2話 古代コンピューター
一台のピックアップトラックが都市を離れ山道を上っていく。蓮は母親の美恵子が運転する隣の助手席で窓の外を見ていた。山は長かった冬を終え、短い春から夏へと移ろうをしている。季節の移り変わりは、何千年何万年も前からこうしてやってくる。
「変わってしまったのは人間の方なんだ」と蓮は呟いた。
十五歳になったばかりの蓮は、高校へ上がる前の試験と定期の身体検査のため、数日ほど都市へ行っていた。そして今、父が働く天文台の近くにある家へ戻るところだった。蓮は幼い頃から両親とそこで暮らしている。
都市は山の中とは比べ物にならないほど賑やかだった。便利なものや面白そうなものがたくさんある。それでも蓮にとって都市での生活は魅力的には思えなかった。もちろん、山の生活よりはましだと思う。こんな山奥で遊び相手のいない蓮にとって、同じ年頃の子たちと遊ぶ方が楽しいはずだ。それなのに、なぜかむなしさを感じる。ほとんどの都市の人間は、自分たちの都市の周りに何もなくて、世界が終わってしまったのを知らない。そのシェルターのような都市で、普通に楽しく生活し、世の中がこのまま続いていくのに疑問はない。都市での生活のためのインプリティングをされていない蓮は現実を知っていた。蓮はそれについて何も言わないけれど、釈然としないもがあった。
美恵子は運転をしながら、時々蓮に話しかける。学校のこと、試験のこと、街の様子や、買い物、祖父母や親戚の家でのこと。蓮は気が向けば適当に返事をする。最近の蓮は、いつも不機嫌で、会話をしたがらない。母親の美恵子は、蓮が多感な時期にいるのは分かっていた。
「そこを曲がれば、もう、都市は見えなくなるわね」
美恵子の言葉に、反射的に蓮は後ろを振り向いた。手前の山の向こうに田園が広がり、そのかなたに都市のビルの群れが煙ったように見える。蓮にとって、それは遠い幻の世界のように思えた。
「蓮は、あそこの高校へ行くのね」
美恵子が言った。
父の俊樹の天文台は、都市の三方を囲む山脈のかなり奥の方にある。光害を避けるためだ。そして空気も出来るだけ薄い方が良いので、高度は高い。その奥も高い山々が連なっているので、山と空だけしか見えない。そして、その向こうには何もない。蓮は、世界が終わったのだと知っていたけれど、自分の目で確かめたことはなかった。
「この山道はひどいな」と蓮は揺られながら言った。
俊樹の天文観測は、天文物理学の研究のためだった。とはいえ実際の仕事は、この天文台の維持管理が主で、それにかなりの時間と手間をかけなければならない。天文学の研究者だけでなく、技術者としての仕事、さらには建物や家の修理、山道の補修までしなければならないのだ。重機も運転し、冬の間に雪崩で崩れた道を直すことさえする。そうしている内に俊樹の様相は、天文学者と言うより山男のようになっていた。
美恵子は主婦で事務担当だ。大学の事務員として働いていた美恵子は、講師をしていた俊樹に会い、二人は結婚した。蓮が生まれた後、俊樹は天文台での生活を選び、家族でここへ移ってくる。
俊樹は、都市のやり方に異論はなかったけれど、それに従って生きる気もしなかった。天文台の維持は大切な仕事だったが、アンドロイドでも出来ないことはない。それでも俊樹がここへ移るのは、自分にとっても、都市の議会にとっても都合のいいことだった。俊樹は自分の研究ができるし、議会は煩い科学者の相手をしなくても良いからだ。俊樹は、ゆっくりだけど、自由に自分の研究をしていた。そして議会は、俊樹の助手として古い型のアクトロイドをよこしている。
名前をゼイラといった。
蓮と美恵子のトラックが走るでこぼこ道は、急に平坦になった。家に近付いたのだ。
家の前では、父親の俊樹が薪割りをしていた。夏とはいえ、山の夜は寒くなる。それに夏に、冬のための薪の準備をするのは大切な仕事だった。とはいえ、この年の冬は、ここには誰もいないので冬の薪は必要ない。時々、施設が管理されているかどうかを調べにやって来るだけの薪で良いのだ。そうであっても、薪割りをする俊樹は、自分も妻や息子と共に都市へ降りるかどうか、まだ迷っていた。
トラックが家の前に止まると、蓮は薪を割るのを止めて顔を上げた俊樹が機嫌の悪いのに気が付いた。
「蓮、こっちへ来なさい」
蓮は、俊樹の後に付いて家の裏にあるラボラトリーへ向かう。
二人がラボの中へ入ると、中央のテーブルの上に、作りかけの古代コンピューターが置いてあった。
「これを説明してくれないか」
俊樹が言った。そして蓮は考える。
これは父のもので、蓮が勝手に持ち出したものだった。もちろん蓮は、これが父にとって大切な物なのは知っている。それなのに父は、ここへ来た時て一度も触れていないかった。蓮は、それには理由があるはずなのは知っていたし勝手に持ち出してはいけないのも知っていた。だが、この古代ギリシャのコンピューターが気になる。その興味は、年齢が増す毎にさらに強くなっていった。この夏を最後に山を下りる蓮にとって、もしかしたら、これが最後の、古代コンピューターに触れるチャンスかもしれなかった。
