中だったし。
惜しい人を失ったと思ったよ」
蓮は、智之をじっと見る。
そして言った。
「どういう意味ですか?
冗談は止めてください。
僕の両親は、今でも健在です」
智之は笑う。
「御免、御免。
だって彼は、あの騒動のせいで、もう二度と都市には戻らないって決めたんだよ」
「父は、初めからそのつもりでしたよ。
俺のために悩んでいただけです。
むしろ、あの事件で、決心が付いたんだと思います。
都市で惰性で生きるよりは、息子に強く生きる姿を見せることにしたって母が言ってました。
俺はあの夏で、自分の生き方の方向付けは出来たものの、まだまだ未熟でしたからね。
結局、リ・インプリンティングもしなかったし」
「ああ、それもあって、彼はゼイラの瞳を貰い受けて君に渡したんだ」
「そうみたいです。
嬉しいような嬉しくないような、複雑な気持ちでしたが」
「それと共に、ゼイラが封印していた記録も貰ったんだろ?」
「ええ、見とけって。
あれは、一番されたくない罰でしたね」
智之は笑いながら言う。
「それがゼイラの想いだったからね。
自分が仕出かしたことだから、自分で責任を取らせるって言ってたよ」
蓮も苦笑いする。
「そのへんが、あの人らしいところですかね。
今でも、あの天文台で、自分の研究を好きなようにやっています。
あそこの暮らしも楽ではないのに。
母も、俺が高校を卒業したら、都市には住みたくないって言って父の元に行ってしまいましたし。
まあ、たまに都市の家へ戻ってくることはありますが、ほとんどは山暮らしです」
「彼は、次世代は、真実と向き合わなければならないって言ってるからね。
そのせいで大学を辞めることになってしまったけれど。
それでも、彼の生き方に感銘を受けている人は多い。
自然の力を信じているから、君の家も、都市の中なのに、まるで森の中にでもいるみたいだしね」
蓮は、ため息をついた。
「美咲の部屋まで作って・・・
うちは女の子なんていたことなかったから、あの部屋を見た時は驚きましたよ。
美咲は喜んでるけど。
雪が解けて両親が戻って来た時、何て説明しようかと今から頭が痛いです」
「面白がるだろうね。
まあ、君のこの計画を知れば、喜んでくれるからいいじゃないか。
自分の研究にも使わせてくれって言うよ。
それに、ユージのこともね。
いずれユージも、この計画に参加するかもしれないし」
「そうだといいですね」
「それで、ゼイラの見たかったものって何だったんだ?」
「ゼイラは、俺の見たいものを見たいって言ったんです」
「だから君は言いたくなかったのか?」
「まあ、それもありますが、あの時は、自分でもよく分かってなかったんです。
草原を見てもピンとこなかったですし。
それは後で、次第に分かってくるんですけどね。
俺の見たかったものは、再生した地球だったんだって。
あのパーシヴァルを、その名前の通りに、ゼイラと駆け抜けた時に抱いた印象みたいなものです。
もしかしたら、ゼイラにもそれが分かっていたのかもしれない、なんてね。
そんな高度なことが分かるはずないのですが」
「今度は、ゼイラは美咲の瞳で見るか・・・
そうか、だから君は人工衛星なんだ。
この都市を守るのだけが目的じゃないね。
いずれ、ここへは誰かが来る、そして、我々も外へ出て行くことになる。
世界は開かれていくんだ。
だから、コミュニケーションを取る為に君は英語を話すんだね。
君は、自分の見たかった世界を、ゼイラの瞳に見せたいんだ」
「そこまでは考えていませんでしたが、いや、そうなのかもしれない・・・
ゼイラは自分で言ったように、生きていなかったから死んでもいません」
「だから、ゼイラは、今でも君の中で生きているんだ」
蓮は、その智之の言葉に笑顔を見せる。
「あれは、俺が世の中に喪失感を抱いていて、自分がどのように生きるのか模索していた時でした。
ゼイラは、そんな俺とパーシヴァルへ行き、生きる動機を見つけるのを助けてくれました。
あの時、俺が知ったのは、自分がいてもいなくても、自然は力強く生きていくってことです。
それを知ることは、ある意味、怖いことでした。
そして気が付いたのは、自分がどうこう言うより、その力に添って生きていけばいいってことです。
あの時の俺は、ゼイラと鳥のように飛んで、その先にある世界を見てみたいと思いました。
俺の中のゼイラは、今でも、それを見せて欲しいと願っているんです」
蓮は、テーブルの書類の上に自分の手を置くと言った。
「だから、俺はのんびりしていられないんです」
「分かった、分かった。
とにかく、この件は何とかしよう」
智之が微笑みながら言うと、蓮も微笑み、二人は立ち上がる。
そして智之は、書類を持って部屋を出ていった。
蓮は一人になると、深く息を吐く。
そしてデスクにある椅子に座り、窓の方を向き、再び山脈を見た。
そこには、ゼイラと共に暮らした家がある。
蓮は、その家を去る前の、最後の夜のことを思い出した。
その夜、両親は天文台での仕事が忙しく、家にいるのは自分だけだった。
そして、ふと、父が見ろと言ったゼイラの残した映像を見ることにし、記録を取り出す。
見るつもりなんて更々なかったけれど、都市にまで持っていきたくない。
この家に置いていきたかった。
スクリーンに、その同じ部屋の床の上、ゼイラの瞳を通して横になった自分の顔が映る。
音はなく、その口だけが動く。
それでも、あの嵐の音と、自分の声が甦ってくるような気がした。
「ゼイラの瞳は冷たいの?」
「クリスタルガラスって高価なんだろ?珍しいよね」
「じゃあ、ゼイラ型がなくなるって事は、もう、お前の瞳はなくなるんだ」
「ゼイラは、その瞳で何が見たいの?」
「世界を見たい。
父さんが言った、この世の終わりだ」
・・・・・・・
これから大人になっていく少年の、蓮の目から、とめどもなく涙があふれ出た。
END
このお話を、書くように励まして下さったシュリンケルさんへ送ります。