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夢か夢のような現実か

「お義父さん、どうして僕はみんなから嫌われているの?」

日の光がステンドグラスを照らし、庭園の花弁が教会の室内にふわりと入り込む。

女神像の前で祈りを捧ぐ神父は大きな歩幅で七歳の少年の元へと近づくと、彼の前に古びたロザリオを突きつけた。

深く皺が畳まれ、白髪の目立った老人は厳格な表情で教えを諭す。

彼の素朴で深刻な質問に直結しない答えを掲示して。

「神は人を平等に造った。今の世に平等がないのは神に対する信仰がないからだ。お前はお前のままでいい。日々この像を崇拝し、心を清めよ。そうすれば神はいずれお前だけに振り向き、お前を幸せへ導いてくれる。外の者など格下に過ぎないから関わる必要などないのだ。レイよ」

孤児故に母親の温もりを知らなかった。

父親の逞しさの概念を理解できなかった。

あるのは十字架と人への恐怖心。

しがみつけられる物は口頭の教えのみ。

義父が言うように果たして祈れば神という何かは幸せをくれるのか。

周りの常識と自らの普通とのズレが断層として生じていて、それを隠そうと人の群れを離れて、一人になって、また戻ろうとした時にはそこに居場所はなかった。

誤解が重なって、雁字搦めになっていく内に「あいつはおかしい」と指を指され、理不尽な一匹狼だ。

肩身の狭い毎日をレイは過ごす。

数えきれない程の嫌がらせは十八になった今でも悪夢としてフラッシュバックする。

今日の悪夢はまたこれか。

鉛色の景色には光は見えない。

五年前、学校の誰かから故意に押されて底無しの井戸の中に沈められたことがあった。

浮遊する感覚と、息ができずにもがき苦しむかつての自分。

ここは夢か。

スクリーンから見るように俯瞰した自分の姿は惨めである。

あの時あの人から助けられなければとうに空は見えず溺死していた。

水面から一本の腕が差し伸べられる。

ジャパリという轟音に近い水の音は華奢な体が引き上げられた音だろう。

濡れた感覚が非常に不快で気持ち悪い。

「レイ!大丈夫か!!しっかりしろ!」

ああ、そうだった。

もう一人ではないことを当時の自分は思い出す。

黒渕の眼鏡の奥には長細い紅色の瞳が動揺を隠しきれない様子で自分を見つめている。

捲った袖で露になった彼の腕は細いのに筋肉質で固い。

「デイレス義兄ちゃ……先生っ……」

そういえば外では先生と言うようにと言われてたっけ。

言い直しつつも、レイが名前を呼ぶとデイレスは安堵し、彼は茶色がかった黒髪を耳の後ろにかけた。

「ああ……無事でいてくれてよかった」

安堵するデイレスを見て、不思議な、言葉で表しずらい感情が込み上げる。

何だろう、この気持ちは。

脈打つ心臓の鼓動、感じたことのない体から沸き上がる興奮は彼を一秒でも長く至近距離で見る度に加速していく。

「どうした?顔……赤いぞ?」

彼の掌が額に触れる。

ああっ、それ以上は……

それが初めてときめきという感情を知った時だった。

そこで映像はぶつりと途切れ、現実が視界に映る。

全部、夢だった。

寝起きなのに自棄に視界がはっきりしていて、呼吸が荒くなっていた。

汗がびっしょり寝心地のいいベッドに染みている。

結んだ髪はほどけていて丁重に肌掛けがかけられていた。

汗やら何やら全身がよからぬもので滑っているような気がして気持ち悪い。シャワーを浴びていないからだろう。

しかし、この部屋はどこだろうか。

理解が追い付かない。

「ここは……何処だ?」

心でも思った通りレイは呟く。

確か昨日はデイレスに廃教会へ連れていかれてその後……

「っ!」

全てを思いだし、レイは顔を真っ赤にして布団に潜る。

一言で言うと「最高の一時」ではあったが、いざ思い返すと羞恥心が込み上げてくる。

首に刺さった牙の感覚が今も鮮明に覚えている。

でも、首筋を触れてみても痛みや傷と思われる瘡蓋は一切なかった。

あれも夢だったのか?