蓮は、このレプリカを黙って倉庫から取り出し、自分の秘密の場所に隠しておいた。誰も知るはずはない。いや、知っているやつがいる。
ゼイラだ。
「どうなんだ?」
俊樹はもう一度聞く。蓮は、覚悟を決めて言った。
「倉庫で見つけた。この構造を知りたかったんだ」
俊樹は、しばらくの間、何も言わなかった。それは蓮にとって、とても長い時間に思えた。
「この次に、これを持ち出す時は、父さんに聞いてからにしなさい」
俊樹はそれだけ言って、蓮に美恵子が荷物を降ろすのを手伝うように言い、自分は椅子に座って、そのレプリカを眺める。蓮はラボを出ながら、父の背中に、自分が父の触れてはいけないものに触ったような気まずい気がした。
蓮の気は沈んでいく。そのレプリカをちょっと調べ、父に悟られないように、すぐに返すつもりだった。都市へ行く前に返せば良かったはずだ。ただ、そのあまりの精密度に興味を引かれ、なかなか返せないでいた。ゼイラが知っているのは分かっていたけれど、ゼイラは自分の仕事しか理解しない。だからゼイラが言うはずはないと高を括っていたのだ。
ゼイラは、情報処理を目的とした古い型のアクトロイドで、人間と言うよりロボットに近く感情表現はない。女性型なのは、人間社会の中で秘書のような働きをする目的で作られたからだった。体は少し丸みがある。服は体を保護するためのウエットスーツのようなものを着ている。髪も申し訳程度に頭に張り付いたような感じで、女性型と言えるような魅力はなかった。ゼイラが俊樹の助手となった時、当時、小さかった蓮のために多少の子供を扱う情報が入れられており子守としても働けた。特に子供の安全を守るようにプログラムされるのは重要だった。もし蓮が山の中で迷子になっても、人間の母親のように人肌ほどの熱を出して、蓮が凍えないようにする機能もある。とは言え子供相手のスキルはお粗末なもので、蓮にとってかなり物足りないアクトロイドだった。
蓮は、トラックから荷物を下ろすと家へ運ぶ。そして運び終えると、キッチンへ行き、美恵子が作ったサンドイッチを摘んだ。
「もう少しで夕食だから、あまり食べないでね」
蓮はそれを無視して二つ目を取ると、キッチンから庭へ出た。
外は夏の長い昼の太陽が光を斜めに落としている。蓮は、その光の中をサンドイッチを食べながら天文台へ向かった。そこにゼイラがいるはずだ。
ゼイラは、父の仕事の助手をしていることが多い。ゼイラと美恵子は、ここでの生活をサポートしながら、お互いに効率よく働いていた。
「うらぎりもの」
蓮は、ゼイラを見つけると言った。
ゼイラは振り返る。
「何でしょうか?」
ゼイラは蓮に答える。
「父さんに、古代コンピューターのレプリカのことを言っただろ?」
「先生に『見当たらないものがあるので、どこにあるのか』と聞かれました。その場所を答えただけです」
「だからお前はうらぎりものなんだ」
ゼイラは、蓮の言った意味を理解できない。蓮には、この古い型のアクトロイドに言っても仕方のないことは分かっていた。そして自分が悪くて、ゼイラに理不尽なことを言っているのも。それでも、ゼイラが黙っていてくれたら良かったのにと思っている。たとえ父に疑われても、父が置き場所を間違えたという風に出来たかもしれない。それは卑怯なことだとも分かっている。そんなことを考えている自分にも腹が立つ。
蓮は、どうしようもない自分への怒りを、ゼイラにぶつけていた。
「だからお前はだめなんだ!」
蓮は、そう言ってその場を立ち去る。後に残ったゼイラは、何事もなかったかのように自分の仕事へ戻った。
キッチンで俊樹は、美恵子が入れたお茶を飲みながらため息をついていた。
「蓮は難しい年頃になってきたな」
美恵子もうなずく。
「そうね。蓮は、ここを持て余しているんだわ。都市へ降りるかどうか迷っていたけれど、その方がいいのかもしれない。でもあのレプリカの事は、仕方がないんじゃない。蓮は、ああいうのが好きだし」
「それは分かっている。まあ、あれをそのままにしていたのは、自分を封印していたこともあったんだ。あまり意味のないセンチメンタルなんだけどね。それでも蓮があれを黙って持ち出すなんて思わなかったんだ。もちろん、自分のではない物を、許可なく持ち出すのは良くない。とは言え、そのきっかけを作ったのはこっちだから怒るに怒れないね」
「この夏で、ここの生活も終るわ。あなたはたまにここに来ることはあっても、蓮は戻ることはないかもしれない。もしインプリンティングするのであれば、ここでの記憶も無くなるかもしれないし」
「そうだね・・・」
と言って、俊樹は言葉を区切る。そして息を深く吐くかのように言った。
「今まで蓮をパーシヴァルに連れて行くかどうかを迷ってたんだが・・・最後に行ってみるか」
パーシヴァル、それは俊樹の心の故郷のような場所だった。