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3話 パーシヴァル

山の夏は早い速度で進んでいた。気候も良く活動しやすい夏は忙しい時期で、いつもの年なら冬のための準備に大わらわだ。だが秋にはここを去るつもりの俊樹と美恵子にとって冬の心配はない。その代わり、ここでの生活を閉じる準備に忙しかった。


もちろん蓮も手伝う。いつもと違った忙しさだったので、蓮が両親に接する時間は少なかった。それは、蓮には都合が良かった。今の彼にとって全てが煩わしく思えたからだ。それに都市へ帰るという緊張もあり、気持ちが不安定になっていた。


蓮は大きな古い木の枝に座り、木の幹に寄りかかり、草を口にくわえ、夏の虫が飛ぶ音を聞いていた。ここにいると時間が止まったように思える。もしかしたら、本当に止まってしまったんじゃないかとも思う。


 蓮」

父の俊樹が呼んだ。

「明日、パーシヴァルへ行くから準備をしなさい」

蓮は俊樹を見る。

「パーシヴァル?」

「谷の湖だ。二泊三日だから、装備をちゃんとするんだぞ」

俊樹はそう言って去っていった。


今までも父と泊まりがけで山歩きをすることはあった。もう十五歳だし、かなりの荷物は背負えるようになっている。今年の夏は忙しいから、これが最後の、ここでのバックパックになるかもしれない。蓮は、そう思いながら準備を始めた。


キッチンで食料を調達する時、美恵子が言った。

「パーシヴァルって、『谷を駆け抜けるもの』って意味があるのよ。誰がその名前を付けたのかは知らないけれど、反対側へ抜けられる谷の湖なのよ」

「え?じゃあ、反対側へ行くの?」

「さあ、恐らく今は、抜けられないんじゃないかしら。

あそこは、夏の初めじゃないとだめだから」

「母さんは、行ったことがあるの?」

「湖のこちら側だけね。とても美しい所だから、蓮も見ておいた方がいいわよ」


次の朝早く、俊樹と蓮は家を出た。美恵子がじっとその二人の去っていく後ろ姿を見つめているとゼイラがやって来た。


「奥様、今日はこちらで仕事をされますか?」

美恵子はゼイラを振り向き、笑いながら言った。

「そうね、うるさいのがいないから、私たちでゆっくり仕事をしましょう」

ゼイには、その意味を理解できないので、黙ったまま次の指示を待つ。

「書類をこのキッチンへ持ってきてちょうだい」

美恵子の指示に、ゼイラは書類を取りに行った。



俊樹と蓮は、野を超え山を越え、小川を渡り、滝を見ながら進んでいく。ここには登山道などない。俊樹は、コンパスと地図で進路を決める。蓮もその使い方は知っている。


その夜は、森の中の川から少し上の、平らな場所にテントを張り、火を起こした。そして美恵子が準備した夕食を暖める。この山には人間を襲う危険な動物はいない。そんな動物が生きていけるほどここは豊かではないのだ。それでも夜の闇は不思議な恐れをかもし出す。その恐れとは、もしかしたら自分の心に存在するものなのかもしれないと蓮は思ったりする。ここには、自分と父以外に誰もいないのだから恐る必要はないはずなのだ。


父は、何も言わなかった。蓮も何も言わない。二人がしばらく黙って炎を見ていると、俊樹が小さくなりかけた火に薪を加えると立ち上がり、蓮に言った。

「付いて来なさい」


蓮は、俊樹の後を歩く。しばらく行くと、少し開けた所に出た。もう焚き火の灯りは見えない。月はなく、空には星が広がり、天の川が空の端から中央を横切って反対側に伸びている。天文台からも見えるけれど、蓮は、最近は夜空を見ていなかったなと思う。特に、このように、何の光もないところで見る星空は久しぶりだ。時々、流れ星が現れては消えていく。


「昔は、よく人工衛星が飛んでいるのが見えたそうだ」

「人工衛星?」

「数千機の人工衛星が、この地球を回っていたらしい。

静止衛星ってのもあったけど、低い高度の物は、この地球をたった1時間半ほどで一周したそうだ」

「知ってるよ。引力と遠心力の釣り合いで回るから燃料はいらないし、太陽電池で仕事も出来るから効率がいいんだ」

「今は、活動不能のスペースデブリでしかないけどね」

「見えるかな?」

「見つけられないこともないが、ここに寝袋を持ってきて捜してみるかい?」

「父さんは?」

「テントで寝る」

「じゃあ、俺もテントで寝る」

俊樹は少し笑うとまた星空を見上げる。二人は長い間、夜空を眺めていた。


次の朝、蓮がテントから這い出ると、俊樹は朝食の準備をしていた。

「テントをたたみなさい。朝ごはんがすんだら、出かけよう」


二人は荷物を背負うと、再び歩き始める。しばらくすると、前の山が二つに割れ始めた。パーシヴァルに近付いたのだ。谷の間に、明るい空色の湖が見えてくる。二人はその湖に向かって降りていく。俊樹は、湖畔の近くにある小さな小屋に向かった。


 こんな所に小屋があるの?」

蓮は聞いた。

「ああ、ここも父さんが管理しているんだ」

中に入ると、そこには一台のカヌーがあった。

「カヌーの漕ぎ方を教えてやるから外に出すのを手伝いなさい」

二人はカヌーを外に出すと湖に浮かべた。


蓮はカヤックを漕いだことはあったけれど、カヌーは初めてだった。

そして、カヌーを、カヤックを一人で乗る時と同じように一人で漕ぎたがる。

「一人で漕ぐなら、カヌーはカヤックより難しいんだ」

俊樹は言った。


この時の蓮は、この湖の美しさを見るより、カヌーを操ることの方を面白いと思った。そうしてしばらくの間、二人はカヌーを漕義、それから小屋に戻ってきた。俊樹はカヌーの状態を確かめ、小屋の壊れた所を修理するとドアを閉める。

