4 好奇心は魔導師を滅ぼす(前編)
――長い夢だった。
今のを人は走馬灯と呼ぶのだろうか。虚ろに目を開いたマイラは、そんなことをぼんやりと考える。知らないうちに、唇には微かな笑みが浮かんでいた。
――振り返る記憶がこれまでの人生ではなく僅か半年前のリュートとのやりとりとは、なんて長年片思いを拗らせた自分らしいんだろう。
ずるずると地面に崩れながら、星夜祭のことを思い出す。
結局、研究が立て込んでしまったマイラは、あの後リュートと会っていない。彼が一体何を気に病んでいるのかは、わからないままだ。
こんなことになるくらいなら、もっと早くに会いに行っておけば良かった……そんなことを思うが、もう遅い。後悔先に立たずとは、よく言ったものだ。
だからこそ、死の間際の幻であってもリュートの顔をもう一度見られた幸せに心が安らいだ。ほぅ、とため息をついたマイラの唇に、仄かな微笑みが浮かぶ。
「あーあ、やらかしちゃったなぁ……」
その苦い呟きはもう声にならず、ただグプ、とマイラの口の中に血の味を広げるだけであった。
抉られた右脇腹はもはや痛みを伝えることすら放棄していて、血をとめどなく流し続けている。今はもう、ひたすらに眠いだけ。
ずるずると地面に崩れ落ちながら頭上を見上げる。乳白色の空間に浮かぶ小さな青い空は片雲のように遠く、頼りない。
元の場所に戻ることのできる、唯一の出入り口。でも魔力の尽きた彼女に、あそこまで手を伸ばす術はもう、何ひとつ残っていない。
――「好奇心は身を滅ぼす」なんて、そんなの誰でも知ってる格言だ。
でも、欲と好奇心があったからこそ人類はここまで発展できた訳で。マイラはどちらかというと、好奇心肯定派の人間であった。
きっかけは、ただの素材採集。研究の一環でドラゴンの鱗が必要になったマイラは、気軽な気持ちで旅へと繰り出した。
……もちろん、その時点で常識外れなことに自覚はある。幻獣であるドラゴンは人間界に現れることは滅多になく、そもそも出会うことすら不可能に近い存在だ。
でも、『賢者』の称号をほしいままにしているマイラにかかれば、それは大きな問題ではない。
幻想域の周期を計算してチョチョイと魔術を行使すれば、簡単に「向こう側」への道は繋がった。その後のドラゴンの発見までも、そのままスムーズに進んだのだが……そこで一緒に「ドラゴンの巣への入り口」まで発見してしまったのは、果たして幸運だったのかどうか。
(死にかけてる今ですら、その判断がつかないってんだから私も大概よね……)
ブレない自分自身に、苦笑が洩れる。
――きっと今日一日をもう一度やり直したとしても、マイラはまた同じように「ドラゴンの巣」への侵入に挑戦することだろう。なにしろ神秘生物の生態は謎に包まれていて、知りたいことは山ほどあるのだから。
その結果ドラゴンの怒りを買うことになり……巨大な爪を振り下ろされて、現状の瀕死の状態になったとしても。それでも自分の探求心に正直に従ったこの行動に、反省はすれど後悔はない。
(まさか、魔力が全部消えちゃうなんて)
謎に包まれた幻獣の生態に、改めて驚嘆する。
巣に近寄る際には念入りな偽装魔術を施したのだが、完全に無意味であった。なにしろ、ドラゴンの巣に近寄った途端、マイラの魔力は根こそぎ消え失せてしまったのだから。
からっからの、清々しいほどの魔力残量ゼロである。もしもの時のための魔力貯蔵用の魔石すら、石ころと化してしまった。
ドラゴンの巣の特殊効果……誰も知らなかった新たな発見に心は震えるけれど、それを伝えられる相手がどこにも居ないことだけが残念でならない。
いくら「賢者」と呼ばれようと、魔力を失ってしまったらそこに残るのはただの無力な人間だ。血を流しすぎたマイラはもはや意識を保つこともできず、ゆっくりと目を閉じた。
せっかくのドラゴンの棲家、誰に伝えることができなくてももっと周囲の観察をしたいのに……悔しさを抱えながらも、押し寄せる眠気には勝てなくて。
この眠りに身を委ねたら二度と目が覚めないことを自覚しつつも、マイラは微睡みの中へ意識を手放す。
「マイラ!」
ずるずると引き摺られていく昏い眠りの淵で、最後にリュートの声が聞こえた気がした……。