1話 ゼイラの瞳
「充電を完了しました」
充電用アルコープの中で美咲は目を開けた。アルコープ・ロック解除の音が充電室に響く。自由になった美咲は一歩踏み出すと背伸びした。気分が良い。アクトロイドの彼女は、長い髪の先まで充電されたような気がした。
そこは相互スカイ・スクレイパーの地下にある充電室。薄暗い充電室にはアンドロイドの充電用アルコープの並んだ列が何層もある。充電室は都市のあちこちにあるが、ここは一度に数百体以上の充電ができる最も大きなものだった。
「美咲、珍しいじゃない、こんな時間にここにいるなんて」
美咲は、声のする方を振り向いた。
「香織、久しぶりね、今から充電?」
「そう、私はいつもこの時間に充電しているの、空いているし」
美咲は辺りを見る。ほとんどのアルコープは空になっていた。
「本当ね、私が来た時は満員だったけど」
「美咲はどうしたの? あなたは高校へ行ってるんでしょう?」
香織はそう言いながら、美咲の隣のアルコープ・キーボードに自分のコードナンバーを入れる。
「そうなの。昨夜は試作の内蔵通信機を入れてもらったから遅刻だわね」
美咲は、耳を指差して言った。
「それって、特殊任務アンドロイドが使っている携帯電話を使わなくてもいいのでしょ?
私たちは通信機能を人間と統一するのと、情報管理のために携帯電話を使ってるけど、いいわね。後で使い心地を教えてね」
「もちろん。じゃ、またね」
美咲は香織に軽く手を振り、更衣室へ向かった。後ろからガコンと香織が入った充電アルコープのロックされる音がし、アナウンスが聞こえた。
「充電を開始します」
美咲が更衣室で制服に着替えて部屋を出ると、ばったりと智之に会った。
「おはようございます。こんな地下の階にいらっしゃるってことは、地下道のお仕事ですか?」
智之は苦笑いしながら答える。
「僕は、一応、下水道課の人間だからね、そっちの仕事もおろそかには出来ないんだよ。美咲は今日は遅刻か?」
美咲も笑いながら答える。
「試作の内蔵通信機を付けてもらったので遅くなったんです」
「ああ、どう? 具合は?」
美咲は、目をちょっと上に上げて答える。
「少し耳鳴りがするかしら・・・まあ、これから調整するらしいですけれど」
「それはいつもアップグレードしているみたいだしね。ベテランのアンドロイドで試すつもりだって言ってたが、君が名乗り出たんだって?」
「そうなんです。ユージったら、私が携帯電話を使う度に、チラッとこっちを見るんですもの」
「警戒されてるか」
「ゲームセンターでは、わざとユージに負けてあげたのに、ほくそ笑むような顔をしてたしね」
「再度インプリンティングをしたんだが、まだ覚えてるってわけだね」
「そうらしいですけれど、どこまで覚えてるのかを言わないんですよ。家ではどうですか?」
「別に変わった所はないなあ。精神は安定しているようだし、それは君のお手柄でもあるんだけどね」
美咲は、ため息をつく。
「なんだか、私の方が遊ばれているみたいで、やりにくいです。私の仕事は、ユージの精神面のサポートと、人間の女の子と問題を起こさないように気をつけることなんですけどね。浩太とは仲がいいのに・・・」
智之は、おやおやという顔をして言った。
「まあ浩太は、身を挺してユージを救った恩人みたいなもんだからね」
「私だってがんばりましたよ!」
美咲はふくれっ面をする。
そんな美咲に、智之はにやにやしながら言う。
「そんなところを、からかわれてるんじゃないのか?美咲が困るなんて初めてだね、いい経験だと思うよ。まだ君は三歳なんだし」
美咲は真剣な顔をして智之に一歩近付くと言った。
「そのことは、ぜーったいに、ユージに言わないで下さいね!」
そして、はっとする。
「まさか、浩太は言ってないでしょうね?これで失礼します。確かめなくっちゃ」
と美咲は、ペコッと頭を下げ小走りに去りながら浩太に連絡する。智之は美咲の後姿に、ユージがこの社会に馴染んできている様子に微笑む。そして、すぐに険しい顔をした。
その日の午後、知之が向かったのは蓮のオフィスだった。蓮は相互スカイスクレイパーの三十八階、角の事務所にいた。彼のデスクの上には古代コンピューターのレプリカがあり、それを眺めていた。
「やあ、新しいオフィスはどうだい?」
蓮ははっとして立ち上がる。
「庶務課の大部屋の隅からすると、かなり格が上がりましたね。いい部屋ですよ。景色もいいですし」
智之は窓の外を見た。
「そうだね、ついでにアクトロイドの秘書ぐらい置けばいいのに。そう言えば、君の家にはアンドロイドの両親役がやってきたんだって?」
蓮は、少し困ったという顔をする。
「そうなんです。今回は、議会も、徹底してユージの件にあたるみたいです。美咲の部屋まで作っての念の入れようですよ。まあその流れで、この宇宙開発関連機構も、会社名にふさわしいオフィスを与えられたって訳です。それはありがたいんですが」
「本来は名前だけの会社だけど、君としては、長い間、暖めていたプロジェクトだったからね」
智之は、デスクの上のレプリカを見る。
