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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

午前六時零分のブラックアウト

午前六時零分のブラックアウト ー レポート(沙織)

作者: 流星
掲載日:2026/02/27

午前六時零分のブラックアウトー日記 連載中です。

[STRAT_REPORT:PCB-V01_Regeneration_Record]

レポート 河野こうの 沙織さおり


202X年3月2日6:00(推定):目覚め

意識の底から浮かび上がったとき、世界は「音」を失っていました。

職場のビルを出て、いつものように駅前のコンビニに立ち寄ったはずでした。けれど、次に気づいたとき、私は薄暗い店内の床に倒れ込んでいたのです。


「……あ……」


喉の奥が張り付き、声が出ません。指先一つ動かそうとしても、まるで全身が深い泥の中に沈んでいるかのように重く、自由が利きませんでした。


視界に入る陳列棚ちんれつだなは無残に倒れ、床には崩れたスイーツが散乱しています。私はその光景を、ただ焦点の定まらないひとみで見つめることしかできませんでした。

頭にはズキズキとした鋭い痛みがあり、ひたいから生温なまあたたかい液体がほおを伝い落ちるのを感じました。


(誰か……助けて……)


心の中で叫んでも、外の世界からは車の走行音も、街の喧騒けんそうも聞こえてきません。ただ、死んだような静寂せいじゃくが肌にまとわりついていました。


202X年3月2日10:40(推定):出会い

「――大丈夫ですか」


静寂を切り裂いて、誰かの声が響きました。

動かない視界の端に、一人の男性の姿が映り込みます。彼は驚いたように私を見下ろしていました。


「ゾンビか……っ!?」


彼が小さく飛びのくのが見えました。無理もありません。暗がりの中、血まみれの女がふらふらと動いているのですから。けれど、彼はすぐに私の瞳に宿るわずかな光に気づいたようでした。


「待て。血が……流れてる。生きてる証拠だ」


彼は意を決したように駆け寄り、崩れ落ちそうになる私の体を力強く支えてくれました。


「しっかりしてください。今、助けますから」


彼の腕の温もりが、冷え切っていた私の肌に伝わってきます。それは、この止まった世界で唯一感じることのできる「生の灯火ともしび」でした。


202X年3月2日11:00(推定):命を繋ぐ背中

彼は棚から絆創膏ばんそうこうを取り出し、私の傷口を押さえてくれました。

「放っておけるわけがない」

その独り言に含まれた使命感に、私は言いようのない安堵あんどを覚えます。


彼は私が落としていたコートを羽織はおらせ、腰に腕を回して私を担ぎ上げました。おんぶされるような形で彼の背中に預けられると、規則正しい足音と、彼の荒い息遣いきづかいが伝わってきます。


外の景色は、まさに地獄のような静寂に包まれていました。

信号待ちの車は並んだまま、ドライバーたちはハンドルに突っ伏して眠っています。歩道に倒れた人々も、まるで時間がてついたかのように微動びどうだにしません。


(この人は、私をどこへ連れて行くんだろう……)


不安がなかったわけではありません。けれど、階段を一歩一歩、重い私の体を背負って上がっていく彼の背中の熱が、私の思考を麻痺まひさせていきました。


マンションの六階。エレベーターが止まっている中、彼は一度も私を放り出すことなく、自分の部屋まで運び届けてくれました。


202X年3月2日11:30(推定):温もりの記憶

リビングのソファに横たえられたとき、ようやく私の指先に感覚が戻り始めました。

彼は救急箱を持ってきて、濡らしたタオルで丁寧に私の顔の血をぬぐってくれます。


「傷、残したくないからな。……ちょっと我慢しろよ」


真剣な眼差し(まなざし)で傷口を処置し、パッドを貼ったあと、彼は自分のてのひらでその上をそっと押さえました。

「こうして温めると、くっつくんだ。……ほら、痛くないだろ?」


その優しさに、私はたまらず彼の腕をぎゅっとつかんでしまいました。

「……あ、う……」

言葉にならない声を漏らす私を、彼は困ったような、それでいてどこか決意を秘めたような目で見つめ返しました。


その後、彼は私のためにスープを作ってくれました。

けれど、咀嚼そしゃくの仕方を忘れたのか、私はうまく飲み込むことができません。


すると彼は、少し顔を赤らめながら、信じられない行動に出ました。

自分の口で食べ物を少しみ砕き、それを口移しで私に与えてくれたのです。


「ん……っ」


重なり合ったくちびるから、温かい栄養が流れ込んできます。

それは、ひどく不器用で、けれど真っ直ぐな命の受け渡しでした。

私は夢中で彼にすがり付き、彼が与えてくれる「生」を吸い込みました。


202X年3月2日13:00(推定):救済

時間がたつにつれ、私は少しずつ自分の力で動けるようになっていきました。

彼は私の汚れた服を脱がせ、清潔なジャージを貸してくれました。介抱かいほうされる中で感じる彼の指先は、時折震えていて、彼もまたこの異常な世界におびえていることが伝わってきました。


