第一話 すべての始まり
本編は、プロローグの十年前から始まります。
森の巡回結果を書き終え、パソコンの電源を落とす。
今日もいつも通り、平和な一日だった。
「ふぅ……よし、みんな帰るぞ!」
「了解です、班長。お疲れ様でした」
「お疲れさまでしたぁ」
「おつかれっすー! 班長、今日もゲームしますよね?」
「ああ。その予定だ。いつもの時間にな」
部下たちはそれぞれ返事をして、事務所を後にしていった。
真面目な菅野。
おっとりした二ノ宮。
軽口ばかりの小島。
この三人の班長になって、もう三年になる。
今年で三十二歳。
若手とは呼ばれなくなったが、班をまとめる役としては、どうにかやれていると思う。
後は部屋に戻って、ゲームをするだけ……なんだけど、大事な用事がもう一つある。
俺は帰宅前に、いつものように訓練所へ向かう。
そう、あの子を迎えに行くために。
「にゃあ!」
扉を開けた瞬間、白い塊が勢いよく胸に飛び込んできた。
顔をぐいぐい押しつけてくる。
「おっと……ただいま、ましろ」
腕の中で、満足そうに喉を鳴らしている。
白猫のましろ。
俺の相棒であり、娘のような存在だ。
見た目は普通の猫……なんだけど、その身に魔力を宿す彼女は、分類上は魔物として扱われる。
魔物は人にとって生存を脅かす存在なんだけど、ましろのように人に寄り添い、助けとなってくれる例外もいる。
今日も俺たちの巡回を手伝ってくれた頼もしい子だ。
「今日も頑張ったな」
「にゃっ」
短く鳴いて、しっぽを揺らしている。
この鳴き方は肯定の合図。ちゃんと意思疎通もできる賢い子でもある。
「よし。帰ったら、今日もゲームをしよう」
「にゃ!」
嬉しそうに返事をして、ましろが俺の背中に移動する。
このおんぶの体制が、すっかり定位置になっている。
ましろと一緒に仕事して、家に帰ってゲームをする。
俺はこんな何気ない毎日が大好きだ。
仕事終わりに、ただ一緒に家に帰るこの時間すら愛おしい。
ましろがいるからこそ、俺は頑張れるんだと思う。
************
宿舎の食堂で夕食を済ませ、そのまま部屋へと戻った。
部下たちも、いつもの時間に自然と集まってきた。
「班長の部屋、いつも綺麗ですよね」
「ましろちゃん、今日もよろしくね〜」
「今日は新作っすよ、新作!」
「はいはい。順番にな」
ゲーム機の電源を入れる。
ましろはすかさず俺の足元に座り、画面をじっと見つめていた。
何故か、その姿を見て……あの日のことを思い出した。
ましろに初めてコントローラーを渡した日のことを。
冗談半分で渡したつもりなのに、まさか、ゲームができてしまったんだからな。
めちゃくちゃ驚いたけど、それよりも嬉しさが勝った。
だって、俺の好きなものを、一緒に楽しんでくれるんだぜ?
嬉しいに決まっている。
画面が切り替わった瞬間、ましろが身を乗り出して、前足をコントローラーに置く。
いつものゲームスタイル。やる気満々である。
しかし――
今日のましろは苦戦していた。
それもそのはず、このゲーム、操作が複雑すぎた。
左スティックを動かしながら、複数のボタンを押す。
流石に猫の手では難しい。
「……あ、惜しい」
「にゃ……」
キャラクターがコースを大きくズレる。
ましろは画面を見つめ、自分の前足を見下ろした。
それでも、諦めない。
何度も挑戦している。
しかし、なかなかうまくできない……。
「にゃーーーー!」
「今の、コーナー、もうちょっとで曲がれるんだけどな……」
ましろは上手くできず、拗ねて俺の足で丸まってしまった。
俺はそんなましろを撫でながら、つい、口に出してしまった。
このままでも十分だと、そう思っていたはずなのに。
でも、もっといろんなゲームを一緒に楽しめたらと、そんな欲が生まれてしまった。
「……なあ、ましろ」
本当に、何気なく。
「もし……ましろが人間だったら……もっと一緒にいろんなゲームができたのかもな」
一瞬。
ましろの体が、ぴくりと震えた。
俺の方を見て、首輪に前足をかける。
カリカリと、引っかく。
「え……外してほしいのか?」
「にゃっ!」
迷いのない返事だった。
これまで、ましろが首輪を外して欲しいなんて言ったことなかったのに。
少し疑問に思いながらも、俺はそのまま外してしまった。
――その瞬間。
眩い光が、部屋を満たした。
「ま、ましろ!?」
「な、なんすかこれ!?」
「ましろちゃん……!」
部下たちが声を上げる。
光の中で、形が崩れ、包まれていく。
やがて、光が収まった。
そこにあったのは――繭。
「……繭?」
誰も動けなかった。
何が起きたのか、全くわからない。
テレビからは、さっきまでのゲーム音が、虚しく流れ続けている。
「と、とにかく医者だ! 医者に連絡しないと!」
俺は震える手でスマホを取り出す。
「ましろ……大丈夫か……?」
返事はない。
ただ、静かに、そこにあるだけ。
俺が変なことを言ってしまったせいで……。
あの一言が、ましろの何かを決定的に変えてしまったのだけはわかる。
そんな予感だけが、胸に残っていた。
繭の前で立ち尽くしながら、
俺は自分の軽率さを、何度も何度も後悔していた。
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