「古代コンピューターか。完成させたんだ。これは確か、西暦1973年にも復元されたよね。そして、君のお父さんが、そのレプリカを作り始めたって言ってた。もう完成することはないと思っていたけど、君が引き継いだんだ」
智之は、そのレプリカの取ってを動かしてみる。
「手動の計算機、しかも天体の動きをほぼ正確に計算している。ユージもこれを知ってたんだ」
蓮は、智之に向かって姿勢を正すと言った。
「それですが、やはり、誰かが人工衛星を上げているようです」
「そうらしいね。こっちにも、今朝、その情報が入った」
「まだ何の目的なのかは調査中ですが、議会は、もう無視できないはずです」
「まあ、そうなんだが・・・ユージの本当の両親のグループも何の研究をしていたのか知らないが、ここの存在を知っていたみたいだしね。元々日本人は、組織力では世界一と言われていたし今でもこれだけの都市を維持できている。それを知られていないはずはない。人工衛星があれば、いずれ誰かがここへ連絡して来るのは明らかだ。とは言え、我々の人工衛星打ち上げに関しては、保守派を動かすのは並大抵じゃない。とにかく、君の計画書を見せてくれないか?」
蓮は、引き出しから計画書の厚い書類を取って智之に渡した。
「いつか君は、これを言い出すだろうとは思っていたけどね。以外に早かったな。ユージと美咲の事件の報告書にもあったが、『冷たい瞳』か・・・美咲があれを言うなんて驚いたよ」
「美咲の瞳は、高精度のクリスタルガラスですからね」
そのことに踏み込まれるのを苦手にしている蓮は、思わず、腕を組みながら答える。
「その瞳が、君に生きるよう励ましたんじゃないか」
智之は蓮を見上げると言った。
「だから、冷たいんじゃない、むしろ、さわやかな冷たさだったんだ」
その智之の言葉に、蓮は少し緊張を解く。
「そうですね。ユージにも同じように伝わってたらいいですね」
「そうでなくても、いつか伝わるよ」
「ユージは、救出された時、絶望の底にいたんでしょう。悲しみの中で、まるで消えた炎のように動きを止めようとしていて、生命力も衰えていた。あのままでは、インプリンティングをしても、どこかに精神的な障害が残ったと思います。ただ時間を送り、日々を繰り返し、沈黙するだけの毎日になったかもしれません。刹那的な生き方は、とても魅力的ですからね」
「その恐れはあったね。それでも、ユージには強い思いが残っていた。そのかすかな過去の記憶をたどって立ち上がり、生きる戦いをするため浮かび上がろうとしたってことか。」
「智之さん、今日は珍しく詩的ですね」
蓮が笑いながら言うと、智之も笑って答える。
「君につられたんだよ」
「でしたらユージと浩太が言った月面のような荒野だって生き返りますよ。あそこの枯れ草は、春に芽吹いて、夏には草原に戻るんです」
「草原か・・・」
智之はそう言って、遠くを見るような目をする。
「議会は、ユージの過去を懸念しているところがありました。この社会への影響も考慮しなければなりませんでしたしね。だからユージの記憶を消して、潜在意識の中にだけ押し込めたんですが、美咲の起こした火事によって記憶は戻ってしまいました。ちょっと危険な賭けでしたが、結果的には上手くいったと思ってます」
「上手くいったのは、ゼイラの瞳があったからじゃないか?」
蓮は、智之を見る。そして、少し笑うとそれに答える。
「偶然でしょう」
「アンドロイドを使わなかった君が解体寸前の美咲を自分に付けてゼイラの瞳を装置させたよね。やはりゼイラは特別だったか」
「さあ・・・とにかく、いつまでもアンドロイドを使わない訳にはいきませんよ。特にユージは高校生ですから、今や美咲や浩太のようなアンドロイドは必要です。」
「君が、美咲にゼイラの瞳を付けたのも、それなりの思いがあったからだろう?」
「そうですね・・・ゼイラの瞳は特別で、とても美しい深い青のクリスタルガラスです」
「ユージの気持ちを一番分かるのは、君かもしれないね」
「どうでしょう。それに美咲はゼイラとは全く違うタイプのアクトロイドですし」
「そうかな?」
その智之の問いかけに、蓮は驚いたような顔をする。
「美咲はゼイラと似た所があると思うよ。だから君は美咲の失敗をかばって組むことにしたんじゃないのか?それに君は、左手に、しなくてもいい傷を負うなんて無茶もするし」
思わず蓮は自分の左手の傷跡を見た。
智之は、蓮がゼイラについて話したがらないのは分かっている。それで目を書類に戻して続ける。
「美咲は今回もまた問題を起こしたけど、人間の心に反応するアクトロイドになりつつある。そのための新型だからね。議会もそれを認めたから、今回も美咲はラボラトリー送りにされずにすんだんだ。やり方はまだ幼稚だけど、これからあの子は成長するよ。ゼイラは成長できなかったけれど・・・」
蓮はそれには答えないで窓の方へ行き、智之に背を向けて外を見た。智之も書類のページを捲り、それ以上何も言わなかった。
遠くの山脈に雪が降り、その白い屋根が、美しく、そして険しく連なっている。山は短い夏を終え、秋が過ぎ、長い冬に入った。その山の雪は、春になると解け始め、土地を潤し、緑が美しい夏の季節に戻り、自然は繰り返される。
蓮は、その山を去る頃を思い出した。あの最後の夏だ。