「これで、数年はだいじょうぶだな」


「このカヌーは何のためにあるの?」

蓮は聞いた。俊樹は蓮を見る。

「この湖の反対側へ行くためのものなんだよ」

「そこには何があるの?」

「この世の終わりだ」

「え?」


俊樹は、ふっと笑う。

「この山脈の反対側に出るんだ」

「今日はいかないの?」

「水量が少なすぎる。行くなら夏の初めだな。雪解け水がこの湖を満たしたら、向こう側に行ける。ここは水がまだあるが、向こう側は泥が深くて岸にたどり着けないんだ。湖の出口は広がっていて、岩や木などの障害物で水の流れが遅くなっている。水は、いくつもの小さな川に分かれて山脈の向こうへ降りていくんだ。嵐でもきて、水かさが増えたら別だが、今は無理だ」


「父さんは、向こう側に行ったことがあるの?」

「あるよ、まだ蓮が小さい時にね。その後、母さんもここに連れて来たけど、その時は向こう側へは行かなかった」

「そこはどんなところだったの?」

俊樹は蓮を見ると微笑んだ。

「いつか機会があったら自分で見てみなさい」


そして、二人はその湖を後にした。その夜、二人は再び、焚き火を起こし、それを見つめる。

不意に、蓮は立った。

「トイレ」

と言って、そこを離れ、用足しをした後、蓮は空を見つめる。


山の空気は冷たい。蓮は震えながら、そのまま空を見つめる。その時、空にすーっと光るものを見つけた。

初めは流れ星かと思った。だが、なかなか消えない。それは、あっという間に星の夜空を渡り、夜の木々の向こうへと消えていった。


蓮は、息を弾ませ、俊樹の元に戻った。

「父さん! 人工衛星を見たよ! あれはそうだ! まだ残ってたんだ!」

俊樹はニコニコしながら言った。

「そうか、お前も見たんだ。」 

それで蓮は、はっとした。

「父さんも見たことがあるの!?」

俊樹は笑顔で言った。

「もちろん」

「今まで見たことはなかった!」


「いや、天文台からも見えるんだよ。

前にお前にも見せたんだけど、あまり興味がなかったみたいだし・・・」

俊樹は、頭を掻きながら言った。

蓮は、「そうだったっけ」と思う。


俊樹には、その意味が分かっていた。蓮は成長している。もしかしたら、この山の旅が蓮を変えているのかもしれないと思う。


「あんなにきれいに見えるなんて、誰かが乗っているのかな?」

「乗ってないと思うよ。調べてみたけれど、機能しているもはなかったね。スペースデブリでしかない」

「父さんは、それを調べるのも仕事なの?」

「いや、見つけるのはそう難しいことではないんだ。宵の口か明け方だと、太陽の光に反射して良く見えるね。父さんの研究は、天体を物理学的に調べることだから、人工衛星があればいいんだけど、そんな余裕はないからね。だから、この地上から観察していた古代人のコンピューターを面白いと思ったんだ」

「そうだったんだ」


「あれは蓮にやろう」

「え?」

「もう、父さんには必要ないから、お前が完成させなさい。ただし、完成させるためには、かなり勉強しないとだめだな。それに、アートのセンスもいる」

俊樹はふふっと笑う。

「それが父さんに欠けていたのかもしれないね」


「父さんは、完成させるのを諦めるの?」

俊樹は蓮を驚いたようにして見る。

「諦めるんじゃない、違う道へ行こうとしているんだ。

お前は、お前の道を見つけなさい」

「俺の道?」

「その内、見つかるさ、自分のしたいこと」

「そんなのあるのかな?」

「あるといいね」


俊樹には、蓮に伝えたいことがあったけど、なかなかそれを切り出せないでいた。

「あの古代コンピューターは、紀元前に作られたものなんだ。だけど、それよりかなり前に完成されていた技術だと言われている。おそらく、それより数千年も前にね」

「そんな精密な機械類が何千年も前に存在してたの?」

「あったんだろうね。だから、世界中あちこちの古代遺跡の中から、その痕跡を見つけたりするんだ」

「それは、ピラミッドやオベリスクをどのように建てたのかってこと?」

「それもあるね。未だに謎だしね。古代人は、今の我々より、もっと高度な技術があったってことなんだろう」

俊樹は、思い切って聞いてみる。

「蓮、お前は、世界が滅んでしまったことに喪失感を抱いているのか?」


蓮は、それには答えない。自分のことすら分からないので分からないのだ。


俊樹は続ける。

「父さんは、古代に一度、世界は滅んでいたのかもしれないと思っている」

「え?」

「彼らは自分たちの技術を正しい目的で使うことが出来ず、その世界を滅ぼしてしまったのかもしれない」

「それだから、古代コンピューター?」


「そうだね、あの精密度は深い謎だ。もし古代人にその知識があって、それを正しい方向に使えていたら、世界はもっとすばらしかったんじゃないのかな」

「じゃあ人類は、また同じ間違いをしてしまったってこと?」


「さあ、どうなんだろうね。

もし、そうだとしたら、蓮、お前はどうしたい?」

蓮は、焚き火の炎を見た。そして思う。自分は何をしたいのだろう、と。

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