「……ごめんな」


彼は時折、隣の部屋を気にしながらそうつぶやいていました。そこには、同じように眠り続ける彼の恋人がいるようです。

それでも彼は、今この瞬間に目覚めている私を、決してひとりにしませんでした。


私は彼のフリースのすそを強く握りしめました。

この手を離してしまえば、またあの暗く静止せいしした世界に引きずり戻されてしまうような気がしたからです。


窓の外、南東の高い位置に、昼間にもかかわらず青白く輝く星が、止まった世界を照らしていました。

けれど、この部屋の中だけは、二人の鼓動こどうと体温が、確かに明日へと向かう時間をきざみ続けていました。


202X年3月2日15:20:回復

次に目が覚めたとき、私の視界を支配していたのは、天井に反射する懐中電灯の白い光でした。

体中を襲う激しい疲労感と共に、驚くほどはっきりと「自分」が戻ってくるのを感じました。私は、河野沙織。都内のシステム管理会社に勤める会社員。あの悪夢のような静寂の中で、この家の主である「彼」に救われたのです。


「……おかえりなさい」


ドアを開けて戻ってきた彼に、私は精一杯の社会性を絞り出して挨拶をしました。彼は驚いたように私を見つめています。無理もありません、さっきまでの私は言葉も持たない赤ん坊のようだったのですから。


彼は、街で見つけてきたという大人用の紙おむつを抱えていました。

「……おむつ、買ってきた」

その言葉に、私は顔から火が出るほど赤くなるのを感じました。介抱(かいほう)されていた時の記憶は、断片的(だんぺんてき)ですが鮮明に残っています。彼がどれほど献身的(けんしんてき)に、そして戸惑いながら私の世話をしてくれたか。


「……ありがとうございます。一つ、頂いてもいいですか?」


今の私はトイレに行くこともできます。でも、いつまたあの「静止」の状態に戻ってしまうかわからない。この異常な世界で生き抜くために、私は羞恥心(しゅうちしん)を押し殺して、彼から「安心」を受け取りました。


202X年3月2日18:00:外出

彼と一緒に街を歩くことになりました。外の世界は相変わらず凍り付いたままです。

そんな中、私たちは駅のホームを力なく彷徨さまよう女子高生と、コンビニのカウンター内で呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす留学生の店員さんを見つけました。


「……あの子たちも、置いていけない」


彼は迷わず手を差し伸べました。その姿を見て、私は確信しました。この人は、どれほど世界が壊れても、目の前の命を見捨てられない人なのだと。

私たちは二人で彼女たちの手を引き、マンションへと連れ帰りました。


部屋に戻ると、そこはさながら「小さな避難所」のようでした。

彼は女子高生と店員さんの体を温かいお湯で清め、清潔な服を着せてあげました。浴室から聞こえてくる彼女たちの(かす)かな声や、水音。私はキッチンでスープを作りながら、自分が味わったあの「介抱」の温もりを彼女たちも受けているのだと思い、不思議な連帯感と、胸の奥がひりつくような独占欲(どくぜんよく)を感じていました。


やがて、彼女たちも私と同じように、彼の献身的な刺激によって、言葉はまだ出ないけれど、瞳には確かに「生」の光が宿っています。


202X年3月2日21:40:夜と決意

その夜、私たちは一つの食卓を囲みました。

スプーンの持ち方を教え、スープを口に運ぶ。

止まった世界から切り離されたこの部屋は、(いびつ)で、けれど温かな「家族」の形を成していました。


私は一度、自分のマンションの様子を確認しに戻ることにしました。彼に甘えてばかりではいられない、自分の足で立ち、彼を支えられる存在になりたかったからです。


「あの子たちのこと、よろしくね。……優しくしてあげて」


そう言い残して、私は一度、夜の静寂へと踏み出しました。

自分の部屋は冷たく、静まり返っていました。そこには「生活」の残骸(ざんがい)があるだけで、あの部屋にあった「命の熱」はありませんでした。


私は必要な荷物をまとめると、迷うことなく再び彼の部屋へと向かいました。

重い鉄の扉の前に立ち、深呼吸(しんこきゅう)をします。


(私が必要なのは、あの人の隣だわ)

午前六時零分のブラックアウト−ベテルギウスの嵐− ノクターンにて、3月2日6時零分連載開始

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