と、天蓋のカーテンの外から扉が開く音がした。

「レイ、起きたのか?よかった。治療薬が効いたみたいだ」

治療薬とは何のことだろうか。

レイは不思議そうに首を傾げる。

デイレスがカーテンを開け、柔らかな笑顔をレイに見せた。

夢でも脳内再生された「無事」の二文字は今の方が少し陰りを含んでいただろうか。

とはいえ、昨日の出来事も夢、言い換えれば幻覚だったか。

卒業式終わりで感情の整理が付かず、帰宅して直行でベッドに行ったのだろう。

きっと、きっとそうだ。

ただ、学校近くの家へ戻った記憶は疲れで吹き飛んだのか一切ない。

……反対に夢だと錯覚した記憶は自棄に鮮明で、非現実な現実だったが。

夢とは違い、いつものスッキリした黒髪に、優しい眼光の彼がレイを見下ろす。

あの死神の面影などなかった。

ベッドに腰を下ろし、その手で撫でられる感覚は非常に気分が良いもので、動悸が止まらない。

また体が熱くなる。

にしてもここは何処だ。

家にあった私物と家具がそのまんま配置されているが、明らかに家の自室ではない。

むしろ嘗て住んでいた教会に似た雰囲気を感じて……

レイは微かに目を見開く。

もし、あの夢が本当ならここは監禁部屋なのだろうか。

随分と過ごしやすく、複数ある扉にはトイレやキッチン、シャワールームといった生活に必要な個室が完璧なまでに揃っている。

こんなの最高ではないか。

妙に信じきれていない自分がいるので、デイレスに部屋のことを問う。

「えっと、この部屋は?」

「俺がお前の為だけに用意したレイの自室だ。好きに使ってくれ」

「そう、やっぱり……有り難う」

思わず無言で顔を布団に潜らせたが、栗色の髪に触れる手は離れなかった。

もしかして、夢じゃない……?

だとしたらあの時のあれって……

思わず「あああ……」と情けない声が出てしまった。

「何をそんなに恥ずかしがっているんだ?」

柔らかな声色でデイレスは尋ねた。

あんなに優しい声色で言われたら平然なんか装える筈がないではないか。

レイは布団から大きな瞳を覗かせる。

それも赤面した顔で。

「何でもない……」

「本当か?にしては随分と顔が赤いが」

「ほ、本当に!」

デイレスがからかってレイを笑う。

言葉で拒絶したレイがしばらくして申し訳なさそうに目を動かす。

視界にはデイレスの眼鏡越しの赤い双眸があった。十センチもない距離で。

彼の瞬きが間近に見られ、レイは睫毛長くて綺麗だな、などと恥ずかし気に心にそのことを脳裏に書き留めた。

「に、兄さんそんなに近くで見つめて……僕だって照れるんだから」

「ははっ、ずっと照れて赤らめていろ。それと、もしかしてこれのことか?」

デイレスが舌を出し、レイの首を下から上へジュルリと舐めた。

昨日と同じ、もしくはそれ以上のむず痒い感覚が彼の全身を駆け巡る。

レイは思わず舐められた部位を手で抑えて女子のように高い声を上げた。

「!?」

「実に美味しかったぞ」

ねっとりしたデイレスの低くて甘い声に動揺を起こし、下を向くと、証拠をレイの目焼き付けるかのように皺だらけの依れたブラウスには血液が染みた痕がくっきりと残っていた。

それを見て情けない声を漏らすと、デイレスが悪戯に笑った。

「昨日のあれは二人だけの秘密だ」

「う、うん。僕もちょっと興奮しちゃってた……ところでシャワー浴びたいんだけどいいかな」

一度、体を綺麗にしながら心の整理をしたい。

「ああ。着替えならタンスに仕舞ってあるから好きなの持ってけ」

取り敢えず、普段着のグレーのシャツに歩いていて血などの落ちない汚れが付いても目立たない黒の緩いサイズのカーディガンと同じく黒のワイドパンツで問題ないだろう。

タオルも重ねて、準備を整える。

「……ん?」

レイが語尾に疑問符を付ける。

タオルを手にとって立ち上がった少しの動作だったが、首元に違和感を覚えた。

何かが巻き付いている。

それも首に対して余裕のある緩いサイズで。

「首輪?」

レイが俯くと、首に黒いベルト製の首輪が嵌められていたのが見えた。

お洒落にしては少々趣味の悪い程度だろうか。

あくまでもベルトの金具部分は装飾らしく、首輪を回転させると、小さな鍵穴が見受けられた。

どうやら自分では外せないらしい。

部屋を出ようとするデイレスの方へ振り向くと、案の定彼はニヤリと口角を上げてレイの様子を伺っていた。

「これ、僕が寝ている間に取り付けたの?」

「勿論だ。大切な俺の所有物として、お前は飼い犬と同然だからな。監禁の二文字をあまり楽観的に捕らえていると痛い目に遭うぜ」

「ふふっ、兄さんその姿だと脅し文句すら似合わないね」

困り顔のデイレスがどこか面倒くさそうに頭をかいた。

「さっさとシャワー浴びて来い」

「はーい」

レイは一人、優しく微笑みながら首輪を擦った。

「一生.......外さないでよ」

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